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2006年1月 7日 (土)

孤独な老人の心

1月7日朝、目覚めて地元山口県の下関駅が全焼というニュースを見て愕然としました。
下関駅には一度くらいしか行ったことはありませんが、建物は古くてちっともかっこ良くなんかないけど、ふぐのモティーフがあちこちにあるあったかい駅舎だったと記憶しています。
天井が高くてどこからか光が差している下関駅の光景を思い出している時、容疑者逮捕のニュースが飛び込んできました。
「空腹でむしゃくしゃし、うっぷんを晴らすためにやった」
と供述したという。

どうしてそこまでうっぷんを溜め込んでしまったのでしょう。
74歳で住所不定無職という容疑者にとって何が問題だったのか気になります。
環境、孤独、高齢

中でも高齢は、生きている限り誰もが経験することで、他人事ではありません。
もう一つ個人的なことですが、ひとり暮らしをしている私にとって、ひとりでどうやって年を重ねていくかは、今からの課題です。
年金だけでは生活できないので働きたいけど、お金を稼げるだけの体力はない。体は思うように動かないけど、ひとりでいるから生活のことは自分でやらなきゃいけない。ヘルパーさんが来てくれるけど気を使うし。そして、さみしい・・・。そんなことを想像してしまいます。

年をとっていく不安と孤独感の両方を抱えた高齢者の心と、彼らを取り囲む人々や問題点について取材をしてみたいです。

<文責/泉 あい>

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コメント

数日前に通った駅が燃えてなくなるというのも微妙ですが。

加害者の憤りを取材するのも結構ですが、火を付けられた
側の憤りの取材も希望します。誰も亡くならなかったから
それで良いでしょうということにはなりません。

限られた時間での取材は大変かと思いますが期待してます。

投稿: 某S | 2006年1月 7日 (土) 22時12分

ご理解いただいているとは思いますが、念のために申し上げると、ここで注目しているのは犯罪ではありません。
視点は加害者・被害者ということでなく、高齢者へ向いています。

犯罪被害者を取材することは、私もとても重要だと考えていて、それには某Sさんがおっしゃるように時間がかかります。
すごく難しい取材になると思いますが、それもやらなくてはいけないと思っています。

投稿: ぁぃ | 2006年1月 7日 (土) 22時34分

高齢者対策?に限らず。何か始めると逆の方向に行っているような気がします。 介護などでも予防措置の方にマイナスに 動けなくなったら助けましょう。動けるならダメです。的に。老人ホームも限られた型にはまった老人にはよいけれど、自立心、向上心を持つ老人には厚い壁を作っている感じ。 介護などもお使いに行ってあげて、調理をしてる時は脇で噺を聞きながら眺めてる。ご馳走が出来上がったら勧めに従ってご馳走になり、その気はなくとも、今度教えて!と老人に自尊心を養う。こんな介護が否定されている。本人がすると言ってもやらせてはいけない。貰ってはいけない。話し相手はしない。 接することで自閉的に成らざるを得ないヘルプになっていないか? 教育問題でもそんな傾向?

投稿: 空海望 | 2006年1月 8日 (日) 10時23分

こんにちわ、

老いるということの実感はたぶん「ない」と思います。現在僕は青年期から見れば十分に「老いている」のですが実感はありません。おそらく何かが「できない」と実感するということが「老いる」という言葉に置き換えられたときに「老いる」のでしょう。

例えば、現在僕には地域に友人、知人はいません。(古里の隣町にはいますが)。では自治体なりが主催するそうした地縁を作るための催しに参加するかと言えば、しません。その気の重さはおそらく20年後も変わらないのでしょう。僕は現在地域では孤独ですからそのまま「孤老化」するのでしょう。

生活の連続性は現在の状態が永遠に続くような思考停止を与えます。ですが実は連続的に何かが「できない」ようになっていっているだけです。例えば、身の回りの片付けをおっくうに感じてごちゃごちゃの僕はやがて体の機能の低下でじわじわとおっくうさが進行し、部屋はゴミの山になるでしょう。ひとりゴミの部屋にいる。それが連続性が保証する僕の未来です。

そうした「老いる」ことの優れたレポートがあります。「時間の止まった家 「要介護」の現場から」関なおみ著 光文社新書 ISBN4-334-03292-3

訪問し、暗い玄関から上がろうとしたら「黒いじゅうたん」が、ざーという音を立てて移動した、などとは訪問ではよくあることです(ごきぶりがびっしりいたのですね)。取材の時には足用のビニール袋(アルミホイルの方が良いという人もいます)を御用意を。

