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2005年5月13日 (金)

競走馬の現実 【取材記8回目】 

これからどう取材を進めたらいいのかわからなくなってしまったので、最初から整理します
今までの経緯をご報告しますので、ご意見をお聞かせください

競走馬をいつから経済動物と感じるようになったのか
競馬を知ったのは平成5年
家族の中で誰もギャンブルをやらず、ギャンブルに嫌悪感を持って育った私は、
「生きている馬にお金をかけるなんて」
と競馬に対しても同じ感情を抱いていました

それをくつがえしたのは、トウカイテイオ−の奇跡の復活です
平成4年の有馬記念で惨敗したテイオ−は、1年ぶりにレ−スに出走して勝つのは不可能だと予想家たちは話していたのに、完璧な復活劇を演じました
騎乗していた田原元騎手の号泣を見た時、心から感動して、競馬は人をこんなにも感動させることができるということや、競走馬の陰には、人々のいろいろな想いがあることを知りました
その有馬記念で、テイオ−は再び骨折が判明し、引退を余儀なくされます

翌平成6年から競馬場へ通いはじめ、競馬場はギャンブル場ではなくレジャ−場だという雰囲気の中、競走馬の魅力にはまり始めました
はまった理由のひとつには、競走馬の愛くるしい表情によるものも大きいのですが、その陰にいくつもの悲劇的なスト−リ−があるということを知ったからだと思います
取材記2回目」で取り上げたテンポイントの話に代表されるように、骨折をしただけで命を失うことがある
人間では考えられないことです
馬だから研究が遅れているのだろうか
JRAは競馬場やウィンズなどの建物の改修工事をよくやっているけど、競走馬が骨折しても命を落とさないような研究をちゃんとやっているのか
そんな疑問をずっと持っていました

それからサンエイサンキュ−のこと
現役時代の彼女のことを私は全く見ていませんが、日本の経済は不況の波に押され、経済が大きく影響する競馬の世界でも、お金のために無理使いされる競走馬がいるという現実を知りました
サンエイサンキュ−は、デビュ−した91年7月に13日20日28日と、暑い夏の盛りに1ヶ月に3度も続けて出走しています
その後、1ヶ月に1度のペ−スで出走し、牝馬であるにも拘わらず皐月賞のトライヤルに参戦した後、桜花賞にも出走しています
オ−クスで2着に好走した後夏休みもなく使われ、7月の札幌記念では年上の馬を相手に2馬身半の差をつけて圧勝しました
函館記念、サファイヤステ−クスの後、直接GⅠのエリザベス女王杯に出走する予定だったサンエイサンキュ−は、オ−ナ−の意向により急遽ロ−ズステ−クスにも参戦し、その裏で騎乗していた田原元騎手が「調子は最悪。2着以上になったら坊主になる」と発言したことが、マスコミに大きく取り上げられました
結局そのエリザベル女王杯では5着となり、それでも、サンエイサンキュ−は休ませてもらえず有馬記念に出走、最後の直線で競走を中止しました
骨折した足の手術を受けて牧場で闘病生活を送っていた彼女の足が、曲がってしまっていたという写真を今でもよく憶えています
人間の意志で、その運命をどうにでも操られる競走馬について、もっと知りたいと思うようになったのは彼女のことを知ったからです

競馬を知ってからの10年間、いろいろな馬を見てきて、いろいろな本を読み、人の話を聞いて、競走馬を取り巻く問題で私の頭の中はいっぱいです
取材をはじめた時点で、その中からどの問題について取り組めばいいのか全く絞りきれていなかったことを深く反省します

そして、「取材記3回目」の引退した競走馬を取材することで、私は更に混乱してしまいます
普段から接している誘導馬のレポ−トは、ただ単に私の思い入れに過ぎなかったように思います
競走馬として調教されたが故に、誘導馬として生きることの難しさをお伝えしたかったのですが、それは、主題を大きく広げることとなり、馬の怪我とも生産の問題とも全く関係のないものだと反省しています

