「1リットルの涙」が残すもの
脊髄小脳変性症という難病に侵された少女を綴ったドラマ「1リットルの涙」が今日、最終回を迎えます。
残念ながら、私はこのドラマをほとんど見ることはできなかったのだけど、街の中にいると、「1リットルの涙」という言葉をよく耳にします。
私の友人の中にも、
「すごい泣いちゃった」
と言う人もいるくらい、かなり影響があるように感じています。
フジテレビのHPへ行ってみると、視聴者からのメッセージを読むことができます。
そこには、今までは名前も知らなかった病気に関心を持った人や、命の大切さを知り感謝する心を持った人、将来の夢を持った人がいました。ドラマは人々の心に確実に何かを残している気がしています。
ただ、私は悔しい。
多くの人たちが、病気や障害者へ関心を持っている今こそ、現場の情報を伝える大きな意味があるでしょう。
特に、ずっと取材したいと思っていた「障害者自立支援法」
今こそがその時であったのにと、悔やまれてなりません。
障害者にとってこの法律のどこが良くてどこが問題なのか、今すぐにはできないけど、必ず現場で起こっていることを伝えて考えてもらいたい。
ドラマを見ることで、障害者の気持ち全てを理解することはできないと思うけど、「1リットルの涙」による素敵な波が起こればいいなと願っています。
そして、ドラマだから特別な事というのではなく、今もどこかでたくさんの障害者の現実であるってことを、今夜、精一杯の想像力を働かせて見ようと思います。
<文責/泉 あい>
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コメント
はじめまして。
アエラを整理していて、偶然記事を見つけてのぞいてみました。非常に面白いじゃないですか・・・・。
僕らとは違う目線で面白いです。
また寄らせて頂きます。
ではでは〜
投稿: 野呂エイシロウ | 2005年12月20日 (火) 22時04分
野呂エイシロウさん
はじめまして
野呂さんのようなお仕事をなさっている方に知り合いはいませんので、いろいろ情報交換していただけるとうれしいです
よろしくお願いします
投稿: ぁぃ | 2005年12月20日 (火) 22時18分
面白く読ませてもらいました こんばんわ はじめまして 由美子と申します。
たしかに 障害の波って今ありますよね この波を消さないように続かせていかなきゃ ですね。 私は遺伝性の脊髄小脳変性症です。障害者の色々かいてます。もしよかったら見てください。http://plaza.rakuten.co.jp/yumiheku/
投稿: 由美子 | 2005年12月20日 (火) 23時29分
>多くの人たちが、病気や障害者へ関心を持ってい
>る今こそ、現場の情報を伝える大きな意味がある
>でしょう。
>特に、ずっと取材したいと思っていた「障害者自立
>支援法」今こそがその時であったのにと、悔やまれ
>てなりません。
泉さん、それは大きな勘違いだと思いますよ。そもそも、旬な事を旬な時期に書くことに、何か意味があるのでしょうか。人々が関心を持っていなくても、自分や社会にとって重要な問題だと思うのなら、たとえ話題になってなくとも、人々の関心をそのことに目を向けされるのが報道の大きな役目であり、その為のジャーナリストとしての文章力なのではないか、と私は思います。
あなたの感じたその「悔しさ」は、あなたが以前に否定した、「特ダネを見逃して悔しがる記者」と同レベルの事としか感じられません。いかがでしょうか。
投稿: 鮫島 | 2005年12月21日 (水) 06時06分
ドラマ関係者としては、難病ものは、安易に感動を産むストーリーと思ってしまいます。
ラストシーンで、花を手に坂をあがってくるたくさんの人たち…。中には微笑んでいる人もいる。そんな単純なものではないと思う。
投稿: sponta | 2005年12月21日 (水) 08時24分
鮫島さん
>人々が関心を持っていなくても、自分や社会にとって重要な問題だと思うのなら、たとえ話題になってなくとも、人々の関心をそのことに目を向けされるのが報道の大きな役目であり、その為のジャーナリストとしての文章力なのではないか、と私は思います。
おっしゃる通りで、私もそのような取材をしてきているつもりです
ただ、多くの人々の関心が向いている時に伝えることで、高い問題意識を生むこともあると思います
タイミングって何でもあると思うんですよね
投稿: ぁぃ | 2005年12月21日 (水) 10時26分
spontaさん
>そんな単純なものではないと思う。
その通りですよね
だからこそ想像力を働かせてみたり、取材をして現場の状況を伝えることが大切なのだと思います
投稿: ぁぃ | 2005年12月21日 (水) 10時32分
確かに効果的なタイミングはありますねぇ。
「障害者自立支援法」に関しては、私のアンテナが狭いせいか
それほど騒がれなかった感があります。
障害者というマイノリティにしか関わらないからかな?
取材成果を楽しみにしています。
できればミクロで情緒的なものにおさまりませんように・・・。
投稿: イケメン | 2005年12月21日 (水) 12時50分
イケメンさん
今すぐには取材できませんが、いずれ取り組みたいと考えています
おそらく取材対象者に巡り会えるかというところが大きな問題になると思いますが、その時のためにも、今から努力が必要!
ありがとうございます
投稿: ぁぃ | 2005年12月21日 (水) 20時22分
はじめまして。
1リットルの涙 の反響に疑問があって検索していたらこちらのブログを見つけました。
ほかの方も書いているように、闘病が泣かせるための材料になっていて、簡単に
「泣けた」
と笑いながら感想を話している人たちにウンザリします。
難病で兄を亡くし、私自身は体は無事ですが脳機能障害のひとつを持ち社会的措置があればと思うことがある一人です。
あのドラマにも、描かれなかったけど色んなことを考えられるはずですから、ドラマをきっかけにその見えない部分の先を示すというのはありなのかもしれません。
生意気いってすみません。
投稿: loveless01 | 2005年12月31日 (土) 15時27分
体が丈夫な人は弱い人の生活をイメージするのは難しいかもしれません。
多分丈夫な人の涙と病気を持っている当事者の涙は、種類が違うものなのかなとも思います。
人は、どんなに苦しい状況の中にいても、生きていかなくてはならない時がありますよね。
病気が正にそうで、病気からは逃げることができず、誰にも代わってもらえず、それでもその現実を受け入れてどうにか生きて行こうとする。
その姿に人は感動するし、何かできることはないかと考えたりもするんでしょうね。
困っている人を助けることは、できることをやればそれでいいということでもない場合もあり、本当に難しいと思います。
無視していいはずがないし、先ずは考えるための提起が必要なんだと思いますが、現実をどう伝えてどう提起するのかは充分な配慮が必要ですよね。
難しいけど、努力し続けながらも伝えていく必要があると思います。
投稿: ぁぃ | 2005年12月31日 (土) 18時10分