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2005年9月28日 (水)

JVJA 写真展&トークショー

この土日は、写真展「フォトジャーナリスト13人の眼」のボランティアをして来ました。
いっぱいの写真たちに囲まれて。

全ての写真を見てはいませんが、私が印象に残った写真たちを紹介しておきます。

左足のない韓国のハンセン病患者。
ひざを殴られ、傷の手当てが充分でなかったため、麻酔が効かないまま切断されたそうです。
収容所に入れられ虐待や強制労働など。ハンセン病患者が世界中にいるだろうと、どうして今まで想像出来なかったのかな・・・
自分の発想が貧弱であることを八重樫信之さんの写真の中に見ました。

コソボの少女が抱いているのは、焼け焦げた人形。膨らんでボサボサの人形の髪の毛に頬をよせキスをしています。
「今でも大切な宝物」とコメントがある。大石芳野さんの写真です。

「写真展が終わったらアチェに行くんです」
と言うフォトグラファーの野田雅也さんへ「アチェってどこですか?」と聞くと、
「津波の・・・」
と教えてもらってピンと来ました。
そのアチェを苦しませているのは、津波だけじゃない。
インドネシア軍は、村にたったひとつだけあった学校にさえ火を放ったとコメントが添えられている写真には、鉄格子の間から少女がこちらを見ています。
彼女の瞳の中に強い光を感じるけど、「この子の夢は何だろう」と思う。

開くゲートをじっと待つパレスチナの女性や子供たちを撮影したのは古居みずえさん。私の憧れの人です。
2003年7月、イスラエルがヨルダン川西岸地区とイスラエルの間に分離フェンスを建てたために、生活を二分されたパレスチナの人々がいます。
学校へ行かなくてはならない。食事のために買い物に行かなくてはならない。
この人たちはどのくらいここに座っているのだろう。日陰などひとつもない、ただ石だけが転がっている地面に・・・。

チェチェンの写真は、林克明さん。
「何が起きても人々の生活は続く。
町の中央市場にはどこから仕入れてきたのか様々な物と情報があふれて、何が何でも生き抜こうという人々の熱気さえ感じられる」
というコメント。
人々が集まってにぎやかな風景だけど、市場を囲んでいる建物に目をやると、皆廃墟に見えます。
ガラスのない窓は、ぽっかりと黒い穴が開いたよう。4階建ての4階部分は、瓦礫が崩れ朽ち果てています。爆撃を受けたのでしょうか。

竹富島在住の98歳のおじいちゃん。
撮影した山本宗補さんは、
「死の迎えかたは考えていますか」
と質問したそうです。おじいちゃんは、
「生きようとは考えても、死ぬってことは絶対考えない、話しもしない」
と答え、「相手にされなかった」というコメントがある。そのおじいちゃんの顔は森繁久彌さん似。
ずっと年下の自分を振り返り、私は何をチマチマしながら生きているんだろうと、ちょっと笑えました。

訪れた人々の中には、これらの写真を見ながら何度もため息をつく人や、長い長い時間じっと見つめている人がいました。
知らないことが多すぎる。私は改めて驚いています。
名前も知らない国があって、そこにはたくさんの人が傷ついているのに、私は何も知らない。自分が何も知らなかったことを理解して、胸が苦しくなります。

トークショーも見させていただきました。
ニューヨークの同時爆破テロ9・11の話題からスタートです。
土井敏邦さんの言葉に考えさせられました。
「あの日以来、被害者アメリカのイメージが出来上がり、今までアメリカが何をして来たのか議論をしたメディアがあっただろうか。
加害者になるまで追い込まれてしまった彼らを伝えること。テロと呼んでアメリカを正当化していること。
カトリーナがバングラディシュに行っていたら、ここまで報道していただろうか。
第3世界の人とアメリカの人、どちらも人の命であることにかわりはないはずなのに、違う扱いをされている。」

