介護保険施行から5年。今現場の声 【取材記2日目】
介護保険の現状を知りたくて、おじいちゃん、おばあちゃんを探して公園に行ってみました
木々が揺れる音や鳥たちの声が、空から降り注がれているようで、顎を突き出して眩しい空に目を凝らすと、違う世界にいるようです
風はすっかり春の香りで、私は『やっとダウンジャケットをクリ−ニングに出せる』と所帯じみたことを考えたりもするのです
私の大好きな水鳥「カイツブリ」が、5羽の家族でこちらを見ています
通りすがりの大人たちが、よちよち歩きのこどもたちに「こんにちは」と声をかけて、犬はベンチに3匹並んでお休み中
公園内のテ−ブルは、将棋を囲む老人たちでいっぱい
こっちの池はカメラを抱えたお年寄りのサ−クル、あっちの池は絵を描いている人たちが集まり、向こうの池では釣りを楽しみ人が笑っています
取材で来た公園でしたが、今日はほっと一息ついた気分です
ひとりで散歩していてもひとりじゃない気がする
スペシャルオリンピックスで長野に行った時の感覚が甦って、今日の私は、多分にこにこしていたと思います
水鳥にカメラを向けていると、
「水面を撮る時は、もっと近づいた方が光がきれいに写るよ」
と通りすがりのスナフキンのような男性からアドバイスをいただいたり、偶然声をかけた人が、日本人なら誰でも知っている有名な辞書を作った人だったりと、うれしいハプニングもあった今日の取材活動でした
胸が痛んだのは、足が折れ曲がった1羽のカラスの姿です
こんな陽だまりも現実で、同時に介護保険が必要な人がいるというのも現実なのですね
ベンチにひとり腰を下ろす人に目をやると、単純に日向ぼっこを楽しんでいるという人たちばかりではなさそうです
実際に、介護保険の認定を受ける方法すら知らずに、
「お金がかかって困ってるんです」
とこぼす人がいます
ヘルパ−さんに対する苦情を老人会の仲間から聞いたという人もいました
支援姿勢やコロアイがすばらしくて心底から安心して任せられる し、奇麗事じゃなくて、この人に見ててもらって何かあってらそれは仕方ないと本気で思っている。
このエントリ−には、ヘルパ−さんと素敵な信頼関係が書かれています
「気持ちログ」より
たとえ寝たきりの人であっても、ヘルパーさんがシーツ交換するときに、少しでも作業しやすいようにと心をくばる気持ちを、利用者が持つことの大切さ。言葉が話せなくても感謝の気持ちを何かで、表す。
大変なことかもしれません。でもこんな気持ちの良いこころのキャッチボールができれば、そこには小さな幸せが生まれるでしょう。生きている喜び、支えている喜びがきっと生まれると、私は信じたいと思います。
信頼関係は、一方の努力だけでは築くことはできないんですね
こちらのエントリ−に書かれているように、患者さんの気持ちを理解しようとしているヘルパ−さんもいらっしゃるので、お互いに歩み寄ることが大切だと私も思います
施行されてから5年も経ち、40歳以上の人が加入しているにも拘わらず、街の声を聞くと実態はあまり知られていないというのが私の実感です
ほとんどの人は、「強制的に払わされてはいるけど、自分は介護なんて必要ないから興味ない」と言いますが、外見からはそろそろ介護が必要なようにお見受けいたしました
傍から見れば老人のように見えても、本人とすれば、まだまだ元気ということなのでしょうか
自治体によりますが、私が住んでる区では、ほとんどの業務を民間の事業所に委託しています
では、国や自治体では何をするかというと、認定する際の基準となるもの(質問事項など)を決めたり、委託している事業所に不正がないかを監視することなど、重要な任務を担っています
これを書いている時に、たまたまテレビ朝日の「報道ステ−ション」で民間の事業所の不正について取り上げていましたが、不正を監視するのはとても難しく限界があると思います
自分に介護が必要ないからと、みんなが無関心でいたら、悪質な業者を野放しにするということになりかねないとぞっとしています
今日は、介護保険のサ−ビスを受ける可能性のある人たちからお話を聞いたので、明日は、サ−ビスを提供する側の人からお話を聞いてみようと思っています
年度末ということで、なかなかアポイントを取ることができませんが、精一杯探してみます
- 都内の公園で、介護保険制度についてのお考えをお聞きしました
ベンチでたたずむ人 77歳 ♂
いろいろな権限を持ってやってるのは自治体なのだから、徴収も国ではなく各市町村がするべきなのではないか。
私は公務員だったが、退職後の年金がいくらもらえるかは、退職するまで教えてもらえなかった。
知りたいと申し出るとおおよその金額を教えてくれる。
