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2005年5月31日 (火)

記者クラブの表と裏 【取材記6回目】 

Takeuchi 5月26日取材

【取材記5回目】では、鎌倉市役所に「広報メディアセンタ−」が設置されたことについて、市役所の職員の方にお話を聞き、メディアセンタ−に登録している会社にも電話をして話を聞きました
でも、メディアセンタ−の設置前と設置後での違いや、鎌倉市と他の自治体との違いがあまりはっきりとわかりません
そこで、その政策を打ち出した竹内謙前鎌倉市長にお話を聞いてきました

とてもお忙しい方なので、短い時間で要点をつまんでの質問でしたが、お話を聞いて明確にわかったことは、私は、竹内さんに誤った期待をしていたということ
竹内さんが、広報メディアセンタ−の設置をなさったことは、鎌倉市長であるとうい前に、元朝日新聞の記者であったという点で、私は大きな期待をし、取材をはじめました
元記者さん視点から、記者クラブの変革を望まれてしたのだろうと考えたわけです
ところが、鎌倉市に行ってみると、鎌倉記者会という記者クラブは存続し、実情に大きな変化はなく、市の職員にも当事者意識がないと感じました
「画期的な試み」と当時のマスコミは取り上げているのに、実際には、記者クラブと広報メディアセンタ−の違いがはっきりしない
何が画期的なことだったのか、それを知るためのインタビュ−でした

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2005年5月30日 (月)

大人の関係

今日インタビュ−して来たのは、政治評論家の板垣英憲さんとおっしゃる方です
埼玉県警記者クラブからスタートして、内閣記者会、総理府記者会、文部記者会、厚生記者会、虎の門記者クラブ(通産省)、建設記者会、公正取引所記者クラブ、兜クラブ(東京証券取引所)、自治省記者クラブ、労働記者会、参議院記者クラブ、自民党「平河クラブ」、野党記者クラブなどと、記者クラブを渡り歩いてきた経験をお持ちの方です
詳しくは、取材記に書きますが(こればっかりでごめんなさい)、それぞれの記者クラブでの実体験やなんかいっぱい聞いてきました
記者クラブの中にいないとわからないお話もいっぱい出ましたが、残念なのは、私は長い間ぽぉっとして生きてきたので、昔の事件とか全く知らないんですよね・・・
板垣さんが話してくださる事件についての知識があれば、もっと感じ方が深かっただろうなぁと悔しいです

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2005年5月28日 (土)

顔写真

昨日から現役の記者さんへ電話インタビュ−、フリ−への方へは対面でのインタビュ−をしています
フリ−の方とは、古川利明さんと上杉隆さん
どういう方かは、取材記に書きますが、お2人ともホテルのラウンジでの待ち合わせとなりました
お互い顔を知らない男女が待ち合わせをするという点では、テレクラっぽいでしょ(テレクラってまだあるの?)
頼りになるのは、HPに貼っている顔写真なわけなのですが・・・
このトップペ−ジに貼り付けた顔写真を巡って古川さんとすったもんだありました

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2005年5月26日 (木)

眠れぬ夜もある

現役の記者さんと鎌倉前市長である竹内謙さんにインタビュ−をしました
連日インタビュ−の予定が入っており、そのための準備で手がいっぱいなので、まだ「覚書」としてUPできる状態ではありません
もうしばらく待っていただきたいと思います

記者さんへのインタビュ−は極度に緊張します
竹内前鎌倉市長さんも朝日新聞の記者ご出身ということで、私にとっては大先輩です
日常会話でさえ「とんちんかんなこと言うわね」とよく友人から言われているので、インタビュ−ではそうならないように時間の許す限り資料に目を通しています

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2005年5月24日 (火)

