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2005年12月 1日 (木)

ジャーナリストとは

今日は昨日に引き続き企業へ電話した後、夜は「DAYS JAPAN」の広河隆一さんの講演会へ行ってきました。
テーマは「メディアは命を救えるか」
重いです・・・。

「ジャーナリストの仕事は報告だけじゃない。監視の意味もある」
冒頭に、広河さんは自らの体験を振り返りながら言いました。

1976年、イスラエル。
広河さんはパレスチナ人の男性に出会い、
「なぜ1週間前に来なかったのか。1週間前に来てくれれば、自分の娘は死なずにすんだのに」
と責められ、なぜかと聞くと、
「イスラエル兵は外国人ジャーナリストの前では無茶なことをしない。だから、あなたが1週間前に来てくれていれば、娘を殺されるような無茶はしなかっただろう」

戦争の現場を伝えるためには、戦争が行われている中に入っていかなくてはならない。
しかし、加害者は被害者がどういう状況にあるのかを隠したがると広河さんは言います。イスラエル兵はパレスチナ人の難民キャンプへ入ろうとするジャーナリストを拘束し、プレスカードを破り捨て国外退去させるそうです。アメリカも然り。
一度、イスラエル兵に追われている時、パレスチナ人にかくまわれたことがあるそうです。イスラエル兵に見つかれば、ジャーナリストは国外退去で済むだろうが、パレスチナ人の方は射殺されるであろうと言います。それでも、今自分たちに起きていることを世界中へ伝えてもらうことでしか自分たちの助かる道はない。
ジャーナリストが、世界中に散らばっていることがいかに必要であるのか、改めて知った気がします。

しかしながら、日本にいてよく目にするのは、人々の画像ではなく爆撃の風景。
広河さんは、「本当にこれでいいのか」と言います。伝えるべきことは爆撃の後にどういうことが起きているのかということ。本当に大切なのは、人の生と死ではないかと問題提起します。
米軍の従軍記者たちは何を見てきたのか。軍隊のことしか見えない自分をジャーナリストだと勘違いしているが、軍の宣伝をしているだけではないかと指摘しました。
結果、被害者のない姿の戦争が描かれてしまい、被害者がいないかのように映し出されているのだと。
そのことを象徴していると思ったのは、よく聞く「自爆テロ」という言葉です。日本のマスメディアは抵抗運動をする人たちを一括りにして「テロ」と呼んでいると。なぜ自分の体に爆弾を巻いて米軍の中へ突っ込んでいかなくてはならなかったのか、テロと呼ばれる人たちの事情は、何も伝わって来ないのです。

都合の悪いことは出さない。加害者は必ず被害者を隠すのだと広河さんは言います。しかし、隠されているのは何かを伝えるのがジャーナリストの仕事のはずが、メディアは自己規制をしているとも言います。更には、私たち視聴者もそれに加担していると言うのです。
それは、私たちの税金が使われているから。だから私たち日本人もそこで何が行われているのか目をそらすべきではないのに、現実を伝えようとするジャーナリストはいても、それを取り上げるマスメディアはなくなっているそうです。

「私たちにはみんなしあわせになる権利がある。しあわせになるために知る権利もある。それに後押しをされて仕事をするのがジャーナリストである」
私の肩にも、広河さんの言葉がずっしりと重くのしかかります。
「会社のことは考えるが、後ろにある読者・視聴者の目が見えなくなってしまったジャーナリストが増えてきた。それは会社員でしかない」

私は記者クラブの取材を通して、既存のメディアに所属している記者にお会いする機会が度々ありましたが、自分の人生をどう生きるかは個人の自由であると思うので、自分の生活を豊かにすることが目的で記者として会社属して報酬を得る人を責める気はありません。
ただ、既存のメディアは上ばかり向いて、政治家や官僚がしていることばかりを伝えているという気がして違和感を覚えます。そんな中で、今日も会場でお会いした古居みずえさんの写真に共感します。
彼女の作品には、戦争の中で生きる女性の姿がたくさん描かれています。それも、長い時間ホームスティをして取材対象者とコミュニケーションと取りながら撮影が行われるそうです。
彼女の作品は、爆撃のような激しい絵ではなく、静かに、でも確実に時が流れていると実感できるものたちです。

私が目指す報道機関も、彼女の写真のように人々の生活に目を向けて、そこで何が起こっているのかを伝えたいのです。だから、それぞれが持っている情報を集める仕組みを作りたい。そして例えば、税金を支払っている私達自身が、現場での税金の使われ方の事例を集め、それをそれぞれ税金を払った私たちが、当事者としてどう捉えるか議論してみたいと思います。

