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2005年12月10日 (土)

フリーランス・フェスティバル

今日は、フリーランス・フェスティバルへ行って、パネラーのひとりである作家の吉岡 忍さんの言葉に泣きそうになりました。
どんなジャーナリストも間違うことがある。もちろん名前や数字などの間違いもあるが、深刻なのは判断の間違いだと。
だから、取材の過程を明らかにするべきである。
主体は、そこにいる私。現場を見た私の見解であるということ。

1人称で書くこと、取材の過程を公開することにこだわってきた私は、
「そんなやり方をしていると誰にも相手にされなくなりますよ」
と大手テレビ局の報道局長に言われたこともありましたが、自分を信じてやって来てよかったと、トークショー終了後、思わず吉岡さんの元へ走りました。

帰宅して冷静になった今、「どんなジャーナリストだって間違うことがある」という言葉は、私は正解だと思います。
確かに、新聞社は組織で名称の確認作業などを行うと聞いておりますが、それでも誤報やヤラセをゼロにすることはできません。

大手企業を回った昨日のプレゼンでも、「新聞やテレビの情報には信憑性があるが、あなたの考えている報道機関は2ちゃんねると同じで、信憑性がない」と言われました。
でも、どんな媒体にも信じられる情報と信じられない情報があり、何を信じるかを決めるのは、それぞれ個人だと思うんですよね。
「新聞の情報だから信じる」という考え方は、思考が止まってしまっていると感じます。判断することを放棄していると感じます。

本音を言うと、「信憑性がない」と指摘されるのは、正直イタイです。それは、私自身、完璧に満足のいく記事など一度も書けたことがないからかもしれません。
私も「Grip Blog」に記事を書く時、間違った見方をしていないか、もっと別の視点から書くべきではないのかなど、毎回毎回不安になります。私が間違った判断をしていないかどうか、その答えは読者の声を参考にします。
間違いがあれば謝罪し、なぜ間違えたのかを追究し読者に説明する。そうすることで再発防止を明らかにし、努める。
悪意を持って書かれたものは別ですが、報道機関と言えども人間が判断するわけですから、読者がしっかりと監視して、個人が判断するという形のジャーナリズムが必要なのだと私は考えます。

吉岡さんと同じくパネラーの広河隆一さんは、記事を書いている人の考え方、生き様などを見て、その人の書いた記事だから信用できると判断するのだと言いました。
その通りです。記事を書いた人のパーソナリティを知ることは、情報の信憑性を判断する上でとても重要だと思います。

読者とジャーナリストの信頼関係を築けるためのシステムを考える上で、今日のイベント参加は大変参考になりました。
信憑性を追究するため、もう一度考えてみます。

<文責/泉 あい>

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コメント

>読者がしっかりと監視して、個人が判断するという形のジャーナリズムが必要なのだと私は考えます。

確認してくれる読者が、「たまたま」「その記事に限り」いなかった場合はどうしますか。それは、報道機関での内部チェックを放棄するという意味ですか。

あいさんに限らずなんですが、ジャーナリストの方の考え方は常に「個人」なんですよね。フリーであっても、組織にいても、「組織による保証」じゃないんです。

他の業種はそういう考え方をしません。
「ヒューマンエラーは必ずある」。どこの業界だって知っています。報道にだけ幻想を抱いている人はいません。

問題は、他の業界が何重もの検査を経てエラーを炙り出す体制を整えているのに、報道機関だけ極端にいいかげんだということなんです。

「人は必ず間違える」「でもあとで反省すればいい」じゃないんです。普通の企業は。「エラーはある」「だから」「検査を厳重にする」んです。

文章を扱う企業は報道の他にもありますよ。でも、チェック体制厳しいです。報道だけどうしてこんなに甘いんですか。

あいさんを責めているわけじゃない。でも、これだけ被害の歴史があって、きちんとした検査体制が求められているのに、、報道の側では検査体制をギブアップしようとしている。読者にその役を押し付けようとしている。自己責任を押し付けようとしている。

それにはユーザーとしてはっきりとNOを言います。
「人柄」よりまずエラーを発見するシステムをきちんと整えて下さい。それが読者に対する誠意です。

とりあえずドキュメンテーションということを調査してみてはいかがですか。メーカーの方にご意見を聞いてみると、メーカーがいかに厳重なチェック体制をしいているかわかりますよ。ある記者さんに聞いてみたら、そんなこと報道機関では全然知らなかったみたいですけど。

