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<title>Grip Blog ＜Archives＞</title>
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<description>気になる事を自分の足で取材して私なりの答えを探してみます。
ヘッポコですがよろしく！</description>
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<dc:date>2006-05-21T21:28:10+09:00</dc:date>


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<item rdf:about="http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_1538.html">
<title>報道機関設立企画について</title>
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<description>BigBangさんが報道機関設立の時に私と行ったやり取りを公開なさったので、回答...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>BigBangさんが報道機関設立の時に私と行ったやり取りを公開なさったので、回答する必要があると感じたことだけお答えしておきます。</p>]]><![CDATA[<p>BigBangさんが私に対して抱いていらっしゃる疑問の多くは、私とBigBangさんの立場の違いからくる行き違いだと思います。私は報道機関の設立活動で知り得た、個人情報や企業情報などを第三者へ簡単に教えていい立場ではありませんでした。BigBangさんはそのことに疑惑を感じていらっしゃるようですが、これは立場の違いの問題ですので細かな点の反論はしません。<br />ただ、BigBangさんとのやり取りで最後の経緯については勘違いされているようなのでお話します。<br />私はBigBangさんとやりとりを繰り返した結果、具体的な状況の説明をするつもりでいました。<br />最後の企画書をお送りした時には、状況をある程度お話しようと考えて、umeさんの名前を載せたものを送りましたし、その後に「オフレコでお話したいことがある」とメールを送っています。<br />でも、そのメールへのお返事はいただけませんでした。これが行き違いの原因だと思ってます。<br />相談に行った他の方々は、私が真剣に話しをしているのを理解してくださって、お手伝いしてくれるにしてもしないにしても明確な意思表示として最終的なお返事をいただきました。その点でBigBangさんに不信感を抱いたのは正直なところです。もし興味がなくなっていたなら、一言「協力できない」とハッキリ言って欲しかったです。</p>

<p>「ユーザーカルマ」という言葉についてですが、これは最後の企画書で利用することを書いた『Pligg』というフリーソフトで使用されている言葉をそのまま使っています。『Pligg』は、『Digg』を真似て作られたGPLライセンスのフリーソフトで、その中で元々ユーザーの評価をする単位に「カルマ」という言葉が使われていて、それをそのまま使いました。<br />BigBangさんは疑問を持たれているようですが、これは企画書を見ていただければ一般的にはご理解いただけるのではないかと思いますので、最後の企画書を公開いたします。<br />非公開にしていた理由は、報道機関の設立がダメになって、公開する必要性を感じなかったことと、umeさんの実名が入っていたからです。公開するにあたって、umeさんの名前が入った１ページ（スケジュールと必要経費のページ）は省かせていただきます。このページでサーバーを無償でしばらく借りる方の名前としてumeさんの名前がありました。</p>

<p>この企画書は、今までの草案書や仕様書とは趣旨が違います。<br />草案書や仕様書は、大人数で運用し、システムにもお金を掛けて一から作り上げようと考えていた大規模なものです。<br />最後の企画書は、人も資金も充分に集まらなかった状況で、小さな規模で実現する方法として次のことを踏まえて作成しました。<br />ひとつは、フリーソフトを利用して開発費を抑えようとしていたこと。次に、今までのように取材活動をしながらサイト運営も私一人でしばらくはやっていこうと考えていたこと。そして、umeさんに旧GripBlogでお借りしていたサーバースペースをアクセスが許す限り無償でお借りして、運用費を抑えようとしていたこと。<br />このように前提になる条件が違っていました。<br />規模を小さくするしかなかった経緯は、私のブログの流れを読んでいただくと、ある程度わかると思います。</p>

<p>以上が、報道機関設立に関して私が公開できる全てです。今後、この件に関するご質問にはお答え致しかねますので、ご了承ください。</p>

<p>最後の企画書を公開するにあたって、私には実現できませんでしたが、どなたかの今後の企画のヒントとしてお役に立てれば嬉しいです。</p>

<p><a href="http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/files/grip_.pdf">「Grip 報道メディア設立　企画書（公開用）.pdf」をダウンロード</a><br />＊『Grip 報道メディア設立　企画書（公開用）.pdf』の著作権は泉あいに帰属します。著作権者の許可を得ずに無断で複製・複写・転載・再配信等の行為は禁止します。</p><hr /><p>追記（5/22）</p>

<p>報道機関設立の企画に、umeさんと松永さんがどのような協力をされていたのか説明します。以前に、コメントなどで説明しましたが、わかりやすくこのエントリーにも書いておきます。</p>

<p>umeさんは古くからの友達で、HeartLink（乳がん闘病サイト）、旧GripBlog、GripForumのシステムでずっとお力を貸していただいていた方です。報道機関の企画では、私が出す漠然とした企画をシステムで実現できるように提案されることと、いただいたアドバイスをヒントにシステム的に実現できるコンテンツを検討して、草案書や企画書に盛込む作業を私と一緒にしていただきました。<br /><br />松永さんは、報道機関の企画書でアドバイスやヒントをいただいた方々の中のお一人です。草案書や仕様書や企画書を作る作業を手伝っていただいたことはありません。<br />私から一度、正式なスタッフになってほしいとお話をしたことがありますが、立ち上げまでの協力しかできないとお断りされました。</p><br /><p align="right">＜文責/泉 あい＞</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>雑記</dc:subject>

<dc:creator>泉あい</dc:creator>
<dc:date>2006-05-21T21:28:10+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/ais_eye_f6ff.html">
<title>「Ai’s EYE」オープン</title>
<link>http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/ais_eye_f6ff.html</link>
<description>NewsWatchさんのご協力の下、「フレッシュアイ VoiceWatch」内に...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>NewsWatchさんのご協力の下、「フレッシュアイ VoiceWatch」内に、ブログ「<a href="http://voice.fresheye.com/ais_eye/" target="_blank">Ai’s EYE</a>」がオープンしました。<br />本日はお日柄も良く、このような日にオープンさせていただいたことをとても幸せに思います。<br />ここが私の新しい取材活動の場になりますので、ブログタイトルの様にしっかりと目を見開いて取材に取り組もうと思います。</p>

<p align="right">＜文責/泉 あい＞</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>お知らせ</dc:subject>

<dc:creator>泉あい</dc:creator>
<dc:date>2006-05-17T19:48:28+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_28c4.html">
<title>インタビュー記事について</title>
<link>http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_28c4.html</link>
<description>インタビュー記事について、読者が誤解をしてしまうというご指摘をいただきましたので...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>インタビュー記事について、読者が誤解をしてしまうというご指摘をいただきましたので、ここで明確にご説明させていただきます。</p>

<p>「Grip Blog」では、インタビューをできるだけそのまま掲載する形を取っていますが、インタビューそのものは、しゃべり言葉であるため、主語が抜けたり、内容が前後することがあります。そのため、読者へ誤解を与えないような編集を施して掲載しております。<br />また、個人情報や個人が特定する情報についても、伏せて掲載する場合があります。</p>

<p>取材対象者によりましては、インタビューの随所で、<br />「これはオフレコでお願いします」<br />と言う方もおり、「オフレコで」という指定があった際には、取材対象者の意向を尊重してその部分は記事に掲載しない場合もあります。</p>

<p>以上を踏まえて、私のインタビュー記事をお読みください。</p>

<p>今後もいろいろと試行錯誤して参りますので、掲載方法を変更する場合もあると思いますが、その時は「お知らせ」と「サイトポリシー」にエントリーして事前に説明するようにいたします。</p>

<p align="right">＜文責/泉 あい＞</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>お知らせ</dc:subject>
<dc:subject>サイトポリシー</dc:subject>

<dc:creator>泉あい</dc:creator>
<dc:date>2006-05-17T19:45:06+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_21df.html">
<title>松永さんと滝本弁護士のインタビューを終えて</title>
<link>http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_21df.html</link>
<description>「取材のお願い」という件名がついた長いメール。そのメールがはじまりでした。メール...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>「取材のお願い」という件名がついた長いメール。そのメールがはじまりでした。<br />メールを受け取ってからのこの3ヶ月の自分を振り返ります。</p>]]><![CDATA[<p>フリーランスで取材をしているという野田敬生さんから届いたメールには、ライターの松永英明さんが、アーレフ（オウム）の（元）信者であり、９０年代後半、「河上イチロー」というペンネームで活躍していた伝説的なネットワーカーでもあると書かれていました。<br />松永英明さんと実際に会ったのは数回ですが、報道メディア設立について助言をいただき親近感を抱いていましたので、彼が元オウム信者だと言われても、にわかには理解できず、そのメールに添付されていた松永さんの3枚の画像だけが、妙に生々しく感じられたことはよく憶えています。</p>

<p>野田さんからのメールを読み終わらない内に、テレビで見たいろいろな光景が頭の中をよぎりはじめます。<br />95年地下鉄サリン事件、地下鉄の駅入り口に寝かされた人々や救急隊の姿。<br />上九一色村の強制捜査の時、大勢の警官たちの先頭にいたかごの中のカナリヤ。<br />松本の川に浮かんだザリガニの死骸。<br />以前は近所だった仮谷さんが拉致された現場の目黒公証役場。<br />新宿の公衆トイレで異臭騒ぎがあった数分前に私も新宿駅構内にいた。<br />荻窪駅前で見た「ショーコー、ショコショコショコショコショーコー♪」という気味の悪い選挙活動。<br />地下鉄サリン事件の翌日に丸の内線に乗り、「前日にここで･･･」と思ったらこわくて具合が悪くなり吐いたりもした。<br />多摩川にサリンが撒かれるというデマが流れた時は、スーパーへミネラルウォーターを買いに走ったっけ。<br />東京中のごみ箱が撤去された代わりに、やたらとおまわりさんの姿が多くなって、「こりゃとんでもないことになってる」と、平静を失った時の不安感。<br />野田さんのメールを読んだ時、あの11年前と同じ不安感が蘇ってきて、こわくてたまらなくなり、日が暮れるまでメールソフトの前で呆然としていました。</p>

<p>あのテロリスト集団に自分が関与してしまったという恐怖感から、<br />「結果として、懇談会では何も問題は起こらなかったではないか。そして、松永さんも今はオウムと無関係だと言っている。一ブロガーとしての参加だったのなら問題はない。」<br />そう判断したのではなく、そう思い込みたかった。<br />私は現実から逃げたのです。</p>

<p>「泉は逃げるのか」<br />現実から逃げる私に、そう問い続けたのは読者でした。<br />「自分もオウムに勧誘された」<br />「オウムはそんなあまいものじゃない」<br />「あなたは当事者でしょう」<br />読者の声は切実です。当事者からの声、当事者意識を持つ人からの声はとても真剣で、それに答えるには松永さんへインタビューをするしかない。逃げていたらだめだ。オウムは今でもこわい集団なのか、その実態をインタビューで引き出して伝えなければいけないと考えるようになりました。<br />しかし、オウムによる一連の事件は遠くから漠然と見ていただけだったし、宗教についての知識も全くなく、これ程大きな問題を扱えるだけの経験もスキルもない。そんな私が、何より失敗は許されない状況にありながら、松永さんの本音を引き出せるとは到底思えませんでした。<br />仮に、松永さんから本音を引き出せたとしても、「1対1なんだからどうせ2人で仕組んでいるのだろう」と言われかねない。<br />考えた末に、インタビューの公平性と私のスキル不足を補うために、第三者に立ち会っていただくことを思いつきます。立ち会っていただく方は社会的に信用がある方がいいと考えて、R30さんと佐々木俊尚さんにお願いしました。</p>

<p>R30さんからオウムに詳しい人へ事前に取材をしておいた方が良いという助言をいただき、数人の方へ取材の申し込みをしたのですが、スケジュールの調整がつきませんでした。私もオウムに関する知識を書籍だけではなくオウム問題に関わっている人から生の声を聞いて深めておきたいと思っていましたので、今考えても残念です。<br />結果として後になってしまった滝本弁護士からは、いろいろなダメ出しをいただくことになってしまいました。<br />ただ、松永さんがオウムでやってきたこと全てを聞くべきだったという滝本弁護士の指摘は、R30さんと佐々木さんには当てはまらない気がします。ある意味十字架を背負ってしまった私に対しての言葉なら確かにそうだと思いますが、R30さんや佐々木さんはカウンセラーではありませんので、自分が聞き出したいことを聞くことに徹して当然だったと思っています。</p>

<p>松永さんへのインタビューでは、R30さんと佐々木さんの興味の対象が全く違っていたということがキーになっていた気がします。R30さんは松永さんの宗教観。佐々木さんは事件やオウムの実情について。事件を含む事実と宗教観、その双方をバランスよく質問することで、松永さんは本音を語ってくれたのではないでしょうか。<br />インタビュー当時、ネット上でのバッシングと体調不良がピークに達していた松永さんの精神状態は尋常ではなく、そんな状況の中で松永さんが私たちを信頼して語るためには、R30さんの言葉が不可欠であったと私は考えています。<br /><br />インタビューを終えた時、その場にいた方々全員が思ったことは、「叩かれる」という気持ちでした。それは、松永さんもインタビュアーもです。<br />インタビューを公開しない選択肢もありましたが、その場に同席した誰もその選択はしませんでした。参加者全員が叩かれることを承知で、それでも公開する必要があると判断したのです。<br />インタビューの公開方法については、R30さんから色々とご意見をいただきましたが、今まで私がしてきた方法を松永さんの時だけ変えるのは余計な憶測をよぶし、可能な限りありのままを公開することに意義があると考えています私の意見を最終的には承諾していただきました。<br />結果として、大変なご迷惑をおかけしていますが、意義があることだったと今でも信じています。<br /><br /><br />松永さんと滝本弁護士のインタビューを終えた今、松永さんの脱会について私が出した結論は、「松永さんは脱会しているが、まだ不安定である」です。<br />一連の事件について松永さんと社会の認識にはまだ大きなズレがあると感じました。滝本弁護士が言うように「宗教とはそんなもの」なのかもしれません。しかし、感情的には、どこか現実味のない松永さんの発言には、憤りを感じることもあるというのが正直なところです。</p>

<p>1999年に江川紹子さんがこんなことを書かれています。</p><blockquote dir="ltr" style="MARGIN-RIGHT: 0px"><p><strong>1999.12.5週刊読売「オウム事件を追う もうひとつの証人席」</strong><br /><br />1999年11月11日の法廷の麻原尋問で、麻原はかつての弟子2人（杉本繁郎・豊田亨）から被害者への思いを突きつけられます。<br />「私たちは、一体どうすればいいんですか。何をどうすれば本当につぐなえるんですか」<br />杉本繁郎は何度も同じ質問を繰り返すが、麻原は答えない。杉本は続けて、<br />「私たちは、自分をごまかして現実から逃避することはできる。あなたもそうでしょう。私たちは刑が確定して、死を迎えるまでの間、あなたに騙された、あなたを信じた自分がバカだと思い、刑に服することで自分はつぐなえたんだと考えることで、自分をごまかすことはできる。でも、被害者の方々は、現実から逃避することはできないでしょう。そういう人たちに、どうしたらいいんですか」<br />豊田亨も、<br />「あなたはグルなんですか。グルでないなら、（そのように）ハッキリさせたらどうですか。質問に答えないでかわすだけで、何より被害者のことをどう思っているんですか。あなたの態度を見ていると、自分の公判が長引くのに安住して、現実から逃避しているとしか思えない」<br />この時、杉本も豊田も死刑を含む厳しい求刑が予想されていて、いわば瀬戸際に立たされていましたが、かつての教祖に突きつけたのは、怨み節ではなく、被害者に対するつぐないでした。これに対して地下鉄サリン事件で夫を奪われた高橋シズヱさんは、<br />「杉本の話は、胸にズンと来た。豊田も、初めて生身の彼が見えたような気がする。2人の言葉は、心の底からの叫びだと感じた。自分がボロボロになるまで考えて考えて、考え抜いた言葉を聞いた時、この2人に対して『絶対に死刑』というのは躊躇する気持ちになった。彼らも麻原の犠牲者のような気がする」<br />と涙ながらに語っています。</p></blockquote><p>松永さんにも考えて欲しい。<br />松永さん自らが書き始めた「オウム・アレフ（アーレフ）の物語」について滝本弁護士は、<br />「つらいだろうねぇ･･･。あれだけ書くとつらいだろうねぇ。つらいよ。その中の言葉の端々にまだ不充分だと思う人は結構いるだろうけど、やめてまだそんなに経ってないのにあれを書き始める人もそういないだろう。まぁ、そういう性格だからしょうがない」<br />と言います。たった一度間接的でもオウムと係わりを持ってしまった私でさえ、その現実を受け入れることは苦しく時間がかかりました。だから、松永さんにとって、教団内でやってきたこと、河上イチローとしてやったことを振り返るのは、想像を絶するほどつらい作業だと思います。それでもやるべきだと思いますよ。今すぐじゃなくても、ゆっくりと。<br />かつて河上イチロー時代、オウムの出家信者であることを隠して情報発信をしていたのは、社会に対する裏切りだったと思うから。</p>

<p>今後、松永さんがどう社会と関わっていくのか、私は見守っていきたいと思います。滝本弁護士が、<br />「本当に脱会すれば社会は受け入れるよという態度を示し続けなければいけないのかもしれない。その代わり、本当に脱会していない人にあまいことを言う必要はないわけですよ」<br />と言っていますが、松永さんの人格や活動を全て否定するのではなく、松永さんの中のオウムがどう変化していくのか、チャンスがあれば取材をするつもりでいます。それが、松永さんを政党の懇談会へ招き入れた私の責任だと考えます。<br />これが、現時点での私の総括です。<br /><br /><br />umeさんが失職したことについてもいろいろと言われているようなので、私の考えを書いておきます。<br />umeさんが何らかの理由で誰かを訴訟するということになるのであれば、公の場で何がいけなかったのかをきちんと審議すればいいと考えています。訴訟が悪いこととは考えておりません。<br />私のブログで起こったことですから、公の場で証言を求められれば事実を語りますし、他の方法を双方から申し出され、私が必要とされるなら、出来る限りの協力はさせていただくつもりでいます。<br /><br />もう一つ、取材活動についてもいろいろとご意見をいただきましたので、そのことにも触れておきます。<br />私が目指しているものは、一般的なジャーナリズムの形ではないのかもしれません。フォト・ジャーナリズムのようなものだと言えば簡単でしょうか。<br />現場の風景のありのままを切り取った1枚の写真は、見る人にいろいろなことを訴え、それをどう感じるかは人それぞれで、あらゆる方向から解釈されます。<br />そんな１枚の写真のように、取材対象者の心境や言葉を文章で出来る限りありのままに伝えたい。その方法が、取材した内容を出来るだけ編集しないで公表する今の形です。<br />だから、私が発信する情報はそれ単体では記事としては成り立たない不完全なものだと思っています。その情報を読者がそれぞれに分析して感じたことを読者自身のブログエントリーなどで公開して、そのエントリーにソース元として私のエントリーをリンクや引用していただく。それではじめて記事になるのだと考えています。<br />今の私のスキルが未熟で、お伝えできる情報が不完全なことがつらいところなのですが･･･。<br />ただ、この方法が必ずしも正しいと思っているわけではないです。でも、今はこの方法の利点や問題点が明確にわかるまでやり続けてみるつもりです。<br /><br /><br /><br />最後に、いろいろな人を巻き込み、迷惑をかけてしまい、本当に申し訳ないと思っています。私自身も、自分の失敗とは言え代償は大きかったと振り返りますが、当事者になったお陰で、ネット界隈のいろいろな動きが非常によく見えました。これをどう活かすのかは、これからゆっくり考えてみたいと思います。<br />取材活動についても、私のやり方を続け、何らかの形を見せることが、助けてくださった方々へのお返しだと考えています。なんせ頑固で鈍いので、読者を含めたいろいろな方から助言をいただいても、なかなか気づかないかもしれませんが、聞く耳は持ち続けるつもりです。それが上司も同僚もデスクも持っていない私の生命線であると認識しています。</p>

<p>かつてのエントリーで、私はこんなことを言っていました。</p><blockquote dir="ltr" style="MARGIN-RIGHT: 0px"><p>『<a href="http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2005/03/post_06df.html">それぞれの興味</a>』<br /><br />シンポジウムで聞いた元NHK記者さんの受け売りですが、私は、皆さんの視線を背負って日々取材しています<br />私がお伝えできることは、NHKと比較できないほどとてもちっぽけで、まだまだほんのちょっとの人たちにしか見てもらえていませんが、たったひとりでも、その人の思考に大きく影響を与えてしまう責任の重大さを再確認しています<br />どうか、しっかり私を監視してください<br />そのプレッシャ−がなければ、ジャ−ナリストとしての資格はないのだと教えてくれた『それぞれの興味』でした</p></blockquote><p>今回、現実から逃げた私の目を覚ませてくれたのは、読者からの監視でした。<br />「監視してください」と書いていた時、こうなることを心から望んでいたはずなのに、現実となった時、読者の真剣な声に耳を傾けるのは、本当にきつかったです。でも、ジャーナリストを目指すことは批判される立場になることだと今は思います。その批判を真剣に考えないようになったら終わり。</p>

<p>滝本弁護士のエントリーの最後に書かれていた言葉が重いです。<br />「インタビューはいずれにしても真剣勝負。」<br />直球勝負しかできませんが、真剣に取り組んで参ります。</p>

<p></p>

<p align="right">＜文責/泉 あい＞</p>

<p></p>]]></content:encoded>


<dc:subject>（現・元）オウム信者と社会の関り</dc:subject>

<dc:creator>泉あい</dc:creator>
<dc:date>2006-05-14T19:45:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_b52b.html">
<title>滝本弁護士へインタビュー</title>
<link>http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_b52b.html</link>
<description>2006年5月1日　月曜日

「少し悪いヤツであって欲しかったんだけどね、会って...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>2006年5月1日　月曜日</p>

<p>「少し悪いヤツであって欲しかったんだけどね、会ってみてやっぱりいいヤツなんでショックでしたねぇ。」<br />当時、その残虐さからマスコミに「殺人マシーン」と呼ばれた地下鉄サリン事件の実行犯・林泰男に面会をした時の印象を滝本太郎弁護士はインタビューの中でこう語りました。<br />滝本弁護士と言えば、オウム事件がテレビで毎日のようの報道される頃、よくテレビの中で見かけていた人で、オウムを潰すのに躍起になっている人というのが、つい先日までの私の中のイメージです。<br />その滝本弁護士が一瞬見せた、やるせない表情でした。</p>]]><![CDATA[<p>滝本弁護士は、現役信者、脱会者そして実行犯と、多くのオウム信者と面会をしており、実行犯を含めた彼らのことを「みんないい人」と言います。そのいい人達が日本中を震撼させる事件を起こしたところにオウムの恐さがあると。<br />「悪意の殺人は限度があるけど、善意の殺人は限度がない。そこが一番の恐い本質ですね。」<br />教団内に今残っている人がいい人で、こわい人達はみんな捕まったという認識は大きな間違いで、麻原への観想がある限り、いい人たちは善意の下に人を傷つける可能性を持っているということです。</p>

<p>オウムは完全に潰さなければならない、潰すというのは麻原を観想する人をゼロにするということ。そのために社会において必要なのは、「脱会」とは何かを知り、そして力で押さえつけるのではなく、脱会者を社会に受け入れることだと滝本弁護士は言います。<br />オウムを潰すために、その集団に所属していた人達を受け入れなければならないなんて、何とも皮肉です。</p>

<p>しかし、脱会者を受け入れるのは、全てを許すということではありません。滝本弁護士は一層口調を強めて言いました。<br />「麻原を観想している限り、現役信者なんだ、ということを決して忘れてはならない。組織から離れるかどうかは二次的なことに過ぎない。それを国民的な認識にもっていきたい。」<br />滝本弁護士は被害者や家族などの当事者だけではなく私たち第三者にも、その態度を望んでいます。信者の人格を全否定するのではなく、彼らの中に存在し続ける麻原を決して許してはならないという態度を私達は持ち続け、完全に麻原を観想しなくなった者を受け入れることで、社会から完全にオウムを排除できると滝本弁護士は提案しています。</p>

<p>滝本弁護士の言葉で、ずっと混乱していた気持ちが整理され、自分が何を間違っていたのかはっきりとしました。<br />オウム信者を否定することは松永さんの人格全てを否定してしまうと勘違いをしたこと、オウムを拒絶している私自身の気持ちを明確に言葉や態度に示さなかったこと、それがどれだけ大切なことだったのかを滝本弁護士のインタビューから学びました。<br /><br /><br />次のエントリーでは、滝本太郎弁護士のインタビューを元に、松永英明さんのインタビューを再度読み直して、今回の一連の騒動を振り返ってみたいと思います。</p><br /><br /><br /><p><strong>滝本太郎さんプロフィール</strong><br />滝本太郎さん運営ブログ：<a href="http://sky.ap.teacup.com/takitaro/" target="_blank">『日常を愛する人は？』-某弁護士日記<br /></a>弁護士（横浜弁護士会所属）。1957年神奈川県生まれ。早稲田大学卒。<br />1989年の坂本一家拉致事件を契機に「オウム真理教被害対策弁護団」に加わる。<br />「日本脱カルト協会（ＪＳＣＰＲ）」事務局理事、「カナリヤの会」窓口。<br />共編著者：「マインド・コントロールから逃れて　オウム真理教脱会者たちの体験」（恒友出版）、「破防法とオウム真理教」（岩波ブックレット）、「オウムをやめた私たち」（岩波書店）、「異議あり！『奇跡の詩人』」（同時代社）</p>