今日のスライドで映し出された広河さんの写真は、戦場のものやチェルノブイリなど、生と死がはっきりと描かれていて、本当に重いと感じました。
では、私たちが生活しているこの日本は、平和だからジャーナリズムは軽いのかと言うと、決してそんなはずはないでしょう。
最後に広河さんは『ゆでガエル』の例え話をしました。
「熱いお湯に、生きているカエルを放り込むと、カエルがびっくりしてお湯の外へ逃げ出してしまう。だけど、水の時からカエルを入れてゆっくりと熱したら、カエルは気づかずに・・・」
こわい例えですね。
私たちは、報道を静かにゆっくりと見殺しにしてしまうのでしょうか。

<文責/泉 あい>
GripForum - 報道メディア設立企画フォーラム

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コメント

私は2度、プライベートで、イスラエル・パレスチナへ訪れています。
半年間滞在していく中で、報道だけでは国の全貌は見えてこないことを知りました。
これは、イスラエルに限らないことですが。

報道に取り上げられる事件を知ることは大切。
でも、その裏側にある、人々の生活や空気を知る機会も欲しい。

「生きているということは悲しみだけじゃないはずです。
希望を求めて、信じられない行動に出ることもあるのだから。。。」
一個人として、そんなことを考えながら、ベツレヘムの旧市街を歩いていました。

投稿: みか | 2005年12月 2日 (金) 09時20分

世界中に、あまりにも多くの問題がありすぎて……。
日本で伝えられる情報には偏りがあるというし、その偏った報道にすら、人は全てに反応できません。
あいさんのおっしゃるとおり、当事者意識を持って感情移入できる情報に、自分は反応するんだろうと思うものの、例に挙がった税金の使途1つとっても、問題は限りなく拡散していくわけで……。

以前、ジャーナリストに主義主張があってはいけないとおっしゃった方がいましたが、やはり伝えるという行為の背景には、人の意識を動かし、行動を促すという目的があるはず。
GripBlogに求められるものが、速く広く浅くではなく、じっくりポイントを絞って深く……であるなら、なおさらどんなテーマで何を伝えるかが重要になってくるな、と思いました。
取材対象の選定を、参加者の意見や希望に応じて、としていいのか、そうするとどんな形になるのか、専門性が高いほど閉じられた空間になっていく懸念はないか……。
そんなことを漠然と感じました。

投稿: 美也子 | 2005年12月 2日 (金) 09時55分

一度、電話でお話したことがありますよね。そのときは失礼いたしました。

私は、インターネットで情報の産地直送が可能になった今、あいさんのような市民のジャーナリスト活動の有用性を感じるとともに、情報エージェントであるだけのジャーナリストの無価値が露呈してきたと思うのです。情報の問屋さんが旧来の感覚でえらそうにしている。でも、メイカーも最終ユーザーも、問屋の論理の独善を感じ、問屋をさけて通ろうとしている。そういうことだと思うのです。

アネハ事件も広島の女児殺害も、批判したり糾弾しているだけ。それだけでジャーナリストたりえた時代は終わっていると思うのです。ニュースショーが解決策・打開案を提案することもできるはず…。

*

大人げもなく、報告と監視という文言に反応してしまいました。

ご活躍をお祈りいたします。

投稿: sponta | 2005年12月 2日 (金) 11時14分

泉さんが考えられていることは伝わってきましたが、また紋切り型の部分があるなと感じました。

>なぜ自分の体に爆弾を巻いて米軍の中へ突っ込んでいかなくてはならなかったのか、テロと呼ばれる人たちの事情は、何も伝わって来ないのです。
私はNHKのスペシャル番組で自爆テロをする側の事情を特集したものを見た事もありますし、本になるともっとたくさん「テロをする側」の事情を書いたものがあります。
伝わってこないのではなく、知ろうとしないのではないか、という懸念もあります。

>ただ、既存のメディアは上ばかり向いて、政治家や官僚がしていることばかりを伝えているという気がして違和感を覚えます。
政治家や官僚、権力の側を向くというのも大切な事で、一つには権力の監視がありますし、もう一つにはそういう権力はちょっとした動きで何万何百万もの人の生活を左右していくのです。
逆に草の根の生活情報は、それはそれで大切ですが、動かされるのはせいぜい数人の生活、という事情もあります。
また新聞は一面で政治や経済を報道しますが、中程にはちゃんと社会欄や文化欄があって、草の根の生活情報や活動も伝えています。
なんだかこの一文はあまりにも定型的すぎるというか、浅い見方だなと思いました。

またこの文章全てを通して、泉さんにぶつけてみたい質問があるのですが、既存のジャーナリズムを批判し、また既存のジャーナリズムにはないものを求める泉さんが、新しい報道機関を立ち上げるにあたり、なぜ「既存のジャーナリスト」に声をかけようとしたのですか。
例えばこのブログ上で「新しい報道機関の記者になりたい人を募集します」という呼びかけがされなかったのは何故でしょうか。