投稿: 風評被害も | 2005年12月11日 (日) 13時48分

風評被害もさん

私もやらせやねつ造問題で取材をしましたから、そのような問題に対して開き直っている報道機関があることを知っています
報道被害をゼロにすることは、現実として不可能だとは思いますけど、開き直れる問題ではなく、報道に携わるなら、ゼロにするため最大限の努力し続けなければならないと以前より考えています
私もいろいろ駆け回り「どうしてわかってくれないの?」と落ち込んで帰宅したいたところへ、「できないなら止めてください」と言われ意固地になり、素直に風評被害もさんのご意見を聞き入れていなかったと反省しています
報道被害を直接受けた経験のない私には、受けた方の本当の気持ちを理解できていません
もっと被害者の方の気持ちを考えて、もう一度考え直してみます

考えるきっかけをくださってありがとうございます
また情報などいただけるとありがたいです

投稿: ぁぃ | 2005年12月12日 (月) 11時00分

こんにちは。
風評被害もさんのおっしゃっていることはよく理解できますし、確かに重要な点なのだろ うなと思います。しかしここまで泉さん側の提案が仕様書などの形で具体化して提案され てきたのだから、コメントを出すこちらとしても今の段階で求められているのは具体的な アドバイスや提案ではないかなという気もしました。
別に風評被害もさんだけに言いたいわけではなくて、最近のここのコメントの傾向として 気になっている事なのですが・・・。

私は風評被害もさんのコメントを読んで、新しい報道機関のチェック体制としては記事が 提出された段階で取材対象者や関係各機関に「このような記事が書かれてきましたが、事 実ですか、掲載してもいいですか」という確認を取ることをまず考えました。これだと電 話、メール、ファックスで行えます。またこのような確認は既存のジャーナリズムでも形 の差異こそあれ、大抵行われていることだと思いますので、新聞記者さんなどにも知恵を お貸し願えるのではないかなと推測しました。
もちろん次の段階として、「事実であるが掲載は困る」と言われた場合や、記者と取材対 象者がグルになって嘘を付く場合も考えましたが(広告目的の記事、ベイドタブなど)、 それは一つ一つ解決していく問題かなと。

例えば新しい報道機関に記者として登録する人にしても、いきなり誰でもいいですから登 録してくださいと門戸を開くのか、それともこれまでの泉さんの経験から信頼できる人だ けに登録をお願いして最初のスタートを切るかで、考えられる危機管理の方向性も変わっ てきます。
また上記のような取材対象者に最終決定を委任するチェック体制は、告発であるとか権力 との対決であるとかでは使いにくい(ある意味弱腰)ですが、泉さんがかねがねおっしゃ っている身近な問題を自分の事として掘り起こしていくという姿勢なら、そんな方法でま ずはいいんじゃないかなという気もしますし。

別記事である方が「ボランティアがいつの間にか強要や義務になっていく」と揶揄もされ ていましたが、何か一つの形あるものを作り出そうと思ったら、絶対に型枠にはまってい くのは避けられない事で、それこそ理想図を思い描く限りでは何でも言えますし何でも言 っていいのでしょうけど、何か具体的なものを作り出そうとしていくのなら発言により責任を負うことは(具体案の提示など)、泉さんのみならずコメントという形で参加する我々も受け入れるべき犠牲ではないかなと。また別にそんなことで、コメントを書く人の本当の自由が失われるとも思いませんし(自由と責任って本来表裏一体ですよね)。
自らもコメントを書くものの立場として、最近はそのようなことを思います。

投稿: Aa | 2005年12月12日 (月) 11時53分

Aaさんのやり方の場合、報道としては機能しないと思われます。
損をする人がいれば即「書くな」になりますから。
毒にも薬にもならない記事以外は全て「ここに解決する問題」
になっちゃうんじゃないでしょうかね?

投稿: イケメン | 2005年12月12日 (月) 13時51分

Aa


10

投稿: | 2005年12月12日 (月) 17時37分


投稿: | 2005年12月12日 (月) 18時03分

風評被害を説いてる本人がURLもメアドも公開せずに匿名で批判ですか。
それで人を説得させようってのが凄い
楽しい人だw

投稿: 紅 | 2005年12月12日 (月) 19時10分

あなたの言う風評被害って、そんな匿名の名無しさんの情報から始まるんじゃないの?
自己矛盾の塊のような人ですね

投稿: 紅 | 2005年12月12日 (月) 19時12分


URL

URL

10

URL

2

HN

投稿: | 2005年12月12日 (月) 19時29分

あらら
1つよくわかったことは、あなた草案書も仕様書もちゃんと読まないで批判してるってこと。
少なくとも私は完全じゃないけど読んでいて、あなたの上の質問の回答が仕様書に書いてあることは知ってますよ。

内容を全然理解してないで、よく批判できるくことだ・・・
議論する価値ないので風評さんへの返信は止めます。

投稿: 紅 | 2005年12月12日 (月) 19時38分

>ぁぃさん
国民投票法案のとき、「加害者側」になった私には、すごく感じるところがある問題です。

わたしはGRIPさんが"ぁぃさんにとっての事実"を追っているというスタンスだからこそ、読んできた気がする・・。ではぁぃさんが"真実"を追えていたのかどうかと聞かれれば"これが真実でしたよね"と断言するのはすごく難しいなとは思った…。(そして、だからこそ自分の問題として読めているのかもしれない。。既存の"報道"という単語ではおさまりきらないなにかは感じてます。。)