<p></p><hr /><p><strong>以下インタビュー（敬称略）</strong><br />※ 話し言葉そのままでは理解しづらく誤解を招く可能性がありますので、読みやすいように編集して掲載しています。</p><br /><br /><p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：滝本さんは、河上イチロー時代にはお会いにはなっていないんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：会ってないですよ。彼が本を作るとき、メールで一度取材の申し込みが来たけどね。「貴方はどこの誰？、メールの取材なんて断るよ」と返事した。その前に、彼がオウム信者だと思われたから、それを指摘して激しく掲示板で戦っていた、そして案の定、当たっていた。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：では実際にお会いになったのは、この3月ですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：うん。こないだね。いつでしたかな。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：12日くらいでしたか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：うん、それくらいでしょ。<a href="http://d.hatena.ne.jp/matsunaga/20060313#1142201603" target="_blank">彼の言ってる通り</a>です。<br />彼も泉さんのインタビューに応じているわけだから、私も、まあ話せる範囲で話します。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：3月の時にお会いになったのが初めてですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：会ったのはね、はい。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：その時に脱会についてお話なさいましたか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：いろいろ話しましたけど。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：インタビューをさせていただきまして、松永さんが本当に脱会したかどうかというところがはっきりしないので、その辺を伺いたいと思うのですが。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：泉さんとして脱会はどの様に定義します？</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：それはずごく難しいと思うんですね。単純に教団を抜けたからと言って脱会したとは言えないと思っていて、</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：「教団を抜けた」という場合の教団とは何を指します？</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：アーレフ。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：デカルトじゃないけど定義付けが大事でしょ。教団とは何ぞや、脱会とは何ぞや。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：アーレフを抜けたからと言って、それを脱会と言っていいのかどうなのかっていう</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：そうそう。アーレフと言っても今は二つに分かれているし、他にケロヨンもあるしＮグループとかもあるし、分派がいくつもあるんですよ。そういうものを全部含めて「教団」と言うべきだと思うんだけど、その前に「脱会とは何ぞや」なんですね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：ええ。単純に脱会届を出されていないということで、ネット上でも「なぜ脱会届を出さないのか」ということが議論されているんですが、その辺のお話は聞かれていますか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：彼は脱会届を出してないと書いてあったっけ？</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：出したとは書かれてないですね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：私は、脱会届を出したか出さないとか、あんまり気にはしてないですけどね。だけど、本当に脱会するなら、出さないより出した方がいい。<a href="http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/default.htm#anchor1041825" target="_blank">カナリヤのサイト</a>を結構見ておられれば、私の脱会の定義もご存知ですよね。何ですか？</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：定義ですか。脱会の定義は、麻原さんを捨てられるかどうかということですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：そうですね。麻原さんの観想をやめたかどうか、これが一番の定義ですね。<br />彼は、組織からは離れているんじゃないですか？</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：組織は離れている･･･。はい。そう聞いています。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：「カナリヤの詩」をよく見られれば、脱会とは何ぞやということがわかると思います。麻原さんを観想しないこと。これが私の脱会の定義です。ネットでもあちこち書いてますよ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：そういう意味では、松永さんへ麻原さんについてお話を聞いた時に、どうも曖昧と言うか、一連の事件については主犯であるかどうかは本人が話していないのでわからないという言い方をなさっているんです</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：麻原さんを本当に観想していないかどうか、オウムを総括をしたか、もしくはしようとしているかということは、一般論としてどういう風に判断できるかと言うと、話していてオウムの発想がどこまで抜けているかということと、今までして来たことをどこまで全て喋っているかということでわかるわけです。だから、本当に脱会したかどうかという意味の判断をするには、彼が何をやって来たかをインタビューならいっぱい聞かなきゃいけないんですよ。失礼だけど、それが全然聞かれてないなと思いました（苦笑）。ご自身ひとりでインタビューされたらまだ良かったのかなぁ。悪いけど、若干宗教がかった様な方が横から言ってて、あんな文化論を話してもしょうがないのにね。あれじゃ彼にとってもマイナスだよ。河上（松永）にとってマイナスというのは、彼自体がより誤解されてしまうということ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：そうですか。その誤解というのは、具体的には</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：コメントにいろいろ書かれているように、全然脱会してないじゃないかと思われるだけでしょ？だから、脱会への心理過程をわからない方が、変にインタビューをしてそのまま出すのは不安だなとは思ってたんですけどね。まあ、彼がいいならいいんだろうけど。だって、オウムで何をやって来たのかということをしつこく聞いてないじゃないですか。だから「なんでインタビュー？」と抗議を込めてちょっと申してる（苦笑）。何も聞いてないじゃない。いつ入って、どうして入って、何をして来たか、して来たことについてどう思うか、裏づけはグーグルで検索して彼がしてきたことを把握していけば結構わかるのに。<a href="http://www.cnet-sc.ne.jp/canarium/siryou2.html#8" target="_blank">私への抗議文</a>やなんかについて、これをどう考えたのか、とかあるじゃないですか。私の言いたいことはそれ。もう1回インタビューするなら、ちゃんとされたら？って。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：誤解をされてしまうということですが、脱会をするまでのいろいろなプロセスがあるわけですよね。松永さんは、今その過程のどこかにいるということなのですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：皆さん行きつ戻りつしますからね、全然おかしくないんですよ。行きつ戻りつしますから。あらゆる意味でぼちぼちって言ってるんですから。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：完全にポツっと切てしまうのは無理なので、徐々にということなんでしょうか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：脱会過程も、96、7年ぐらいまでは、まだプツっとやめる人はいたけど、特にここ数年はプツってやめることはあんまりないね。そもそも昔の出家者というのはオウム以外のことはしなかったわけですね。ところが、今の出家者は外でも仕事をするし、出家者500人と言ってみてもオウムの専従をやっているのは100人位でしょ？他の仕事をしてるわけだから、現世にまみれてくるわけですよ。そういう中で悩みが出てくるし。<br />だから、出家者であっても「あなたはもうほとんど脱会者みたいなものじゃない？」というような人もいる。一方で、とある元中堅幹部にこんな人がいました。組織的にはやめたと言ってみても、カナリヤのサイトに名前が出してあって、グーグルで検索すると自分の名前が出ちゃう。自分が今までしてきたことが出ちゃうということで、「もう私は本当に脱会したんだから削除してくれ」と言って来た。でも、その中堅幹部がやめたという話はとんと聞いてないし、組織からは離れたということでは脱会者ではあるけど、話をしてみれば全然麻原さんのことが抜けていないので、「あなたはまだ現役だとしか思えない、重要な立場だったんだしその感じでは悪いけれど名前を消せない」と、カナリヤのサイトから名前を抜いていない人はいます。そういうものですよ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：私が松永さんにお話を聞いた中でも、麻原さんが主犯格であると認めていないということは、教団からは離れているけれども、きちっと抜けた、脱会したとは言えないということですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：うん。主犯と認めるかだけじゃなくて、事件をどう捉えるか、なんです。オウムの「正しい」信者ならば、尊師は救済活動をした、死んだ人は今尊師に感謝している、なんですから。<br />で、脱会は麻原さんを観想しなくなることで、多くの殺人も救済なんかじゃ決してなかったと知ると。<br />さらに社会復帰するためには、「呆然とする、強烈な自己嫌悪、麻原さんを憎み、憎む自分を憎む、いつか麻原さんを乗り越える」という過程が必要です。ここまでは、率直に言ってどんな早い人でも3年かかるからね。<br />彼は大学時代から、自分の全アイデンティティーを含めてやってたわけでしょ。彼は修行好きではないのだけれど、オウムの陰謀論好きの発想が強くあったし、薬物を使ったイニシエーションは当時の出家者のほとんど全員が受けているんですよ。そんな経験、とくに神秘体験の影響を確認しないといけない。<br />薬物を使うようになったのは94年6月からですよ。オウムのサイトを読めば出てくるけど、そのイニシエーションがあるから、神秘体験の解決をどうしたかは結構大切なことだから。それをどう感じてるかとかね。悪いけど、そういうのも聞かなきゃ。まあ急遽オウムのことをやらざるを得なかったから仕方ないのかもしれないけど。<br />だから、彼は行きつ戻りつしてるところでしょ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：その状況が、事件後すぐっていうのならわかるんですけど、地下鉄サリン事件から見たとしても11年経ってるわけですよね。これは私の考えですけど、あの様な事件を引き起こした事実があるわけだから、もうここからは抜けなければいけないという思考にならないことがすごく不思議なんです。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：うーん。それをひとことで言うのは無理だな。こういうの（カナリヤの詩）を読んでもらってからならわかるねぇ（笑）。<br />自分が人生を賭けてきたことを否定するなんてそう簡単にできるわけないんですよ。カナリヤを見れば出てると思うけど、一貫していたいというのが人間だから、彼は一貫していたいし、全部否定なんてなかなかしたくないし、神秘体験もLSDでさせられているわけだから。何と言っても彼は本当に頭がいいし。あれだけ頭がいいから利用されちゃったね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：教団にですか？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：うん。彼も完璧な中堅幹部ですよ。かつ有能だからね。ネット対策では極めて有能だから。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：教団の中ではかなり発言力があったのかなと、私は勝手に想像してるんですけど。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：実務的にはそうでしょうね。ホームページ作りとか、そういう関係ではね。<br />上祐派が彼を失い、今、原理派が彼を失うというのは思いっきり痛手でしょう。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：では、松永さん本人が抜けると言った場合に、教団が引き止めるということも有り得るんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：そうでしょうね。有り得るでしょうね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：それはあの手この手を使ってということも考えられる？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：うーん、わからないけど有能な人は欲しいでしょうから。<br />とある今の中堅幹部が言いましたもの、「新しい信者は使いものにならないよ」って。<br />新しい信者、95年以降に新しく入信した人というのは、精神的に不安定な人が多くて、宗教巡りばかりしてたりとか、統合失調症気味だったりノイローゼだったり、そういう人達が中でトラブルを起こしてばかりなんです。A君をストーカーしちゃってる出家者とか、中で大変な状況なんですよ。<br />だから、元々いる有能な人というのは、ホーリーネームも持っていれば尚更、一定程度の解脱をしたということになるし、大切な存在なんです。そして、彼は能力があるから、教団としては彼を失ったのは相当な打撃でしょ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：そういう意味で、かなり自由にさせてもらえていたということなんでしょうか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：ネット作りの場面は広げていく場面だし、ネットを通して社会の世論をオウムへ理解のあるようにしようとしたわけでしょ。実態としては、彼は河上イチロー時代に私をも取り込もうとしたわけです。あの本（「サイバースペースからの挑戦状」）を出す過程でね。こちらは、「会わなきゃ取材なんて受けないよ」と答えたわけで。<br />彼は97、8年偽装脱会をしながらネットで活動してきた。それはあまりにダーティーなことですよね。あれは書き方からして、どう見てもオウムのサマナだと思ったから攻撃したわけで、西村新人類さん辺りがその時ようやく明らかにしてくれて、それでバレたんですよ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：河上イチローがサマナだということが明らかになる前に、彼が書いているものを読んでサマナが書いたものだとわかったんですか？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：そうです。他にも幾つかありますよ。裏付けがしっかりしたら暴露するけど、オウムのダミーサイトはいくらもあるし。<br />だから、そういうところから新しい信者が入ってくるからね。その責任もあるわけだ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：今の松永さんと河上イチロー時代との明らかに違うところというのはどんなところですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：明らかに違うのは、正直に話し始めたということでしょ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：それは大きな違いですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：正直に話し始めた。要するに「麻原さんを観想してません」とか、さらには「あれは全く麻原さんが全面的に指示した。けしからん。あんな人死んじゃえ」なんて、わざわざ強調して嘘のように言って欲しくはないんです。そういう点で彼は正直に言ってる。良くも悪くも。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：私もそれはすごく感じたんですよね。松永さんは、信者さんの中でも異質な感じなんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：ああ、異質でしょうね。能力があって、本を作ってた人だし、「週刊光源氏」なんて結構売れましたよね（笑）。あれは大変なことだ、大したもんだよ。だから彼は出版部門、ネット部門で、オウムの中ではトップじゃないですか。彼がいなくなったというのは非常に打撃でしょうね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：松永さんがオウムに入る前からのエッセイを読んで、実際に今の世界観の話を聞くと、松永さんは世界観・宗教観を今もしっかり持っていらっしゃると思うんですが</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：オウムの世界観？</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：根本にあるのは、原始仏教だとおっしゃっていました。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：それはオウムだよ。彼は、別にオウム以外で原始仏教を習ったわけじゃないからね。<br />だから、地獄・動物・餓鬼・人間・阿修羅・天界と、オウムではそうなってるんだけど、そんな順番は信じていようといまいと別に構わないですよ。アストラル界更にその上にコーザル界があるという風なオウムのお話になっていると、それを信じるかどうかはどうでもいいんです。<br />大切なのは、オウムの設定では、麻原彰晃の魂はどの世界でも行けるんだ、ということ。麻原さんは、コーザル界から指示していて、宇宙のアーカシックレコードを持っていて、彼は全ての魂を支配するんだ、全て知ってるんだという論理があるわけです。だから、現世で彼の思う時にポアしてあげる、殺してあげることはいいことだという論理にオウムはなってるわけです。だから世界観の問題よりも、麻原の位置付けが大事なのであってね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：では、やはり教義を捨てられるかというより麻原を捨てられるかという</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：いや、教義＝麻原だから。オウム真理教の教義というのは、麻原さんの言うことだから。宗教団体もカルトもそうでしょうけど、教義というのは後でついてくるんです。オウムもそうで、教義を後で作ったんです。最初は麻原さんにともかく帰依をしたケイマさん（マハー・ケイマ：石井久子のホーリーネーム）ね。絶対的信仰が先にあった。その人がすごい人だという気持ちが先にあって、その後に教義が出てくる。それは、ロシアのオウムでは麻原さんはキリストさんなのであってね。だから麻原さんをどう位置付けるようにできたかが大切。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：松永さんは、幼い頃から奈良ということもあって、お寺なんかを見て興味を持って、出家したいとお寺に行ってみるんだけれども、自分の持っている世界観にぴったりはまるものがなかった。たまたま大学でオウムを見た時にピタっとはまるものがあったとおっしゃっているんですね。松永さんの世界観とオウムの世界観がぴったり合うと。それは</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：それは、彼はまだ分析し尽くせてないと思いますけど。麻原さんに幻惑されてはまったんであって、世界観が同じだからはまる云々じゃないわけだね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：それは後付けなんですかね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：うん、後付だね。やめた後だって「麻原さんの魅力はなかなかきつかった」と言う人はいくらもいるわけで、「ああ、そう？」って「そういう時は中島みゆきの歌でも聞いた方がいいわ」と言うわけですけどね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：松永さんの場合は、ご両親がいらっしゃらないということもあって、松永さんご自身が、元々家族というものをあまり重視なさっていないようなんです。家族がいないという環境で完全に麻原を捨てるというのは、やはり難しいことなのでしょうか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：先ず、彼に両親がいないと言っておられるけど、それが本当かどうか私は知りません。で、ご自分もそれは調べてないでしょ？だから、その前提に立っていいかどうかわからない。まあそんなことで嘘をついているとは思わないけどね。調べりゃわかることだから。<br />親が元気で経済的に余裕があるかどうかということは、関係ないです。そりゃ余裕があっていた方がいいけど、親がいない方がいいなと思う時もありますから（苦笑）。要するに、支配的な親だったり、その親が嫌だからオウムにいた場合もあるわけですから。<br />そういう場合、親が変わっていなければ、かえって親元に戻ればむしろオウムの方がいいなと思ったりするもんだから。親がいれば当然メリットがあるということではないです。もちろん経済的な意味では、彼は今病気だからなぁ。親がいればね、そこで親の有難味を改めて知るから、その方がいいに決まってるけどね。だけど、親がいないからオウムに戻りやすいとは限らない。むしろ現実に食っていかなければいけないという前提があるから、その点必死になって、現世の嫌なところも有難いところも知ることができるかもしれない。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：松永さんの様に社会と接触を持っている出家信者でも、事件に対する認識が一般社会とかなりギャップがあると感じたんですよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：その前に泉さんはオウムなんて全然想像もしなかったんでしょう？</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：そうです。だから当初は公私混同していた部分があったと思うんです。だけど、世間からの批判を見ていく中で、オウムの問題は今もこんなに大きな問題なんだと実感して、もっと見方を変えなくてはいけないんじゃないかと、たった数ヶ月の間に考えが変わっていくわけなんですが、そういうことを松永さんは11年間経った今でも整理できていないというのは、やはり自分にとってのプライドやなんかなのでしょうか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：うーん、プライドっていうか、先ずね、オウム信者と言うと、特に近頃はみんな服もきれいになってきたし、お風呂もちゃんと入るようになったしさ。わかりにくいかもしれないけど、オウム以外のことについては、全くごく普通の人達ですよ。麻原さんやオウムの宗教観の話をしなければ全く普通の人達ですよ。例えば私の友人が実はオウム信者だったとしても、何の不思議も思わない。そういうものです。そういう大前提は結構知られてない。<br />だから、今新しく入る人たちや、ここ数年間で入った人たちは、言ってみれば「オウムの人は普通じゃないか。むしろいい人じゃない」ということで、「ああそっか、本当のこわい人達、危ない人達はもうみんな捕まっちゃったんだ。今残っている人達はみんないい人達なんだ。だからオウムは悪いことをしたけど、修行とか教義とかそこだけは切り離されて、自分はいい部分だけをやれば加害者側にならないんだ」と思って、いい人達と一緒にいいバイブレーションの場で修行したいなということで入る人が多いわけですね。だから大きい誤解があるんです。オウムはいい人なんですよ、はい。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：松永さんもそうですもんね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：松永さんだけじゃなくて、サリン撒いた人達もいい人なんですよ。これは烏山の講義なんかでも言って嫌がられたし驚かれたけど、それが極めて大切であって、サリンを撒いた人たちもいい人達なんです。<br />オウム事件の本質で一番こわいところは、いい人達がとんでもないことをやったということ。救済のためにサリンを撒くまでした、坂本一家も殺した、滝本・私も殺そうとしたというところが恐ろしいんで、「悪意の殺人は限度があるけど、善意の殺人は限度がない」、そこが一番の恐い本質ですね。<br />オウム事件のもうひとつの本質は、化学兵器サリンまで使って無差別大量殺人までしたという途方もないところ。それから麻原という絶対的な存在、彼のやりたかったこと、これがオウム問題の本質だと。<br />一番大きいのは、なぜそれだけいい人達が、救済のために悪いことをやったのか、そのシステム・機序・マインドコントロール・洗脳というのが問題なのであって、彼がいい人なのに、そして現世と交わってきたのに、どうしてやめないのかとか、社会とギャップがあるのが不思議だと言われることが、私はむしろ不思議なの。そういうものなんです、宗教というのは。<br />オウムは破壊的カルトだけど、同時に宗教ですから、全然不思議じゃない。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：では、自分たちがテロリスト集団なのかを咀嚼しろと言う方が無理があるっていうことなんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：うん、まずいろんな事実を見ないといけなからね。「事実を見る勇気、見つめ続ける気力と勇気」というのだけれど。で、オウムの場合は更に実感として感じるかどうかの問題です。実感を湧かせるために、これは地下鉄サリン事件の被害者の会からもらったりしたんですけど、彼にはこれをあげてなかったかなぁ、あげたかなぁ、サリンの被害者の手記集とか「こういうのを読んでみて」ってやってるわけです。<br />彼ももちろん驚きだったでしょう。彼は松本サリン事件は米軍の仕業だとかいう小説を書いた張本人で、やられてると思っていたのであって、自分たちがやっているとは想像もしてなかったわけだからね。<br />オウムも他の仏教もそうかな。現実感覚がなくなるわけですよ。現世は幻。オウムの詞章はご存知です？「ホー 湖面に映る虚像のような様々な幻影に引きずられ、輪廻の大海を浮沈する生き物たち。彼らすべてが 、絶対自由、絶対幸福なるマハーヤーナに入るまで、四無量心込めて大乗の発願をいたします」<br />憶えちゃったけど、「ホー　湖面に映る虚像」なんですよ。現世は湖の面に移る虚像。その現実感覚のなさが一番の恐さだろうと思います。現世は幻だという。現世でつらいことがあっても、「他の苦しみを自己の苦しみとする」と言ってみたって、他の苦しみを痛みとして感じられない。<br />だから、脱会の一番多いパターンは、実はカウンセリングとか強制捜査よりも恋愛なんですよ。オウムの中で誰かを好きになっちゃった。男女関係は完全に禁止でしたからね。一番上になれば別だろうけど。中で好きになっちゃったり、それから外で働いている間に好きな人ができたりということで、恋愛になって現実感覚を戻して、それでやめる人が実際には一番多い。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：現実感覚がなくなるというのは、死への恐怖とかそういうものが原因ですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：それよりも、要するに、精神科医に言わせれば、現実感覚を失う解離性障害みたいな現象の問題なんです。病院に入院にした人もいるし、病院で面会した人も何人もいますけど、要するに心が解離するっていうの？分かれてしまう。典型的な解離は金縛りでしょう？あと幽体離脱。自分が眠っている時上から見る気がする。私も若い頃経験がありますけどね。ほとんど病気かなと思うような方もいらっしゃいます。心が解離しちゃってね。オウムの信者さんらは、軽い解離になっていると思います。<br />だから、解離が解かれてくる過程が恋愛だったりするからね。ある意味では客観的だと本人は思っているんだけど、恋愛している自分とそれを見る自分というのが、本当に惚れちゃったら統合しちゃうでしょ。客観的に自分を見れなくなるじゃないですか。それは現実感という意味でもあろうし。<br />オウムの信者は、現世は幻なんて発想を言葉じゃなくて実感として持っているわけですよ。多くの仏教学者や仏教者というのは、言葉として現世は幻と思っているかもしれない。頭ではね。でも体では思ってない。オウムでは厳しい修行、呼吸法で神秘体験をしているし、LSDで解離しちゃっているし、そういう体験をしてるわけだ。現実に現世は幻。テレビの向こう側の世界。映画の世界。<br />だから、やめた後の感想を聞くと、「なんか映画観てたみたいです」というような言葉も出てくる。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：薬とかは今もやってるんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：今はやってないですよ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：私の中では「危険な集団」というイメージがあるんですけど、松永さんは「何が危険なの？」と言われるわけですよ。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：彼が言うのは今の話でしょ？</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：はい。今はどうですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：うん、危険性あると思ってますよ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：やはりありますか･･･。それは松永さんのお話では、上祐さんの思考が危険なんじゃないかということですけど、やはりそういうところですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：上祐も危険だし原理派も危険だし。原理派は、上祐みたいな麻原隠しが我慢できない人達だから、危険がこれから一気に開花する可能性はあります。上祐派は、5年後10年後に残っていれば危険でしょう。隠すことができるから。<br />泉さんは何歳でいらっしゃるのかな。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：39です。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：昔の革マル派とか中核派とかご存知ないかもしれないけど、生き残ってるわけなんですよ。それは、隠すことができる人達。大人になっちゃってるわけだ。もう今は60、70と結構な歳だけど（笑）、大人になったテロリストになってるわけだ、確実にね。<br />そういう意味で、原理派はヘボだから、今の革マル派や中核派のようになれない。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：いろいろなところで、オウムの信者さんに幼稚なところがあると書かれています。私も報道メディアを設立しようと考えていた時には、松永さんへアドバイスをいただいたのですが、単純に好奇心が旺盛で新しいものが好き、面白いものが好きという、いい意味で少年のような人だなと感じていたんですね。それで、オウム信者さんに幼稚なところがあるという記事を読んだ時に、「そう言われてみればそうだな」と実感としてあったんですけど、やはり他の信者さんもほとんどの方がそうなんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：失礼な話だといいながらも、よく言うんだけど、オウムに20歳で入信し出家して5年経ったら25歳ですね。25歳でも精神年齢は20歳のままだなんてよく言うんですが、私は違うと思う。15歳だと思う。精神年齢は下がるよと言ってるわけ。<br />要するに、オウムというひとつの完璧な部分社会にはまってしまっていて、それ以外のイデオロギーや情報を遮断していたわけです。彼は情報としては入れていたけれども、それがとんと入らない。