投稿: 海野さだゆき | 2006年1月 9日 (月) 10時39分

老人になってもまだ、成人にはなれなかったんだね。
今日は成人の日、成人とは、「人が成る」と書く。
人としての行動を考えるきっかけとなる日であってほしい。

投稿: ボウイ | 2006年1月 9日 (月) 12時39分

空海望さん
教育の現場については、もう長いこと縁がありませんのでわかりませんが、介護保険の取材をした時に 空海望さんがおっしゃるような具体例はたくさん出てきました。
法には、こんなに曖昧じゃどう解釈したらいいのかわからないよというものもあり、こんなに細かく決める必要があるの?と思うようなものもあり・・・
法律があることで、現場で何が起きているのかを伝えることは、とても大切だと思います。

投稿: ぁぃ | 2006年1月 9日 (月) 22時33分

海野さだゆき さん
孤独の老人をテレビで見たり想像したりしていましたが、足用のビニール袋はリアルですね。
いろいろと考えさせられます。

投稿: ぁぃ | 2006年1月 9日 (月) 22時44分

きっとこの老人は、刑務所にいる方が毎日3回の食事がとれて、寝るところにも困ら
ないので楽なのでしょう。「むしゃくしゃした」との供述は、本音なのでしょうか?
国民年金を支払っていない若者が老人になる頃、年金制度がきちんと保たれていても、
支払っていない人は受け取れません。刑務所が、社会よりも住み心地が良い世の中に
ならないことを祈るばかりです。

※ 初コメントですが、いつも読んでいます! :-)

投稿: omori | 2006年1月10日 (火) 12時33分

omoriさん
祈ってばかりもいられませんよ。
どういう社会を作るかは、私たちひとりひとりにかかってますもの。
同世代の大人として、我々が年を取った時、
「あの世代がだめだったから」
と言われたくないと思いませんか?
一緒に模索しましょうょ。

投稿: ぁぃ | 2006年1月10日 (火) 14時29分

あいさん、こんにちは。お初にコメントします。
身近な視点が好きで、半年くらい前から拝読しています。

この事件は地域的に近かっただけではなく、「高齢者の孤独」という点で身につまされました。
身近に熟年離婚し、わずかな年金で母親と二人暮らしをする老婆がいます。家を追い出され、趣味もなく友人もなく、自殺を図った人もいます。
思いがけなく耳にした、強かったヒトの「寂しい」というつぶやき・・・
生活習慣の違い、核家族化が若い世代との共存を阻んでいるように思いますが、それだけではない何かが、新しい人間関係をつくることを拒否しているようにも感じています。
遠慮とか不信とかいうものではない何か。プライドのようなものでしょうか?
空海望さんのコメントに、なるほど、と思いました。

投稿: モントルー | 2006年1月10日 (火) 16時15分

モントルー さん
はじめまして。
高齢化の問題は、老いるとか体が動かなくなるとかそういう単純なことだけではないのかもしれませんね。
だからこそ取材してみたいです。
人の心を。

投稿: ぁぃ | 2006年1月10日 (火) 22時13分

すみません、揚げ足取りではないです。

>>高齢化の問題は、老いるとか体が動かなくなるとかそういう単純なことだけではないのかもしれませんね。

老いるとか体が動かなくなるというのは単純な現象ではありません。

僕は交通事故で重症を負い、寝たきりになりました。もう歩けないだろうという地点から手術とリハビリテーションによりスポーツができるところまで回復しました。体が動かないというのは、世界が強制的に変更されるような強烈な衝撃があります。例えば本来動くはずの足が物体となり手で移動させている時などの強烈な違和感です。

その違和感は逆の方向から説明がつくようになりそうです。脳梗塞などで脳に損傷を受けた人のリハビリテーションによる脳の変化を捉えられそうになっているのです。安静状態でなく、運動中のそれが撮れるようになったためです。リハビリで脳の活性部分が変化することが分かったのです。簡単に言えば壊れた運動のチャンネルの代わりに他のチャンネルが作られるということで可動領域が復活するというものです。逆に放置すると損傷部位の周縁部位が損傷部分の機能を侵食します。単純なモデルで言えば、手を司る部位が損傷し、それを自然状態にしておくと周縁の腕を司る部位がそこを侵食し、「手が腕としか動かない」ようになる、という具合いです。

脳は損傷部位によっては性格の変化を生じさせます。近年スキャンの性能があがり、以前は見落とされていた小さな梗塞を見つけられるようになりました。たとえば亡くなった僕の父は梗塞で倒れたことはないのですが、実際には複数の小さな梗塞が起っておりました。その部位では確かに性格の変化は生じ得ますし、実際父は晩年は少し人が変わったようなところが見受けられました。

老いるというのは、上記のほか、脳の萎縮など、人間の精神活動に影響を与えるであろう変化を生じます。「老人性うつ」とひとくくりに言われていた事は詳細がわかって行くことでしょう。体が動かなくなることから生じる脳内変化もです。

「いわゆる老人という問題」の全部が脳の問題ではないですが、老いるとか体が動かなくなるということが単純な現象でないという例を挙げました。

いずれにせよ、人間はアクティブに事態に対処しなくなると色々な「問題」を生じるように変化してしまうように考えます。(脳はアクティブな問題解決のためにあると言って良いような器官ですし)。「いわゆる老人」を受け身の存在として固定してしまうことが問題を生じさせるのは間違いないと考えます。