なので、そういう性質のものとは、元々どこまで保証できるのだろうか…という疑問は、正直ありますが…例えば間違いが発覚し、たとえ書き手がミスを頭でわかっていても、謝罪文や声明文の発行が受け入れられない時もあるかもしれない。ルールっていうのは、そのために生まれていくのかもしれない(もしかしたら、倫理観って、人対人、からしか生まれ得ないのかもな、とも感じてもいます)。自分自身の記事を思い出してみると、今ひやっとしたんだけれど…明らかな誤報記事だったばあい、相手は訴訟だってできたわけで… ルールは決して書き手を虐げるだけに存在するものでもないわけだし、組織の運営上、資金面でも結構重要なところでもあるはずですが… たとえば、参加ルールにおいて、応対のまずさを、組織に対し責任を負わせるのか、書き手に責任を負わせるのかとか、場合によっては、これも一つの抑止力とか当事者意識にはつながるのかなぁ… そういう意味で、機関内の組織と個人の関係って言うのもまた、課題になってくるのかもしれない…とか… 

確かに、ぁぃさんの(そして未来の参加者の)報道機関に限らず、ネットにおける報道的色合いの強い記事と、それへの討論というものは各種各所で既にはじまっているわけで、そういう意味では、被害も既にでている。(*そしてわたしは、やってしまったうちの一人…_| ̄|○) で、報道機関において、エラーを発見するシステム,というのが今だ確立されていないというのは、確かに重要な問題だと思います。知らないままやってしまった!という人も、きっとでるはずで。。参加者が傷つけるだけじゃない、参加者も同じように傷つく可能性もある。。けど、そのなかで生まれてくるものもまた、あるかもしれないと、、この前のことを通し、自分自身は感じてます。

以下は立場によっては、気持ち的に抵抗のある書き方になると思いますが… 例えば、うちは製造職ですが、ミスの再発をふせぐには、やはりミスの事実の積み重ねからの検証作業ということになりますよね(つまりプログラムで言えばログからの原因分析になるのでしょう)。なので"取材の過程を明らかにするべきである"というところは、そのエラーチェックシステムの1端ではあるのかなとは感じました。(私は部分引用における被害を考えて、結果的に記事を削除しましたが…)

ただしそれが可能なのは「物理的にはっきりした原因」によるものと特定しやすい性質をもっているからなわけでもある… よって残念ながら取材って言うのは、玉虫色の真実にしか辿り着けないなと、完璧に被害を抑えることは不可能だと、感じてます(玉虫色には、いいとこだってありますが!)。しかし最小にする努力はできるはず… 

思い出すのもイタイですが、自分の例から考えてみると、例えば、過去書かれたすべての記事に、機関そのものとしての声明、見解を表示させる仕組みづくりとか…blogならなおさらソースにたどりつきますよね…(ので、例えば、blogやブラウザの開発抱きこみなども、アリではと思ったりとかしたりします…)。個人的には、組織表に報道被害対策のチームの設立も必要なのかもしれないのかなと思います。(この場合、勿論、開始前までは、私たち読み手がいろんなケースを想定してアイディアをだしていくことができる訳ですが…) が、参加者の数だけ事件は増える…。これはどれだけ予算を持っていても厳しいのは確かで…

間違ったり、ついふと魔がさしたり、それは誰にでも起きる… 期せずして身を持って経験したわけですが、私の行為でつくる会がどの程度信頼を回復してもらえたのかはよくわからず、今も気になっているところもであります。たとえば参加者にアンケートをとり声明が読み手に的確に伝わったかを集計し再び対応を決めるなどもよいかもなぁと思います。(できるだけ回答を得られるよう、ログイン時に回答しないと入室できないような設計にしておくとか…)

究極、専門分野の取材などになると、素人ではもはや検証や判断すらできないような問題も多々ある… ただ、過去の取材でも、ぁぃさんの記事への結論というのは、たとえコメント不在であっても、一方的なコメントのみでも、読者には様々な色あいを残しているのでは、、とは想像はします… そして

記事がおとしこまれ"つづけ"、討論され"つづける"。

これは個人的に広範囲のテーマで取材をするGRIPさんだと、逆に続けるのが大変な作業では、ありますよね。非常に逆説的な書き方になってしまっているのですが… 世間をにぎわす話題でなくとも"報道機関内"において(?)そのテーマが放置されないということは"組織"として行なうメリットでは、あるのかなぁ。。と想像したりします。関連内容を探しやすく、流れを把握しやすい構成になっていれば、記事のみならず、声明なども、目に触れる機会も増えるはず…