フォトグラファーの佐藤文則さんと豊田直巳さんは、9・11が起こった直後にメディアはパレスチナ人の犯行ではないかと報道したことを問題視しました。
「パレスチナ人たちがビルが倒壊して行く様を見て喜んでいる姿が報じられた」
憎しみの矛先がパレスチナ人へ向いた瞬間があったことを知り、今更ながらパレスチナ人って本当に悲しいと思ってしまう。

「9・11が起こった時に、アメリカは被害者になれたからメチャクチャなことをするんじゃないかと思った
被害者になれて良かったと思っているんじゃないかと」
と、豊田直巳さんは当時感じた不安を振り返りました。
私はアメリカだけが被害者なのかとずっと疑問に思っています。
劣化ウラン弾に体を侵され、帰国した後にできた赤ちゃんが奇形だったという兵士の写真を見た時、この人も被害者なのだろうと思う。
瓦礫の中で血にまみれたイラクの人たちの写真を見ても、被害者だと思う。

”被害者・加害者の立場”という言葉が、トークショーのキーワードになっていました。
一般の人から、
「アメリカが被害者になったり加害者になったり、自分の意見を持ちたいと思うけど、もうわからなくなっています」
と発言があり、私は大きく頷く。
流れてくる情報は、どれも「本当です」と言っているような気がするけど、必ずしも情報の内容は一致していなくて、気がつくと誰かの意見がそのまま私の意見になっていたりして。
ちゃんと私の意見を持ちたいけど、何を信じていいかわからない。

「事実と真実は違うんですよ。事実と真実は違うんです」
フォトグラファーの林 克明さんが声を大にして言いました。その通りだと思います。
『私が見た事実』というGripBlogのサブタイトルを考えてみる。
私がいくら頑張っても、真実を伝えることはできないのかもしれません。では、私は何を伝えたいのか。
そんなことを考えるために、ふと立ち止まる時間をもらったボランティアでした。

<文責/泉 あい>

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コメント

トラックバックさせていただきました。
そこで書いたことと矛盾するかもしれないのですが、
真実って自分の中にしかない、逆に言えば人の数だけあるものなのかもしれない
……と、この頃思います。

実際にあった例ですが、同じような捨て猫の写真を掲載して
Aのブログでは「この純粋な瞳が時とともに猜疑に変わる」とコメントし
Bのブログでは「君なら生きていけるよ!」とコメントしてある。
するとAには「この子には罪はないのに。何もしてやれない自分が悔しい」という書き込み
Bには「わあ、逞しい! 頑張れ!!」っていう書き込みが集中していました。
(全部文面はこの通りではありません。そんな感じ、ということで)
ま、それまでのA・Bそれぞれのスタンスもあっての流れなんですが。
同じ「写真」という事実でも、伝え方一つでこれだけ印象が変わる。怖いな、と思いましたよ。

投稿: 美也子 | 2005年9月28日 (水) 13時10分

林さんのエッセイのようなものを、新聞で拝見したことがあります。

ロシア軍人のお母さん方が、チェチェンに子どもをさがしにきて、それをチェチェン側の人が受け入れている写真、すごく好きです。

人間って、残酷なところもあるけれど、そういうところに救われる想いがします。

投稿: chiharu | 2005年9月28日 (水) 14時41分

報道って難しいと思います
パレスチナ人も全員が過激なわけはないと思う
貧困に負けず最悪な環境のなか逞しく生きる人
誰を恨むわけでなく貧困な中僅かな光に
希望を感じながら幸せな人生を送る人
貧困と不幸の全てをイスラエルとアメリカの
シオニストのせいにして全世界向こうに回して
戦う気満々な過激派も居ます
かといって、人生いろいろ、貧困いろいろ
パレスチナ人いろいろじゃ誰かみたいだし
報道ではないですよね
人々は真実も事実も知りたがっているのだから

投稿: ☆まがり★ | 2005年9月28日 (水) 15時02分

 こんばんは。初めてコメントさせていただきます。そしてリストに追加ありがとうございます。
真実を伝えるって難しい事ですね。受け取り方の気持ち一つで千差万別ですもの。
何が正しくて何が間違っているのか、私もいろんな報道で左右される時があります。
時々拝見させて頂きますのでこれからも宜しくお願い致します。そしてblog運営、頑張ってください。