実際にもらえる時までぼやかしておく方がいいこともあるのかもしれない。新聞を読んでいる人 ♂
「介護保険どうなってる?」と妻に聞いたら「年金から引かれてるよ」と言われたとか、テレビで見て「ほぉほぉ」と思う程度。
詳しくは知らないが、私は介護なんか御免被る。
強制で引かれているのはどんなもんかなと思う。
社会情勢を細かくは知らないが、いつ何事が起こるかわからないから、強制でなく任意で入るということなら理解できる。
強制というところに、もやっとする。犬のお散歩ご夫妻
うちは88歳のおばあちゃんが介護保険を受けているが、体力は落ちているものの、自分で何でもできるので、困っていることはない。
介護2というレベルで、週に1度ヘルパ−さんが来てくれる。
今のところおばあちゃんも気に入っていて、いい制度だと思っている。ベンチでたたずむ人 ♀
うちの母が入院しているが、介護保険が適応になっているのかさっぱりわからない。
自分が無神経なのかなとも思うけど、病院からも何の説明もないし・・・。
家にいる時は、介護保険のサ−ビスで、ヘルパ−さんが来てくれたり、入浴させに来てくれたりしていた。
入院する時に、介護保険の証明書を見せたけど、病院の職員は、番号を書き取ることも何もしなかったので、「あれ〜?介護保険適用しないのかなぁ」と思っている。
払うだけ払っててもらえないんじゃしょうないわと思っちゃう。一度福祉に相談に行かなくちゃ。
もう3ヶ月も入院しているし、あと何ヶ月かかるかわからないけど、すごくお金がかかるから困っちゃったなぁと思って。
入院するまでは、おむつも区から1割で安く買えてたんだから、それを持って行って使わせてくれれば助かるのに、入院してからは、『病院のじゃないとだめ』と言われて、月に2万円とか3万円とか病院に高いおむつ代を支払っている。
病院には助けてもらってるという意識があるけど、言いなりに払わされてるという気がしている。ベンチでおしゃべりしていた2人姉妹
もう両親は既にいないのでわからないけど、自分はどうかなと思っている。
ずっと払っているけど、認定が難しいと聞いているから、自分がもらえるのか不安。ウォ−キングしている人たち 男女混合
歩いている人はみんな元気だから、あんまり興味ない。
いつ自分たちがかかるかわからないから、やっぱり払っておこうと思う。ウォ−キングをしている人 ♂
親が介護保険の認定を受けたが、自宅で家族が面倒をみた。
その時は、まだ介護保険ができたばかりの時だったので、もんのすごい優遇された。ひなたぼっこ3人組 ♂1 ♀2
老人会に入っていると、友達が多いせいか認定されないことがないと聞いている。
(とおばあさんが言ったそばから隣のおばあさんが)認定がとても難しいんだとみんな言ってる。
でも、本当に具合が悪い人は、何の支障もなく認定されいる。
制度が変わってから負担額が高くなったから、元の方がよかった。
今のヘルパ−さんには心がない。決まった仕事しかしてくれなくて、できるだけ自分の仕事を減らそうとするとよく聞く。
それは、税金使っているのに良くないわと思う。
今のヘルパ−さんは事務的で、時間内にこれだけって決まった仕事しかしない。
患者さんと一緒にお茶を飲んじゃいけない、お菓子を食べてはいけないという取り決めがあるらしい。
患者さんも、お茶を飲みながら話をしたいという時もあるけど、「時間がない。規約で決まってる。」と言ってさっさと帰っちゃう。
自分のできないことをやってもらいたいから、だから患者の方も気を使う。
介護保険以前の家政婦さんなら、窓拭きなど何でもやってくれたのに、ヘルパ−さんにはそんなこと頼めなくなっちゃった。
介護保険を使えるようになって、経済的には楽になったけど、ヘルパ−さんは生活の全般を看てくれない。
家政婦さんだったら、クレ−ムを言って自分に合う人に替えてもらうことができたけど、ヘルパ−さんだとよっぽどのことがないと言い出せない。
言ってもいいらしいけど遠慮しちゃう。
税金まで使ってこれじゃ国の制度ってなんかおかしいなって思っちゃう。
区役所の職員が昔は態度が悪いと言われて最近では変わってきたように、ヘルパ−さんも苦情を受け付けていけば、少しずつ変わってくると思う。ベンチにたたずむ人 ♂
利用するにしても、一部自分で負担しなければならないし、必要な人にはいいかもしれないけど、普通の人は家族が面倒看るもんだと思っているだろう。
でも、強制的に加入させられちゃったから、利用したいと思う。ベンチにたたずむ人 83歳 ♂
人に迷惑をかけないことをモット−にしているので、介護保険はどうしようもない時に使うものだと思っている。