麻原さんの指示なら、全て何でもするというのがオウムですからね。身口意全部を捧げるわけだから、それをして来た状況ですから、社会のことは知らない。社会で仕事しててもよ。社会とある程度接触持ってても。だから･･･幼いですよね。ネクタイができるできない云々だけの問題じゃなくて、彼はネクタイは元々できたでしょ？多分つけられる。だけれど、「社会の常識はオウムの非常識、オウムの常識は社会の非常識」なんて言い方をするけれど、要するに社会の仕組みを知らない。本当の仕組みね。本音と建て前とか。あと、逆に社会の厳しさを知らない･･･ところはあるね。<br />だから、あなたのインタビューを受けて、あれが出ることで自分が今後どうなるかという心配が、まだ足りないなと思いますけどね。<br />一般には脱会した後に半年や1年2年3年、「手記をいつか書いてね」と言ってるけどなかなか書けない。急に書いた人は、本名で出してくれなんて言う人もいて、一度本名で出したこともあるけど、後になって「やっぱり本名じゃない方がよかった」なんて言う人もいて。その厳しさを知った時に、一度本名でカナリヤに出しちゃったことはまずいんですよということで、消した人もいくらかいます。あくまで本名じゃなきゃ出ないと言っていた人がいたけど、後々つらいよね。<br />だからやめた後もしばらく幼稚です。<br />でもそれが数年間、本当に社会復帰していく中で、すごく素敵な大人になるから、それが一番の楽しみですけどね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：でも、本人が麻原を捨てられたとしても、社会復帰ってそう簡単にはできないんじゃないでしょうか。オウムに入っていたということが世の中にわかってしまうと、その人の居場所はなかなか確保できないのでは。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：どうかなぁ。麻原さんを完璧に捨て去ること自体が、先ずつらいけどね。ぼちぼちぼちって言ってるけど。<br />脱会者への目は、日本は結構温かいと私は思いますよ。うん、比較的。コレ、江戸時代やなんかだったら、全員首切りでしょ？それこそ九州で起こった天草四郎の島原の乱だったら、子供まで全員殺されたわけだなぁ。これがアメリカや中国だったら･･･。中国だったらとっくにもっと大勢やられてるでしょう。で、殺されないにしても、日本は破壊活動防止法をかけなかった。これは本当に良かった。破防法をかけると、端的に言えば本当に脱会した後もレッテル付けられるんですよ。これで完璧に公務員になれないんです。「政府を暴力で破壊することを主張する政党その他の団体を結成し、又はこれに加入した者」は公務員になれないと法律で決まっている。これは破防法とリンクしているんです。その宣誓で嘘をつかなきゃいけないわけ。破防法がかかってしまうと、正直に言ってしまうと公務員になれないんです。<br />公務員だって幅広いからね。そして、破防法ということになればリストに当然入るし、それで大会社なんて到底入れない。<br />しかしさ、オウムってのは大勢の人を殺したわけよ。しかも化学兵器サリンを使ったんだよ、2回。私を含めれば3回。あと創価学会も一度あったから4回。日本は原爆2回落とされてサリンを2回やられた国になっちゃったんですよ。こんなの世界で初めて。サリンを今まで使ったのは、イラクのフセインがクルド人相手にやったと。これは裏付けあるようだけど、それだけ。オウムは化学兵器サリンまで撒いた団体で、連合赤軍どころの話じゃないのよ。新左翼どころの話じゃないのよ。そこにいた人達が何とか就職できると。正社員になった人もいくらもいます。そういう社会で、日本は宗教の扱いをある程度知っているな、破防法適用しないで良かったなと、つくづく思います。<br />だって95年、法制度の中で我々も随分政府と交渉したけど、オウムの元信者ということになれば、精神病院などに少し通院する、もしくは入院するだけで生活保護がすぐに出ます。あと職業安定所でも優遇してくれるんですよ。秘密をよく守ってくれて。まあ、職安を利用する人はあんまりいないけど、生活保護はオウムの元メンバーであればスムーズに出るし。それから夜間中学なんかも交渉したけどね。東京都はひどいけど、神奈川県は受け入れてくれましたよね。小学校3、4年で親と一緒にオウムに出家させられて、小学校中学校さえ卒業していない20歳くらいの子が結構いるんです。もう25歳位になっていたりするけどいるのよ。そういう人達が何とかほとんど無償で入れるようにしてくれている。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：夜間中学って、今回の取材で初めて知ったんですけど、元々あるものなんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：義務教育を終わってない日本人、外国人ももちろん結構多いですから、そういう人達が入れる。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：元々そういうシステムが日本にあるんですね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：うん。「学校」っていう映画観たことないかな。観られるといいね。<br />だから、特に生活保護だな。生活保護が割りとスムーズに出るということを利用したのがケロヨン。ほとんどの人が生活保護を受けていて、それで分派を作ってたんだからひどい話。ひどいもんですよ。<br />そういう意味で、社会が厳しいと言うけどあまいよと。日本の社会は優しいよと。私は日本を誇りますよ。アメリカの記者とかテレビ局とかフランスとかから取材を受けて、「なぜまだ教団は潰れないんですか」「なぜ破防法を使わなかったのか」と、それは日本が宗教の扱いを知っているからだと。日本では、比叡山焼き討ちを信長がやった。これは1571年だと。キリスト教の弾圧もやった、ですが今は宗教の扱いを知っている。そこから説明して日本を自慢しますよ。<br />要するに、オウムというものを本当に潰すには力だけじゃだめなんだということを知ってるという意味です。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：片や被害者の方から見れば、そういう状況に対してどういう感情を抱いていらっしゃるんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：そりゃあ足の裏をかかれる、隔靴掻痒の感で怒りに思う人もいるでしょうね。ただ、私も被害者自身だけど、地下鉄サリンの被害者や松本サリンの被害者の人達に会うことはあるけれど、かなりわかってはもらっています。オウムを本当に潰すには、力で破防法でバラバラになってそれで終わりというものじゃないんだと。それで終わりじゃないんだと。だって、一番許せないのは、もちろん麻原彰晃だけど、あとサリンを撒いた人達も許せない。でも、今も麻原を信じているヤツらがいるということを非常に怒りに思うわけよ。ましてや、そこのお金で賠償が回ってくるというのも、非常に自己矛盾でかわいそうですよ。ひどい話だ。で、その自己矛盾は嫌なわけで、オウムというものは完璧になくなって欲しいんですよ。オウムがなくなるとしたら、麻原を信じる人をゼロにして欲しいわけ。<br />そういう観点からした時に、力だけで何とかすりゃ終わりじゃないんだということは、広がってきたように思います。それは努力したわけで。ほんで、アメとムチが必要なので、アメもあるけど、今はムチがちょっと弱まっちゃってるなと思ってますからね。公安調査庁の調査と公安警察の厳しい調べがあるけど、これは引き続きやるようでしょう。そろそろ公安警察も本腰入れてきていいんじゃないかなと私は思いますが。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：昨日もTBSの報道特集拝見しましたけど、</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：ああ、私？出てたよ。自分が見てないんだ。（2人笑）</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：松永さんもおっしゃっていましたけど、教団は今年いっぱい持たないんじゃないかと</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：うーーん、そうではないと思うけどね。A派に捜査が幾つかのことで入る可能性はある。あと、マイトレーヤ（上祐氏のホーリーネーム）・上祐派をどういう風に扱うか。実態としては、上祐は公安警察のスパイ役をしてくれているわけです。彼は出所前に公安警察とどの程度接触したかわからないけど、オウムの牙を抜いた。一応は麻原の教えは封印しなければいけないと。これは麻原家を外さなきゃいけないと、表立っては言う。内側では、麻原さんのまずいところをともかく封印しましょうよという言い方をして、そして牙を抜く。で、現実に麻原を観想しようとは、上祐は言わなくなったわけ。自分は麻原の写真を机の上に置いていたりするけどね（苦笑）。今は机の下に入れたかもしらんけど。<br />上祐はそうなんだけど、麻原さんへのことを表立っては決して言わないようにすることで、これは然れども実態としては牙を抜くことができた。それが、我慢できなくなって原理派ができたという経緯ですね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：松永さんは、上祐は表立ってはそういうこともしているけど、実は自分が上に立ちたいんだ、それは恐いんだという風におっしゃってるんですけど</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：うーん、どうなんかなぁ。上に立ちたいという願望は上祐の煩悩としてあろうと思いますけど、ただ一番のきっかけは、神がかりになっちゃってたからね、一時期上祐は。それこそ松永君の東山出版の出した本の中にあるけど、本当に彼、冗談で言ってるのかと思ったら、本当に自分が神がかりになってきたつもりなんだなぁと思ってね、あほやなぁって思ってたんだけど、その辺が耐えられないんじゃないですか。それは思いますね。<br />重要な課題は、松永君にどう助言するかを自分は考えるわけで、それはここでは言わないけれど、彼に助言するとすればどう言うかを自分としては考えるわけで、泉さんご自身として、本当はお願いしたいのは、そりゃあジャーナリストの立場だから自由でいらっしゃるんだけど、するんだったらあれは不満が出るよ。あれじゃあまだ追究してないよね。要するに、彼自体が振り返る材料をそれこそ彼を充分ググってさ、これは今どう考えるか、厳しくするところはしなきゃあと思います。ただ、まぁ彼は食っていくことが大切でしょう？うーん、力仕事でもすりゃあいいんだけど、なかなかできないしね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：インタビュー前に日時の確認で電話をした時も、息も絶え絶えでした。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：そうでしたか。ねぇ、要するにあれだけ嘘をついてきた人が、嘘をつくのがワークだったのは上祐もだけど、彼も嘘をつくのがワークだったわけですよ。それで信用をしてもらうにはどうすればいいかと、人はそう簡単にもう信用してくんないんだと、まだわかってないんでしょうね。少しずつわかってくるだろうけど。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：ネット上の松永さんに対する批判もそうですけど、社会の中でオウムに対する恐怖感や警戒心がすごく強いと思うんですね。松永さんへのインタビューをUPして特に感じることなのですが、当事者ではない私達が、「被害者の気持ちがわかるのか」と正義感を振りかざして、もちろん被害者の気持ちも理解しなくてはいけないし、考えなくてはならないんですけど、松永さんに「被害者の気持ちは･･･」と声高に迫ったからと言って、問題解決ができるとは思えないんです。そことは違うところ、そこをひとつ超えて考えていかなければならないと思うんですけど。江川さんの文章を読んでも、当事者ではない人ももっと考えなくてはいけないと書かれていて、ついこないだまでの私も全く当事者意識なんてなかったですけど、当事者ではない私たち、ネットの住人を含めて、私達は何ができるのでしょう。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：オウム信者の気持ちを理解はするが許さないぞという態度は、全員必要じゃないですか。先ずね、被害者って言うけど、被害者はみんな違うしね。被害者の気持ちって結構違うものですよ。<br />それから、みんな被害者ですよ。日本自体が当時戦争状態だったんです。これ、忘れてはいけないんで。95年11月にサリン70ｔを本当に撒こうとしていたんだから。麻原は日本国を乗っ取ろうとしてたと一方で言うことがあるけど、その前に全て破壊しようとしてたんです。強烈な･･･すごいことですよ。<br />当時心配していたのは、私は原爆です。麻原さんは「毒ガスの次は原爆かもね」と説法で言っていたんだから。チェチェンから5億円で原爆を買えるはずだから、それを持って来てるんじゃないかと。新実ぐらいだったら自分が死んででもボタンを押すから、それを心配したけど、買ってはいなかった。だからみんな当事者なんですよ、それを忘れてる。<br />オウムの信者を理解するけど、決して許さないぞという態度が絶対必要なんです。で、上祐は、オウムを生き残らせるために工夫している、上祐路線の元に社会の人に許してもらおうと考えているわけです。麻原の教えを使ったまま、ヴァジラヤーナは隠したまま、いつでも封印を解ける状態でね。それに括弧書きの知識人とか括弧書きの人権派が乗っちゃうわけだ。それを決して許さないぞという態度が極めて大事なのだろうと思う。上祐こそ「嘘をつく」のがワークなのだということを忘れては困る。<br />で、もちろん厳しく言って事件が解決するわけではない。だから私も厳しく言わないけど、許さないぞという態度を忘れたならもう終わり。でも、「許さないぞ」という態度を忘れているように感じられる発言が時々あるわけだ。仏教の課題として一般化する議論をしたり、社会論一般にしたりね。<br />彼も含めて、オウムはサリンを作り、サリン以外も作っているわけですよ。VXも作り、いろいろやってきた。LSDもやってきた。内部では大勢の人が殺された。実に大勢の人が。記憶喪失にさせられたのは100人からいる。そういうおぞましいところにいたことの責任、それに関与したことの責任。だって本来、全員出家者は向精神薬の犯罪で捕まるべき人達なのよ。そこまでやり切れないからやらなかっただけの話でして。それをあたかも許されるがごとく、個人個人の問題、社会一般の問題に還元してしまって、誤解を与えてしまっては非常にいけない。で、そういう人が多いの。こないだのインタビューでもそうだし、文化人でもあるけど。<br />要するになぜ許しちゃいけないかと言うと、ナチスをドイツは決して許さないでしょ？反ナチス法ができているわけだ。それと同じ。「戦う民主主義」って言葉を聞いたことあるかな？民主主義というのは、民主主義を潰そうとする人達にも発言を永遠に完璧に認めなきゃいけないのかという大きな問題なんですけどね。ドイツやなんかだと、ナチスマークをするだけで捕まるでしょ？ナチス擁護の発言をするだけで、客観的事実に反していることを言うだけで捕まるよね。それは、ナチスというものがあれだけ残虐なことをして、大勢の人を苦しめた。塗炭の苦しみを与えた。それは絶対的に排除しなきゃいけないものだということでもって、反ナチス法があるわけですよ。<br />それと同じで、日本が戦う民主主義というものを取るべきだと私は思うね。オウムというものを絶対許さないぞという態度は、国としても必要だし社会に於いても絶対忘れてもらっちゃ困る。<br />だって本当に、何も言わずにポアするのがオウムなんだけど、こうやって話していても翌日には殺しに来るわけよ。ね。私は94年の11月4日、青山弁護士や林郁夫と赤ちゃん返せの交渉をやっていて、ニコニコ話する一方で、私にはボツリヌス菌を飲ませてるわけよ。ね（苦笑）。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：あれは、未遂じゃなかったんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：あれはトキシンという毒素が出てないから。だからボツリヌス菌では起訴はされなかったの。でも、ボツリヌス菌が入っていたのは確かなの。なぜ断言できるかと言うと、それをやった人が後で謝りに来てね。「おおおおお、すごいね」って。<br />だから私を殺そうとした人とも、もちろん会ってるし、東京拘置所で最高裁までいってる人とも何人も会ってるわけで、坂本を殺した人とも会ったし･･･ね、いろんな人と会いましたけど、みんないいヤツなんだよ。参っちゃうよねぇ。林泰男なんていうのは、8人彼の撒いたサリンで死んでるわけだ。で、少し悪いヤツであって欲しかったんだけど、会ってみてやっぱりいいヤツなんでショックでしたねぇ。1審判決の判決文の中では「およそ師を誤るほど不幸なことはなく、その意味において被告人もまた被害者である」というようなことが書いてあるんだよ。死刑判決なのに信じられない死刑判決文でしょ。裁判所もよくわかってくれたんだなぁと思う。それがオウム事件の一番の恐ろしさ。<br />だから、社会というのは、その本質をもっと知った上で決して許さないんだと。オウムの発想、麻原の発想、要するに、社会への強烈な恨みルサンチマン、権力を持ちたい・人を支配したい、それも果たされないときの強烈な破壊願望タナトス、それは決して許さないんだという態度をしていかなければ、オウム真理教というもの、麻原を観想する人はただの一人も許さないんだと、国家じゃなくて社会に於いてそういう態度でいて欲しいのね。そうじゃなきゃオウムはなくならないですよ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：破防法とかで急激に押さえてしまうと、散り散りになって潜伏してしまうのは、やはりこわいということですよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：うん、やり方として強烈なやり方がいいとは限らんと。戦術の問題なのであって、目的としては同じ。強烈にやりたいという人も。<br />でも破防法は、いろいろ法律上欠陥があるから。あれは使える法律じゃないもん。一方で、団体規制法の再発防止処分に6ヶ月間何もやっちゃいけないという防止処分があるけど、これは将来使うことは有り得ると思いますよ。それで潜伏することがあるけど、ここまで把握してきたら潜伏もそう恐くはなくなったなぁと思ってるから。要するに、炙り出しがかなりもう出来たから、そろそろ再発防止処分も有り得るんだろうとは思います。そういうことよ。厳しく言って解決するものじゃないってことは、イコール許してもいいんだなんていうところに持ってきちゃう人がいるからね。信教の自由とか。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：ネット上で議論がされることにも大きな意味があるんじゃないかと思うんですけど、どういう方向で議論をしたらいいと思われますか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：いや、議論はみんな自由にするんだから方向も何もないんだけど、私は今申したように、許さないという態度は絶対に必要で、許すような森達也監督とか･･･また彼は平気で嘘をつくから。ひどい話だ。だって映画『A』なんてのは、映画『A』推進委員会ってのを作って、彼は映画『A』推進委員会というのは、オウムとは関係ないと聞いてるということで逃げてるんだけど、あれはオウムが作った推進委員であって、映画『A』はオウムの理解を強めるために意義のあった映画だからね。オウムの宣伝になったわけですよ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：森さんとしては、必要以上にオウムに対する恐怖感や警戒心を煽ぐことが問題なんだよいうことが言いたいわけではないんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：一番大切な本質が出てない。そういういい人達がサリンを撒いたということがとんと出てない。要するに、今残っている人達がいい人だということしか描かれてない。サリンを撒いたヤツも、これらと同じようにいいヤツなんだということが描かれてない。だから大いに誤解を招く。だからオウム推進委員会を作って･･･。あれは親御さんらには見て欲しいと言ったよ。映画『A』も『A2』も、信者さんの親御さんらには、子供の気持ちをわかってもらうために。だけど、社会にはあまりにも誤解を招く。残っている人はいい人だってことになっちゃうでしょ。その前にやった人達もいい人なんだと、そこにオウムの恐さがあるんだという、これが抜けてるから、本当に率直に言って底の浅いものだと思います。<br />あれのお陰で荒木君なんて脱会できないでしょ。あんなのに出ちゃって。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：あれのお陰でできないんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：あれのお陰ですよ。要するに、ルビコンの河を渡っちゃったわけでしょ。彼はまぁ、上祐のせいで表にあのキャラクターが出たわけだけど、あれだけ顔出しちゃってやめるにやめられないですよ。ルビコンの河ってあるでしょ。シーザーがヨーロッパからローマに戻る時に、小さい河を渡っちゃった。元老院と戦うと決めたんだな。荒木君もあの映画に出ることで、ルビコンの河を渡っちゃった。そういう時に一貫性の原理が人間にはあるから、自分をやり直そうと考えることはなかなかできない。<br />だから抗議文をネットに出してあるけどね。あれだけ無責任な知識人はいないと思うよ。ひどいね。吉本隆明なんて、それこそ死んじゃった埴谷雄高から「お前の頭、スポンジになったか」と言われたわけだけど、どうしようもないねぇ。そういう人いるんですよ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：脱会しようと思っても、教団の中の方が居心地がいいからということもあるでしょうね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：うん。脱会しようという人はいない。そろそろ脱会かなぁというイメージだけどね。だから中堅幹部以上の人は居心地がいいでしょ。中にいれば尊敬してくれるし、外に出れば、地位と社会的評価は逆転するわけだから。それが中にいるとわからない。それがわかってくればより恐怖になるし、わからないまま一応離れた場合は、社会でも自分はラージャ・ヨーガ成就、クンダリーヨーガ成就してるから能力あるし尊敬されるはずだなんて思ってやめる人が中にはいるけど、こういう人は戻りやすい。だってオウムでの修行とか、それってなんぼのもんじゃいと。チョモランマの頂上へ上る修行だと思っていたわけだけど、それはマリアナ海溝の底へ落ちていく修行だったんだと。修行としての殺人ですから。坂本一家もサリン事件も。その本質をわかった時には、オウムをやめれば逆転するということがようやくわかる。そうするとそれで逆にまた恐いから。<br />だから、ある意味で「こっちの水はあ～まいよ♪」じゃないけど、本当に脱会すれば社会は受け入れるよという態度を示し続けなければいけないのかもしれない。その代わり、本当に脱会していない人にあまいことを言う必要はないわけですよ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：そうですよね、その見極めがすごく難しいと思うんですけど</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：組織から離れればそれでいいようなあまい考えはいかん。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　；松永さんのあのインタビューの中の発言は嘘ではないと思うんですね。あれは素直な気持ちだと思うんですよ。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：うん、正直ですよね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：ええ。で、教団を出てきました。先ほどもおっしゃられたように、本当に麻原を捨てるためのプロセスの中にあるというところで、今回叩かれることを承知でインタビューに応じてくださったわけです。今たまたま入院なさってますけど、ネット上の批判や仕事などの厳しい現実から、また戻ってしまう可能性もあるわけで、そうすると「やっぱり嘘ついてたんだじゃないか」、「あのインタビューで話したことは嘘だったんじゃないか」「やっぱり脱会してないじゃないか」と言われる可能性もあるわけですよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：まぁ、前の偽装脱会の時とは違うよね。前は完璧に偽装していたわけだけど、今度は明らかにしちゃったんだから。<br />要するに、人間というのは思想・感情・行動で動くとかってよく言うんだけどね。（図を描きながら）思想と感情と行動というのは正三角形だと。例えばね、自分の好きな人が右翼だったとすれば、好きな人といろいろと話していく内に、またその人と一緒になりたいから、自分の思想も右翼的になると。自分の行動として、ある一定の行動をしてしまうと、例えば統一教会でも何でもいいや、例えば100万円のお布施をしてしまう。それを騙されたとは思いたくないのよ。だから感情もその人に縛られるし、思想も文鮮明さんの教えが正しいじゃないかと思うわけ。そういうので引っ張り合うわけ。<br />で、彼の場合も、行動でもう十数年オウムに尽くしたと。それをどうしようかと迷う。まだ全てを言えないでいる。思想として、頭の中ではそろそろ麻原さんを捨てなくてはいけない、間違っていると思ってたとしても、行動がそれだけあったから、そう簡単に変えられないということね。<br />だから、女性信者なんかは、麻原さんへの恋愛感情へも似たものがあるから、それに結構引っ張られている。それぞれリンクするのでね。<br />「止めたって言うなら全て明らかにしろ」って、ともかくそんなに急がせないでよってどこかに私書き込んだけどさ。急がせないでよと思うね。<br />だから、インタビューも本当はしないで欲しいくらいだったんだけど、要するに、ただ泉さんご自身の立場としてはするし、彼も説明義務がある立場だから、理論的には当たり前なんだけど、彼をそれこそ完璧な脱会に持っていくためにはその理解が大切。彼はもう上祐には、感情的にも思想的にも離れているみたいだけどね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：松永さん本人は、「マインドコントロールされてないから」とおっしゃっていましたけど、やはりマインドコントロールされているんでしょうか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：彼は自分からオウムへ近寄っていった方だけど、少ないとは言え修行してきたし、神秘体験したわけだから、その辺の分析はまだ不充分なんでしょうね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：全くマインドコントロールをされていないとは言えないってことですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：うん、全くされていない人はいませんよ。しかも薬物だよ最後は。う～ん、薬物だよ。すごいんだよLSDは。<br />（「カナリヤの詩Ⅱ」を持って）この「カナリヤの詩」という冊子のⅡの表紙は、そのクンダリニーが発現したうわぁーと出た時の自分のイメージね。背中から熱が上がってくる感覚。それは神秘体験の一つ。背骨をずーっと上がってくる。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：マインドコントロールを解くためには、自分の取った行動をひとつひとつ噛み砕いていくことが大切なのですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：うん、だから彼はあなたと話すでも何でもいいから、いろんなことをそれこそ振り返りながら、何年何月頃何をやってた、何年何月頃何をやってきた、それを全部聞くだけだっていろいろな話が出てくるし。その中で麻原さんとあったこと、上祐とあったこと、いろいろ話をしていく中で解かれていく。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：今「オウム・アレフ（アーレフ）の物語」というのを書いていらっしゃいますけど</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：つらいだろうねぇ･･･。あれだけ書くとつらいだろうねぇ。つらいよ。その中の言葉の端々にまだ不充分だと思う人は結構いるだろうけど、やめてまだそんなに経ってないのにあれを書き始める人もそういないだろう。まぁ、そういう性格だからしょうがない。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：強いと思います。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：うーーん、強いけど、人間の本当に強いのは柳じゃないですか（苦笑）。本当に強いのは柳じゃない。だから、あんまり頑張らないでよと言いたいんだけど。でもまぁ、ネットなりブログなり、出版で食っていくために松永という名前をまた変えるわけにいかないんだったら、早く清算しなきゃいけないんだから、それは仕方ないだろうけど。うーー、つらいよなぁ。ポキっと折れちゃったら大変だ。急がないでねと思うけど。<br />一般には、結構な幹部もみんなやめた後、影に隠れちゃったでしょ。やめてそれこそ欝状態に陥ったり、自殺未遂したり、精神病院へ入院したり、いろいろある。そういう中で、いつかはすっきりしていくんだけどね。<br />彼は立場上、カルマが当たってるなぁと思うけど（苦笑）、そういう意味では厳しくやんなきゃいけないという立場に自分がなっちゃったからなぁ。表で表現活動をやってきたから、仕方が無いんだろうけどなぁ。まぁ、いろいろ話があちこち。<br />だから、一番お願いしたいのは、もしまたインタビューするなら許さないぞという態度を示して欲しいんだよ。ともかく一般論や文化論にすぐ回るような人となんで一緒に･･･。何これ？と思ったよ。話が散漫になるだけと思った。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：「え？」と思うシーンもあったんですけど、私は数週間の間に「オウムはやっぱり今もこわいのか」、「なんでなんで？」という思考がありますし、もう一人の方は、元新聞の事件記者さんですので、松永さんはプライドが高い方でしょうし、一人宗教観を持っている方が同席してくださることは、松永さんの宗教観を引き出すという意味では重要だったと思うんですけど。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：ともかくマスメディアも、NHKだって幾つかの新聞社も、それから他のテレビ局にもオウムの信者は何人もいたんだから。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：メディアの中にですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：そうです。ご存知ない？95年の頃、結構暴露して守ってもあげたけどね。だから東大卒やなんかで<br />「私も実はイニシエーション受けてきてた」<br />「なんだそりゃ（笑）。あーら、あなたも信者さんだったの？」<br />って。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：意外と多いですか？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：多いですよ、本当に。だって官僚にもいたし、法律関係者も実はいた。だから、薬物やったのは5000人位はいるんじゃないかな。学歴の高い人は、オウムの中でも優遇されていたし。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：じゃあ、私がオウム信者だと疑われても全然不思議ではないんですね（苦笑）。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：全然全然。だってNHKの社員だった人がオウムの出家者になったりするんですから。だからオウムの中でビデオ作ってる人は、元プロだったりする人が結構いるわけよ。不思議でもなんでもない。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：菊池直子にされるとは私も思ってはいませんでしたけど（苦笑）。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：あははは、顔似てるか。それは失礼な話だよな。<br />だから、Rなんとかさんとか、なんじゃこりゃって思うよ。宗教好きな人いるよ。そういう人がオウムにはまっちゃったって不思議でも何でもない。取材している内にはまっちゃった人もいるよ。95年頃。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：私みたいに全く宗教観を持ってない人の方が、コロっとはまりやすいってこともありますか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：世の中には魅力的なワル、恐い人がいるんだってことを知らないんだよね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：でも、片方ではオウムを許さないんだと言いながら、松永さんは嘘をついていないわけですよね。その兼ね合いというか、見極めというか</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：その人を受け入れるんであって、思想を受け入れるわけじゃないでしょ。だから、オウムという思想、麻原に帰依をするという思想、現世は幻で現世を麻原の指示でぶっ潰してもいいという思想は決して受け入れないよと。で、「あなたがまだ麻原さんを観想するんだったら現役の信者であって、形は脱会しててもまだ脱会の内には入らないよ」という厳しい態度は当然できるんで。だからと言って、彼を全面否定するわけじゃないというだけの話でしょ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　　：全面否定しているネット上の書き込みとか、結構ありますよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">滝本</span>　：中にはいるよ。しょうがないね。<br />だって、麻原だって私は全面否定してないよ。死刑にして欲しいと思うけど、全面否定は決してしてない。死んでもなんでも。</p>