投稿: レモン | 2005年9月28日 (水) 23時51分

chiharuさん

林さんの写真を見ていると、人って強いなって思うんです
女性の活動家の写真とかね
殺されるかもしれないのに、志を持って活動するのって、どういうことだか私にはわからいんですょ
でも、この人にも弱いところがあるんだろうなとも思う
だから、この人だけにこんなことをやらせていてはいけないって思うんですょね

投稿: ぁぃ | 2005年9月29日 (木) 13時59分

☆まがり★さん
パレスチナのことを話す時に「宗教戦争だから」と片付ける人がいるんですけど、ちょっと違うんじゃないの?って思います
私のような何の宗教も持ってない者にとっては、理解しがたいものがあるのだろうと想像できるので、そこへ問題そのものを押し込むと、思考を停止することができると思うんです
宗教だから理解できないとまとめるんじゃなくて、宗教って何だろうと、知ろうとするところからはじまると思います

投稿: ぁぃ | 2005年9月29日 (木) 14時03分

レモンさん
はじめましてぇ♪
自分の意見を持つのって難しいですよね
私も報道や人の意見によく左右されます

こちらこそよろしくお願いします

投稿: ぁぃ | 2005年9月29日 (木) 14時05分

パレスチナ紛争は互いに欲してるのは
土地でしょう
住むための土地。産業を興すための土地
お互いに人口で相手を圧する為に人口を
拡大しつづけた為にガザを取り合うことになったのだが
第二次大戦以降の戦争ではあからさまに
要求を全面に立てた戦争は避けて
宗教や正義を看板にした戦争が多くなって
それがいかにもなうそ臭い欺瞞に満ちたものに
なってるのかなぁ
戦争に正義なんて無いのだから正義を看板に
したあたりからなんだかおかしいのではないかと
かといって欲望剥き出しってのもアレですが・・
ってか戦争ダメですね

ちなみにインティファーダも
インティファーダな通りがあってカメラをぶら下げた
いかにもなジャーナリストがやってくると
慌てて石を投げ始めるのだとか
なので、世界のどこの報道を見ても同じ所で
画一的な写真を拝むことができるようです
パレスチナ人側のプロバガンダに荷担している格好ですよね
そーゆーのは真実とはちょっと違いますよねぇ
実際の本当の姿を知りたいのに

投稿: ☆まがり★ | 2005年9月29日 (木) 18時50分

少しマニアックなこと書きます。カメラって見えたものが全部そのまま写るカメラって少ないんです。例えば、私の持っているEOS1とかだと「視野率100%(単純に欠けないってことです)」ですが、性能がデチューンされたり値段が安かったり構造が違うと9x%とかに下がり、周囲の一部が見えたのに写っていなかったり切れていたりとかします。サブタイトルの「事実」とは、今のぁぃさんの物の本質を見る「能力とか実力」で「精一杯に見たこと」を示すということで良いのではないでしょうか?だから、色々知り勉強すれば100%見えるようになるかもしれないと・・・・そんなのでどうでしょう?

投稿: 某S | 2005年10月 1日 (土) 17時47分

☆まがり★ さん
パレスチナの問題はとても複雑で深刻です
もう数年前になってしまいますが、パレスチナを専門に取材していらっしゃるフリーランスのジャーナリストと雑談する機会がありました
記憶しているのは「感覚」の問題です
雑談の中でいろいろお話しても、よくわからない
日本人である私には理解できない何かがそこにはあるのかもしれないという感想を持ちました
それから数年経って、今取材活動をしていますが、あの時私の持った感想は逃げでしかないと思います
理解できないから知らなければいけないのだと、今は確信しています

投稿: ぁぃ | 2005年10月 2日 (日) 20時08分

某Sさん
100%に少しでも近づけるよう努力をすること
その努力を止めた時点で、0%に限りなく近くなってしまう
取材の時はいつもカメラを持っていますから、カメラを見て、某Sさんの言葉を思い出します
ありがとうございます

投稿: ぁぃ | 2005年10月 2日 (日) 20時12分

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