投稿: 海野さだゆき | 2006年1月11日 (水) 00時09分

海野さだゆき さん
揚げ足取りだなんて思っていませんでしたよ。
高齢者のこころを取材する上で、必ずうつ病などにぶつかるだろうと予測しており、そのうつ病が本来のものとは違い、脳梗塞などが原因になる場合があるということも知っています。
でも、なかなかそのような情報が表に出てこないので、長いスタンスで複合的に見ながら、ひとつひとつをお伝えしたいと思っています。
将来的に自分のやりたい取材に集中できるようになったら、取材対象者と長い時間向き合って取材をするつもりでいます。

投稿: ぁぃ | 2006年1月11日 (水) 10時23分

そうですか、ご存知ならば僕のざれごとは不必要でした。失礼しました。

これはエールだと思って頂けると幸いですが、以下

泉さんは現場で解決を構築する側ではない、文章で戦う立場を選んだのならば、まずは記事のいい加減さを文章のプロとして糾弾して欲しいです。

上記記事は

空腹だとむしゃくしゃする
むしゃくしゃするとうっぷんが溜る
うっぷんが溜ると晴らしたくなる

という順番ですけど、空腹で「むしゃくしゃします?」軽い空腹だといらいらするのはわかりますけど、この方は相当の空腹だったのではないですか。その場合はうっぷんが溜ると云うより憂鬱になりませんか。

どうも放火という決めつけと、放火は愉快犯という決めつけが重ねられていますけど

例年以上に冷え込むので暖をとろうとして焚火か何かをしようとした

とは考えられないかと。夜行が停車する駅は開いている事が多いです。寒さ凌ぎで避難していたのかもしれないです。だとしたらこれは放火と云うよりも失火、事故ということもありえます。
記事のままだとえらく元気の良い74歳です。

それに74歳で就職しているという人の方が珍しいのに「無職」とは。報道は3歳の幼児を無職といわないですが、定年が65歳と云う時代に74歳に「無職」。言葉の選び方に意図を感じます。
住居が「不定」というのは「あるけど頻繁に変わる」という意味でしょう。そもそもなかったらどう書くべきなのでしょう。これは人口移動が大きく、それが社会不安に直結すると見られていた時期に発明された言葉です。それは現在を表現できる言葉なのかどうか。

放火と云えば「むしゃくしゃしてやった」で、身分証明ができないと「住所不定無職」という新聞語に対して疑問だ、それが文章で戦う人の宣言しそうなことに思っています。そのために取材をして「むしゃくしゃ」している「住所不定無職」というのっぺらぼうから彼を名前も事情もある人間として「救出する」のですよね、たぶん。

ご自身の老後をその問題にひっかける形で語ったことで、解決を構築する立場からすれば、ではご自身は解決するための知識経験があるのか、とふと聞いてみたかった、それが僕の真意です。他人事でない、
とすぐに自分にひきつけて文章を綴るのは、問題が話題の彼にあるのかご自身にあるのか、読む方としては惑います。

何かの問題に取り組むという時点で自己内に同様の問題を感じるのは確かですが、こと他人の問題として取り組む時には、その解決が自己の問題解決になるような方法を選ばない、というのは他人の問題にかかわる者の倫理だと考えます。自己を語る時には、他人の問題にひっかける語り口には反対です。「わたしの老後」はそれとして語り、当該人物の74歳はそれとして語る、そういうのはどうでしょう。僕は記事が前者だとしてコメントをつけてしまい(なので僕は僕自身を語ってます)、どうもまとはずれだったようです。失礼しました。

誰かが言った「正義の味方」というのは、上記的「わたくしを語らない」姿勢を卑下した言い方なのでしょう。

ご参考になれば幸いです。

投稿: 海野さだゆき | 2006年1月11日 (水) 22時36分

参ったな!チョットよみ違えました。 私は世間知らずでした。
逮捕された福田九右衛門容疑者(74)が放火したのは刑務所出所の8日後で、動機について「行くあてがなく寒かったので、刑務所に戻りたかった」と話していることが

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1625667/detail

投稿: 空海望 | 2006年1月12日 (木) 19時23分

後から新しい情報が出てきますから、結果的に「読み違えた」と思えることは起きて当然だと思います。
事件報道は、警察の出す情報に依存しているのが現状で、速さを重視すれば、独自に取材をして情報を伝えることは難しいです。
でも、読者が考える材料として、時間がかかっても独自に取材する必要はありますよね。

投稿: ぁぃ | 2006年1月13日 (金) 14時31分

あい さん

 その通りだと思います。
人間の性というか、本質というか、誰も気付かなかった事象があるかも知れません。

投稿: 空海望 | 2006年1月13日 (金) 21時02分

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