自殺者の多い社会
昨日の夜、
「29歳で死にたいと思ってるの」
と話している若い女の子をテレビで見かけました。
KinKi Kidsの光一くんや俳優の宇梶さん、お笑い芸人のふかわりょうさんにまちゃまちゃさん、シンガーの中村あゆみさんなど、有名人と普通の女の子がディスカッションする『ジェネジャンSP』という番組で、自殺をすることがどういうことか大人はいろいろと説明するわけです。
極め付けが、かつてこの番組に出演していた奥山貴宏さんというライターのVTR。肺がんのため33歳で亡くなった彼が、余命2年と宣告されてからの記録です。
「作家として死にたい」
と、彼は残された人生を小説を書くことに費やし、見事にその夢は叶いました。しかし、奥山さんの小説『ヴァニシング・ポイント』という本が、書店に並ぶ光景を奥山さん自身見ることが出来なかったそうです。
そういうVTRが流された後、涙する出演者が映されますが、私は『みんな同じなのに・・・』と思ってしまいます。
というのは、がんなどの病気で余命を宣告されようがされまいが、生きていれば誰でも同じ様に死ぬ可能性があるはずです。
だけど、普段はそれに気づかずに、生きていることが当たり前のように思っていて、改めて面と向かって、
「あなたは死ぬかもしれません」
と告げられると、パニックに陥ったり、過去を振り返ったり、残された人生について真剣に考えたりします。
「29歳で死にたい」と言っている女の子に、生きていることの価値を説明したところで、理解できはしないと思います。自分が消えてなくなってしまうかもしれないと知った時に、自分の存在価値を初めて問うてみる。以前の私がそうでした。
出演者のひとり、ペテロ三木さんが、亡くなった奥山さんの小説を読んでいないふかわりょうさんを責め、つかみかかっていました。
ペテロさんの熱い気持ちもわかります。でもね、人ってそういうものだと思います。人は死んだら、いつかは忘れ去られてしまうって。だって、みんな自分が生きることに必死なんだもの。
だからこそ、自分が生きた証を残しておきたいって奥山さんは思ったわけですよね。
私も同じ。『Grip Blog』は、確かに泉 あいが存在していたという証なわけです。
「死にたい」と真剣に考えたことが、私も一度だけあって、その時に『自殺』という言葉を今まで安易に使ってきたのだと思いました。
当たり前のことだけど、生きているから「死にたい」と思える。自殺とは、自分で自分の体を傷つけることだと考えがちだけど、自分で自分の意思を絶ってしまうということでもあるわけです。
昨日の番組中、自殺者の数が交通事故による死亡者の数を大きく上回っていると言っていました。
若い時に死にたいと考えることは、誰にでもあると思うけど、それを実行に移す人が増えている社会を私は異常だと思います。
「生きていても意味がない」「何のために生きているのかわからない」
物や情報が有り余る社会で、何が彼らを追い込んでいくのか、ひとりひとりに向き合ってみたいです。
それは、ジャーナリストとしてだけでなく、ひとりの大人として、異常な社会を作ってしまった責任を考えてみたいからです。
<文責/泉 あい>
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コメント
>がんなどの病気で余命を宣告されようがされまい
>が、生きていれば誰でも同じ様に死ぬ可能性があ
>るはずです。
可能性があるのは同じですけど、確率は違うでしょ。「いつ死ぬかわからない」と考えながら生きることはそんなに重要だとは思えません。
投稿: おさだ | 2006年1月15日 (日) 15時31分
障害や病気や高齢や死に関しては、わかる人にはわかり、わからない人にはわからない問題、というのが見えない太いラインのように、あらゆる形で確実に存在してるんだなぁ、という感想がいろいろな人の「隣」から見てですが、あります。当事者が説明に疲れ、最後に黙り込む姿を、現実でも、多くのWEBのやりあいのなかでも、たくさん見てきました。そんな時、わたしは説明もできずいつもただ言葉を失うだけでした。
生死に関するディスカッションもいいけれど、間合いからしか伝え得ないとこあると感じてます。「今この瞬間はたまたま隣にいるだけの」一人として、いつか希望のもてる記事を目にできたらいいなと、個人的には思ってしまう。
投稿: ぼこ。 | 2006年1月15日 (日) 18時08分
若い頃、長生きは出来ないと思ったことはあるが
死のうとか死にたいとか考えたことなどない。
それは、単純に幸せだからといえば違う。難しい。
投稿: 某S | 2006年1月15日 (日) 20時54分
こんばんは。「ジェネジャン」の話は見ていなかったのですが、妻から内容を聞きました。なかなか考えさせられる内容だったようですね。自殺についてはエントリーしようと思っている原稿があるのですが、まだ納得が行くものではないのでアップできずにいます。この瞬間にも自殺を考えたり、実行しようとしている人がいる事をとても残念に思います。
後、ここのコメントを読まさせていただきましたが、確率とか偶然は人間が考え出した概念です。この概念を真実と受け止める事は、物事の本質を見過ち易くなると思います。当事者にとっては100%の事であり、実際に起こっている事であります。何故、その人に起こる事が自分には起こらないのか、何故すべてが100%では無いのかなどを考える事が重要ではないかと思います。
最後になりましたが、TBさせていただきました。
投稿: chankin | 2006年1月16日 (月) 00時32分
> ペテロ三木さんが、亡くなった奥山さんの小説を読んでいないふかわりょうさんを責め、つかみかかっていました
ボクはこの小説を読んでないし、手にとってみないと読むとも読まないともいえません、読める本は限られているし、その中で一番今の自分に必要な本しか読めません
でも、ふかわさんの場合は、この番組に出るという時点で読んでおくのが礼儀でボクもそうします、泉さんにしてもインタビュー相手が本を書いているのであれば、事前に必ずその人の本を読んでからインタビューに臨むはずですから...