記者クラブの表と裏 【取材記5回目】 

Mediacenter 5月23日(月)取材

鎌倉市役所で広報メディアセンタ−についてお話を聞いてきました
取材記3回目」にも「鎌倉市は記者クラブを廃止し、広報メディアセンタ−を設置しています」と書きましたが、朝日新聞の記者出身である竹内謙前鎌倉市長が、広報メディアセンタ−を設置したことは、当時あちこちのメディアで取り上げられています
「画期的な試み」として書かれているものが多いのですが、インタビュ−してみての感想は、「どこが変わったの?」というのが正直なところです
いちばん驚いたのは、「鎌倉記者会」というものがそのまま残っているという点
「記者クラブを廃止してメディアセンタ−を設置した」という認識は間違いで、鎌倉記者会という記者クラブにタウン誌やFMラジオが加わったという形です
それは、市民にとっては特に大きな変化ではなく、新しく加盟できた会員が少し優遇されたかのかなという程度のものです
結局のところ、広報メディアセンタ−が設置されてから、鎌倉市のメディアはどう変わったのか、他の自治体と何が違うのかは、どうもはっきりしません
それで、登録している会員のメディアに問い合わせてみました
鎌倉記者会の会員と会員以外のメディアの両方に話を聞きましたが、大きな変化がないというのが結論です
記者会のメンバ−ではないメディアでも、メディアセンタ−が設置される前から、市からは直接情報をもらうことができたので、記者会見に参加できるのは、優遇されたことに変わりはないのですが、実質は大きな変化はないのです
ただ、鎌倉記者会以外の方が、「広報メディアセンタ−を使えるようになった」と鎌倉市は認識していますが、実際のところ、記者会以外の会員はデスクを使わせてもらえていないのが現状のようです
そのことを会員以外の記者が不満に思っているわけではないので、改良への動きはないのだと思います

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2005年5月23日 (月)

鎌倉へ行ってきました 

Enosimajpg 取材で鎌倉へ行ってきました
鎌倉市役所の広報メディアセンタ−に関する取材のために行ったのですが、東京から電車で1時間くらいの近い場所なのに、空気が全然違うんですね
電車に乗って景色を眺めていると、北鎌倉駅の少し手前から、突然景色が和風になって風情を感じます
建物がみんな古くてお庭があるお宅ばかりで、マンションやアパ−トは電車の中からは見当たりません
そして、鎌倉駅に降り立つと、空気がどんどん胸の中に入ってきます
冷たくて済んだ空気と、歩く人々の穏やかな表情
インタビュ−で緊張している私も、ふっと力が抜ける一瞬でした

鎌倉市役所でインタビュ−を終えた後、自分の質問でどんな答えが導き出せたのかとインタビュ−を振り返りながら歩いていると、道沿いに立つ青々と茂る木の枝を何かが動きました
「ぎゃっねずみ???」
木の枝で止まった黒いものをよく見ると、それはリスでした
「リス????
これは放し飼いか?それとも野生か??]
立ち止まって見入っていましたが、私以外の人たちは、何事もなく通り過ぎて行きました
まぶしい陽射しに照らされた木の葉の間を初夏というにはちょっと早い冷たい風が通り抜け、リスは優しく揺れた木の枝の上で、かわいらしく両手で何かを掴んでお食事中
「いいなぁ・・・鎌倉」
もう少し年齢を重ねたら、週末だけでもここで過ごしたいと、新しいあわい夢ができ、ふと海が見たくなりました

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2005年5月21日 (土)

記者クラブの表と裏 【取材記4回目】 

現役記者を中心に取材交渉が進んでいます
私にとって記者クラブとは、全く未知で、想像の世界でしかありません
それは、ほとんどの読者の方にとっても同じでしょう
今回、インタビュ−をOKしてくださった方からは、記者クラブで感じる何気ない気持ちを聞き出したいと考えています
うれしいことに、数名の方が協力してくださるとおっしゃってくださいました
ジャ−ナリストとして、先輩へ取材することはとても緊張します
昨日からの私は興奮気味
あまりにもテンションを上げすぎて、体力が持たないことがあっては大変です
今日は、これからヘアサロンにでも行って、ちょっとでもかわいくしてもらおうかなぁと考えています
無駄な抵抗なのはわかっていますけど、髪の毛くらいはちゃんとしていたいのですょ

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2005年5月19日 (木)