<p></p><br /><br /><p align="right">＜文責/泉 あい＞</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>（現・元）オウム信者と社会の関り</dc:subject>

<dc:creator>泉あい</dc:creator>
<dc:date>2006-05-09T21:15:48+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/__c076.html">
<title>松永英明さんへインタビュー  ⑤</title>
<link>http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/__c076.html</link>
<description>R30　：積極的な帰依というのは、宗教的なルールに定められてる以外のことはしない...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：積極的な帰依というのは、宗教的なルールに定められてる以外のことはしないというのだと思うんですよ。で、もう一つは、消極的なと言ったら変だけど、ルールに禁止されていること以外はＯＫっていう(笑)、そういう信心の仕方もある。仏教徒のつもりである僕自身は、仏教が在家信者向けの戒律で禁止していること以外はなんでもＯＫという感覚です。松永さんは、自分の中のそういうつまみを今どの辺に回そうとしているのかっていうのを聞いてみたいんですが。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：それは松永として行動しはじめた時点で、かなりゆるい方向に行って、出家者としては普通やんないというところまで実際振り切れてたというかね。だから実際破戒者と言ってもいいんじゃないかというくらいのレベルまでは当然行ってて、それでもう「これはサマナじゃないよな」という自覚が完全に出るぐらいにはなっていた。だから2003年の夏に、教団の経済状況が悪化してきたから、外で働いてくださいと言われて働きはじめたら、もう外に振り切ってしまったという状況で、とにかく仕事を3つ4つ同時進行でやってたりとか、それはそれで一生懸命やってるわけなんで、回りからは止めらんないわけです。「もっと宗教的なこともやらないとまずいよ」と言う人たちもいるんですけど、「はいはい。でもこれ片付けないとだめだから」って感じ。そうしている内に、宗教的な枠組みの中で生きてる感じはなくなっちゃってる。それこそ完全に出家者の中の枠組みとして生きてるというところから、もう完全にふっきれてしまってたというか。</p>]]><![CDATA[<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：つまり今はそのつまみをすごくゆるめている状態だと思うんですけど、それに対するある種居心地の悪さみたいなものを何か感じてます？というのは、今までの話を聞いている中で、やっぱり2000年の復帰というのも、それからここに来て教団を出てきたというのも、ある意味経済的な変化の中で起こってきたことなのかなあという気がするんですよ。人間って決して経済状況から自由で有り得ないので、それはしょうがないと思うんだけれども、松永さん自身の望む方向性というか、自分が本来あるべきだと思っているつまみの位置というのは、どの辺なのか。経済状況が許すかどうかとは関係なく。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：あるべきというのがどこか、多少気分的なものというのはあると思うんだけど、ただ自分としては、自分の性に合っているのはおそらくゆるい方なんだろうと。元々修行者のタイプとして瞑想だとか欠かさずやっていて、教団のための仕事であっても、それはやらないといけないからやるっていうタイプの人と、むしろ私のように、瞑想はやれと言われたからやるって感じのタイプ、教団のための仕事とか、仕事としてやる分にはいくらでもやるけれどというタイプがあって、私はどうしても瞑想だとか、内向きに入っていくよりも、何かやってる方がいいところがあって、そうすると仏教的戒律の最低限のところで、あとはふっきらせてもらった方がということはあると思う。<br />2000年の時に戻ったというのも、完全に修行に専念するということじゃなくて、宗教的なことが絡んだ仕事があるからっていう。その教団内もゴタゴタしているのがおさまったというのがあったし。ここは大きいと思う。だからいきなり「じゃあここで修行に入りなさい」と言われていたら、行ってなかったかな。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：2000年にもし修行できる環境ができたから戻って来いよと言われてたとしても、多分それは嫌だっただろうと。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：それだったらちょっと違ったなっていう。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：やっぱり表現することが好きなんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永　</span>：そうでしょうね。表現するのか、或いは組み立てるのか。わからないことをわかるようにするとか。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：解き明かしたりとか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：ええ。できるだけわかりやすい言葉で、自分のわからなかったことがわかるようになった部分をみんなにもわかるようにできるかなって。そこは自分の中に課題としてある。そこにはあまり宗教性ないよね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：うん。それは単に個人の能力の適性の問題だから。多分社会的に言うとね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：だから宗教的なものというのは、ひとつの方向性だったけれども、自分のいわゆる社会の中でやっていきたいこととなると、そういう表現になってくるかなぁ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：「光源氏」とか、松永さんの世界観的な言い方で言えば、圧倒的に「カルマを増やす」方向だよね。そういう仕事をやらなきゃいけない局面に対しても、それはもう、カルマを増やしているかもしんないけど、別に戒律を破っているわけじゃないからいいやというぐらいの割り切りは、もうできちゃってるんですかね？それとも、そこは本当はやりたくない？あるいは、なるべくなら世の中全体のカルマを減らす方向にしていきたいという感じなんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：だからあんまりあざとい方向のことはやりたくないし、悪いものを煽るようなことはやりたくないけど、今はもう結構割り切っている部分が多いかな。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：自分の仕事としてこれをやりたいというような目標ってあるんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：具体的にこういうのってのがあるわけじゃないんですよね。だから今言ったのはかなり抽象的な、ものすごくわかりづらいと思われているものをわかりやすく表現するような、そういうことをいろいろやっていきたいというのはある。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：そのわかりづらいものという対象は何かに限られる？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：いや、とにかくわかりづらいものなら何でもいいです。例えばね、日本史世界史で、これって絶対わかりやすくなるっていう本の企画あるんです。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：ほー、それは勉強する人向けですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：勉強する人向け。ただ、一般的に社会人が読んでも、「ああ、こういう仕組みか」という。頭の整理ができるような、そういうものは作れると思う。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：それはもう、人間のタイプとして宗教者というよりは、違う人ですよね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：学者（笑）</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：あんまり自分の行動も潔癖だとは思ってないし、ネットで書くことも悪口書くし、人を煽ってるし。全然聖人君子じゃないよなという。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：お聞きしているとね、松永さんが宗教に向かうというのは、自分のステージを高く上げたいとか、解脱したいとか、そういうことじゃなくて、ただ単に、世の中の仕組みを解き明かしたいというような、この複雑な構造の世界をいかにすっきりと見せるようにするかみたいなところに、実は興味があるのかなと思ったりするんですが、どうですか？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：それはそうかもしれない。教団の中でも「あなたは何を目指しているんですか」と改めて問い直されたりした時に、だいたいの人が「解脱」とか「悟り」とか「救済」とか言う。私は、んーどれもピンと来ないなっていうのがあって。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：そうなんだ。むしろ体系的に「これはすごい。俺の世界理解をここまでわかりやすくしてくれた」みたいなことの方の感動があるんだよね？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：それもある程度、いろんなとこを体験できるといいなというのは当然あるけれども、解脱・悟りというのは、できたらいいけどねっていう。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：涅槃の境地へたどり着くまでにもっといろんな楽しいことがあるだろう、とかそういう感じ？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：うん、すげー遠いよな。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：松永さんは、サマナの中では異端者みたいなものだったんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：異端と言えば異端だけどね。ただある意味、異常にプラス思考だった。最近ちょっと落ち込んで、異常なくらいプラスじゃなくなってんだけども、それ以外の時は基本的に信じられないくらいプラス思考。私としゃべっていると何でもできそうな気がするという話があって、そういう意味では重宝されていたみたい。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：例えば、今日のインタビューを読者に伝える時に、オーソドックスなオウムという感じでは伝わらなさそうですよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：みんなひとりひとりがすごく個性的だとは思う。いわゆる正悟師ひとりずつに聞いても、まるで話が違うと思うのね。規格化されたオウム信者というのは、なかなか出てこないと思う。同じようなことを言う部分はあると思うけど。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：この問題に限らず社会問題って何でも一括りにしたらまずいと思うんですけど、少なくとも私が読んできた手記にはすごく統一感があったんですよね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：それはそういうものを選んでるから。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：そうなんですかね、やっぱり意図的に選んでいるんですかね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：だってそれは脱会しましたということをアピールした手記なわけでしょ？だとしたらそれは強調しどころがあるから。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：その時に「俺はここまで自分で考えてもっと強くなれたから脱会した」と書くよりは、「ここまで弱かったんです、すみません、全てを反省しますから脱会します」と書いた方が、世の中に認められる商品価値が高い。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：マインドコントロールにかかってた、みたいなね。で、納得しやすい。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：そうなんですよね。でも、これ家族とか、回りに支援者がいなければ絶対救われないだろうと思うような内容なんですよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：確かにね、今から教団出ますと言った時に、経済的問題だとか、或いは仕事がない間どうするのかとか、そういう問題は絶対ついて回るので、私の場合は、仕事も蓄えも何とか確保できたというところで、家族はないけど出ることに踏ん切ることができたというところはあったよね。だから、もう教団の中はうんざりという人たちもいたとして、でも、それこそ世間の反応もあるし、だったら中の方が安泰でいいやってのもどうしてもあるよね。私も正直言うと、結構そういう感じのわざわざ出るまでもないかなというのはあったの。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：話が若干それちゃうんですけど、今のアーレフに関して、ものすごくわけわからなさを感じるのは、麻原の子供の存在なんですよ。多分、教団の中の人にとっても、あの人たちは特別な存在でしょう？とすると、あの人たちの存在が、これからもある意味教団にとってはリスクファクターであり続けるだろうと思っていて。彼らは今どういう状態で、何を考えているのかという質問なんですけど。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：実際ほとんど接点がないんで、私がアーチャリーのところにいるという説をネットで元サマナが流してるらしいんだけど、なんでやねんっていうね。そもそも2000年以降、教団と家族というものは切り離される方向で行って、係わらないことでお互い安泰っていう。家族の方は教団と係わりませんということで、社会の中で生かしてもらい、教団の方も、家族を連れて来ないことで、今まで独自路線というのかな。<br />さっき教義のところで言いそびれたんだけど、グルイズムという要素が危険視されるところなのかなというのはあるけど、グルイズムを切り離すために、家族とは切り離すというのがある。例えば裁判だとか、そういうところでどうしても接点は一部あるわけだけれど、一般的にサマナは、その家族とは接点を持ってない。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：っていうのはでもさ、ある意味建前論じゃない？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：と言いつつ、実際のところ係わりようがないんで、何とも言えないという。<br />三女は一時期後継者指名があったけど、じゃあ教団を引っ張れるかというと、全く社会的経験はないに等しい。やっと大学に1回断られて入れてもらえましたという段階でしょ。すごくしっかりした人だと思うけど、その人を担ぎ上げて教団がまとまるのかとか、今のこの状態の教団を何とかできないか。できるわけないとみんな思ってる。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：松永さんにとってグルというのはどういう･･･今でも信仰対象なんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：今イメージに浮かんでこない。だから、自分のイメージとしてはそれこそ先生なわけね。（注釈：グルは、サンスクリット語で「先生、教授」の意味）</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：さっき言ってた統一された世界観を作り上げたのは彼なわけですよね。それを作ったことに対して、多分すごいなという気持ちがあるんだろうけど、その作ったことによるすごさと、その人自身がある種の精霊というか神というか、そういう存在とはちょっと違うじゃないですか。どっちなのか、それとも両方なのかというのは。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：（長く考えて）自分の体験としては、すごく力のある人だったなと。霊的力のある人だなという体験は自分自身にとってあって、だからそこで恩恵を与えられたという印象はある。ただ、教団に反発して辞めたという人たちが持っているような恨みだとか敵愾心だとかは私は特に持ってない。逆に言うと、「なんであんな事件起こしたんですか？教えてくださいよ」という気持ちがあるけれども。「なんであんなことになったんですか」と。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：そうすると、松永さんの心の中のイメージとしては、あの世界観を作った麻原彰晃という人が事件を起こして被告となっているというのは、イメージとしては分裂してるんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：イメージとして分裂しているというか、それは同一人物であるんだけど、つまり1人の人間であっても、いろんな要素があるわけでしょ。すごく仕事できるけど、家では飲んだくれているとかね。いろいろな部分はあるけど、でもだからといって全て否定するわけじゃないし、全て肯定するわけでもない。そういうイメージ。じゃあもう1回サリン撒けと言われたらサリン撒くのかという質問はよくあるのだけれども、なんで撒かなあかんのですかっていう。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：ある種アンビバレンツなものがあるんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：アンビバレンツというか、どういうんですかね。（しばらく考えて）自分の直接知っているグルというものと、事件に係わった自分の知らない部分をすり合わせるのが結構大変というのはありますよね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：すり合わさったんですかね、あれから10年。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：あれが同じ人であっても不思議ではないんだなというところには来てます。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：それは、人間の多面性として理解しているということですかね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：多面性というか、事件自体、結局裁判でもなんか明らかになったかというと、明らかになってないですよね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：まあそうですね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：明らかにする前に判決を先にしろみたいな感じで。だから、何もわからないと言えばわからない。実際、推測は私としてはやっている部分はあるけれども、例えば「サリン事件は井上さんだろう」とかね。「あの人が指揮したんでしょう？間違いないんじゃないの？」みたいな感じだったりとか、そういうところはあったりするんで</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：状況証拠として、少なくともオウムがサリンを持っていた。井上さんは自分でやったと言っている。麻原が言わないことをわざわざするような人はいるはずがないだろう。というところまではみんな感じてるんだけど。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：グルが許可を与えるかどうかというのはあるけれども、全て発案するのか、それとも「やりますけどいいですか？」「ああ、いいよ」みたいなノリなのかっていう。その辺はニュアンスとして有り得るんだけど、見てないからわかんない。でも、それは有り得るのね。弟子がなんか変なことを言い出して、「いいよ、やれば」みたいな時は結構あったんで。で、失敗して「やっぱりだめです」「そうだろう」みたいな。失敗させるグルだったのね。弟子が好きなことをやりたいと、「じゃあやってみれば」みたいな感じで、やってみて失敗して「ホラだめだろう。どうしてだめだったかよく考えろ」というタイプのグル。失敗させるタイプのグルなので、だから「突拍子もないことやります」とか「ここでやればうまくいくんです」と弟子に言われたら「そうか、じゃやってみろ」と言う可能性はあるよね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：権力が教団を狙ってるという話は、麻原は自分で言ってたわけですよね。俺たちは付け狙われているという話をすることで、「じゃあ私こうやります」と下の人間が言って、「やれば」と言ったというところは、流れとしては考えられるということ？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：だから具体的方法は、おそらく下から上がってる。だから「強制捜査何とかならないのか」ということを言って、「じゃあサリンを撒けばいいと思います」みたいな。井上さんは言いかねないと。「うんそうか、じゃあやってみろ。本当にうまくいくのか」という会話はあると思う。「いきます」みたいな。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：でも、それは推測なわけでしょう？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：うん。でも、ありそうな会話だからね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：雰囲気的にはありそうみたいな。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：でも、その可能性を頭に浮かべることによって、グルの責任が若干薄まればいいなと松永さん自身が期待しているからじゃないですか、それは。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：もしかしたらそうかもしれない。ただ、いわゆる省庁制以降の教団ってのが、全体にそういうノリだったと。例えばイニシエーション開発なんか、ほとんど全て法皇官房が推進していて、グルはそれに対する承認を与えるくらいの感覚だったという流れもあるので、今言ったのは、事実からそんなに離れているとは思わない。むしろ、「そういう会話があったんだよ。ここで認めたんだから罪があるよね」と言われたら「はい」っていう感じ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：社会的には、それが殺人教唆と言われたら、まあそうかもしれませんねって。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そうそうそう。そうなんですねと逆に認めやすいっていう。でもね、逆に何でもかんでも上から指示があったと「あいつら殺して来い」という話になるとピンとこないっていう。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：結局折り合ってないんですよね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：ハハハハハ</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：そうなんですよね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：主犯であるグルと世界観を作ったグルというのが、相変わらず</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そういう意味では折り合ってないという話になる。ただ今のような流れを想定するならば、同じ人がやっているという風につながるという。あの人だったらそういうことを言うだろうなっていう。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：でもさ、世界観がそういう集団行為を生み出したとは考えないの？そこどうなんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：それはね、世界観というよりは、もっと実務的な部分でこういうことになったんだろうと。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：アホなイエスマンを省庁のトップにしたからだと、ぶっちゃけ。（一同苦笑）</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：いや、それを最終的に決めたのは、親分ですからみたいな感じだから。教団というものが動いていて、それこそ省庁ごとのせめぎ合いがあった。それぞれが勝手に動こうとしているみたいなところがあって、つまり弟子が、特に有力な弟子がいろんな方向に動こうとしてた。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：功名争いだもんね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：まあそれもある。こっちでは功績上げてるが、こっちでは全然何もないとか。こっちは全然関係がないとか、経理は経理で出し渋るとか、いろいろあの頃は省庁間の壁みたいな感じで、実際中でもそういうことを言われていて、何かやるにしても、向こうの省庁のトップの人に許可をもらわないと、この人に仕事頼めないみたいなね。そういうものが教団運営という次元のところから来てるのかなという部分もある。だから、一つ理解できないのは、サリンの攻撃を受けているという話が広まっていて、例えば第3次大戦がもうじきはじまるんで、そのためのシェルターだとか防御の仕方とかを一生懸命開発してますということは本気でみんなやってた。つまり、攻められた時にいかに守るかということをみんな考えてた。ところがなぜかサリンがあった。それは攻められた時にみんな逃げ込もうという教団の中の思考回路を持って言っているのに、かたっぽに攻めるものがあったというのは、そこはすごくわかんないところだね。なんでそんなものがあったの？みたいな。或いはミサイルがあったとか、自動小銃を作っていたとか。自動小銃なんてのは、話を聞くと、撃った人が死ぬみたいな武器らしいんだけど、そんなものこわくて誰も撃てないよ。大量生産の話もあったみたいだけど。だから、サリンができてしまったというのは、予想以上にできてしまったんだろうと思うんだけれども、作れと言っても出来ないと思ってたんじゃないかみたいな。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：問題の根源は、サリンを誰が作れと言ったかという話でさ、それは井上さんなのか、土谷さんが自分で作ると言い出したのか。井上さんは裁判では、</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：あれは違う話でしょ</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：違う話だけど、麻原さんがやれと言ったんだっていう話をしてるわけだよね、彼なんかは。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：サリンを撒かなくても、実はサリンを撒いたのは強制捜査が間もなくだって話だから撒いたわけで、もし強制捜査が来るという話がなければ、自動小銃を量産して、それで部隊を作って霞ヶ関に乗り込むという計画が夏くらいにあったわけでしょう？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：その話はよくわかんないっていうか、いわゆる早川メモとか、その世界ですよね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：そうですね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そんなもん誰も知らないしどこの誰が銃を撃てますか、みたいな。だってみんなそんな体力もないし。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：教団としてトータルとすれば、やっぱり国家に対する挑戦をしてたのは、もう否定できない事実ですよね。もう10年経ちますけど。でも、じゃあ事件を起こさなかったオウム真理教、教団っていうifの可能性というのはあったんですか。どう思います？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：それだけいろいろ裏で準備されていたというのが。うん。それが全部なかったとしたらというぐらいの想定にはなってしまうので</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：多分世の中が求めるのは、そこまで深く考えて求めてる人がいるかどうか知らんけどさ、多分ネットも含めてガーっとみんながオウムを揺するのは、やっぱり世界観というものと現実にオウムがそこまでのことを考えていたという傍証みたいなものとかさ、やっぱりオウムの人の中で、未だに結びついていないことに対して「なぜだ」みたいなさ。多分言い分としてはそういうことなのかなと。非常に深く考えると。だけど、それは現実問題松永さんの中では結びつかないよねということなんですよね？未だに。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：うん、そう。例えば革マルとか中核だと革命を起こすことのために、そこに入ってこうやって鉄パイプを振り回すわけでしょう？それは目的と行動と日常が全部一致してるんですね。ところが、オウム信者は全然一致してなくて、でもごく一部の信者は動いてて、ほとんどが完全に知りませんでした。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：それって、「戦争をなぜ日本が起こしたのか、お前は靖国に行って参拝することをなぜ反省しないのか」と未だに言われてる話と構造が全く同じで、「いや、私はそこまで考えていませんでしたよ」というのと、ほとんどレベル的には同じですよね。単にそれが非難する側とされる側の両方の集団を比べたら、される方の日本の経済力が圧倒的にでっかいから、する方は黙ってるしかない、みたいな。そういう感じだよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：これから例えば「今サリン作ってます」とか言って、作り始めたら材料を運びはじめた時点で教団壊滅というのはわかっているから、そんな派手なことをやれると思ってないというのもある。例えば仮に今サリンを作りますと言って、当然それに対しては、そんなもん金払えるかということになると思うんだけれども、そうじゃないものが、いつの間にか違う目的で使われてましたと。自分がそこに係わっていたら、それは感じるだろうけれども、いつの間にか自分の稼いだ金が違う目的で使われて、別のものを作ってましたと、しかもそれは武器でしたみたいな。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：事件を起こしたのはごく一部の人たちで、他の人は知らなかった。それは確かにそうだと思うんですけど、それから10年以上経って、その間ずっと分裂したイメージをどうやって融合させるかという努力を教団内部の人間はやってきたはずですよね。俺たちは殺人教団なのかどうなのか、その努力は10年経っても相変わらず実っていないと思うのですが。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：それは内部にいると、少なくとも人を殺すために教団に居続けるという人はいないわけですよね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：だから俺らはやってないよね、知りもしなかったしって。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：自動小銃作るのに係わっていました、部品作っていましたと。或いはロシアへ行って拳銃売ってきましたという人もいたりはするんだけど、じゃあそういうことをやるためにもう1回教団に戻ってくるのかと言ったら、そうではない。さっきの革マル中核の喩えというのはそこで、そういう目的だったらある意味確信的なというか、そのための目的があるんだけど、</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：彼ら（革マル・中核）は別にね、社会から批判されても、警察に捕まって裁判起こして有罪になっても全然屁でもないわけですよ、確信犯なわけだからね。オウムはそうじゃないわけでしょ。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そうなんです。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：だから、もちろんもう1回事件を起こすということはないんだけど、さっきの話の繰り返しになっちゃいますけど、外からは贖罪しろよと言われ続けて来て、内部ではピンと来ないと言い続けて、それでもう10年経ってるわけでしょう。なんで未だにそこが融合できないのかすごく不思議な感じがする。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：それって戦後50年、なぜ日本がアジアとの関係を決算できなかったのかというのとほとんど同じ質問ですよね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：それは賠償金払っているからいいじゃないですかと言うしかない？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：いや、いいんじゃないですかとはみんな言えない、それはね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：まーね、それはね、ごめんなさいと言い続けるしかないよね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：言えませんけど、やることは一生懸命やってますよということですよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：だから徹頭徹尾、宗教の団体としての動きをしてきて、そのためにいるとしか思っていなくて、事件を起こしたいと狙っている人は基本的にいない。となると、「またやるだろお前ら、今度は何を企んでいるんだ」と言われても、「何も企んでないです」と答えて「嘘つけ」と言われるみたいなね。そうなるともう途方に暮れるしかない。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：そこなんですよね、そこを考えれば考えるほどわからないんですよ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：というわけで、公安が烏山の前にいるのは日本国憲法をGHQに押し付けられたのと同じレベルの話じゃないでしょうかという。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：ただ、今は占領下にあるから、</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：危ないことはしねーだろという</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：できないんですよ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：できないだろという話になってるだけで。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：よっぽど国が、「お前ら技術があるんだからサリン作れ」と、こっそり警察予備隊を作りはじめるような流れになってれば別ですけど、なってないんで</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：まーね。でも、それで僕が言おうとしたのは何かと言うと、日本は今アジアから、「日本が憲法改正したらまた攻めてくるのか」と言われてるのと同じで、内部の本質的な反省がない中で、外から与えられた枷だけで今そこに踏みとどまってるだけじゃないのかというのが、今のアーレフだっていうことでしょう。あんた方はこの10年間であの事件の内部的な問題として何を反省したんでしょうかという質問に、「今は僕は何もそんな危険なことは考えてないから」と言うのは、外の人が要求する説明にはなってないんだよね。つまり世界観がああいうことに結びついたという解釈なのか、それとも単なる組織問題として、アホなイエスマンをたくさん省庁のトップにつけて、イエスマン同士が功名争いしてサリンを作りましたみたいな話なのか、それとも何なのかという、そこの問題をどう自分たちなりに結論出しているのか、全然わからないじゃないですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：だから、おそらく世界宗教という目標が、ある程度大きくなってくるとどんな宗教でもあると思う。その場合の手法が問題だと思ってる。つまり教義だとかいろいろあるけれども、じゃあ具体的にどういう手段を取るのかという、そこで、例えば、純粋に宗教だけにいけるのかと。或いは、選挙に打って出てそこで訴えることはできるのかと。それがだめだったら、国をひっくり返すしかないのか、みたいな。そういう発展の仕方は教団の運営方針として有り得たと思う。ところが、運営方針自体は、代替がきくというのかな、目的が一緒で、或いは目指す思考は一緒でも、取る手法はいくらでもかえられる。例えば、ヴァジラヤーナとか五仏の法則まではいかないにしても、教団を守るためという大義名分が一番に来て、それでごまかされてしまうところがあったとしたら、それは結びつく部分なんだろうなと。但し、それが例えば「お前はオウムをまだ信じているのか、だから危険だ」という風に結びつくかというと、内部的にはみんな結びついてない</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：一番最初の方で言ってましたけど、選挙に出た時当選してればまたちょっと変わってたですよねって話があったじゃないですか。実は当初のオウムは、単に頭の中の世界観を作って、それを本にして皆さんに説いて幸せになってもらうだけじゃなくて、何らかの形で自分たちが社会的に認められた集団であるということを実力をもって証明しなきゃいけない。そういうところに目的をおいていたのかなという気がすごくするんだけど、それが結局合法的な方法では認められなかったから、非合法で存在を認めさせようみたいな方向になったのかなと。僕が見ていて疑問に思うのは、それが世界観自体から内発的に生まれてきたのか、それとも麻原個人の考え方だったのか。今聞いてる限りではどっちとも判別つかないんだけれども、自分たちの存在意義みたいなものを何らかの形で、リアルな世界にリアルな形で打ち立てるというものを描いてるということ自体が、そもそも問題なんじゃないかと思います。それはどうですか？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：要はシャンバラ化計画だとか、そういう絵に描いた餅じゃだめだと。理想郷は作るものだという考え方は当然あったし、それを実現しようとして、最終的に突っ走ったというのは見方として正しい部分はあると思う。それともう一つは、予言というものが、煽るために内外的に使われたと。内部にも外部にも、「時間がない。今やらなきゃだめよ」という形のものを煽るために、予言が使われたというところはあったと思うので、その辺の相乗効果で、結局事件に結びつくような流れができたという要素はあるんじゃないかと思う。ただ、今は予言が全て無効化されたというか、無期限状態であるというのと、今どう考えてもこの状況でシャンバラ化計画は有り得へんでしょと。もう自分たち一人一人が信仰を守るのが精一杯。そうじゃないって人たちが、また頑張って布教しようと思っているわけだけども、だから、そこで強引な手法に出る必要がない。必要もないし、そういうものをやりたいということも当然ないし。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：目的のためには手段を選ばずとよく言われますけど、そういうこととかですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：ま、それに近いのかなと。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：上祐さんの考えていることは、割りに危険ですよね、そういう意味では。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そういう意味では危険だろうなという。焦りが出た時に、じゃあ彼がどういう手段を取るかということは誰にも言えないし、危険なことをやるとも言えないわけだけども、でも方向性としては</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：同じ方向を向いている感じはありますよね</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そう。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：ネットの中を読んでいる感じで言うと、むしろA派の方が危険だみたいな声の方が多いのは、実は代表派が何となく表面的には社会と融和しようとしているみたいに見えるわけですよ。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そう、それはそういう風にＰＲしてるから。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：一般人から見ると、融和しないようにこもっていくヤツの方が、マジで危ないと思えるのは、僕が言ったみたいに内在的な論理の中で、もしかしたら自分たちを社会の中で存在証明するために、また何をやらかすかわからないみたいなさ。多分そこの反省があるのかないのかというところで、むしろMよりAの方が危険なように見えるというのが、実はあると思うのね。そのギャップって、中にいるとわからないでしょ、きっと。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：中にいるとわからないと言うか、実際のところ主流派は、このまま社会の中で存在をアピールすることなく、いわゆるフェードアウトに近いんだけども、だんだん勢力が弱まろうと何だろうと、もう消えて行くことを受け入れるというのかな。みんな寿命も近くなるし、10年経つとみんな結構高齢化って感じで、例えばバイト行っても雇ってもらえないというのが問題としてもう出てるし、或いは老人問題。実際老人がいて、日本の縮図かって感じでね</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：フリーター、ニート問題と同じですね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そうそうそう。働けるくせに働かんとか、働いて稼いだ金を教団に入れない問題とか。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：社会問題の坩堝ですね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そうそう。そういう感じで結構みんな働いているはずなのに、教団自体に金が入って来ないとか。年金未納問題ね。そういう感じで、教団自体おそらく経済的な問題で今年中もたないでしょう。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：そんな早いんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：もうそんなもの。いや、今年もったら奇跡。今年いっぱいもったら奇跡。よっぽど大金持ちの信徒が入りましたというなら話しは別だけど、そういうことは有り得ないというかね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：散り散りになって、どこかへ潜伏するんじゃないかという</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：潜伏とかそういう</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：言葉の使い方がね</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：だって烏山にみんな集まっていたらいいのかと言ったら、そしたら「出て行け」なわけでしょ？「解散しろ」なわけでしょ？出てきたら今度は野田さんに暴かれるわけでしょ？だから、私が出た直後は、内部でもちょっと動揺して「もう出ちゃおうか」と言っている人もいたらしいんだけど、その後ネットの様子を見て、逆に踏みとどまってるらしいんだよね、今。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">一同</span>　：うん。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：そうでしょうね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：そりゃ気持ちはわかるよ。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：やっぱり止めとこうかみたいな。世間厳しいみたいな話はあるらしい。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：でもいずれは出ていかないといけないわけですよね、この状況で行くと。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：出て行かないといけない。或いは分散するしかないという。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：あとは教団という形でなくて、ひとりひとりもしくは少しずつのグループに分かれてそれぞれがある種のオウム真理教という教義を大事にしつつ生きていくということしかないわけですよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そういう形にならざるを得ない。ただ、代表派はグループを作ってひとまとまりで、ある意味まとまった教団になっていく可能性はある。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：何人くらいいるんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：えーっとねぇ、どのくらいいるかなぁ、サマナで熱心なのは20人とか30人、信徒の方は、200人とかそのくらい。残り大多数がいわゆる主流派なのね。A派とかって言うけど、全然Aでも何でもなくて、残り派という感じ。でもそっちがメインみたいな。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：結局僕の感覚からすると、世の中がすごく問題にして、解散しようがしまいが、散り散りになろうがまとまっていようが、常に攻撃し続けるというのは、この人たちが内在的にああいう風なことをまた起こす論理を持ってるんじゃないかという恐怖だよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：だから、教義によって事件が起こったとみんな思っているんだけど、中にいる人たちは、教義と事件が結びついていないわけ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：それって、戦争責任のとり方について日本を批判するアジアと同じだと思う。僕は特定アジアというよりは、タイという表面的には極めて親日な国で、ものすごい勢いで非難された経験があるので、やっぱりその辺の感情が、日本人が思いもよらないレベルでアジア人の根っこに深くあるというのは、すごくよくわかるのですよ、実は。決して中国人や韓国人が国内政治のために言ってる話だけではないということも僕はものすごくよくわかるのね。だからたまたま日本はその後もまた経済大国になれたので、みんなしょうがないからね、あんだけ自分の国よりでかい国なんじゃ文句言ったって始まらないかなというので黙っているけど、多分経済的な力がない国であれば、確実に日本人はオウムみたいに徹底排除されてた。今の話を聞いているとすごくそう思う。多分、力のない人たちって、散り散りになって最後のひとりが死ぬまで「お前らには内在的に危険な論理があるんだ」と言われ続けて終わるんだと思うんだよね。そうならないためには、そこにやっぱり何かが必要なんでしょうね、何かが。反省と言うとすごい軽い言葉になっちゃうんだけど、事件を起こした本当の原因を探し出して批判しないと、多分これって終わらないのかなという気がしていて。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：だから結局事件の全貌がわからないが故に、何を批判しなければいけないのかが見えない。例えば、五仏の法則なりグルイズムなり何なりが、直接事件の原因であったと</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：建前上は言うんだけど</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：逆にそれがはっきりすればわかりやすいんだよね</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：わかりやすい。だけど教団の中の人間がそもそもそれを信じてないわけじゃない？「五仏の法則なんて俺らはやれとも言われてなかったのに、それが事件の原因であるわけないだろ」って、みんな思ってるわけだからさ。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：世間的にも、具体的に教義のどこが危険であるとか、それを抽出できてないわけでしょ。とにかくオウムが危険だ。オウムの教義が危険だという話はするけど、じゃあオウムの教義のどこが具体的に危険なんですかと言ったら誰もわかってない。内部の人間でさえ推測が成り立たないという。しかもその事件自体が、教義に則って行われたものなのか、それとも目先の対応のために行われたものなのかっていう、そこだって確定しないわけでしょう。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：一般的には、おそらく教義の内容はどうでもよくて、殺人を犯したという事実だけを見ていて、その事実があるから全てをやめなければいけないという考え方ですよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：全て否定しろということでしょ？「マインドコントロールされていました。アイツらに騙されてました。だから出てきました」と、私はそういう言い方ができないから。それは嘘だからね、流石にね。自分で好き好んで入って、でもそういう事件を起こすなんてことは予想してなくて、多少評判悪いってのは確かにあったけども、いろいろ言われるものだしなみたいな。その程度で</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：確かに世の中的に言えば、「私は相変わらず納得がいかない五仏の法則が原因かなと思ったりはするけど、あまり納得がいってない」としゃべるよりは、「ここで佐々木さんと泉さんとR30さんに囲まれて、自分がマインドコントロールされていることに気がつきました」と言った方が、きっとみんな納得。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そりゃもう絶対そうなのね。それは100％間違いない。だけど、それができない</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：「私はそうは言えません」というレベルにあるならば、逆に言うともう、これってアジアと日本の戦争責任問題と同じだぞと。日本人って実はアジア人からこういう風に見られてるんだぜ。それって俺たちがオウムってことなんだぜ。と言うしかないんだよね、そう思う。</p>