ゴ−ルデンウィ−クの間、いろいろな資料に目を通しながら、予後不良に絞ろうと思い、スピ−ド重視のかたい馬場だと言われる日本の競馬場に問題はないのか調べることにしました
取材記4回目」で挙げた「骨折馬実頭数」は最新の数字でも平成6年とかなり古いものでしたが、調教中の方が骨折の数が多いとわかり、ゴ−ルデンウィ−クが空けてすぐ、新しい資料をもらうためにJRAへ
各競馬場のコ−スや、調教を行うトレ−ニングセンタ−の調教コ−スの沿革史をコピ−し、美浦トレ−ニングセンタ−が開場した昭和53年からの競走馬の死殺馬数(運動器疾患による)を手に入れました
取材記6回目」にも挙げている表の中の死殺馬数の小計を見た時「少ないな」という印象を受け、それで、JRAに登録している実頭数から、死殺馬数の割合を出してみると、驚くほど少ない数字です
この数字は、JRAの最大限の努力の結果だとしか思えません
怪我をして死んでしまった馬の数が少ないのは喜ぶべきことなのですが、私の取材は立ち止まってしまいました

でも、どうして毎週購入している雑誌「Gallop」には必ずと言っていいほど「予後不良」と書かれているのだろう
私は、JRAへ電話をしてみました
そもそも予後不良という言葉は、馬を安楽死処分にしたという意味ではなく、競走馬として再起できないという意味で、直接死と結びついているものはないということ
開放骨折や複雑骨折など致命的な怪我の場合安楽死処分ということになりますが、怪我によっては、走ることができなくなった馬でも生きていくことはできます
予後不良と報告されているからと言って、全ての競走馬たちが安楽死処分されているということではないとわかりましたが、生きることができても馬主の意向によって殺されることが少なくないということも知りました
賞金をかせぐことができなくなった馬をどうするかという決定権は馬主にあります
馬は当然のことながら、年齢を重ねいずれは走れなくなります
競走馬は、馬主がいてはじめて走ることができ、馬主によって生かされているのです

まだ生きられる馬が殺されているという現場の実態を知りたくて、馬主さんと深い関係を持つ調教師さんの話が聞きたくなりました
競走馬として育て上げたが馬が故障した時、馬をめぐる人たちの間にどんなもつれがあるのか知りたかったのです
私には、過去に面識のなる調教師が2名いたので、簡単には取材に応じてくれるとは思いませんが、交渉してみることにしました
先ず電話をしたのは、トレ−ニングセンタ−で、そこでJRAの本部へ電話をするように言われ、次に調教師協会に電話をするように言われました
調教師協会からの返事は、
「ひとりの方は忙しいからお受けできませんということです
もうひとりの方は、携帯番号を教えていいという事なので、直接電話してください」
というものでした
調教師ご本人が、電話番号を教えていいと言ったということは、ほぼ取材交渉は成立したも同じだと思い、すぐに電話をかけましたが、
「私よりも立派な調教師さんは他にたくさんいらっしゃいます
大した話はできないので、他へお願いしてください」
とあっさり電話を切られてしまいました
あきらめずに、その後も電話をかけるつもりでいましたが、ある競馬関係者は、匿名でということで、
「馬主や調教師も罪悪感を持っている
そんなこと絶対口を割らない」
と話してくれました

JRAの方とは、予後不良の他に「競走馬登録抹消馬事由別頭数」(取材記6回目に掲載)についても話しました
その中で昔は地方競馬に活躍の場を得られていた競走馬も、ここ10年前くらいから飽和状態にあること
そして、この数字は、中央競馬の登録を抹消する際、馬主(または調教師が代行)がJRAへ提出する書類に基づいたもので、その後本当に地方競馬に行っているのか、乗馬クラブに行っているのかをJRAが追跡調査をするようなことはないという話も出ました
特に乗馬については、本当のところ馬がどうなっているのかはわからないということや、研究馬についても、馬に負担をかけるような実験が行われているようで、それが馬にとってしあわせではないということを相手の声から感じ取りました
このことから、JRAとしては、登録している馬が殺されたという記録を残したくはないのだと考えざるを得ません