私が泉さんの構想でどうしても分からない部分は、アマチュアの草の根ジャーナリズムを目指すのか、プロの新しい報道機関を目指すのかという部分です。
「自分の住んでいる地域で地震があって、身の回りではこんな被害が出ました」という報道がしたいなら、何もその人はプロじゃなくてもいいですよね。もっといえばジャーナリストでなくてもいい。
でも一方で泉さんはそのような報道機関を目指すといいながら、プロのジャーナリストに声をかけ、プロのジャーナリストを集めようとしている。
何を目指しているのか今ひとつよく分からないなというのが私の感想です。

投稿: Aa | 2005年12月 2日 (金) 14時44分

はじめまして。
 今の日本のメディアの現状を考えれば、まず偏りをなくした報道を心掛けることから始めるのがいいでしょう。現場の状況に固執すると、やはりそれはそれで偏ってしまうものだと思います。
 例えばイラク戦争の場合、現場を歩いたとしても戦争や混乱を終結させる方法は見付からないと思います。悲惨なニュースを配信したことろで戦争当事者はそれに見向きもしないものです。この場合、戦争の真実は現場にはなくアメリカ政府内にあるのです。

投稿: makoto | 2005年12月 2日 (金) 17時24分

みか さん
>「生きているということは悲しみだけじゃないはずです。
希望を求めて、信じられない行動に出ることもあるのだから。。。」

素敵ですね
もう4年も前の話ですけど、闘病中に懸賞で写真展のチケットが当選したんです
あのマグナムのです
世界中の笑顔を集めた写真展でした
病気の私には人々の微笑みが優しくもあり痛くもあった
一瞬の笑顔の裏に起きているいろいろなことを想像すると胸が痛むんですよね
みかさんにも、人々のキラキラした瞬間を切り取った写真を期待していますょぉ

投稿: ぁぃ | 2005年12月 2日 (金) 19時27分

美也子さん
「Grip Blog」では、これからも試行錯誤を繰り返し続けていこうと思います
答えはいつも手探りで、答えなんてないのかもしれない
どういう方向に進んでいけばいいのか、一緒に考えていってくれませんか

投稿: ぁぃ | 2005年12月 2日 (金) 19時30分

spontaさん

ご無沙汰しております

ジャーナリストという言葉の定義が変化しつつあるのかもしれませんね

投稿: ぁぃ | 2005年12月 2日 (金) 19時40分

Aaさん
Aaさんが、プロとアマチュアの概念をどうお考えかはわからないのですが、取材をして記事を書く人は全てジャーナリストとして参加できる報道機関を作ろうとしています

投稿: ぁぃ | 2005年12月 2日 (金) 19時54分

makotoさん
ひとつのものに対して、いろいろな方向から見た情報が得られるのがいいと思います

投稿: ぁぃ | 2005年12月 2日 (金) 19時57分

その構図は知っても知らずともジレンマです。
会社である報道機関がジャーナリズムが弱いから報道しないわけでもないのでしょう。
社員に死者でも出そうものなら…例え怪我程度でも…視聴者は、これまで会社を糾弾してきた。
非人道的だと。会社の歯車として身命を使い捨てするのか…と。それは社の存亡をも左右する。
ろくな覚悟のない俗民である私では、戦地のジャーナリズムを大切だと考えても、とても命を賭せ…などとは望めない。
ここで紹介して下さっている方のように、身の危険を賭して活動している方を、有り難いと感謝すると共に、素直に賞賛することもできない。栄光に駆られた若者が死の行進を始める事が脳裏を過ぎるから。
その技能をどう受け継ぐか…。受け手は、どう感謝し、どう支援し、若者をどう抑止するか…。
見殺しにする気はなくとも、どんな総論も私には出せません。

投稿: 妙訝 | 2005年12月 3日 (土) 02時14分

妙訝 さん

おっしゃる通りジレンマですね
広河さんは、パレスチナから帰国なさった後、明日には行かなくてならないと思っていても、体が恐怖を感じ、旅立つことができなかったそうです
当たり前なんですけど、広河さんのようなジャーナリストでもそういう恐怖感を持つのかと知って、改めて敬意を払いたいと思いました
それだけの使命感を持てるのは、一度現場を見て、現地の人に接した経験をお持ちだからなのでしょう
そんな風に言葉で言うのは簡単だけど、戦場での様子を伝えてくれるジャーナリストの存在は本当に貴重で、時に彼らが伝える情報は、彼らの命だったりもするんですよね
そんなにも重い情報なのだとは知らずに、右から左へ流してしまうこともあるんだろうなぁ・・・
ちょっと切ないです