投稿: マルセル | 2006年1月16日 (月) 01時05分
こんにちは。
自殺者の年代別内訳を見てみると、むしろ圧倒的に高齢者のほうが多く、そのあたりはどこにフォーカスしていくべきか考えどころかなと思いました。
犯罪などにしてもそうですが、目立つところで若年層が取り上げられがちですけど、むしろ実際の切実な病根、また社会問題は高齢者の中に隠されているような気がします。
ちなみに私は死にたいと考えるような状況は、誰にでもある普遍的なことという切り口よりは、正常な判断力を失っているメンタルヘルスの問題として考えた方が近道のような気がしています。
投稿: Aa | 2006年1月16日 (月) 18時32分
おさださん
>「いつ死ぬかわからない」と考えながら生きることはそんなに重要だとは思えません。
そのような価値観は人によって違うものでしょうね。
私は、誕生日を迎えた時、うれしい気持とまた来年も誕生日を祝っていられるかという不安の両方を持っています。
重要とか重要じゃないということでなく、死ぬかもしれないという不安は私の生き方を変えました。
投稿: ぁぃ | 2006年1月17日 (火) 01時06分
ぼこ。さん
番組の中でも、生死の価値観についてのディスカッションよりも、奥山さんの生き様が何より説得力があったと思います。
わかりきったことを口で説明しても、なかなか理解は得られないですよね。
記事も同じなのかもしれません。
事実を伝えることも大切だけど、そこに係わる人の気持ちを伝える記事を書きたいを思いました。
投稿: ぁぃ | 2006年1月17日 (火) 01時13分
某Sさん
やりたいこととか、夢があったとか、好きな人がいたとか・・・?
投稿: ぁぃ | 2006年1月17日 (火) 01時22分
chankinさん
>なかなか考えさせられる内容だったようですね。
本当にそうでした。多くのことは、話せばわかると思っていましたが、そうじゃないこともあるんだなと思いました。
話してわからないならどうすればいいんだってことですよね。
>当事者にとっては100%の事であり、実際に起こっている事であります。何故、その人に起こる事が自分には起こらないのか、何故すべてが100%では無いのかなどを考える事が重要ではないかと思います。
このことって意外と重要かもしれませんね。
他人と同じだから安心するとか力が出ることってあるし、逆に「なぜ自分だけが」って思うこともある。
自殺に関するエントリーをUPなさいましたら教えてくださいね。
投稿: ぁぃ | 2006年1月17日 (火) 01時42分
マルセル さん
ふかわさんは、共演者のひとり。
私がお願いして取材に協力していただくことや記事を書くこととは本質的に違うと思います。
インタビューをしていて、またはされて不思議だなと思うのは、初対面でも本音をさらけ出してしまうことがあること。
人って相手が一生懸命だったり、共感したりすると、簡単に心を許すものだと思うんですよ。
でも、席を立った瞬間にその人をことを忘れてしまうこともあるんですよね。
いろいろなものに追われながら生きているけど、向き合っている瞬間だけでも、通じ合いたいという想いがあると感じます。
そういうのが『情』と言えるのかもしれませんけど、個人差があるでしょうね。
投稿: ぁぃ | 2006年1月17日 (火) 01時52分
Aaさん
自殺を精神衛生面から見ることはもちろん不可欠だと思います。
私がここで言いたいのは、おかしいと思っていることを「いいじゃん」と真面目に言えてしまう異常さです。
それは、番組に出演していた彼女たちが異常なのではなくて、そういう思考にさせてしまう社会が異常なのだと思えるのです。
世の中の矛盾や、なぜそうなってしまったのかなど、時間がかかるでしょうけど、ひとつひとつほどいてみたいと思います。
投稿: ぁぃ | 2006年1月17日 (火) 01時59分
キリストの約束した神の国。死後の永遠。
それはここで言う生きた証。例えばブログを永遠に残しておきたい。そのような願望を担保するものだった。そう考えると至極合理的に解釈できる。そして事実、教会は(も)死者名簿を今の律儀に守り続けている。
投稿: 妙訝 | 2006年1月18日 (水) 02時00分
外科内科手術
ミスで8ヶ月家にいたけど理解してくれた人に雇っていただいて社会複期させてもらえました。まいにち楽に死ぬ事しか考えてなかったのがウソのように毎日が楽しい。
生きててよかったよ。22歳
投稿: ショウヤ | 2006年2月18日 (土) 20時43分
ショウヤさん
告白ありがとうございます。
私にもそういう時がありました。
普通に暮らせていることへの感謝って忘れがちなんですよね。
思い出させてくださってありがとうございます。
投稿: ぁぃ | 2006年2月19日 (日) 00時33分