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2005年12月27日 (火)

今年一年を振り返る〜「マスコミは何を学び、何を実行しているのか」 

このテーマを取材していた頃、本当にたくさんの涙を流しました。
取材交渉もドキドキしながらでうまく説明することすらできていませんでしたから、今なら、無駄な涙も多かったな・・・と振り返ることができます。
この頃の文章もひどいですね。自分で読んでて顔が真っ赤になります。
でも、この取材でいろいろな方からトラックバックやコメントをいただいて、自分が書いたものを読んでもらえることの喜びも知りました。

今もマスコミに取材交渉をすることがありますが、たった数ヶ月でインターネットに対するマスコミ各社の意識は変わってきているという印象を持っています。
当時、「媒体はインターネットです」と言うと、
「フリーからの取材申し込みをつなぐ部署はない」
とどこへもつないでいただけなかったり、
「広報部は個人のものではない」
と半ば叱られ状態だったこともありました。
しかし、今では、「媒体はインターネットの私個人のHPです」と説明しても、冷たくあしらう人はマスコミに限らずほとんどいません。それだけ「ブログ」が認知されてきたと実感します。

この数ヶ月の間に、大手マスコミの記者と肩を並べる機会も増えて、カメラとカメラがぶつかれば「ごめんなさい」と言い合ったりして、取材の現場にいる人を身近に感じることもありました。
道路での取材の場合、できるだけ通行人の迷惑にならないように気を配るスタッフの姿も見ていて、現場の人は、自分たちが批判の対象になっていることをかなり意識しているという気がしています。
ただ、シンポジウムに参加して、かなりのお偉いさんというポジションの方のお話を聞いた時、「ぁぁ、この人って、テレビがマスコミの中での頂点だと考えているんだなぁ」と思ったことがありました。
例えば、イラクのサマワで何が起こっているのか情報が伝わって来ないので、伝えられないと言う。その悔しい気持ちは理解できるけど、現地のマスメディアに頼って独自の取材を放棄して、「それで良し」としている。
また、今年の選挙で「テレビが小泉さんを勝たせた」という批判を受け、それを真摯に受け止めていると言うが、刺客、お家騒動などワイドショー向きな材料を小泉さんが投げていたと彼の口から出てくるのは、自分を正当化する言葉だけ。真摯に受け止めて、それをどう学び今後どうするのかという言葉を聞くことはできません。
自分を正当化しているだけの彼の態度の端々から感じることは、彼の中でテレビは永遠に王様なんだってこと。
大きなテレビ局の報道を左右する人が、何が問題なのか理解していない。いや、問題を認めようとしていないのだと実感します。
それは、テレビを支持する人が絶対的に大多数だと信じているから。

「マスコミは何を学び、何を実行しているのか」
このテーマの後、多くのマスコミ各社で働いている人に会うことができましたが、彼らが何を学んで何を目指しているのか、まだ答えを出すことはできません。
既存のマスメディアの中にも、今の地位が絶対ではないと危機感を持っている人はたくさんいます。そして変わって来ているという実感を私自身は持っています。
でも、何せ、その速度は遅い。
遅いのは、問題意識を持っている人と、持っていない人の感覚に大きな違いがあるからだろうと思います。

一方、インターネットで個人が情報を発信することができるツール「ブログ」が広がっている速度は速い。
そのお陰で今の私があるわけだし、だけど既存のマスメディアも必要不可欠なものだと思います。
これからインターネットで報道活動をしていく上で、新たな問題点がたくさん出てくるだろうと予想していますが、その問題は必ずしも解決できるものばかりではないと覚悟しています。
「何を学び、何を実行しているのか」
これからは、常に自らに問い続けます。

<文責/泉 あい>

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コメント

ビデオニュースさんの事例に表れているように、インターネットもポータルサイトを牛耳れば、ネットなど殆ど掌握可能な媒体だというのが、経済界中心に居る方々の認識なのではないでしょうか。

お偉いさんに対して、何も知らない裸の王様だ…との認識は、かなり危険かもしれません。その認識は我々の自尊心を満足させてくれますが。

地上波の完全デジタル化までは未だ何年もありますが、それがタイムリミットと認識すべきかと。そこまで逃げ切れば、TVはネット端末ともなり、大企業の大量生産によって、安価で高性能の端末が提供されることになるでしょう。
そこではおそらく携帯電話のように、ポータルサイト組込型の製品で売られることでしょう。
そうなってしまえば、今のパソコンユーザーが夢見ているような未来は完全に断たれると思われたし。管理された情報を管理されているとの認識無しに使わされる世の中。見せかけの自由意志に踊らされる世の中に。

今年のTV局買収騒動は最後のチャンスであり、もはや手遅れの状況にあるのかもしれませんが。

投稿: 妙訝 | 2005年12月30日 (金) 05時57分

>お偉いさんに対して、何も知らない裸の王様だ…との認識は、かなり危険かもしれません。

私が言いたいのは、このお偉いさんだけに関して言えば、「何も知らない」のではなく、自分がやったことに対して世の中にどういうことが起きているのか、自分たちのどういう面が弱いかなどを知ろうとしていないということです。

永遠の王様なんて有り得ないわけだし、そもそも報道という仕事をしていて、しかもそこの責任者であるのなら、努力をし続けるべきではないかと、彼と話をしていて感じました。

完全にデジタル化されれば、テレビのシステムも当然変わってくるでしょう。
でも、今の体質ままデジタル化されたとしても、ユーザーの声を聞くのかという疑問は持っています。
テレビそのものが、ユーザーの欲求を満たし、理想へ向かって努力し続けるのであれば、ネットはすたれてしまっても、社会にとって良いことだと思います。

投稿: ぁぃ | 2005年12月31日 (土) 11時26分

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