<p align="right">＜文責/泉 あい＞</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>（現・元）オウム信者と社会の関り</dc:subject>

<dc:creator>泉あい</dc:creator>
<dc:date>2006-04-24T17:00:49+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/__5171.html">
<title>松永英明さんへインタビュー  ④</title>
<link>http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/__5171.html</link>
<description>R30　：実際オウムの危険性みたいなものを批判する人というのも、ほとんど密教の部...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：実際オウムの危険性みたいなものを批判する人というのも、ほとんど密教の部分のヴァジラヤーナの中のマハームドラーとかの教えがそもそも最大の問題なんだと言っている人たちがいるんだけど、そこはコアなのでという認識ですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：というよりも、完全にコアなのは、五仏の法則が、実践されたということになっているということでしょう？</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：でもさ、そこは松永さん自身も伝聞なんでしょ？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：だから、五仏の法則が説かれていて、そこで例えば人を殺したとかそういう教えが書かれているから危険だという話があるから、今こういう風に言ってるけれども、実際それに基づいてあの事件が起こったのかというと。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：わかんない。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：わかんない。</p>]]><![CDATA[<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：ですよね。早川さんが、麻原さんから「五仏の法則を実践しろ」と言われてやったかどうかはわかんないわけですよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：それはわかんない。むしろ、そういう風には言われてないだろうと。例えば仮谷さん連れてきて、注射の量間違えました。睡眠薬の量間違って殺してしまいました、と。･･･間違えそうだなぁみたいな。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：そういうレベルなのか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そう、投与量を間違うなよ、みたいな。だから、すごく鈍くさい集団だという。科学技術省に何ができるんですかみたいなね。失敗ばっかりしてたって。だから「サリンが出来てたって！」「えーーー？」みたいな。「そんなの作る能力あったの？」みたいな。</p>

<p>佐々木　：途中何度も何度も失敗してますよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：でしょう？で、実際作ったのは土谷さんだったけど、</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：吸い込んで息も絶え絶えになったりとか、</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：でもね、土谷さんはね、あの人は作るかもしれんなと、ちょっと器用だから。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：極めて俗人的なところで、あの人ならやれたかも程度の？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そう、うん。でなかったらもうねぇ、村井さんが全部指揮してたらみんな死んでるよ。自分たちが死んでるという。それくらい、科学技術省って何もできてなかったし、空気清浄機なんかは、何とか作ってたけれども。冗談で、ダンボールにガムテープで飛行機を造るんじゃないかと言ってたくらいのね、そういうの技術力だった。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：サティアンで見つかったいろいろな物品があるじゃないですか、試作品とか。あのレベルの低さとサリン事件が、かなりマッチしない不思議な感じってのは当時言われてましたよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そうそうそう。あんまり言うと怒られるんだけど、科学技術省の技術力のなさと、個人的に土谷さんの技術力。あの人は実際何でも作れるという印象はみんな持ってた。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：そうすると、五仏の法則は教えが核だったとここでは言ってらっしゃるけど、それが本当にそうだったのかという総括も教団としてはね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：教団としては、今のところ五仏の法則を封印すると、</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：と言ってるわけなの？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そうそうそう。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：じゃそれは公式見解になってるんだね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そうです。それは、その部分がなくても、宗教的に自分たちの信仰を捨てるということにならない。だから、何もかも危険だと言うんだったらおかしなことになってくるんで。例えば、基本的な戒律で、不殺生、不偸盗というのがあって、殺すなというのが最初に来るわけで、だからゴキブリも殺さないとか、みんな日々守ってるわけだけどね。ねずみも殺さない。蚊に刺されて追い払っても、「これは嫌悪が出てる」と言って反省するぐらいの人たちだから。そのくせに人殺すと言って批判されるわけだけど。だからその辺は、一般の今いる信者は、すごく結びついてないっていうの？五仏の法則を実践しようなんてバカな人はいないし。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：なんか原始仏教つーかジャイナ教に近いね。ジャイナ教というのは、インドの中でも殺生に対して極端に潔癖な宗派で、歩く時には、ほうきを持ちながら前の道をかきながら歩くと言われてる人たちで、虫を踏まないように。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：あー、いますね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そこまではやんなくてもね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：松永さんはこれからどうするつもりなんですか。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：っていうか、それってレベル的に言うと、卑近な経済問題の話。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：今回オウムということが明るみになってから、社会的な影響はあったんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：2つほどプロジェクトとか大きいところを切られたというのはあります。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：それ以外に何か影響あったんですか。仕事以外プライベートで何か問題ありました？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：仕事以外では、体調の問題。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：体調が悪化したのは、それが原因なんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：ある意味精神的なものもあるだろうと思うので。流石に2月の末の野田さんがネットに出したところでは、非常に精神的にやられて、それこそ11階から飛び降りようかと。教団から出た途端にこれかよみたいなね、それはあった。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：でも前は、河上イチローの時は自ら意図している部分もあったわけでしょ？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：あの時は、サイトをゆっくり閉じようとしていて、そしたら西村新人類さんがばらして、あの時は教団の中に「もういる」という感じだったから、ある意味回りにも人も多いしという。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：今回だって、オウム真理教の信者だった河上イチローであったということをカミングアウトしつつ仕事を続けるという可能性は考えなかったんですか。当初、野田さんに書かれる以前の段階で。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：以前の段階ではというか、本当に教団を飛び出したのが結構最近なので、もうちょっと落ち着いてからだったら、「実は」みたいなことはあったかもしれないけど、まだそういうレベルじゃないというかね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：それはもう少し仕事として評価を高めてからというか、或いは</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：ていうか、出てかなり落ち着いてからというか</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：それは気持ちとしてということですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そう。だから、現役の時に「実は信者なんです」と言って、わざわざ仕事を潰すことはないし、例えば教団を出て1年くらい経ってからだったら、それは完全に過去の話で済んでしまうというね。<br />それも有り得たけど、野田さんが功を焦って、民主党つぶしのネタを探して、うちのサイトにたどり着いてしまって、そしたらとりあえずこれだけでもネタにはなると。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：まーね、あれは本当にひょうたんから出た駒なんだよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：本当にそうよ。しかもそれがたまたま彼の知ってる人間だったという。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：河上イチローの時は、当時日本のインターネットはまだあんまり発展してなくてスフィアも小さくて、その中で縦横無尽に空間をコントロールしているかのような感じがすごくあったんですけど、河上イチローという存在がね。今回はどちらかと言えば、逆に飲み込まれちゃってるような感じがあって、逆にその辺はどう見ていらっしゃるのかお聞きしたいですけどね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：だから、今の状況は、体調もあって対応しきれてないというところで、本当だったら『オウム・アレフ（アーレフ）の物語』でもザザザとある程度まとめて書いてやってしまえば早かったんだけれどという。或いは、もうちょっと体調が良ければ強気に。強気というのは変だけど。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：情報戦に果敢に撃って出てたかも？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：というよりも、淡々と表の記事を更新するとか。本当は書きたい記事が幾つかあって、こないだ潰れた自費出版の件だとか、自費出版商法の話とか。あとmixiでできないことをやるソーシャルネットワークを自分で作ろうみたいな話とか、そういうネタは幾つかあって、それを淡々と出していれば、何となく</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：まあ、埋もれていくわねぇ。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：松永さんって感じでイケる。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：流石微動だにしない、みたいなね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：だけど、書くだけの力は今はないと。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：でも今回のことが原因で体調を崩しているわけだから、連動はしているわけですよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：うん。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：直接、トラックバックとかコメントとか他の人のブログとか以外で、批判のコンタクトとかってあったんですか。メールが来たとか電話があったとか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：メールで批判は来ないんです。むしろメールで応援は来るけど。わざわざ「バカヤロー」というメールが届くことがないよね。2ちゃんねるとかで叫ぶ分にはできるけども、直接メールを送るのはおそらくこわいらしい。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：そうでしょうね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：日本ってそれがすごいよね。ある意味、アメリカとかだと多分ヘイトメールとか山ほど来ると思う。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：なんかオフ会の話でもね、2ちゃんねるの連中は来ないらしいから。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：アレ本気でやってくれればね。本気でオファー来るなら出ますよ。（一同笑）</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：それくらい自分が全く相手から見えないところから石投げたいという人が多くて。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">一同</span>　：うん。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：それは、あっちから投げてやがるなと思っていれば済む話なんで。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：野田さんがアレを書いた後にどっちがコンタクトを取ったんですか。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：私かな。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：野田さんがアレを書いた後に松永さんと泉さんは、どうやって連絡を取ったんですか。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：書いたあとに?書いた後にはどっちからでしたかね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：それまで普通に連絡のやり取りがあったから。例えば「野田さんから連絡があったんだけど」とか「取材が入ったんだけど」とかね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：私取材拒否はしてないんですけど、取材拒否したことになってますね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：取材の申し込みはしてきてたの？</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：ありましたよ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：２人ともに？</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：メールの内容がものすごく衝撃的だったんですよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：野田さんがネットに書いた時に、こちらから電話かけて「うちの番号はこれだからかけてこい」と留守番電話に入れといた。そしたら、全然かけてこなくて、『FLASH』の締め切りの前日にかけてきて、「確認だけど」ってお前、今頃かけてくんな（笑）</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：私も電話かけたんですけど、出ないんですよね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：元々面識あるんでしたっけ？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：元々河上時代の時に、公安調査庁の名簿が流れたという事件があったんですよね。それが、うちのサイトも踏み台になっていたという。うちの掲示板を利用されていたと。『世界のスパイ組織』というコーナーもあったので。今は別のサイトに譲ってあるけど。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：その時には野田さんはもう公安調査庁を辞めてたんでしたっけ。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：その時にはもう辞めてて、逮捕されてた時期ですよね、ストーカー事件で。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：そうかそうか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：それで出てきましたとか言って、その辺でやり取りがはじまって、その後厄介だったのが、宮崎学の二重スパイ騒動というのがあって、野田さんが宮崎学を敵に認定したんですよ。あの人、敵認定すると粘着するんで。そうすると、「宮崎学と非常に親しかった河上イチローは、敵」となって。宮崎さんが選挙に出ようとしますよね。その時に河上イチローが手伝っているに違いないって。だから「違うから」と言って話し合いに行ったわけ。こうやって目の前でしゃべったりしたんですよ、日比谷公園の喫茶店みたいなところで。そしたらしゃべっている時に、喉がつまったかなんかで、ちょっとつまったことがあった。そしたら彼は、「河上は、ここで言葉を詰まらせた」って。違う！（一同笑）</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：言葉じゃないんだ。本当は息が詰まってたんだ。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そうそうそう。なんかすごーく怪しい書き方して。そのことがあってから、彼としては宮崎の味方みたいな感じで、すごく距離を置いていた。それ以来ずっと接触がなくて、野田さんが『ESPIO』できっこがどうのこうとか言って、参考として私のサイトがひっかかって、その時は「やべぇ。頼むから目つけんといてくれ」と思った。そしたら、次の号で私のプロフィールがどうこう、出してる本がどうこうとか載せ始めてると。野田さんは本まで買ってやがる。ああ、終わった。もう目をつけられたなと。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：それにしても、あれがあってから今までの熱狂ぶりというか、そこまで言わなくてもいいんじゃない？というのがあって、私も自分がターゲットになったのも初めてだったし、オウムを身近に感じたのも初めてだったわけですよ。<br />最初の感覚は、ただブロガーとして好奇心を持って参加するんならいいんじゃない？という風に思っていたのが、一連の流れを見ている中で、いやそうじゃなくて、私の認識があまくて、オウム自体がどうだというのは別のところで、社会の中では今でも大きな問題であって、それぞれみんなの中で解決できていないと感じるようになりました。今日も松永さんの話を聞くと、オウムのことを「鈍くさい」とおっしゃっているし、中はまったりするような感じがするわけですよ。でも、それってネット上で言われていることと、ものすごい温度差がありますよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そう。だからオウム・アーレフは危険であると。泉さんから事前に出してもらった質問の中に「オウムは危険なのか」という言葉があったけど、具体的に何を指して危険と言ってんですかと、そこはすごく疑問があって。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：そうそう。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：私は本当に一般人だと思うんですけど、11年前の頃から一連の流れをぼーっとしか見ていなくて、オウムというと私の中ではこわいというイメージがあるし、だから野田さんから送られてきたメールを見た時にものすごいショックだったわけですよ。「えー松永さんが！」とかたまってしまって、それですぐに返事ができなかったというのもあるし</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：それは、いつ頃メールが来たんですか。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：「FLASH」の締め切りのすぐ前ですよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：3月の3日くらい？</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：それくらいですかね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：それで頭が真っ白になってどこにも連絡しなかった？</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：来ましたということは松永さんに言いましたよ。でも、隠すのもおかしいし取材は受けますけど、別に期待されるようなことは何も話せないですしって</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：野田さんに対してね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：はい、メールで。締め切り前だってことは、最初のメールには書かれてなかったので、急いでいるはと思わなかったんですよね。私も動揺してるし、一晩考えようと思って、次の日寺澤さんから電話で「返事だけしといて」と言われて、寺澤さんから電話があったということは急いでいらっしゃるんだと思って、じゃあメールよりは電話をしようと電話を何回かしたんですが、出なかったんですよ。それでメールで「お会いしたいのはなぜですか？」と単純に好奇心で聞いたら、「会った方がいろいろ話が聞けるかなと思っただけのことですよ」ということで、私が聞いたことが気に入らなかったのもあったのかもしれない。別に取材拒否をしたわけではないんですけど。<br />野田さんからのメールに松永さんの写真が何枚か貼ってあったんですね。「それを見れば、一目見て河上イチローってわかるじゃないか」と別の人から言われたんですよ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：それはウェブの写真？</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：いや、野田さんからのメールの写真で。それは「FLASH」に載っていた写真と同じだったんですけど、あれが松永さんであるということはわかるけれども、写真の出所がわからないから河上イチローかどうかはわからないっていうことを。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：だってそんな名前知らねーよって。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：河上イチローって知らなかった？</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：知らなかったです。その時はじめて聞いたので。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：だって河上イチローを知っているのは、2000年以前にウェブやってるアングラ系覗いてる人じゃないといないんですよ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：そうですよねぇ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：僕、1996年くらいから東芝事件で、2ちゃんねる、あめぞうを見てるけど、それでも知らなかったよ。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：あーあー。そっか。東芝クレーマー事件関係で見てた？</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：そうそう、あの辺はもうずっと見てた。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：じゃあ「ANSOC」とかあの辺の名前はわかる？アッキーの調停に回っていた人なんだけど。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：あーはいはい、あの辺はわかります。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：サイバッチが結構アッキーを追い詰めたとか。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：それも覚えてる。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：サイバッチの一番最初の記事は、私へのインタビュー。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：そこまでは見てなかった。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：それでもね、辿り着くかどうか</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：神話上の人物ですね（一同笑）</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：日本の黎明期の神話だよね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：そうそうそう。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：だって2年前のサイトなんてみんな知らないよね、今ね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：一般的な人たちというのは、オウム＝こわいのではというのがあって、何がこわいかというと、殺人とまでは行かなくても、集団的にまた何か事件を起こすんじゃないかという恐怖感が一般的にあるんじゃないかなと思うんですけど、</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：単純に破防法適用されかけて公安に目をつけられてるからというんでしょうね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：そりゃあまあ、一応危険な団体という認識は。でも、内向きの見え方と外向きの見方はやっぱり違って、松永さんは中にいると、みんなユルユルでだらしないみたいな</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：だらしないというか、社会に撃って出ようなんて気概もない</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：エリート集団だと思ってますからね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：僕なんか当時取材をしてて、上九に行ったりするとこわかったですね。得体の知れない人たちっていう。だから事件の前も含めて。南青山の新東京総本部でしたっけ？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：はいはい。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：あそこの高樹町のところへ行くとね、やっぱり写真撮られたりするんですよ。多分1対1でしゃべる経験が当時本当に数少なくて、そうすると不気味な人たちとマスコミという対立関係でしか会わないから、お互いに気持ち悪い、嫌な人たちという風にしか見えない。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30、泉</span>　：そうでしょうね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：多分今の世の中の人が見ているオウムというのは、そういう風にしか見えないわけで、昔エホバの証人輸血拒否事件というのが80年代にあって、あの時に輸血拒否で子供を殺して気持ち悪いひどい新興宗教だと言われてたんだけど、大泉実成というルポライターが、「説得」というノンフィィションを書いたんです。彼は元々子供の頃エホバの証人の信者で、事件が起きてから、昔はあんな教団じゃなかったのにと思って、もう1回エホバの証人へ信者として入ってみる。そうすると、全然昔と変わらず、やっぱり内側ではみんなすごくまったり仲良くしていて、ひっそりとしたちっちゃなコミュニティを作っている。このギャップは何なんだみたいなことが書いてあったのかな。今おっしゃったのは、それとすごく似てる感じがするんですよね。<br />コミュニティというのは、内向きと外向きで、全然見え方が違う。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：違う。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：ある種、世界観とかで繋がるとかそういう感覚？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：うん。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：っていうのが、日本人ってやっぱり本能的に拒否しちゃうんでしょうね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：集団というのが、地域集団とか会社はいいけど、思想的なことで集まるものに対してすごく拒否感がある。宗教も、なぜひとりでやらないんだみたいなものは必ず出てくる批判。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：もちろん、その拒否感というか抵抗感みたいなものは、単に日本の社会の非常に保守的な側面だという言い方もできないことはないと思うんだけど、もう一つは、僕なりの理解でいくと、社会の経済原理とのすり合わせみたいなものはさ、多分そういうコミュニティは、この社会の中でほとんど解決しないままにいるんだよね。結局今のこの社会とは折り合わないからという理由で、彼らも社会の中に入ろうとするのも止めちゃうし、それを社会の側から見ると、「こいつ、本当に俺たちと縁切ろうと思ってるのか、気持ち悪いヤローだな」みたいな見え方をしちゃうという。多分ね、僕はその辺をどうにかしない限り、自分の頭の中にある世界観がどんなに素晴らしくても、他人に伝える仕組みというか、そういうものを社会の中で実践していくというのは、すごく難しいのかなという気がしていて。僕はたまたまそういう社会があるところに行って、一定期間したらもう止めるという、割り切りの中で出家したので。そりゃ向こうのコミュニティのルールに従ったというのもあるけど、割り切って行ったから、そういう意味では僕はすごいラッキーだったと思うんですけどね。やっぱり日本の中でしかその可能性を探せない人たちは、ある意味ではその壁に絶対どこかで突き当たらざるを得ない。<br />さっきの佐々木さんの質問の続きで、これからどうするのかというのも、経済性の部分に関しては、多分生きていくだけの収入は何とか維持できそうだみたいな話だと思うんですけど、もう一つ、自分の頭の中にある世界観というものと、今の日本の現実の社会との折り合いをどうつけていこうと思っていらっしゃるのかというのがもう一つ聞きたいことなんですけど、そこはどうなんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：例えば、家族というものに対してどうしても馴染めないっていうのかな。家族を一番の価値にする価値観だと何か馴染めないというのが、前からあって、その辺でどうしても話が合わない部分が出てくると思う。ただ、これから基本的にひとりで動いていくという場合は、世界観の違いはあんまりぶつからないんじゃないかな。例えば、誰かの葬式に出ないのかとか、そういうことではないし、それこそ輸血をしないとかそういう教義はないし、そういう意味ではぶつかりづらい部分であると思う。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：恋愛関係とかどうなんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：その辺は、抜けたから戒律的には関係がないというか。出家の間はそれは完全に禁止だけれども。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：家族と切り離すという考え方</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：それは、自分の中では自分の親は亡くなってしまったというのがあるから、どうでもいいと言えばどうでもいいんだけど、家族という単位を最高の価値観として持ってくるかどうかというとそうじゃないっていうのかな。他人同士が集まって、仲良く暮らしてますよというのはあると思うんだけど、家族というものをとにかく至上の価値観として、家族を最優先にしなさいみたいな、それは馴染まないという。それはある。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：これからご自分で家族を作る気はないんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そういう相手がいれば話は別だけどみたいな。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：出てくるかもしれないですよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：ただ、子供がいたとしても、私はあくまでも他人として接するだろうなというのはある。だから、自分が支配を及ぼすだとか、自分の所有物だとか、そういう発想は絶対持ちたくないというか。そういう風に思われるのが嫌だったというのがあるけど。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：それは、親からそういう扱いを受けたってことですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：多かれ少なかれそういう要素が出てきてしまうでしょう？例えば、逆らうと今まで養った分養育費返せとかね。それはそれで逆に冷めてるのかもしれないけど。或いは、「親の言うことが聞けんのか」簡単に言えばそういうセリフが出てくると。「あなたの言っていることが間違っているから、それはやっちゃいけないよ」だったら、単純に受け入れられる話だと思うけれども、「親の言うことを聞けないのか」という言い方はやっぱり親が子供に対して支配するという構造で、どうもそれは馴染めんのね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：要するに、天然な人間関係じゃなくて、もう1回リセットした上での新たな再契約みたいなのは当然アリなわけですよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そうです。だから親と子供であっても1対1の人間として同じ空間で、生計は自分が稼いで来てって、それは有り得ると思う。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：その人間関係って、親子は別にして、人との人間関係をどういう風に築くべきだと思うんですか。ネット？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：いや。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：それは別に関係ない？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：あんまり関係ない部分もある。私、結構リアルで会う人なんですよね。オフとかあったら行くし。そういうところで実際顔をつき合わせてというので行くのもあるし、全然ネットと関係ないところで作っていく関係も当然結構あるし。</p>