それは地方競馬にしても同じだと思います
地方競馬の馬主に詳しい関係者と話をしたら、地方競馬で走ることのできる馬もいるが、その他の流れもあるということがわかりました
取材記7回目にも書きましたが、中央競馬と地方競馬の間には、ずっと昔からの関係があって、地方競馬は競走馬たちを受け入れてきました
私個人は、地方競馬が中央競馬の尻拭いをしているという考えを持っていると地方競馬関係者にぶつけたところ、
「一概にそうだとは言えない
いいところも悪いところもある
しかしながら、地方競馬には地方競馬の事情があり・・・」
と、一旦は受け入れた馬たちも、その後の運命がどうなるかは、はっきりしないのです

そして、もうひとつはっきりしないのは、乗馬
全国に乗馬クラブや大学の馬術部など、数多くあります
乗馬クラブを取り仕切る団体はないものかと探してみると、「社団法人 全国乗馬倶楽部振興協会」というものがありました
ここは、JRAの外郭団体でありながら、JRAからどのくらいの馬が移ってきたのかは把握していないそうです

これまでの取材でわかったことは、JRAや地方競馬に所属することができなかった馬たち、すなわち奇形や売れ残った馬たちは、処分されるということ
JRAに登録している間、馬たちは守られ、怪我をしないようJRAは最大限の努力をしているということ
競走馬としての登録を抹消されれば、馬の行き先はどうなっているかわからないということ
馬によって長く生かしてもらえるかもらえないかは、どんな馬主さんと出会えるかにかかっているということ

競走馬が、競馬の陰でたくさん殺されていることは、予想していることでしたが、JRAがこれほど馬の怪我に対して努力しているというのは予想範囲外でした
不透明な部分はあるものの、殺された馬も食肉という資源として消費されているのも事実ですし、馬の安全に尽力したJRAを責める部分はありません
馬主に対しても同じで、ペットではない競走馬の生涯の面倒を看ろというのも無理な話です
殺されている競走馬の数を否定するのは、競馬を否定することになり、正直これ以上何を掘り下げてればいいのかわからなくなっています
競馬を楽しむ反面、競走馬が殺されてかわいそうだと思う心境を声高々に言うことは、大人気なく、怒りの矛先なんて、はじめからなかったことだと私には思えます
でも、胸の中には確かにやるせなさが残っています

競走馬を取り巻く問題点はどこにあると考えられるでしょうか
私に突っ込んでほしい箇所はありますか?
自分で取材を進めておきながら、どこへ向かって進んでいいのかわからずに立ち止まっています
私がもっと突っ込むべきところがあったのか、新しい場所へ目線を向けるべきなのか、率直にお考えをお聞かせください

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コメント

「現状の競馬興行のシステムを変えない限りは、弱い競走馬は、商品として扱われ、価値が無くなれば、廃用となる現実は変えれないかと思います」
取材5回目で登場した馬吉さんのこの言葉
さらに6回目に登場する、あいさん自身の
「不幸にも競走中や調教中に怪我をして命を落とす馬もいますが、確立からするとすごく低いもので、『JRAや競馬関係者たちは頑張っている』と拍手を送るべきなのかもしれません」
という言葉で、今回の取材の問題提起は、ほぼ終わっているように思えます。
以降は、酷なようですが、あいさんのセンチメンタリズムに流れた感があり、共感できませんでした。

野生以外の動物は、生殺与奪権を人間に握られています。
食肉目的で生まれ育った動物が屠殺されるのはよくて、競走馬が食用にされるのはいけないのでしょうか?
医薬品の動物実験で殺されるのはよくて、不要になった競走馬の安楽死はいけないのでしょうか?
すべて人間のエゴイズムが招いたことで、拡大すれば、過激な動物愛護団体の論理に行き着きます。
だからこそ、あいさんも
「競馬を楽しむ反面、競走馬が殺されてかわいそうだと思う心境を声高々に言うことは、大人気なく、怒りの矛先なんて、はじめからなかったことだと私には思えます」
と書かれたのではないでしょうか?