記者クラブの表と裏 【取材記3回目】 

前回のテ−マ「競走馬の現実」では、結局誰ひとりに会うこともなく取材を終えたことが心残りの私は、取材交渉に必死です
記者クラブと係わるいろいろな人の声を聞きたい
現役の記者さんでも、ひとりひとり考えは違うはずです
だから、ひとりでも多くの方に話が聞けるよう取材交渉をしています

癒着が問題とされている記者クラブですが、今日の取材交渉では意外な発見がありました
警視庁の広報担当へ取材交渉した時の話です

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2005年5月18日 (水)

記者クラブの表と裏 【取材記2回目】 

「記者クラブ」がどうやってできたかを先ずインタ−ネットで調べました
記者クラブが持つ問題点を取り上げているHPが多い中で、歴史が書かれている「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」を参照すると、「税金で設置されている記者室」と書かれてあり、そのことが私の頭から放れなくなってしまいました
歴史については、いろいろと書かれていて理解することができましたが、記者クラブの種類について書かれている文献が見つかりません

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2005年5月16日 (月)

記者クラブの表と裏 【取材記1回目】

JR西日本に関する報道が毎日流れていますが、JR西日本の記者会見記での記者の発言が暴言であったと、読売新聞が13日の朝刊に大阪本社の社会部長名で謝罪記事を掲載しました

ほっとメール@ひたち」より

県議会議員という仕事柄、記者クラブなどでいわゆる記者会見を数多く経験しています。こうした会見は、相手側の記者とも顔見知りということで、辛辣な質問があっても、感情的なやり取りにはなりません。
(中略)
マスコミは健全な民主社会を形成するために、なくてはならない仕組みです。しかし、そのマスコミに属する人たちが、それだけで「正義の人」、「正直な人」、「最善の生き方をしている人」でもないはずです。その多大な影響力を考えるとき、「最も他人の声を謙虚に聴く人」であってもらいたいと思います。

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2005年5月14日 (土)

競走馬の現実 

私が競走馬に触れ合うことは、人生の中で欠かせないものです
大きな体温に包まれて過ごすひと時は、日常から開放され安心感をもらい、自分を取り戻すことができる大切な時間になっています
でも今回のテ−マには、競走馬を愛するプライヴェ−トな私を持ち込んだ取材で、公平な立場に立ったものではなかったと反省しています
今回の記事は、恥ずかしながら、競走馬の現実を知った自分への反省です

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2005年5月13日 (金)

競走馬の現実 【取材記8回目】 

これからどう取材を進めたらいいのかわからなくなってしまったので、最初から整理します
今までの経緯をご報告しますので、ご意見をお聞かせください

競走馬をいつから経済動物と感じるようになったのか
競馬を知ったのは平成5年
家族の中で誰もギャンブルをやらず、ギャンブルに嫌悪感を持って育った私は、
「生きている馬にお金をかけるなんて」
と競馬に対しても同じ感情を抱いていました

それをくつがえしたのは、トウカイテイオ−の奇跡の復活です
平成4年の有馬記念で惨敗したテイオ−は、1年ぶりにレ−スに出走して勝つのは不可能だと予想家たちは話していたのに、完璧な復活劇を演じました
騎乗していた田原元騎手の号泣を見た時、心から感動して、競馬は人をこんなにも感動させることができるということや、競走馬の陰には、人々のいろいろな想いがあることを知りました
その有馬記念で、テイオ−は再び骨折が判明し、引退を余儀なくされます

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2005年5月12日 (木)

競走馬の現実 【取材記7回目】 

思い切り壁にぶち当たって、身動きが取れなくなっています
昨日得た情報と今日得た情報が食い違っていて、どこへ進んでいいのかわからなくなってしまいました

昨日、中央競馬で活躍できなくなった馬うちの2,545頭(平成15年)が、地方競馬へ行ったと報告しました
その数字は、JRAの中央競馬年鑑に書かれているものですが、書類上の数字であって信憑性がないだろうとも書きました
「書類上の数字である」という情報と「中央競馬と地方競馬の間には食肉業者が入っている」と情報は、確かなところから得た情報です
私はその情報から、中央競馬が地方競馬へ走れなくなった馬を押し付けてはいないかと考え、今日はそれを突き詰めるための取材をしたのです
ところが、多少の誤差があるもののその数字は正しく、競走馬たちは地方競馬へ移っているということが今日判明しました
しかも、中央競馬と地方競馬の間で、競走馬が移動していることは、ずっと昔から築かれている関係だと言うのです