難民キャンプの入り口で、一歩踏み込もうとする瞬間、広河さんの脳裏によぎるのは、何なのでしょうね
パレスチナの人々なのか
日本で情報を待つ人々のことか
それとも、自分自身の名声やプライド
強い決意は誰ため、何のためなのでしょう

投稿: ぁぃ | 2005年12月 3日 (土) 02時50分

ジャーナリスト=報道で戦争取材、政治的取材ではないと私は思っています。
またジャーナリズムも元来の「毎日行うこと」という日記的意味を考えれば、メディア発信するブログであってもジャーナリズム教育は行うべきだと思っています。

最近は何でも自分は「○○ジャーナリスト」とい肩書きを使う人が多い現状。
私の友人は「お受験ジャーナリスト」って自分の肩書きを言っていて、いかにお受験に成功するかを説いています。
嘆かわしい時代です。

そんな一人にならないでくださいね。

投稿: yumi | 2005年12月 3日 (土) 09時30分

最近「オーマイニュースの挑戦」を読みました。

そういうの、やりませんか。

私には、あいさんの行動力は認めるものの、その手法には?を感じています。

どうでしょうか。

投稿: sponta | 2005年12月 3日 (土) 09時34分

yumiさん

>そんな一人にならないでくださいね。

ドキッとしてました
私はそんな一人なのかもしれません・・・
私の中でのジャーナリストの定義って凄く単純で、
「取材して伝える人」
これだけなんです

ジャーナリズム教育はちゃんと受けた方がいいのでしょうか・・・^^;

投稿: ぁぃ | 2005年12月 3日 (土) 09時50分

spontaさん
色々な理想があっていいんだと思います
もう、私が考える形で沢山の方を巻き込んでしまってますから、今から方向転換するのはむずかしいです

それに来週早々に公開する仕様書を読んでいただければ、オーマイニュースと目線は同じだと理解していただけると思います
手法は確かに違いますけど

投稿: ぁぃ | 2005年12月 3日 (土) 10時04分

>「自爆テロ」という言葉です。日本のマスメディアは抵抗運動をする人たちを一括りにして「テロ」と呼んでいると。なぜ自分の体に爆弾を巻いて米軍の中へ突っ込んでいかなくてはならなかったのか、テロと呼ばれる人たちの事情は、何も伝わって来ないのです。

>都合の悪いことは出さない。加害者は必ず被害者を隠すのだと広河さんは言います。

うーん、だったら自爆テロで殺されているのが米兵ではなく、イラク市民であること。テロで殺されたイラク市民の遺族が、更なるテロ被害に晒されていること。そして、テロに反対を表明できないでいることも報道されていないような気がする。

加害者であるテロリストに都合の悪い事実も報道は十分にされていないだろうね。

どうして、米兵を殺すかということより、どうして、イラク人を巻き込んで平気なのかを知りたいよ。米兵一人を殺すために、10人以上のイラク市民を巻き込んで、殺害するかをね?無差別に殺人する人がテロリストと呼ばれるのは、正しいことだと僕は思うけれどね。

投稿: うん | 2005年12月 3日 (土) 18時52分

うんさん
広河さんのお話は別として、私自身は、イラク人も米軍の兵士も関係なく、人にはそれぞれの立場や事情があり、戦争という混乱の中で、それらはかき消されてしまう傾向にあると思います
米軍の兵士だって普通の人間で、特に州兵については、貧富の差が生んだものなのかなと注目したいと考えています
テロについては、言葉の定義とは別のところで、なぜテロが生まれたのかということを知りたいと思います

投稿: ぁぃ | 2005年12月 4日 (日) 03時23分

はじめまして。ゆーろと申します。
あいさんのブログを拝見させていただきました、これからも
ぜひ注目させていただきたいと思います。

この広池さんの話は『フォトジャーナリスト 13人の眼』(集英社新書)で私も読みました。「ジャーナリストは事件を事前に防ぐ役割もある」という部分を読んだとき、私もはっとしました。確かにそういった役割もあるなと。そしてそういう役割が必要としている国が実際にあることにとても悲しみをも覚えました。

戦争は戦争をしている当事者間に利益は何もないと思います。そうしたことに両者が気がついて欲しいです。犠牲者が増える前に・・・。

投稿: ゆーろ | 2005年12月 6日 (火) 21時49分

ゆーろ さん
はじめまして
「私に何ができるだろう」とよく考えます
ジャーナリストができることは、情報を伝えることだけです
それを情報の受けて側がどう捉えるかだと思うんですよ
「1枚の写真が国家を動かすこともある」と『DAYS JAPAN」に書かれていますよね
私もそう信じて動いています

投稿: ぁぃ | 2005年12月 7日 (水) 23時33分

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