建設的な提案ができず、心苦しいのですが、正直な感想を書かせていただきました。

投稿: 美也子 | 2005年5月14日 (土) 02時28分

乗馬牧場と言う名のお肉牧場があります。
太らせてから肉にするためです。
へんな言い方ですが、馬に接してる人が罪悪感を持ってて良かった。心があってよかった。
接してる人はその馬を愛してるでしょうが持ち主は?疑問ですね。
ココで雇う側と雇われる側の関係が悲しいです。

私は家では馬を飼えないので飼える友達がどこにも行き場の無くなった馬をいずれ飼うとき出来る限り協力するつもりです。

投稿: miho | 2005年5月14日 (土) 09時38分

 馬頭観音。
 大抵の競馬場には、名称は色々ありますが馬頭観音が祀られています。多かれ少なかれ、死んでいって馬達を供養する為に、JRAが施設内に設置しているものです。あいさんが行かれる、関東圏の競馬場にも祀られているかと思います。
 競馬に携わる人間は、競走馬が死ぬ事は理解しています。そして、それが、むやみな殺生ではなく、どうしようもない事も理解しています。
 華やかな競馬の陰の部分である競走馬の死。
 運営サイドであるJRAもそれを認識し、競馬場内に馬頭観音、慰霊碑、銅像を祀る事にしているのでしょう。
 
 競走馬を取り巻く問題ですが、アメリカのように広大な土地があれば、個人で馬を所有して、休日に乗馬を楽しめる人もいるでしょう。日本では、過剰生産のサラブレッドの行く末は、限られてしまいます。これは、受け入れ口を広げる事を、国民事業として行わねばなりません。動物と親しむために、小中学校で馬を飼う、乗馬の発展のために、小中学生が入るような少年野球やサッカークラブみたいなものを、各都道府県で多数設立する。馬が生きながらえる道を作ることからはじめないと厳しいのでは?と思います。

 あと、サラブレットですが、競争本能を高めている種なので、乗馬に下ろしても人の言うことをきかない、乗馬不適合な馬もいたりするので、受け入れ口が一杯あっても、処分される馬は処分されてしまうでしょうね。
 
 今後の取材ですが、今回のテーマは、「競走馬の行く末」が大きなテーマだったのではないでしょうか?ならば、ある程度は完結したのでは?と思いますよ。

投稿: 馬吉 | 2005年5月14日 (土) 10時45分

>あいさん

今回の問題はあいさんが長く関わってきたことなので
私にとっては視野が大きい内容でした。
私は馬には乗りますが、競馬は時々TVを見るくらいでしたから
競馬にはほぼ素人です。
(しかし馬に興味を持ったのは'99の有馬、グラスワンダーとスペシャルウィークの鼻差4㎝勝負でした。)

ので、難しいことは書けないのですが
正直な感想を書くと
今回の取材は私にとっては強烈な内容が多かったです。

もうひとつ。気になっていたは、急に持ちかけた話題が馬の死
となるとやはり当事者にとっては衝撃は大きいんじゃないかな・・。
誰もが口を閉ざすのは
喜びも悲しみもずーっと一緒に、の人たちだからではと・・。
馬主にかつて共に過ごした馬の一生、生から死までそのものについて
丹念に話を聞き、その先の一つの答えとして見えてくるものを
というのもありなのかもなぁと、今考えたりしてます。
組織の体質云々には関係ないかもしれないけど・・・
馬主によって結果は違うんでしょうけど・・・でもどんな馬主で、どんな選択を選ぶにしても
やっぱり関わる以上愛があるんじゃないかなと。