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2005年5月11日 (水)

競走馬の現実 【取材記6回目】 

S_2 競走馬が予後不良になるのは、馬の脚に負担がかかる馬場によるものではないか
そう考えて、運動器疾患によって死んでしまった馬の数を見てみました
JRAが発行している「中央競馬年鑑」から引っ張り出してみると、その数字はものすごく少ない
中央競馬に入厩(登録)できた馬は、とても大切に扱われているという数字で、これに馬場との関係を調べる必要性はないと判断できるほどです
人間で言うならば、一流企業に就職できたということでしょうか
もちろん不幸にも競走中や調教中に怪我をして命を落とす馬もいますが、確立からするとすごく低いもので、「JRAや競馬関係者たちは頑張っている」と拍手を送るべきなのかもしれません

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2005年5月 9日 (月)

競走馬の現実 【取材記5回目】

ゴ−ルデンウィ−クの間、ずっと競走馬のことを考えていました
今日やっと手に入れた膨大な資料の中から、確かな数字をひとつご報告します

私がどうしても欲しいと言うので、JRAの広報センタ−の方が、あちこちの棚から資料を探し出してくださった数字です
それは、競走馬の生産数と競走馬としてスタ−トラインに立てたことを表す登録数の2種類
それらの数字は、年によって増減はあるものの、本や人によってかなりのバラつきがあるので、自分の目で正確な数字を確かめたいとずっと思っていました

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2005年5月 5日 (木)

競走馬の現実 【取材記4回目】

土日に競馬が開催されるJRAに、祝日なんて関係ないと思っていたら大間違いで、しっかりGW中はお休みなのでした
私のあちこちのちっちゃいコネも、
「JRAの総務を通してください」
のひとことで見事玉砕しています

先ずは資料を集めようと試みましたが、競走馬が競走中に『故障』して『予後不良』になった数のデ−タはどこにもありません
「こういうデ−タはありませんか?」
とGWでも営業している施設へ問い合わせても、
「JRAの広報センタ−へ行くと、見せてもらえると思います」
出版社にも電話してみましたが、そういう統計は出していないとうことで、
「もしかしたら、JRAさんの広報センタ−に行けば見せてもらえるかもしれません」
という答えを得ました
競走中に怪我をしてどれだけの馬が死んだかなんてことを知りたいという人はいないのかもしれません

だめもとで行ってみた渋谷のプラザエクウスのライブラリで、興味をそそられる資料を見つけました
「日本中央競馬会40年史」という1冊の本です
昨年JRAは50周年を迎えたので、この中の統計は、全て平成6年までのもの
統計としてはかなり古いものになりますが、競馬歴10年の私にとっては、とても面白いものでした

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2005年5月 3日 (火)

競走馬の現実 【取材記3回目】 

Kodomotogureka 東京競馬場には、現役を引退した馬が10頭います
競馬が開催されている時、この馬たちはどんな仕事をするのか見てきました

競馬開催時の仕事を大きく分けると、人と接することと誘導に分かれます
人と接するのは、お客さんの前に出て、触ってもらう仕事です
誘導は、レ−スに出走する競走馬たちを本馬場へと導いて、レ−スを盛り上げる競馬には欠かせない存在となっています
どちらも現役時代には経験しなかった仕事です

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2005年5月 2日 (月)

競走馬の現実 【取材記2回目】 

Cafemoon ゴ−ルデンウィ−クは、はじまったばかり
約58000人もの入場者のあった土曜日の東京競馬場は、「日本はこんなにも平和なんだ」と平和をどこかへ貯金しておきたいと感じるくらいこどもたちの笑い声があちこちから聞こえていました
夏のようなまぶしい日差しに照らされて熱ったほっぺを冷やしてくれる風が気持ちいい
今週末は、そんないいお天気の中を駆け回っての取材でした
その取材中に遭遇した緑に輝く美しいタ−フでの悲劇を報告します

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