とりあえず、過去のわたしのミス、ドキュメンテーションの事例としての、1例にしてみてください。(ただ…これは各例を追っていくと相当膨大な量になってしまう上に、言論の自由にぶつかってくる問題にもなってくるようにも思います… 組織、として考えるのであれば、出口から抑えたほうがよいのかもしれないですね…)

それから、もし、過去の報道機関のように「報道機関」を「人格」として扱わず、自分自身の問題としてダイレクトに討論し検証していく…と、強くそういう意図を持たせるのであれば、ユーザ側にその意識をもたせるインタフェース(デザイン、キャッチコピー、雰囲気等も含め…)を実現する必要もまたあるのかもしれない… GRIPさんのサブタイトルが"私が見た事実"というところにもまた、なにかヒントがあるように感じています。書き表せないけど…時に、場所が人(もしくはネットにおける擬似人格になるのかな…)を選んだりもするかなと…

もう一つ。過去のwebでもblogでも、だんだん過激なものや面白いものが、アクセスやコメント、TBが上昇する傾向は高いと思う。書き手のはまりやすいところでもあるはずです(例えば「釣り」が、ある種のスクープ的性質を持ってきていると感じたりとかしませんか…?)。勿論読みやすくとっつきやすいことも大切だと思いますが、記事へのインセンティブをどう置くかは、報道機関の気風を左右するかもなぁ・・と。風評被害のおきやすそうなものに関しては、投げ銭にも性質に即した対価があるとよいのかなぁ…などと、今ふと思いました。

かなりとりとめのない長文…もうしわけないです。長いからホントはTBにしたかったけど、時系列考えて、コメントにしてあげておくことにしました。(PC具合悪くてPDFフリーズなので、、的外れだったらほんと、スミマセン。。)

広大なWEBのなか、例え焼け石に水でも、参加ユーザーの意識も、確実に場をつくってく因子の1つじゃないかなと思います。それはこの前の民主党懇談会のみんなの反応見てすごくかんじたことでした。怖いなとは思うけど、あの時の空気に、なにか書きあらわせないような感覚をうけたこともまたたしかかな…
ともかく、それぞれの立場から、お互いがんばりましょう(^-^) ではでは。。 

投稿: ぼこ。 | 2005年12月13日 (火) 00時03分

“ブログ報道機関”とは言っても“日記風”では困ります。
“報道”を標榜するならば、記事内容の信頼性・信憑性に対するチェック機能は十全に確りと作り上げて貰いたいものです。
其の如何によっては、大袈裟に言えば、報道機関としての信用性を高められるか否かの---有り体に言えば、報道機関の一つのカタチとして認知されるか、2チャンネル系に堕してしまうかの---分岐点でしょうか

初めから完璧なシステム作りは、とても無理な話で、綻びやほつれを繕いながら整備していくことになるのだろうと思いますが、
現時点では、記事内容や人的組織や金銭面等で中立性を保てる厳正なチェック機能が何処まで付けられるか、チェック機能そのものの信頼性の有無など、不安な面は否めません。
一人や二人或いは数人と云った程度のチェックでは、万人の信頼を得られること、難しいかもしれません。

記事内容にしても、ブログを見たり、書いたり、読んだりしている人の、どれほどの人が、雑文的な文章ではなく、確りとした、論理的な文章を長文に亘って書けるか」
重要な要素ではありましょうか。

其の点でも、記事の書き手は誰であっても構わないと謂うわけにはいかないです。
記事内容が正確であるかどうか。
所謂、“ウラを取る”必要もありますから、その意味では
書き手は、自ずと限られた人間になってくるでしょう。

そうしたものを含めて『風評被害も』産は心配しているのであって、単なる批判ではありません。

如何なる事であれ、賛否両論付き纏うことは致し方ないものではあります。
批判が在るからこそ、成長もできます。
風評被害も氏は、彼なりの考えで “良かれ、こう有れかし”
と意見を述べているのです。

それが感情的な反応になり下がってますね。
その様な姿勢では、論理的・倫理的文章を要求される“報道機関”への“読み手”以外の参加は、不向きと云えるかもしれません。

亦、敢えて言えば、人気投票的な部分は、無くもがなとも、思います。

理想と現実の狭間で、なかなか楽な道筋ではないでしょうが、
遣り抜き通していただきたいものです。

投稿: けいしゃ | 2005年12月14日 (水) 00時31分

コメントやメール、またはリアルでお会いするなど、いろいろな方からご意見をいただいています
「泉さんは影響されやすい」とお叱りも受けていますが、しっかりと自分のやりたいことを見据えながら、皆さんのご期待に添えるものを作りたいと思います
ありがとうございます

投稿: ぁぃ | 2005年12月15日 (木) 02時18分

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