まとまってなくてすみません、なんだかそんな風にふっと思いました・・。

投稿: ぼこ。 | 2005年5月14日 (土) 11時41分

「競走馬の現実」というお題目だったので、見聞きしたくない現実に切り込むのかと思いきや、
業界の上っ面をなぞっただけで、読者に救いを求める有様に脱力しました。
話を聞くべき人はまだまだ沢山いるはずです。
「素人でヘッポコだからこの程度です」と言うのなら、とっとと別のお題目を選びましょう。

さらに、あいさんはルポタージュではなく、中高生向きの恋愛小説を書いた方がよいのではと感じます。
あいさんの文章は読みやすいですし・・・
と、ここまで書いてフッと思った!
あいさんは元々そっち方面の人なのではないですか?
元々出版関係者との繋がりがあって、ブログから拾い上げた新人という形でデビューする。
出版業界もそれぐらいの話題を作り上げなければ生き残れませんしね。
どうよ?私の名推理(笑)

まぁ要するに、私が言いたいことは「何に悩んでいるのか知らないが、甘ったれるな」ということです。
馬の虐待はありますよ・・・
セレブだか勝ち組だかの勘違いした連中の自馬など特にね・・・

投稿: | 2005年5月14日 (土) 11時57分

横からスミマセン。そして、少しずれますが……
私も正直、Anonymousさんと同じく「何に悩んでいるのか知らないが、甘ったれるな」と言って、あいさんのほっぺたをべちべちしたいです。

今回、あいさんが行き詰ってしまったのは、自分がとても愛情を感じているものを、取材対象にしてしまったからだと思います。
そして、冷静な判断ができなくなってしまいました。

プロを志すなら、いつかは越えなければならない壁でしょう。
でも当面は、避けて通ったほうがいい壁かもしれません。
ステップはいくつもあると思いますが、今回は
大事にしたい世界を扱うと、自分はこんな反応をするんだ――と知ったことを、収穫と考えて前進してほしいです。

どっちへ進むかは、苦しくてもあいさんが模索するしかないです。

投稿: 美也子 | 2005年5月14日 (土) 12時17分

美也子さん
本当にいつもありがとうございます
美也子さんのおっしゃるように、私はかなりのエゴイストだったと思います
取材が行き詰った時、私の頭の中には、必ず仲良くしてくれた誘導馬たちの顔がありました
特に、誘導馬さえも引退して、別の場所へ移された馬たちの顔です
大きな悪者がいて、それを責めることは、材料さえ集めれば簡単なんですよね
現実として「どうしようもないこと」だと理解していても、私はこのHPの中で「どうしようもない」とか「仕方ない」という言葉をどうしても使いたくありませんでした
でも、無理やりに誰かを責めようとしていた自分がとても恥ずかしいです

好きなことを仕事とする時、いつも以上の冷静さが必要なのだと身を持って知りました
本当にありがとうございます

投稿: ぁぃ | 2005年5月14日 (土) 16時42分

mihoさん
私は、馬に係わる仕事に就いていらっしゃる方たちのほとんどは、馬が好きだからだと信じています
食肉業者が悪いってことも絶対ないと思うし・・・
唯一競走馬生命を長くするためには、地方競馬を活性化させるのがいいのかなと考えています
今までは、中央競馬だけに留めておこうと決めていたけど、今度地方競馬へ出かけてみようかなと思っています

投稿: ぁぃ | 2005年5月14日 (土) 16時50分

こんにちは。

TBさせていただきました。
長くてまとまりのない文しか書けなかったので。

前回のエントリで

「競走馬が食用になっている事実は変えられないことですが、それらの馬たちを競馬フアンがどう送り出すかということ
その意識によって、事実は変わるかもしれないということですよね」