<p></p>

<p><a href="http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/__c076.html">⑤へ続く</a></p>

<p align="right">＜文責/泉 あい＞</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>（現・元）オウム信者と社会の関り</dc:subject>

<dc:creator>泉あい</dc:creator>
<dc:date>2006-04-24T16:41:04+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/__7f29.html">
<title>松永英明さんへインタビュー  ③</title>
<link>http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/__7f29.html</link>
<description>R30　：幾つか人生の岐路みたいなところがあったと思うんだけど、まとめサイトみた...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：幾つか人生の岐路みたいなところがあったと思うんだけど、まとめサイトみたいなところにもちょっと書いてあったみたいですけど、一旦脱会しましたと言って、その後で結局戻りますと言った時とか、それなりに名前が売れてきたりとか、チャンスを掴みそうになった瞬間にパっとどっちかと言うと世界観に殉じる方向に自分の身を振られるのは、それはどうしてなのかなって。そっち方が金とかそういうものより大事だというその時々の判断なんですか。それって自分であまり転機だと思っていない？その時割と自然な選択として普通にそういう風にやっていた？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：出家は、かなり大きな転機だと思っていたけれども。だから作家デビューというのよりも今まで思っていた出家願望の方が大きくなったという感じなので。だからすごく悩んでどっちかを取るって感じじゃないんです。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：なるほどね。戻った時もやっぱりそんな感じなんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：戻った時は仕事ですごく行き詰っていたというのもあって、自分は仕事ができないんじゃないかみたいな。取引のあった某出版社は、潰れかけて「執筆料は手形でいいですか」とか言われて、「やべぇ、ここ」みたいな。普通は「何月に振り込みます」で終わるはずが、「手形で･･･」「ちょっと待ってください。もう仕事請けられません」って感じで、逃げたりとか。</p>]]><![CDATA[<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：それは何の本だったんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：ずっとゴーストで書いてたところの出版社だったので。本社ビルは売り払ってるし、「待てよ」って感じで。そういう状況だった2000年にアーレフという新しい形になって、謝罪賠償やりますという路線なんで、これは戻ってまた修行するというのもいいかなと。それまでのゴタゴタとはちょっと違うという感じ。中に入って、当時は上祐さんから「こっち来ないか」みたいな感じのお誘いがあって。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：その時にさっき言ってたような世界宗教にしたいみたいな方向性というのは、もちろん聞いていたの？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そこはね、何と言うのかな。世界宗教的な話というのは、まだそういう段階じゃなかったんですよね。それよりも、教団がいわゆる正悟師がまとまんない、家族もまとまんない対立みたいなごちゃごちゃのところに、上祐さんが出てきたら何とかまとまるだろという期待が教団中にあったという土台があって、で、帰ってきましたと。パシパシと新しい教団を作り始めたという流れのところだったんで。だから、そこはあんまり論点じゃなかったという。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：なるほど。どっちかというと、経済的な問題で、戻った方がちょっとは楽になるんじゃないかって思ったわけね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：経済的な問題というよりは、落ち着いた教団、まとまった教団であれば、そっちでやってみたいかなというのもあったというか。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：それは、世俗の欲を満たすような生き方、他人の欲に付き合って切り売りするという生き方よりは、やっぱりどっちかというとホーリースティックなものを自分の中できちんともう1回求めたいっていう考え方？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：それはある。だから宗教的なところに引っ込むという形になるので。実際には100％引きこもれなくて、いろいろな教団の仕事が出てくるし。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：でも、そこは予期していたんでしょ？そもそも教団は完全に外界との接触を絶って生きられるわけではないので。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：うん、生きられるわけではない。ただ、やっぱり教団の中で出家・在家というのがあって、主に在家の人が働き、出家の人は宗教的な働きをするという構造が、ある意味健全なものとしてあるはず。ところが、実際オウム真理教時代だと、その人数比が1対10なんですよ。これでやっと成り立つ。ところが、アレフになった頃だと1対1．いくつくらい。今はだいたい1対1くらいなんですよ。もしかすると出家の方が多いくらい。そうなるともう経済的に成り立たない。その辺で目論見は崩れているということはありますね。宗教的に専念できるわけでもないし、自分自身も宗教的に専念するというのは、やっぱり性に合わない部分が出てきてって。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：それはどうしてだったんですか。宗教的なことに専念することはできないのに？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：案外ね、最初に出家した時は、修行ってものに憧れたというのがあったんだけど、実際には修行はしてなかったんですよね。それまで、例えば集中セミナー何日間とか、そういうのにも出たことがなくて、せいぜい京都の道場へ行って丸一日何かやってるとかそれくらいだったので、本格的な修行の経験ってあまりなかったんですよ。出家してしばらくしてから、最初は70日、それから1ヶ月半、後は1ヶ月とか、そういう修行をやったりしたけれども、日々の修行をコツコツやるタイプではないということがわかってきて（一同笑）</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：そこでずっと座ってヨーガしてろって言われてもね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：例えば毎日何時間しろって言われてもね、逆に集中修行に入ってしまうと、1週間なり専念するんだけど、毎日何時から何時に修行しなさいというのは、自分にはできないっていうことがわかって。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：なるほど。結局、仕事の方をやってると、後々までそっちが頭に残っちゃうわけですね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そうそう、そっちにはまってしまう人だという。それはそれでいいよという話もあったんだけど、「君はそれが修行だ」とか言われて。集中力つけるとかね。いろいろ話はあるんで。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：っていうのは、最初の3年4年くらいの時に、ある程度もうわかっていたわけですよね。それでまた2000年にというのは、そっちのワークの方が中心だろうなとわかりつつ戻ってという。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：宗教性がほとんど皆無のところから、宗教性が高いところに戻るという印象。それから、例えば原稿を書くにしても、「週刊光源氏」とかね、そういうのを書いてるというのは、完全に世間向けに書いてるわけだけれども、中で書くというと、信徒向けだったり、或いは一般向けであっても教団のものを伝えるという宗教性が高くなるでしょ。そういう意味での宗教性が高いっていう。例えば書くもの全てが、宗教に絡んだものになってくるという。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：知行合一させたかったわけですね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：まあ、そういうところは</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：なるほどね。で、戻ってみたら知行合一も何もなかったという。それは、日々のコツコツができない自分の意志の弱さなのか、実質的にもう教団がそういうことをサマナに対してやらせてあげられる余裕はなかったのか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：あのね、そこは松永名義で仕事をはじめたところに絡んでくるんですけど、それまでは言ってみりゃ上祐派の拡大路線で、新しい教義とか楽しいことをいろいろはじめようと。例えば、青森の方に行って、古代縄文文明は実はクンダリーニヨーガ文明であったとかね、なんかそういう話を掘り起こしに十和田湖に行ったりとか、諏訪に行ったりとか。そういういろいろな路線に走りつつあった。ところが、あまりにも行ってしまって、ちょっとこれはまずいんじゃないか。もうこれは元の教義と全然違う。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：そうだよね。僕も上祐サイトを全部一通りコンテンツ見て、映像も音楽も全部聴いたけど、これは多分麻原彰晃が言ってたこととは、全く違うなと感じた。面白いし一般向きなんだけど、違うよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：違うんだけど、あの人は実は麻原さんになりたいんです。グルになりたいという願望が一番強い。だから、教団が危険かどうかという話があったけど、あの人は危険だと思います。一言で言うと。完全に新しい教義になってもあの人がグルなら。そこでサリン撒けとかそういうことは言わないと思う。だけど、自分が指導者になりたいという願望が強い人なんで。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木　</span>：反上祐に転じた理由というのは、その辺なんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：うんそこ。そういうところ。教義的に完全に新しいものを作ろうとしている。もうちょっとセンスがあればよかったんだけど、80年代『ムー』のノリ。今は違うでしょってね。そういうのもあったし。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：そこら辺はちょっと、僕はよくわかんないけど（笑）</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：それが楽しいのは我々の年代で、今は癒しとかそういう時代でしょう？ヒーリングとかね。英国式リフレクソロジーでびっくりしたのは、「ムーコース」「アトランティスコース」「レムリアコース」というのがあって、これやばいだろうと思ったんだけど。（笑）<br />むしろ、今はあっちの方向にニューエイジは流れてる。あとはフォンベルトに流れているという路線で、アセンションとか耳障りのいい言葉を言ってあげないとだめで、そういう戦略的な問題は別にして、ポイントはあの人がグルになろうとしている。で、私はあの人をグルにはできないと思っている。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：どうしてですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：兄弟子であっても、あの人を師匠にはできない。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：それはどういう違いがあるんですか。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：でも、2003年まで更新されていたあのサイトを見ると、そこら辺は結構努力して達成できるかのように見えているという部分はありますけどね。そこら辺は相当意識して加工してるんじゃないですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：はいはい。実は、『覚醒新世紀』という本の中で、体験談を書き直してるんですよ。最初『進化』という内部向けの機関誌に載っていたのは、「ひとり成就者が出ました」という話で、それはいろいろなことを経て成就しましたという話だったのが、本になった時あの人が書き直すのを私、目の前で見ていたんですけど、折に触れて上祐さんが係わることによって成就したという風に全部書き直されてた。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">一同　</span>：ふーん</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span> ：つまり、あの人が成就させたという話になっていて、自分がグルであると。あともう一つは『生死を超える』という初期のいわゆる麻原著の代表作の中の一つが、完全に盗作で載った。ちょこっと書き直すだけで、自分の本ですって感じで出た。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span> ：タイトルも変えて？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span> ：タイトルというか、一部分にそれが入っていた。しかも私の体験であるみたいな感じになってて。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：それって内向きの？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：それは一般向けの、東山出版から出た世紀の悪書と社長だった私が言ってるんですけど。（一同笑）全冊回収したいんですが。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：権限ないんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：流石に全冊回収ってことになると大変。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：教団で作っていた本ってほとんど松永さんが係わってるんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：それは時期によりますよね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：いた時は？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：いた時は、でも部署が全然違う時もあったし、翻訳にいた時もあるし。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：ゴーストなんかもやってたんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：ゴーストなんかはやらせてもらえないです。説法に関しては、テープ起こしを厳密にやって、ほとんど直さない。語尾なんかもそのままということで、あんな読みにくい説法になっていたという形だし。編集部が書きましたという文章のところは、結構いじったりとかはありますけどね。だから『日出づる国、災い近し』とか最後の『亡国日本の悲しみ』とか、あの辺で麻原彰晃が語ってますというところの以外のところで、編集部編の中で書いているものはあります。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：今、インターネット上でアーレフであるということを隠してサイトを作ったり、掲示板に書き込みをするということは考えられますか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：それはやろうと思えばできますけど。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：やってる可能性は？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：今ね、それを作れる人材はほとんどいない。完全に100％商売用でやっている人はいるけど、それ以外で更新しているサイトとていうのは、占いサイトっていうのが1個あるぐらいだからね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：商売用というのもアーレフということを隠しているわけですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：それは、いちいちバラさないって言うか。あとは完全に隠してないパソコンショップがあると思うんですけど、あとは個人の、それこそ個人商店をそれぞれがやっててというのはあると思いますよ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：それは商用目的で、教義を広めたいということではなくて？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：ではなく。うん。うちのサイトもそういう形だと。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：うちのサイトってどのサイトですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：だから松永のサイトってそうだったわけで、ライターとしての松永っていうのを売り出すというのはあったけど。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：でもそれはみんなオウムの教義を広めるためだとか言ってる人がいるわけじゃないですか。それをどう</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：それは読めと。（一同笑）<br />なんかね、全記事を読むとか言ってやりかけている人がいたんだけど、途中でくじけてて、「くじけるなよ」と。あれ誰だっけ、「それができるのは本人しかいないのが問題だ」って、あれ誰だっけなぁ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：話戻すと、上祐さんが危険だっておっしゃいましたけど、彼が危険だっていう理由は何なんですか。個人の頭の中で世界観とかって言ってる分には何考えたって自由ですけど、それが表に行動として表れる時に、どこまで社会に受け入れられる形になるのかというところが、宗教の大きなポイントだと思っているのね。上祐さんの出方というのは、内部的には全部麻原の盗作だろうとか、いろいろ異論はあるとは思うんだけど、ある程度は世の中の価値観と融和しようという意志を見せていたと思うんですが。それがどうして危険なんですかね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：それは、教義に関して危険だということはないと思っている。問題は、あの人のグルになりたい体質というか、そこがややこしいことになりそうだなと思う。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：危険という言葉は、正に僕ら、一般人にとってどう危険なの？という意味で聞いてるんです。それはなぜ危険なんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：要はね、上祐さんというのは、グル、霊的指導者になりたい人であるというのがある。それからもう一つは、拡大欲求があって、<a href="http://aum-aleph.g.hatena.ne.jp/" target="_blank">これはうちのサイトの上祐さんのところ</a>で最初に書こうと思っていた話なんだけど、東山出版を作る時に人が集められた。一通り出版社を作って本を出していきましょうという話になって、それが決まった後の雑談の時に、「2015年ぐらいに私が首相になったらみんな何やるかな」ということを上祐さんが言い出したんです。なんかそういうところを狙いたい人というか、権力欲求がものすごく強いという。君は、例えば文部大臣で、こっちは財務大臣で、とかね。「荒木は官房長官か、いや次の首相を狙っているだろ」ということを言い出して、荒木さんは何のことかとキョトンとしてたんだけど。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：それは真面目に言ってるの？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：「2015年に首相」みたいなのは、青写真としてあの当時2001年くらいは少なくともあった。その後みんなの裏切りに合い、教団もボロボロになりで、年表は狂いつつあるとは思うんですけど。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：麻原彰晃だって権力欲は当然あったわけでしょう？上祐・麻原の違いは？</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：私もそう思います。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：彼はあの事件から何を反省したんだろうね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：わかんない。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：その話を聞くとやっぱり「は？」って感じになりますよね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：1回踏まえたのにということが大きな違いですか？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：というか、麻原彰晃が狙っていたのは、少なくとも日本の権力なんか眼中にないという。つまり世界の宗教的法王というのはあったかもしれないけども、或いはどこか別のところに独立国を。シベリア辺りでも独立国を1個切り取って、そこの王様みたいなことはあったかもしれないけど、日本みたいなちゃちなものを取ろうとは。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：じゃあ、なぜ選挙</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：だから選挙で落ちたからっていうのはあると思うけど、政治的に力を持ってというのは、やりかけて最初でコケたっていうかね。もしかそこで通ってたりなんかすると、もっと穏健に進んでいた可能性が逆にあるかもしれない。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：上祐さんと麻原さんの違いはそこだけですか。政治的な権力を求めるかどうかという。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：政治的なという、何というかな･･･････うん、とにかく力を求める、数を求めるという。だから、あの人の想定というのは、サマナは働かず宗教的なことだけをやり、信徒に恩恵を与えると。で、信徒を拡大することによって収入を安定させるという発想なのね。となると、簡単に言うと信徒数を10倍に増やさないといけない。ところが今のこの状況の中でそれは有り得ないだろう。そうなるとそこでかなりの無理が生じる。そこで、教団内部に対しては、麻原さんへの信仰を捨てるわけではありませんと。信仰対象をちょっと変えて、外から変えたように見えるようにするだけなんですということを言っていて、外に対しては、麻原信仰捨てます、写真捨てます、ビデオ見ませんと、そういうことを言って、どうしたって欺瞞性が出てくるわけですよ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：どっちが本当なの？って話になりますよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そうそうそうそうそう、うん。完全に捨てるなら捨てるで行きゃあいいものを、どうもこだわっていて、俺は代表なんだというところにすごくしがみついているとか、教団内で力を持ちたいと。代表派は教団を抜けて行った方がよっぽど拡大しやすいだろうに、なぜかあの人の矛盾してるところなんだけど。出て行った時に、どうしても歪みが出てくるので、じゃあ「上祐のヨーガ教室です」と言って堂々とやれるのかと言ったらやれなくて、いわゆるダミーの教室でとか、ダミーサークルとかそういう路線に行ってしまうと。実際ダミーをやっているのは上祐派の人たちばかりで、どうしても欺瞞性を持ったまま発展させようとする。権力欲もあり、自分はグルだと認められたいという人が動く時に、非常に大きな歪みが出てくるんじゃないかと。例えば「俺はサリンを作る」とか、そういうことじゃないとは思ってはいるんだけども。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：そこに宗教心はあるんですか。（一同やや笑）</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：それ根源的なところですね、考えてみれば。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：最近、妙に神懸っているのであるんじゃないですか。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：でも世界観という点では、やっぱり麻原さんが捉えたもの以上の世界観は彼から出てこないんでしょ。それでも麻原捨てると言うと、結局それまで「麻原の」と書いてあったところを全部、</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そうそうそう「私の」と書くしか</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：そう、書き直すしかないよね、彼の立場からすると。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そう、それで実際やった。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：でも、それは嘘ってバレバレなわけでしょう？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：見る人が見ればね。ああ、懐かしい文章やなってそういうことになりますよね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：新しく入った人はわかんない？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：まあ、言われなければわからない。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：じゃあ逆に言うと、反上祐派の人たちというのは、それ以上のこと、新しい世界観を作るとかやってるんですか。っていうかそれ（本を書き直す）以外に何ができるんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：何もできないので、コツコツとバイトしに行きましょうと、そういう話なわけ。だから、サマナがサマナらしく生きていけないという。でもとりあえず心の中で思って、広げると言ってもこの世の中の今の状況じゃ無理よねと、ある意味諦めている人たちが大半で、だから細々とバイトしたりとか。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：それはほとんど大乗仏教か小乗仏教みたいなもので、</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：あ、そうそうそうそうそう、正にね。だから一時期、代表派というのは、大乗派と名乗っていたことがある。（一同笑）</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：自称ですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：大乗と小乗で、自分たちのことしか考えてない。愛のない人たちだとか言って、主流派を、大多数のサマナを批判してしまった。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：例えば、宗教心とは別のところで賠償責任を負うために教団に残っているんですという人達はいないんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そういう頭の人たちは、別の基金があるから、出て勝手にそちらで払えばいい。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：個人的にやってるんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：うん。私も外の基金の方にちょこちょこっと払っている。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：結局上祐さんは、教団を最終的にはぶっ壊すために今いるという感じなんだなぁ。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：教団を全部支配できなかったので、出ざるを得なくなった。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：そこで次の中心になる人というのは、全く見えない？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：ない。全く何もまとまっていませんという、烏合の衆。ただ、それでも何となくまとまると言えばまとまるし。夢も希望もないけどね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：外界から見れば、少なくとも「アーレフ」という固まりとしては見えますからね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：夢も希望もないんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：だってね、例えば烏山だと目の前に警察官が24時間、それから朝9時から夜6時までは公安調査官が立ってるわけですよ。更に区からは、一応地元の住人ということで、監視する人が2人ずつくらい毎日朝来て夕方帰ると。もう完全に見られっぱなしの生活。出掛ける時と帰ってくる時は、時間のチェックを受けてる。</p>

