今年一年を振り返る〜「新潟中越地震に見るマスコミの教訓」
今の私があるのは、「新潟中越地震に見るマスコミの教訓」というテーマに取り組んだからと言っても過言ではないと思っています。
それくらいこのテーマでいろいろなことを学びました。
マスコミ各社やキャスターへ取材依頼をしたのも、上越新幹線に乗ったのも、新潟へ行ったのも、ネットカフェへ行ったのも、みんなみんな初体験です。
何より今の私の支えになっているのは、人に会って話を聞くことの大切さを教えてくれた旧山古志村の人たちとの出会いでした。
「元気なんだから、みんなで仲良く」
体にどんどん雪が積もるほどの寒さの中、話してくださったおじいさんの笑顔を今でもはっきりと憶えています。
見ず知らずの私をこたつへ入れてくれ、娘の様だと心配してくださった方もいました。母の様に温かかったその方は、
「山古志の人はね、辛い時もじっと耐える強さを持っているんだよ。昔から深い雪の中で暮らして来たから、そういう性分が身についてるんだね」
と教えてくれました。
懐かしい方々は、おそらく今日も深い雪の中に包まれながらも、みんなで支え合って笑って過ごしていらっしゃるのでしょう。
山古志の方たちと接してから他人事とは思えなくなり、狭い仮設住宅で暮らしている方がいらっしゃるという被災地の報道を目にする度に、お尻に火がついた気分になります。何が原因で復興が進んでいないのか、被災者の方にとって今必要なのは何なのかなどを伝えることが私のできる恩返しではないのかと。
「暖かくなったら、また来ます」
と約束してからもうすぐ1年経つのに、その復興を全く取材できていない私の胸が痛みます。
そして、全く関係ないけど、今騒がれている姉歯設計事務所の構造計算書の偽造のことを考え、彼らは神戸や中越で起こったことをどう見ているのかと怒りがこみ上げてくる。
この取材で得たことは、今取り組んでいるプロジェクトへも反映されています。
インターネット上でのマスコ批判と、長岡の仮設住宅で被災地の方々に聞いた話とは、かなりの温度差がありました。
当時私が見たネット上の情報のほとんどが無記名で書かれたもので、何が本当で何がデタラメなのか全く判断できず、それが混乱を招く原因になっていたと思います。
そのことから、自分で取材をして得た情報なのか、どこからか引用した情報なのかなど、情報を種別化することが大切だと考えています。
また、ネット上で行われている議論に、取材をして一次情報をプラスする重要さも学びました。
今取り組んでいる報道サイト立ち上げのプロジェクトには、このテーマで学んだことを随所に盛り込んでいます。
未だに取材できていない被災地の状況を、新しいサイトにUPできるよう頑張らなくっちゃ。
<文責/泉 あい>
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コメント
情報を種別化
…それは結局モラルの問題になるんですよね。
そこで、そのモラルに準じている者を見分ける指標としてのアイコンをブログに掲げるだとか、引用の書式を統一するだとか、モラル(書式)を提供するHPを立ち上げるとか。
そのように「型」が出来上がれば、その「型」に準じていない所に苦言が集まったり、仲間内での規律を高めようという心理的バイアスが働くと思うんですよね。成員に。
それが便乗というか模倣というか…威を借る狐を排除する事にも繋がると…。
一時情報か二時情報かその情報の流れを追える為のトラックバックに期待していたけれど、この機能はそれを果たさない方向に利用が変化していった。
仕組みとしてプログラムとして誰にも期待できないならば、やはりモラルを構築して行くしかない…ではないでしょうか。
投稿: 妙訝 | 2005年12月25日 (日) 15時26分
妙訝 さん
モラルについては、答えが出ないと思います。
でも、考え続けなくてはいけないですよね。
投稿: ぁぃ | 2005年12月27日 (火) 22時08分
出ないですね。それは宗教と同じ。約束に過ぎないから。
誰かが実践して、他がそれに準じるしかない。
大きく広がるかマイナールールで終わるかは時の運。
ぁぃさんならば、それを演じられると感じたので思い切って提案してみました。
投稿: 妙訝 | 2005年12月28日 (水) 06時02分