というコメントをいただきましたが、その通りだと思いますよ。その気持ちを大事にしていけばいいんだと思います。

「変わらない」とか「知ってるよ」とばかり呟くジャーナリストはこれ以上必要ないです。

取材の方向としては、馬のために活動されている方を取材して、問題点などを聞き出すのがいいんじゃないかなぁと。

いや、いいっていうか、単に俺の希望なんですけど。

投稿: hide | 2005年5月14日 (土) 17時10分

馬吉 さん
「西郊民族」という雑誌の中で、松崎憲三さんが、競走馬の供養について書いています
「供養碑全てが、レ−ス中に非業の死を遂げた馬のものではなく、馬主が思い入れのある馬の死を悼み、あるいは名馬を顕彰する意味で建てられたのも少なくない」
これは、戦後の話で、今は馬霊塔が建立され、また、馬頭観音の行事は、初午と競馬開催前に執行されて、東京競馬場関係者が参列し、各厩舎から旗や幟が立てられているそうです
関係者は、競走馬の死といつも向き合って仕事をなさっているのですね

乗馬については、私のライフワ−クになっています
競走馬としての訓練を受けているので、乗馬としてはじめから訓練しなおすのは、かなり難しいと聞いています
走りたがったりするのはもちろんですが、落ち着かなかったり、他の馬をこわがったり、初心者を乗せるための台をこわがったり、馬によっていろいろです
それでも、他に生きる道はないと理解している馬もいるように私には思えます

>ある程度は完結したのでは?
そう気づいていながらも、それを認めていませんでした
>日本では、過剰生産のサラブレッドの行く末は、限られてしまいます。
この言葉は説得力があり、考えるきっかけをもらいました
ありがとうございます

投稿: ぁぃ | 2005年5月14日 (土) 17時24分

ぼこ。さん
おっしゃるとおりです
鞭を使わずに粘り強く馬と向き合って調教を行う調教師さんもいらっしゃいます
私は、そういう調教師さんに、馬はどんな動物なのかということを聞いてみたかったです
馬は自分が経済動物だということを理解しているのか
そんな疑問を持つのは、馬が好きな私だけかもしれませんね
でも、馬にも感情があって、それを競走馬に育て上げるためにどうコントロ−ルするのか
そして、深く係わってきたこどものような馬たちとの別れを自分の中でどう落とし込むのか
もっと成長して追跡したいと思います

投稿: ぁぃ | 2005年5月14日 (土) 17時30分

Anonymousさん
あなたの苛立ちを私自身も自分に感じて、どんどん深みにはまっていました
読者の方が私に期待していらっしゃるのは、デ−タではなく、生の人の声でしょう
それがわかっているのに、どの切り口で人と向き合えばいいのかわからなくなりました
今回インタビュ−することができなかったのは、はじめにあった私の決め付けによるものです
馬の虐待についても、もっと力をつけて取り組んでみたいと思います

それから、恋愛小説は私には書けないと思います
今やっていることが、私に合っているとも得意だとも思ってません
でも、伝えたいことがあります
今回の競走馬のことが正にそうだったわけで、見事に撃沈しちゃって、ものすごく凹みましたが、この失敗をプラスにできなかった時にもう一度考えることにして、今はこのまま進んで行こうと決心しました

Anonymousさんの「甘ったれるな」は、すごくありがたかったです
目が覚めたって気がしました
今度こっそり名前を教えてください

投稿: ぁぃ | 2005年5月14日 (土) 17時39分

突然すみません。
『競走馬 安楽死』という検索で、ここにたどり着きました。
ごく最近、馬に魅了され、競馬を見たり乗馬クラブに通ったりし出した者です。
もしかしたら、もうご存じかもとは思いますが『馬の瞳を見つめて』(桜桃書房・渡辺はるみ著)という本をご存じでしょうか?
もしご存じでなければ、ぜひ一度読んでもらえたらと思います。

投稿: jun | 2005年6月19日 (日) 01時26分

junさん はじめまして
『馬の瞳を見つめて』という本を検索をかけて調べてみましたが、いろいろな本を読みまくりましたので、表紙を見ても読んだか読んでないかわからなくなってしまいました
書店で中を覗いてみて、まだでしたら読んでみたいと思います
ありがとうございます

投稿: ぁぃ | 2005年6月20日 (月) 09時04分

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