<p>佐々木　：もう1回教団へ戻ろうという気持ちはないんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：今から？</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：今からというか将来</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：将来？</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：うん。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：戻ってもねぇ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：教団の状況が変われば、可能性としては否定しない？というか変わると思ってない。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：変わると思ってないと言うよりは、今からもう潰れるしかないと思ってるんで。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：でもさ、2001年に戻ってしばらくは何とかなるように思っていたわけですよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：うん。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：もうこりゃだめだなって気がついたのが2003年位からなんですか。20004年とか？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　： 2003年の夏から経済的にやばいということで、結構な人が「働きに行ってください。中のことはしなくていいから」とか「中のことをしつつ」とか、そういう感じで言われて、私も仕事を探し始めて。だいたいの人がアルバイトとかを探しに行くんだけど、私の場合は文章書く方がよっぽど儲かるというか、他をようやらんというか。別に店員くらいやるけれども。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：さっきおっしゃっていた宗教心や世界観みたいなものと、今現実としてやりたいこととのバランスは今どうなんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：松永名義ではじめて、ブログブームに乗っかってしまって、気がついたら仕事が軌道に乗ってる。気がついたら、内側の修行なんて全然やってない。もう1年半、2年とかそういう感じで、全然やってないという状況で、結局自分のやりたいことは何だろうって思ったら、もう外のことしかなかった。気がついたら、アレフのマンションの屋根の下に寝に帰るだけだった。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：宗教心そのものが消滅しているわけではないんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：だから宗教心はいきなり消えるもんじゃないというところだし。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：それはどうするんですか。自分が抱えている世界観、宗教心というのがあって、どこかへそれを大事に持っていかなきゃいけないというのは当然ありますよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：ほっといて残ってる部分が、自分としてはそんなもんなのかな、と。改めて強めようとか、無理に消そうというつもりはない。例えば瞑想だとかも全然やってないし。ヨーガなんてのは、例えばマッサージの後にストレッチを教わったら、ヨーガでずっとやっていたあのポーズでイケるみたいな。そういうのがあったりするので、それくらいはやったりするけれども。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：宗教的コミュニティを求める心ってのはないんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：今はないです。自分でというのは。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：麻原さんが唱えていた世界観みたいなものって、自分の中にまだ残っている部分とはどんなところなんですか。或いは、捨てちゃった部分、結局もう自分には合わないなという部分は、どの辺なんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：あのね、大きく分けると、原始仏教的な部分チベット密教的な部分、それから技法的にヨーガと仙道というか気功法というか、それがあって、あとはおまけとして教義的なつまり世界の宗教を包含してますよという証明の意味で、儒教だとかあとはキリスト教の部分があった。でもキリスト教の修行を直接的に取り入れているわけじゃないし。あとはエジプトとかの要素が入ってくるけど、主流で言うと、原始仏教とチベット密教。ヒンズー教的な要素もチベット密教的な部分に入ってくるから、それも含めて密教だとすると、私は元々密教の知識は全然なかったんです。ミラレーパだとかマルパとかナーローパとか名前も知らなかった。その部分に関しては、私は教団の中にいる時から、あまり熱心にやってないと言うのかな。教団の中にはいろんなタイプの人がいるんですよ。行法ばかりやっている人とか、密教の瞑想が大好きで仕方がない人とか、或いは気功法がとにかく好きとか、いろいろなタイプがあって、私はいわゆる南伝仏教的なというか、原始仏教的なというところに興味がある。元々そうだったし。実践的なヨーガとか気功法なんかは、ある程度覚えられたらいいなというのがあったから、身につけたというのがあるんだけど。そうすると、いわゆる密教的な部分というのは、自分の中に根付いてないし、じゃあ今やるかと言っても、「捨てろ」と言われりゃ捨てれる部分というのかな。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：じゃあ今残っている部分は何なんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：今残っているのは、原始仏教的な部分は元からの興味としてあって、それを再編した世界観は、オウムで教わったものがあるけれども、それは残っている部分がある。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：自分が元々勉強していて知っていた部分もあるわけですよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そうそうそう、かなりね。それが整理された形の、整理の仕方というものは、つまり仏教の世界観を元にして、今言った六道の構造と色界・無色界というのがあって、涅槃ニルヴァーナがある、と。ここに全てのものを当てはめられるんだよ、と。梵天の世界というのが、例えばキリスト教の神の創造神に当たる、とか。そうするともっと明確になるけど。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：今の日本の仏教に継承されていれば、それでよかったという</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：ところが、されてないから問題だったというのが、アーカイブの残っている部分に書いてある通りで、つまり高校は、真言宗のお寺の大僧正がやっている学校に通っていて、週に1回くらい大僧正がやって来て授業やるとか、毎朝般若心経唱えていた。「これのどこが仏教やねん」みたいな。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：アレ読んで笑った。激しく笑った。でもまぁ、そんなもんだよね、日本ってね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そうそうそう、「『徳・健・財』って、財ってなんやねん、財って」みたいな。そういう世界で、「財はおまけで手に入るよ」だったらいいんだけど、それが目的だとか言い出して、おかしくなってる。</p>

<p></p>

<p><a href="http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/__5171.html">④へ続く</a></p>

<p align="right">＜文責/泉 あい＞</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>（現・元）オウム信者と社会の関り</dc:subject>

<dc:creator>泉あい</dc:creator>
<dc:date>2006-04-24T16:24:40+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/__2e57.html">
<title>松永英明さんへインタビュー  ②</title>
<link>http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/__2e57.html</link>
<description>泉　：私、松永さんの書いたものより先に、いろんな人の手記を読んだんですよ。そした...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：私、松永さんの書いたものより先に、いろんな人の手記を読んだんですよ。そしたら、共通点があって、元々依頼心が強くて、思考を止めて何となく入ってしまったとか、行ってみたら信者さんがみんな優しかったのもあって、説得に応じて入ったとか、そういう人の手記が多かったんですね。でもさっき、そういう人の方が逆に少ないっておっしゃってましたよね？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：自分の心の中で依頼心だとかいうものはあるかもしれない。例えば、マインドコントロールという言葉が使えるイメージの土台にあるのは多分、今までになかった考え方を徹底的に叩き込まれるというイメージだろうと思っていて、でもそういうものでもないんじゃないかっていうね。</p>]]><![CDATA[<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：そういう人が大半だと思ってたんですよ。で、先に手記を読んだので、「やっぱりそうなのか」って感じだったんですよね。その後で松永さんが書いていらっしゃる「半跏思惟」で、子供の頃からの思想を読んで、すごく納得するわけですよ。松永さんは奈良ご出身ということで回りにお寺が多いという環境もあって、仏教にだんだん関心を持っていったという思考は辻褄が合っていて納得する。ただ、私も同じように人として生まれてきて、通っていた幼稚園がお宮という環境はあったけど、全く宗教観を持っていない。自分と比べると松永さんの中に世界観があるっていうのを感じるんですよ。自分には全く持っていないものだと思う。<br />オウムを脱会した人が書いた手記と松永さんの世界観というのが、全く結びついていかないんですよ。だから、脱会した人のほとんどがマインドコントロールされていて、家族に説得されて気持ちも離れていったっていうのが手記の中にはあるんですけど、松永さんのおっしゃっていることっていうのは理にかなっているというか、何と言えばいいんですかね･･･</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：だからマイントコントロールされていたと主張したい脱会者と。私はマインドコントロールされてもないし、それから解けるなんてこともないよ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：逆洗脳みたいなのもあるからねぇ。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そう。だから、じゃあオウムで洗脳されていたのか、或いはマインドコントロールされていたのかという話になってくるので、そうすると、ひとつのある考え方を一生懸命勉強しましたとか、或いはいわゆる決意という「修行するぞ」というのを唱えてましたというのが、マインドコントロールだっていうんだったら、</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：大学でマルクスを勉強するのもマインドコントロールですよね、と（笑）</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そういうことです。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：そうですね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：しかも自分の場合は、新しく学んだことと言うよりは、枠組みなんかは与えられた情報というのもあるけれども、元々持ってた土台をパシパシと整理していったという。オウムに入るところは、エッセイにはあまり書いてないけれども、大学でずっと神話伝説研究会やって、もう頭の中がごっちゃごちゃになるわけですよ。あちこち行ったけど、オウムでそれがパシーっとはまるわけですよ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：矛盾を感じることはなかったんですか。修行をしている間とか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：矛盾というのは？</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：教えに対してもそうだし、いろいろとあると思うんですよね。修行する方法であったりとか。教団としての回りの人の行動とか。教団の中にいて、こういうところがおかしいんじゃないかという矛盾はないんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：教義的にわかんないところがあったら、徹底的に聞きまくれとかいう感じだったし、修行に関しては、とりあえずやってみて体験するしかないと。ある段階まで、そういう体験が起こるまでやらない方が悪いという感じだし。だからそこで矛盾というよりは、実際教団のいろんな人たちが絡んでやっていて、自分含めて何か鈍くさいなっていうのは今に至るまではずっと。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：今、話を聞いていて、松永さんがオウムの教義を聞いて今まで自分の考えていたものが全てきれいに整理されたというのと、だから修行しなきゃいけないというところがどうしてつながるのか。僕にはそれが分からない。どうして世界観が出家、修行というアクションに直結したんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：一つは知識的な問題で、それはずっと言っていたんですけど、大学の4年の頃に就職活動も何もせず、夏頃かな、なんだか急に出家願望みたいなものが出来て、どこか修行できるような場所はないのかなと、鞍馬山に行ってみたりとか、いろいろ。そこで誰に話を聞いていいかわからなくて山を下りて来たんですけど、もしかしたら鞍馬山の坊主になっていたかもしれない。そういう実践するものに興味があったというのは一つ。それは今言ってなかったけど。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：要するに自分の世界観を頭の中にだけ留めておけなくて、それを何らかの形に知行合一させたいというのが、欲しいしあるべきだと思ったのね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そう。それは今すぐじゃなくても、定年後かもしれないけどと言いながら、なんですぐに鞍馬山へ行くのか自分でもわかんないけど、思い立ったら即行ってた。どういうことをやるんだろうと。そういうある意味宗教的な生き方に非常に興味もあった。ただ実際にはヨーガとか具体的にどういう方法論かというのは自分としては別で、オウムの場合、ヨーガはハタヨーガから入っていろんな技法があって瞑想があってとか、いろいろあるんだけれども、その辺についてはあまり知識はなかった。ヨーガなんて体かたいしなって思ってて、今はかなりやわらかくなったけど。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：仏教って、元々釈迦が唱えたインドの仏教というのは、僧は木の上で暮らせと。身には必要なものしか纏うなというようなことを言ったというのは、逆に言うと、その生き方を支える社会があの地域にあったからなんですよね。要は木の上に座って、着の身着のままで暮らしている人間に対して、一定の施しをするというそれ以前のヒンズー教の喜捨の考え方があの社会にあって、そのコミュニティに頼りながら、自分たちの考えをもっと深めていけるライフスタイルが、たまたま紀元前何世紀のインドで可能だったから、仏教も可能だったと思うんですよ。松永さんが原始仏教に憧れる気持ちはものすごくよくわかるんですけど、現代日本という社会の状況からして、あの通りにやりたいと言っても実現は難しいよね、というのは考えなかったんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：それをある意味現代的にやろうとしたのがオウムだったという。例えば托鉢をして食っていけるかというと、今の社会でそれは無理だと。午前中だけ食えと言ってもそれは無理だと。そこは信徒からの布施という形、或いは出家する時に今持っている物全部を教団に対して出すことによって、出家という形態を維持する。釈迦の時代は、出家すると言って財産をすするというのは、社会に対してやってたんだみたいな批判はあったわけだけれども、それは修行したい人が修行するためには、そういう形を取らざるを得ないということはあっただろう。それが強制でなければ、例えば私なんか全財産と言ってもほとんどなくて、乗ってたバイクとあと1万円もなかったんじゃないかなぁ。それ出して全てだったという形になってますよね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：でもその一方で、出家する仕組みというのが、オウムだけじゃなくて今までいろんな宗教で、社会と軋轢を起こしてきたという部分があるわけじゃないですか。それって折り合えないんですかね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：逆にね、そういう出家の生活の仕方というか、教団形態っていうのが、日本の社会の中で、ある意味反発を買うんだと。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：ある意味というか、完全に反発を食らいますよね、それはね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：っていうところは全然考えなかった？そこの折り合いをつけるかというのは、しょうがないっていうのもあるけれど、ある程度反発するヤツがいるとは考えなかった？いても関係ないやって感じだった？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：だから、宗教的な生き方というか、ある意味社会から外れるという生き方になることはわかってたんで、波野村の問題だとか、私は行ったことがないので実感としてはないけれども、いろいろと反発は食らってる。親子の問題がいろいろと報道されていると認識はしているけれども、自分としては価値観的に、少なくとも家族という枠組みはぶっ壊してという。少なくとも、日本社会みんな壊せって意味じゃなくて、自分のところではそれを壊してしまってというのは、全然違和感がなかったというか、むしろ壊したかったというか。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：脱社会というか反社会というか、そうしたことは是認せざるを得ないということですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：それはもう最初から説法の中にも出てくる言葉で、反社会というのが、社会に対して攻撃を加えるとかそういう意味ではないけれども、相容れないということは、認識の上で在る。なぜならば、簡単に言うと、仏教的なというかオウム的なというか、共通するところだと思うんですけど、生き方の根本が、煩悩を弱める生き方なんですよね。煩悩というか欲望を抑えるっていう。それによって得られない苦しみを減らすという発想なんだけれども、世の中はいかに欲望を満たしてあげるかということで成り立っている。これだけでもう相容れないわけです。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：でも、それは社会生活を営む人間として考えると、かなり茨な道なわけであって、それが結局今のこの様な事態になっているような気も若干はするんですけど、じゃあそれはもう覚悟の上っていうこと？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：だからその当時は、教団がこんなことになるとは思っていないんで。だからそのまま拡大しなくとも、そのまま維持できれば、とりあえず信徒さんに宗教的なサービスを提供し、それでお布施で生活していくという、これはこれで社会が成り立っているという感じになってくるんですけど、それが維持されれば、別に問題はなかったはずなんです。<br />ところが、事件があって、社会に牙を向くような感じに受け取られているという。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：別の宗教団体でパナウェーブってあったじゃないですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：ああ、はいはい。白装束の？</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：アレすごく気持ち悪いと思ったんですけど、映像に対して。松永さんは気持ち悪いと思いますか？（一同笑）</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：あの人たちが何考えているのかは、私にはわからない。（一同笑）</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：いや、だから多分松永さんは教団の中にいるから、オウムがどう見られているかの認識できてないんじゃないかと。多分、一般の人が見るオウムと一般の人が見るパナウェーブって、実はあんまり変わらないんじゃないかなっていう。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：いや多分そうだろうなというのがあって、確かに昔みんな白い服着てやってた頃だと、そういう印象も強いだろうと。お互い白い服だし。色がついてる人もいたけど。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：河上イチロー名義で仕事をされていてたのは何年だった？97、8年くらいでしたっけ？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：河上サイトは96年の6月1日から破防法反対のサイトではじまった。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：そうですよね。秀逸な文章力と視点で、すごい文章書く人がいるもんだなと、本を2冊買いまして、1冊はどこかに行っちゃって1冊は未だに手元にあるんですけど。後から実はオウムのサマナだとカミングアウトされて、「ああ、そうだったのか」とびっくりしたんですけどね。<br />今の仕事でもいいんですけど、河上イチローの時は、まだ完全なサマナだったわけでしょう？あの仕事の質と傾向というか意志みたいなものって、オウム真理教というものの何か影響みたいなものってあったんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：あのサイトはもうほとんど自分の趣味と言うか、あとは掲示板に集まった情報が、妙に濃かったんですよね、軍事情報とか。で、それをまとめて載せてあげるとすごく喜ばれて、アクセスが増えてくる。それが面白かったので、いろいろと続いていったと。あとはミーハーでやってるとか、いろいろありますけど。日記で思うことをバっと書いたりとか。<br />あれも結局は自分の趣味でやってて、アレフになって完全に教団に戻ったという時に、「お前のやってることって宗教的じゃないよな」と言われて、それで止めにしようと思ったら、ネット上で「こいつサマナだー」と騒ぐ人がいたという形で。もうちょっと静かに消えようかと思ったのに、ざっと消さなければいけなくなった。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：そうすると、破防法反対から始まる一連の河上イチローという存在は、松永さんの頭脳の中で、オウム真理教信者とは全く切り離した中にあるということですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：ただ、やってるのが破防法反対、或いは盗聴法反対というので、そこは情報戦的なところはありましたね、確かに。世論が100％破防法賛成みたいな流れの中だったので、破防法ってものがかけられたらえらいことになるというか、日本自体がそういうものを使ったということになってしまうので、そういう焦りがあったりとか。だからあの時は、結構いわゆる左翼的な発想を身に着けて動いたというのがあるんですよ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：元々左翼じゃないんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：左翼というか、私右にも左にもなれないです。というのは、父方のじいさんはシベリアに抑留されて、「ソ連だけは許さん」と。母方のじいさんは新劇やってまして、終戦の時は共産党員ってことで特高に牢屋にぶち込まれていたんですね。「演劇はロシアだ」と言ってて、その間で育つとどっちも偏れない。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：濃いですよね、松永さんの幼少時代って割と。エッセイを読んで「濃いな、松永さんの人生」と思ったんですけど。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：河上イチロー的なある種新左翼的な発想というのは、あれは手段としてなんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：新左翼なのかどうかよくわからないけど、なんか「何たら反対」みたいなパターンだったら、こうやるんだろうなみたいな感じで、見様見真似でやったという。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：戦術的にやったという。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：ええ。よくわからなくて、早稲田の教会で、教会の人も参加している破防法の反対集会があるというので行ってみたら、そこに中核派がいて、みたいな。そこでどうも革マル派に狙われたみたいで、恨まれたというか。それで河上イチローはCIAの手先で、酒鬼薔薇事件の真犯人でとか革マル派の機関誌に書かれたという。不思議な展開になってしまった。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：中核派の人たちと話しました？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：中核派の人たちとは、集会の会場とかで、話はしてるわけですよ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：親和性感じました？ </p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：いや、目的が一緒だから一緒にいるなというそれくらいの感じですよ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：同じコミュニティには属してないけれども、</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：それはありましたね、それこそ言葉遣いも違うし。あれはあれで一つの宗教だと思ってるんですよ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：『ヴァジラヤーナ・サッチャ』って雑誌、作っていらっしゃったんですよね？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：作ってたというか、ライターとして書いてた。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：1号当たりどれくらいの分量を書いてたんですか。かなり？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：例えば特集なんかでも分担して書くわけですけど。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：何人ぐらいで書いてたんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：4、5人いましたけどね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：編集はまた別なんでしょ？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：編集長は別です。よく怒られてました。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木　</span>：よくできた、結構いい雑誌だったんですよ。作りとかデザインがちゃんとしてたし。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：デザインはデザインでね</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：あれは外注してたんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：いや、全部中です。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：ぱっと見、そこら辺で売られている雑誌とあまり変わらない。宗教団体の雑誌ってだいたいひっでぇデザインで非常に素人くさいんだけれども、全然そうじゃなくて</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：幸福の科学は結構やりますけどね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：ああ、そうですね。一体どこの誰が作ってるんだろうって、当時から不思議に思ってたんですけど。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：自給自足がオウムのモットーみたいなところがあって、市販品を買って来ずにそれを真似して作れみたいな世界なんですよ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：小説の連載とかってあったじゃないですか。あれは誰が</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：あれは私です。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：あ、やっぱそうだったんだ。アメリカ軍がヘリコプターで毒撒きに来るみたいな話が出てくるでしょ。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：うん、あの時はオウムが毒ガス攻撃を受けているというのが教団内の常識であって、それをアピールする必要があったっていうか。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：それまでにも文章はいっぱい書いてたんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：元々は、作家になりたかったんですよね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：それは学生時代から？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：ちっちゃい頃から。本ばっかり読んでたんで、本を読んでたら書きたくなると。大学の頃はほとんど書けなかったんですけど、たまたまスカウトに来た某社のノベルズの担当の人がいて、その人に、1、2年くらい原稿を書いて送っては添削してもらうってことをやってたんですよね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：それは出たんですか。本になったんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：いや、全然。「じゃあそろそろ本にしようか」という時に出家したんです。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：じゃ、そこで出家しなければ、今頃ミステリー作家になっていたかも。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：ミステリーというか、ファンタジー系の作家というか。時代ものかなんか、そんなのを書いてたりして。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：もったいないと思いませんでした？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：だからそこで私が書こうとしたのは、ファンタジー系というか、魔法が出てきたりとかいろいろする。それかその世界観が、オウムで知った整合性のある世界観と食い違う可能性がある。そうなると書けないや、と。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：そのファンタジー小説は、何をベースにしたどこの国の神話というか</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：真田十勇士がね、アーサー王の円卓の騎士だという設定なんですよ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：意味がよくわかんない（笑）</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：要は、アーサー王の物語ありますよね。それを日本でやってしまおうと。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：ふーん、すごい･･･ハハハ強烈だ</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そう、エクスカリバーは実は、武田が持っていたとかね。それを受け継いだ真田幸村が、みたいな。それで、信貴山の飛ぶ鉢が聖杯で、槍は毘沙門天の槍、これは上杉のところに･･･</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：っていうかそれって、結構話題作になったような気がするな。ハハハ</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：ただ10冊くらいになりそうな勢いだったのと、今から思うとまだ描写力足りなかったなという。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：もう1回書けばいいじゃないですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：それはネタ的に面白いかな。</p>

<p></p>

<p><a href="http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/__7f29.html">③へ続く</a></p>

<p></p>

<p align="right">＜文責/泉 あい＞</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>（現・元）オウム信者と社会の関り</dc:subject>

<dc:creator>泉あい</dc:creator>
<dc:date>2006-04-24T16:06:13+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/__b8d1.html">
<title>松永英明さんへインタビュー ①</title>
<link>http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/__b8d1.html</link>
<description>4月14日金曜日午後、都内某所で、元オウム信者であったとカミングアウトされた、ブ...</description>
<content:encoded><![CDATA[<p>4月14日金曜日午後、都内某所で、元オウム信者であったとカミングアウトされた、ブログ「絵文禄ことのは」の松永英明さんへ４時間に及ぶインタビューを行いました。インタビュアーは、私と、佐々木俊尚さん、R30さん、の３人です。<br />佐々木俊尚さんとR30さんに同行をお願いした理由は、私がある意味当事者となっている内容ですので、一人でインタビューしたのでは公平さに欠けることと、オウム真理教・アーレフを取材するには私に力量が足りないと判断したからです。<br />現場の雰囲気をできるだけそのままで伝えるため時系列を変えずに掲載しておりますので、内容が飛んだり、前後したりしておりますが、ご了承ください。</p>]]><![CDATA[<p>松永さんのインタビュー中に度々感じたのは、「ギャップ」でした。<br />私の中のイメージのオウム信者と目の前にいる元信者のギャップ。<br />宗教観を持っている人と持っていない人のギャップ。<br />オウム真理教またはアーレフという教団を内から見た時と外から見た時のギャップ。</p>

<p>批判されている原因の一つは、オウム真理教が起こした一連の事件について信者たちは本当に反省しているのかという点だと思いますが、一般の人が抱くその様な感情と松永さんの意識には大きなギャップがあると感じました。<br />松永さんの中には、私が理解しがたい世界観（宗教観）があって、オウムへ入信したのも、その世界観とオウムの教義がピッタリとはまったからという理由からだそうです。当然、入信した当時、教団が一連の事件を起こすなんてことは予期できなかったことで、今でも、自分とは全く別のところで行われていたことだと言います。<br />松永さんの中で、事件と信仰の折り合いがついていないことは、衝撃的と言っていいと思います。これが、事件直後であるならまだ理解できるのですが、既に地下鉄サリン事件からでさえ11年経っているのですから。<br />松永さんの持つ世界観の元になるものは、オウムに入信するより以前から既にあったもので、本人の言葉にも、決してマインドコントロールされたのではないとあります。<br />オウムの問題を考えた時に、「洗脳」だとか「マインドコントロール」だという言葉がよく出てきますが、現実にそれらに該当する信者ばかりであるなら、解決の手段はもっと単純なのだと感じます。しかし、この松永さんのインタビューを読んでいただければわかるように、オウム問題の解決はそんなに単純化できるものではないようです。</p>

<p>松永さんのインタビューを終えて今感じることは、このインタビューだけでは終ってはいけないということ。このインタビューの内容を、オウムに詳しい客観的な立場の人にぶつけて意見をもらう必要があるということ。<br />オウム事件の被害者の気持ちと脱会者の気持ちを見てきた方へ取材をしようと考えています。<br />立場の違う2つの意見を踏まえることで、はじめて今回の事件を私なりに総括した記事にまとめることができると考えています。</p><br /><br /><br /><p><strong>松永英明さんプロフィール</strong><br />屋号「ことのは編集室」を冠するライター。 1969年生まれ。関西生まれ関西育ち、現在は東京都区内在住。　大学中退後、ライターとして歴史・ビジネス・健康法・自己啓発など幅広いジャンルで執筆活動を行なう。インタビューから調査研究、書籍企画プランニングなど執筆全般をこなす。　　2003年秋に独立、「ことのは編集室」を立ち上げ、同時にウェブサイトを公開。「絵文録（ウェブログ）ことのは」「はじめてのウェブログ」「土佐日記ブログ」「女子十二楽坊資料館」など、公開したサイトはいずれも大きな注目を集めている。日本のブログ大賞「Blog of the Yeah! 2003」でベストアーティクル部門第３位を受賞。アルファブロガーということになっている。2006年3月、元オウム信者であったこと、河上イチローとして活動していたとカミングアウトする。（参考：ことのは編集室）</p>

<p><strong>佐々木俊尚さんプロフィール</strong><br />1961年、兵庫県西脇市生まれ。早稲田大政経学部政治学科中退。<br />1988年、毎日新聞社入社。<br />岐阜支局、中部報道部を経て東京本社社会部。<br />1995年から1997年まで警視庁捜査一課を担当し、オウム真理教事件取材に関わる。<br />1999年10月、アスキーに移籍。月刊アスキー編集部などを経て2003年2月に退社。<br />現在フリージャーナリストとして、週刊誌や月刊誌などで活動中。<br />杉並区住基ネット調査会議委員。情報ネットワーク法学会員。（本人HPより引用）</p>

<p><strong>R30さんプロフィール</strong><br />「R30::マーケティグ社会時評」管理人。<br />1972年、兵庫県生まれ。<br />ビジネス誌の記者を経て、現在は教育系の企業に勤務。<br />R30というペンネームは、自分が30代になったということもあり、<br />リクルートのフリーペーパー「R25」をもじってつけた。<br />TBSの番組とは関係ない。（書籍「アルファブロガー」より引用）</p>

<p></p>

<p></p><hr /><p><strong>以下インタビュー（敬称略）<br /></strong>※ 話し言葉そのままでは理解しづらく誤解を招く可能性がありますので、読みやすいように編集して掲載しています。</p><br /><br /><p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：先に核心の話で、現在起きている問題の話を先に聞いちゃおうかなと。<br />90年代新聞社でオウム真理教の取材をずっとしていたので、ちょっとヒトゴトではない気がするもんですから、聞きたいことはたくさんあるんですよ。<br />単刀直入に個人的な意見を言うと、松永さんはかつてオウム信者であったということを表にしない状態で民主党の懇談会に出たということを批判している人はたくさんいる。でも、僕個人的には、事件の加害者として訴追されているとか、そういうことであればともかく、一出家信者として活動していたこと、しかも今は事実上教団にいないっていう段階で、それをわざわざ公にする義務があったのかどうかはかなり疑問を抱いていて、それは憲法に書かれている信教の自由の侵害じゃないかという意識がすごくあるんですよ。そういうことをあまり言うと叱られそうな気がするんですけど、それについてどうお考えなのか、そこら辺から。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：多分それが教団の意図であったのではないかと言われているのであって、おそらく信教の自由のところまではみんな思いが至ってないと思うんですよ。<br />少なくとも自分で言うことだからというのはあるけれども、私はあくまでも個人的興味と関心。別に政治に食い込もうって話じゃなくて、聞きたいことを聞きに行って伝えるというブロガー的意識で行きました。だから教団とは関係ないです。教団からすれば逆に「そんなものになんか行くな」って話。だから私としては、教団と政党を結びつけようだとか、政界に食い込もうだとか、いわゆる危険視される要素というのは、全く思いつきはしなかったので、好奇心で動いたことが取り沙汰されることを想定できなかったのかと言うと、「全然想定もしてませんでした。まぬけでした」と言うしかないんです。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：そういう批判は一理ぐらいはあると思いますか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：本当に教団の方針として、「政党に食い込め」或いは「国会議員と仲良くなってオウム新法を取り下げさせろ」という目的があったんだったら、……あれ？ それはある意味正しいやり方だったんじゃないかと。（一同笑）教団としては、民主主義にのっとってきちっと筋を通せるという気がするので。それで「こいつを刺して来い」というなら話は別だけど、そういうことを言うわけはないので。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：でもそれがもし教団の方針があってそれに体現して松永さんが動いているというのが本当であれば、その批判の正当性があるとおっしゃるということになりますね。ロジックの話になっちゃうんですけど、「松永さんはオウムではありません」ということを証明しないといけなくなっちゃいませんか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：だからもう一つは、実際のところ民主党に出た時は教団の中にいました。自民党の時はもうきちっと抜けていました。そうなった時に、例えば教団の信者には個人的判断による個人的行動は有り得ないのかという話になりますよね。つまり、信者である時に動いたものは、全て教団からの指示で動いているに違いないという予断があって、全てにそれが言われていると思うんですけど、信者に個人的行動が有り得ないのかと。<br />例えば、靖国参拝は常に公務なのか、そういう話ですよね。公用車を使わず自分の足で歩いて行って、肩書きも何も書かず「首相」と書かずに、閣僚も誰も連れて行かずに家族を連れて行って普通に参拝します。これは、首相としての行動なのかというのと同じで。<br />だから、例えば政党に近づこうとしたっていうのは、それ自体も普通の民主社会の範囲内の行動だろうし。もしだめだというのであっても、実際のところ、そこで聞いたことをそのまま伝えましょうと個人的行動としてやったこと。懇談会での内容を意図的に私が編集しましたってことはないはずなんですね。私が書いたエントリーの中で「あの時あんなことは言ってない」とか「そこを強調するのはおかしい」という話はないはずなので。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：そもそも個人的な行動というのは、信者であっても全くの自由なんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：真面目な人は、戒律の範囲内で動くだとか、いちいち「どこそこへ行って来ます」と許可をもらってから動くんでしょうけど、私みたいに不良なヤツは、結構黙認されていたという部分もあって。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：割と自由と言っていいでしょうか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：割とというか、もう全て。私は完全に自由に動いていたので、夜、寝に帰るだけは戻るという世界だと。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：一応門限とかもあるんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：門限はねぇ、終電までには帰るっていう感じ。だから「夜は居ろ」っていうのがあったけれども、たまに帰れなくなって「あれー」っていう感じ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：修行とかは？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：それは普通はやらないといけない。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：いけないんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：いけないというか、義務というわけじゃなくて、「修行者なのだから一日何時間くらいはやりましょう」みたいな空気があって、一日の修行報告というのもあるけど、私は全然やってなかったし。そういう意味では、「どこがサマナやねん」っていう生活をしていました。だから烏山の屋根の下に住んでいますということ以外は、全然サマナじゃない。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：さっき教団の意図という話がありましたけど、そもそも今、教団が存続している意義っていうのは何なのですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：宗教的に言えば、修行するのは集団の方がやりやすいというのがどうしてもあるわけ。例えば、修行をやっていくと意識的に突っ込んでいく場合がある。深いところに突っ込んで行った場合に、例えば先輩から「そういう時はこうしたらいいよ」というアドバイスがあるとかいう様な点から、ある程度の集団で修行できる環境が重視されているというのは実際ある。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：人数が多ければ多いほどいいってことですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：限界があるので、1000人が1フロアで修行するわけにはいかないと思うけど、教団という枠組みの中で、「何時にはみんな集まって修行しましょう」というと、やりやすいということはありますよね。ただ、その辺が最近はかなり崩れてきている。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：ある種、内向きのサークルなわけですよね。一緒に修行するための場を提供し、お互いのコミュニティとして修行がやりやすいという。教団の外向きの意志みたいのはあるんですか。教団として、例えば社会にどうコミットして行くのかとか、政治にどう参加していくのかっていう。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そこが今、教団内の分裂問題の一番の鍵なんですよ。とにかく布教をやりたい、或いは将来的には世界宗教というところまで目指したいというのが、代表派なんです。<br />実は、A派M派というのは代表派のプロパガンダですので。MとかJとかってのと、もう一つAというのが対比されて、代表派としてはAから「アーチャリー」を引き出して印象をつけようとしてマスコミにも流しているのだけれども、実際の派閥は「代表派」と「それ以外」なのね、簡単に言うと。<br />「それ以外」が大半を占めるので、ややこしいことに代表派が異端ということになる。人数的にもそういう比率なので実際そうなんです。<br />で、代表派は、布教したい人たち、或いは世界宗教を目指したいっていう。代表自体も、いろいろと政治的な･･･ま、できるものなら出たいみたいな、っていうところはあると。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：それは代表派以外の人は派閥になっていないということなんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：というか、みんなバラバラなんです。いわゆる正悟師が、全部バラバラ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：教団全体として、何かの意志を外へ向かってアピールしていこうという姿勢にはなってないんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：その体力もないんです。今はもう収入状況が毎月赤字なんです。資産を食い尽くしつつある。一時期までは、収入も多く支出も多くという状態で、だんだんじり貧になっていて、何とか節約して凌いでいたのが、それも収入の限界が来て、今は赤。今年の内にやばいことになるでしょう。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：家賃とか払えなくなるとか？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：完全にもう何も無い。だから、そういう状況で「じゃあ何か新しいことをやりましょう」って言ってもそんな体力はないわけですよ。一円起業ってのがあるから、物理的にそれは不可能じゃないとしても。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：今まで教団を離れた人がいっぱいいるわけですよね。みんなどうしてるんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：一番わかりやすいのは、実家に戻るっていう。或いは、それぞれに生活しているという感じですけどね。例えば何人かでまとまって脱会して仕事してたら、元オウムのグループだということがわかって、その仕事がなくなるとか、そういう話はたまに聞きますよ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">泉</span>　：脱会したから社会復帰できるとか、問題全てが解決したってことにはならないですよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：ならない。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：脱会と信仰は別なのですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：その辺はどうなるんでしょうね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span> ：人による？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：人によるというか、例えばケロヨンクラブなんてのは、だんだんおかしな方向に行ったとは言え、「今の教団の状態ではだめだ、私が教祖だ」と言い出した人がいて、そこに人が集まったって感じだし。<br />実際おそらく近い内に、上祐派は分裂するでしょう。うん、抜けていくでしょう。それが例えば脱会という形になったとしても、それは別の形の宗教を目指すという感じなので。<br />例えばオウムをやめて、テーラヴァーダ協会へ行っている人達だとか、或いはチベット仏教に行ってるとか、自分でヨーガ教室を開いているとか、いろんな人がいますよね。完全に宗教から離れている人もいるだろうし、或いは宗教的なところででもオウムじゃないものをやっている人もいるだろうし。或いは自分なりの信仰をやっている人もいるだろうし、そこは様々でしょうね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：傾向としては、教団から離れたから即、即物的な人生になるというわけではなくて、やはりスピリチュアルなものを大事にという人が多い･･･</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：これは後でR30さんとの話で絡んでくるかなと思っているんですけど、つまり全然興味がないのに説得されてマインドコントロールされて入りましたという人たちは、実際のところほとんどいなくて、元々入る前から興味があって、話を聞いて面白いなというので入ってきた人が多い。何か強引な勧誘を受けて入りましたというよりは、元々興味を持っていた人たちの方が多いわけですよね。だから、私の場合でも元々持っていた宗教観と合うところ、或いはわからないところ、後は全然知らなかった密教なんかもあるけれど、それぞれ説明がつくところがあって、「じゃあ教団を抜けてどこまで捨てたら捨てたことになるの？」みたいなね。その辺は、自分の全ての思考回路というか世界観まで捨てないといけないということになるわけで･･･。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：そうすると、聖なるもの、スピリチュアルなものに対して、より親和性の高い松永さんっていう普通の人がいる。松永さんが翻訳された本を2冊買って読んだんですけど、あなたの中では、あれらの本の内容とオウム真理教とは同じフラットな平面上に見えている感じなんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そうですね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：別にオウムだけが特別かどうかっていうことではなくて？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：例えば、翻訳したジェームズ・アレンっていうのは、オウムの教義から言えば、あんなレベルじゃ物足りないっていう話にはなるわけですよ、結局。<br />ただ、オウムの教義の範囲が危険なのかと言うとそういうわけじゃない。或いはオウムの教義から翻訳したものへ何かを引っ張ってくるのかって言うと、例えば密教ヴァジラヤーナとか五仏の法則とかを引っ張ろうというのは、よっぽどの飛躍があるわけですよ。翻訳した本では段階的に言えば逆のことを言ってるというかね。<br />オウムの教義っていうのは、全ての宗教をひとつの体系で説明するっていう特徴があると思ってるんですよね。ひとつの枠組みで。その枠組みというのは、仏教の世界観の中に全てを説明する。キリスト教もそうだしイスラム教もそうだし、或いは仙道もそうだし道教そうだし儒教もそうです、と。この枠組みというのは、私が前から持っていたものではないけれど。<br />大学の時にサークルで、神話伝説研究会ってのをやってまして、それの会長までやってたんですけど、元々いろんな神話だとか宗教の世界観だとかを知ってはいたわけですよ。<br />ところが、それがオウムの説明で全部ピターっとはまってしまった。だから、「何で入ったの？」って言ったら「これはすごいわ」と。もうひとつは、やっている人たちがヨーガ的な修行だとか、体験して物を言っている。それで、もうこれはすごいなと思ってはじめた。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：さっき、アレンから見るとかなり飛躍があるとおっしゃったけど、同じ直線上には？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：直線上というか、オウムの教義には大きな世界観の枠組みがあって、その中で例えばアレンはこの部分を言ってます。（目の前の空間に図を描きながら）例えば、仏教の枠組みは最後はここですとか、ここに行くための一つの道筋としてこういう技法があります、こういうやり方があります。キリスト教はここからここまでに行く話をしてます、と。アレンの場合は、カルマの法則というものを取り入れて、ちょっと仏教的なのがかかってこの辺です、みたいなね。なんかそういう形で認識があるので、だから一直線を引いて「ここ」「ここ」って言うよりは、もうちょっと平面的な。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木　</span>：大統合理論みたいな？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：まあそういう。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：統合されたオウムの理論、要するにさっきおっしゃっていた全ての説明はピタリとオウムの説明にはまっている。松永さんの認識としてですよ、その延長線上にああいう殺人事件を起こすっていうようなことってのは、必然なのか何なのか。どういう風にそこは捉えていらっしゃいますか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：先ず、あの事件そのものが、宗教的意図によって起こったものなのかどうかというところは、ちょっと疑問があるんですよね。純粋に宗教的なもので来てるのかどうかというと、例えばサリン事件にしても、あれは強制捜査を遅らせるためだという説明になってますよね。となると、そこに宗教性はないですよね。<br />宗教的意図でなされたものではない。大きい意味では、教団を守るとかそういうことになるんでしょうけど、単純に考えりゃ、余計に強制捜査招きそうなものなので、ようわからんのですけど。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：ただ、ポアすることによってその人を何て言うんでしたっけ、解脱させるじゃなくて。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：ポアっていうのは殺すんじゃなくて、生きてても死んでてもいいんですけど、ある意識を幾つか高い世界に移し変えるっていう定義なんですよね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：それを人為的に起こしたわけですよね、あの事件っていうのは。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：なのかどうかは私にはわかんないです。つまり、ポアを目的としてやったのかと言うと、それが強制捜査を遅らせるためであれば、それは違う話になるので。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：要するに、ポア云々っていうのは後付みたいなものだろうかという。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：或いは事件によって亡くなった方の魂があった時に、それをポアしましたってことは有り得ると思うけれども、ポアするためにそういうことをやるっていうことは考えにくい。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：少なくとも松永さんが学んだオウムの教義というものにそういう発想はないということですよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永　</span>：更に、ポアというものをできる人は、滅多なことではない。存在しない。<br />いわゆる危険な教義と言われているのは、「ヴァジラヤーナ」の中の「五仏の法則」という部分なんですよね。五仏の法則というのは、例えば悪業を積み続ける魂が居れば、そこで殺してそれ以上悪業を積ませない方がいいだとか、或いは、財産に対する執着があまりにも強い場合には、その財産を盗めとか、密教の経典の中に書かれている内容なんですけど。ただ、それは私たちが実践する内容として教わっていたわけじゃないんですよね。経典には、そういうことも書かれているが、これは神々の法則であり、お前らできるわけないだろう、と。つまり、例えばこの魂は悪業を積んでいるから殺すと言った時に、その魂に対する害をなそうという想いだとか、或いは殺すことによる、例えばちょっとでもよろこびがあるとか、そういう想いがあれば終わりなんですよ。つまり、心に於いては完全に慈愛でなければならない。肉体的に殺すというカルマを積むかもしれないけど、心に於いても意識に於いても、完全にその魂に対する慈愛に満ち溢れていなければならないと。「それは、君たちには無理でしょう」という話なんですよね。だから、そんなものできないよねっていう。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：それは要するに極めて高度な。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：あまりにも高度で、神々の世界の法則であって、人間の世界の法則ではないとされているんですよ。「じゃあ、五仏の法則を今日からやりましょう」ってことになったら、教団の中でみんなおかしくなりますから。だからそういうことをやるヤツは逆にバカだと。それは知識としてそういう経典の記載があるよという話は解説にあったわけですよね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：今おっしゃる話はすごく理にかなっているというか、すごくよくわかるんですけど、外部から見ると、95年の事件の罪を負っていかなきゃいけない団体っていう風に見られているわけで、そうするとそこで内部に於いて一つの統一された教義を持っている我々っていうのと、外から見られているオウムっていうのにものすごいギャップがあるわけじゃないですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：そうですね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：そうすると、そのギャップをどうやって解消･･･解消できないのかもしれないけど、どうやってバランスを取るんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：もうね、何ていうのかな</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：「こっちが聞きたい」ですよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：ギャップあり過ぎみたいな。もう諦めるしかないっていうのかな。外から見りゃ殺人集団で、今でも何か企んでるみたいに「きっこの日記」でも書いてましたけど、今でも人を殺そうと思ってるみたいな。でも、教団内にはそんなヤツは誰もおらんっていうね。「もう警察なんか厄介になりたかなんかねーよ」と。「もうおとなしくしてるから勘弁してください」というか、そういう状態で、だからみんな理解されてないっていう意識はありますよ。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：もちろん今現在はそういう事件を起こさないだろう。それはわかるんですけど、過去にそういう事件を起こして、それはもちろん一部の信者がやったこととは言え、尊師が関与していたっていうのは間違いないわけだし、そうなると教団のコミュニティとしての責任なり罪っていうのはやっぱりあるわけで、それについてどう自分たちで咀嚼しているのかっていうところをお聞きしたいんですよ。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：だからその辺が1999年までは全く認めないという方向で行ってたわけですよね。その前後に内部にもいろいろ議論があって、少なくとも団体の中の構成員が事件に関与したことは認めないといけないだろうし、そこで賠償を支払っていくということも決まったわけですよね、2000年にアレフになった段階で。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：松永さん個人としてはどうなんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：私としては、教団に属している間は、例えば自分が稼いで来て納めたとしたら、その一部が賠償支払いに回っているわけですよね、実際。「払ってない」と言う人もいるけど、実は払っていると。まぁ、最近はあまり払う金もないって感じですよね。それに関しては、実際苦しんでいる人たちがいるのだから、そこで何らかのことができるとしたら、少なくともお金を払うっていうことができる間は、そういう形で苦しみを和らげてもらえるのであればという、そういう意識はありますよね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：個人として贖罪意識っていうのはありますか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：ピンと来ないってところはあるんですよね。あそこのサイト（<a href="http://aum-aleph.g.hatena.ne.jp/matsunaga/20060320" target="_blank">「オウム・アレフ（アーレフ）の物語」</a>）にもサリン事件の日の話を書きましたけど、まるっきり別のところで起こっているというか、例えば日本の中で誰かが犯罪を犯しましたと言ってもピンと来ないっていう。たまたまそれが知ってる人でした。或いは同じ教団の内部で、或いはある程度の人数が固まってそういう動きをしてましたというと「ええ、そんなことしてたの？」みたいなところはやっぱりありますよね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：その辺の松永さん個人の意識と、他人が期待している贖罪意識のズレが今回の事件を招いたと思いませんか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：それはあるんだと思いますよ。だからそこで「申し訳ございません」と言う形で出すくらい要領が良きゃいいんだけど、ただ本当にピンと来てないってのが正直なところで、逆に謝る方が不誠実だという意識もあるんですよね。だから、そこで非難を受けるというか、納得されないだろうっていうのは、それはそうなんだけどというか。それについては予測はしていたけれども。<br />だから例えば、「私は被害に遭いました」と、「あの時地下鉄に乗っていました」と、「病院通っていました」という人から「お前殴らせろ」と言われたら、それはわかりやすいんですよ、逆に。「わかりました、殴ってください」と、それでいいんだけれども。友達がひどい目に遭ったとか言う人はまだいいとして、あまり関係がない人、その時期に日本に生きてましたというだけの人たちが一緒に、なんかいろいろ「謝罪が足りない」とか言ってくるのは、本当にピンと来ないっていうのはあるんですよね。そういうことを言うとまた怒られるんだけど。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：個人的には「今までオウムのことなんて意識になかっただろうに、なんで急に言い出すんだよ」って感じは確かにありますね。でもそこってインターネットらしいコミュニケーションのエッジに非常にピュアになっているような感じがありますよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：それはあるでしょうね。本音を出しやすいメディアだということがあって。多分思っていても言わない人って結構いると思いますけど。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：僕が今日松永さんに本当に聞きたいこと、核心に於いて一つだけはっきりさせとかなきゃいけないなって思うのは、「宗教で何かができるのか、それともできないのか」という部分、それを松永さん自身が、この10年間を経た中で、どういう風に総括しているのかということです。今日の段階で、これをうまく言い表すのってすごく難しいかもしれないと思うんですけど、こういう記録にまとめておくのは重要かなと思う。言葉に出すことによって人間って自分に初めて客観的になれるから。どうなんでしょう、それって。宗教で何かができる、できないってどう考えてます？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>：何かってのが、どの範囲までを指すのかってのがある。例えば個人を変えていくという範囲だったら、これは間違いなく変えるでしょう。じゃあそれが社会だとか国だとか世界だとか、そこまで変えるのかというと、それは今まである政治形態だとか社会の構造だとか、そういうものとバッティングする場合だって有り得る。ていうか、正にバッティングするわけで、そこで受け入れられるのか受け入れられないのか。例えば、キリスト教みたいに国教になっていくという道だってあるわけだし、今ヨーロッパではキリスト教徒でなければ人でないみたいな、それぐらいの話になってくるという形で、それは宗教が何事かを成した結果だと思う。それが元々のイエスの教えと合っているかどうかは別にしてね。或いは、仏教でも仏教国みたいな。日本でも仏教ってものがあって、天皇がそれに基づいて大仏を作ってしまうことも有り得る。<br />ただ、今の個別のこの宗教がと言った時に、そこまで行く力があるかどうかというところまではわかんない。今だと創価学会が与党に入っているという意味では、憲法の条文を変えさせないとか変えるとかいうところに影響力を持ってるわけで、それは何事かを成しているかと言えば成している。ただ、それは純粋に宗教的な力なのかと言ったら、それはわかんない。人の数の力かもしれないし、それは。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：そういうものを成したくて宗教を信じるんだったら、それこそ創価に行きゃいいんだよね。（一同ちょっと笑）そう思います。だから、松永さんが創価に行ってないということは、別にそういうものを求めて何かをやろうとしているわけじゃないということだと思うんだけど、それって一体、じゃあ何なんですか。松永さんにとって宗教って何なんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：私にとって宗教っていうのは、簡単に言うと世界観なんですよね。どういう世界観を左右するかっていう。で、その世界観というものは、それに基づいて生き方も決まるわけで、例えば輪廻転生があるないってそれだけで生き方が変わるわけでしょ。死んで次転生する時に、今まで成したことの蓄積によって生まれる先が決まりますよという仏教的な考え方と、或いは死んだら終わり、土に帰るだけだという人だと、もうコレ生き方変わるでしょ。実際、遊ぶ時は遊ぶだろうし、いろいろあるけれども、でもどういう行動を取るか、細かいところでやっぱり影響が出てくる。<br />そういう意味では、自分にとって宗教的なものっていうのは世界観であって、生き方に通じる部分があって。それはかなり影響というものはある。そういう意味では、無宗教だという人も一つの宗教だと思っている。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：世界観を持ってどうするんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：その世界観によって、例えばご先祖様が自分を見守ってくれていると信じている人たちがいるでしょう？日本教の人はだいたいそうだったりするけれど、そういう人達はお墓参りを欠かさない。ところが、純粋に仏教的に考えて、四十九日の内にどこかに生まれ変わっていると、それ以降はお墓参りに行っても、そこはもぬけの殻だぞみたいに考える人だと、お墓参りに行くと言っても意味が変わってくるでしょう？<br />そういう意味で世界観というのはあるんじゃないかと。或いは「お盆の時期にはお墓参りをしましょう」というけど、なんでするのかはわかってない。死んだら土になると思っているのになぜか帰省するための口実になってるみたいな。だから、そこで捉え方が全部変わってくるわけでしょう？</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：松永さん自身はお墓参りするの？しないの？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：ここんとこ全然してないですけどね。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：それは四十九日になったら、魂は転生してるからというのを信じているから？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：それもある。あんまり意味を感じないっていうのと、あんまり親が好きではないっていう。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：なるほどね。僕なんかは別にお墓参りなんてみんながしてるからすればいいんじゃないのっていう感覚なんですよ。自分も別にそんなにムキになって何かをしようとは思わないけど、他人がする時にはすればいいやっていう程度。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：だから、例えばそこでお墓参りしないと祟りがあるわよって占い師に言われたと言って、とにかく熱心に本当に心を込めてお墓参りをする人達だっているわけですよね。だからそこで変わってくるって話。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：他人にお墓参りをしないと祟られるわよと言われてお墓参りを必死にするような人たちの生き方、そういうのから自由になりたいと思って宗教を世界観に採用しているって感じなの？</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：というか、例えばそういう世界観だって有り得るわけだけれども、私の世界観的には、それは採用しないということ。そういう風に言っている人達というのは、多分何か別のものを見てるね、みたいな。そういう意識でいるんで。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R.30　</span>：じゃ、松永さんは何を見てるの？何を見ようとしてるんですか。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：仏教的に言うと六道輪廻ですよね。そこで前の転生、次の転生、その次の転生と延々と繰り返してくと。転生を決めるのは自分の日々の行いであったり考え方であったり、或いはしゃべることであったりということであって、今いろいろと叩かれているっていうのも、自分の過去の結果であるというのは、間違いないし。ただこれでキレて誰かを殴りに行ったら、それは次の悪い因を生むということになる。（笑）だから報復とか、そういうことは考えていない。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">佐々木</span>　：そもそも世界観って必要なんですかね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：いや、誰もが持っているんじゃないかと思うんですよ。大袈裟な言い方じゃなくて。</p>

<p><span style="color: #0066cc;">R30</span>　：意識化されているかされていないかということですよね。</p>

<p><span style="color: #ff3300;">松永</span>　：うん、それはあるとしても。だって、何となく「草場の陰から見守ってください」みたいなことを平然と言ったりして、でもそれが無神論というか、死んだら土になるしかないと、元素に帰っていくと思っている人が、本当にそれを信じているんだったら、そのことがおかしいと思わないとおかしい。でも何となく日本教みたいな、アニミズムだと私は思っているんですけど、日本人の土台はアニミズムっていうか、何にでも魂が宿ってて、ご先祖様もその辺を漂っててみたいな。そういう中にいる人達と、例えばオウムは言ってみりゃインド的な文化だったりするわけで、ヨーガやったり、仏教もインド的な発想があるので、そこは文化衝突的なところもあるだろうと。<br />或いは、私がオウムを気に入ったのは、家族というものを重視しない。家族というのは今生の縁であって、たまたま親子に生まれました。でも来世はわかりません。家族同時に死んだら、人間だったとしてみんな同じ年齢から生まれるわけで、それがまた家族になるということはない。或いは敵同士が今度は恋人同士になるかもしれないとか、その辺は普通に仏教的な考えである。それに完全に則って行くと、家族とか関係ない。</p>

<p></p>

<p><a href="http://gripblog.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/__2e57.html">②へ続く</a></p>

<p></p>

<p align="right">＜文責/泉 あい＞</p>]]></content:encoded>


<dc:subject>（現・元）オウム信者と社会の関り</dc:subject>

<dc:creator>泉あい</dc:creator>
<dc:date>2006-04-24T15:50:38+09:00</dc:date>
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