介護保険にかからないために、自分で努力する。
人に迷惑をかけないために、つまり自分で体力・気力を作るために、毎日1時間半は歩いている。
年寄りも若い人も、人に頼りすぎて自分でどうしようと考えないというのが欠点だ。
介護保険がずるずるとなし崩し的になっていくというのは、自立していない人たちが多くなっているから。
国民全てが自分に責任を持っていれば、介護保険だってそんなにかかるはずない。
どういうわけだか、人に頼る、会社に頼る、国家に頼る、自立しない、人に迷惑をかけないというところがない。
自分のことを自分でやることがどんなに楽しいか。人に助けてもらうことがどんなに惨めかと言いたい。
元気だと、貧しいものを食べていてもおいしい。元気だと何を食べてもおいしいが、介護を必要としている人は、栄養士さんにいろいろやってもらっているが、おそらくおいしくないと思う。
民主主義というのは、個人が自立して成り立つもの。
アメリカなんかはその基本がちゃんとできているが、日本では確立されていない。
自分のことができないで、人を助けようたって無理。
介護保険が必要な年寄りが、自分のことができないと若い人に頼ったら、若い人はどうなるかってこと。
個人個人がしっかり自立するというのが個人主義であって民主主義。
日本人は勘違いして個人主義を利己主義ととらえている。
利己主義というのは、人を押しのけて自分のことだけ考える。
それじゃ民主主義国家は成り立たない。
100歳だろうが、人に迷惑をかけないと考えて、信念や人生観がないと、民主主義国家は成り立たない。
戦後の教育で、その解釈を教えてくれる先生がいなかった。
大学の先生でも、頭は良くて知識はあるが、実行力と道徳心がない。
勉強を教えるのはいいが、自分の体の健康や社会に尽くそうとする意志は、ご自身で作り上げてくださいとよく言っている。
こういうことが言えるのは、戦争へ行って、日本のため人のためと思ってやったから。
【 今日の覚書 】
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コメント
あいさん、こんにちわ。
SOも行かれたんですね〜!
我が家は障害者支援費制度の下で支援を受けています。介護保険のことは分からないのです我が家の状況が参考になるかどうかはちょっと分かりません。が、ヘルパーという職業を選択している人といい関係を築きながらやっていきたいと思っていますし、現在関わってくださってる方は本気で息子を受け入れよう、支援したいと思ってやってくださってると思っています。人と人との関係の上にしか成り立たないものだと思うので、しっかりとコミュニケーションをとりながらやっていきたいと思っています。
利用者としての心得と思っていることがあります。いっぺんとおりの与えられる介護・支援から自分達が選べる制度になったんですもの、しっかりと自分のニーズにあった、相性のいいヘルパーさん(事業所さん)を選ぶことが大切だと思います。あくまでも選択権は自分にあります。他人を支援することですから、支援する側も手探りでやっているわけで、最初からツーカーというわけにはいかない事も多いと思います。苦情もあるかもしれませんが、困っているだけでなくて、その不都合・不快をしっかり伝え改善を望むことで支援を受ける側が支援する側を育てることも大切だと思っています。それでも問題が解決されないようなら他の事業者さんに代えればいいことです。
サービスが必要な人は適切なサービス必要量に応じてキチンと受けられる、それがシンプルな仕組みで受けられる。必要なサービスを受けながらいつまでも、どんな状況の人でもきちんと社会に参加していく。支援を受けながらできることを増やしていき、その人が一生懸命頑張れて、その頑張りの評価がキチンと得られる。1人の人が生まれてから死ぬまで1人の人として尊重され、その人が生活を楽しみ、生まれてよかった、自分は大切な人間なんだとしっかり実感できる。そういう風ないろんな形の自立が評価される、望まれる社会になったらいいな・・・と思っています。
投稿: shiba | 2005年3月17日 (木) 17時54分
shibaさん、素敵なコメントありがとうございます
健康な人でも、自分の存在価値を見失ってしまうことがあります
shibaさんのおっしゃる通り、「生まれてよかった」と誰もが実感できる社会でなければいけないと私も思います
利用者として、事業所をいかに選択するか書かれていますが、介護保険を利用している人たちは、そのことが正しくなさていないのが現状のようです
介護をしている人たちの家族もまた高齢ですから、国や行政も理解という点では、もっと努力が必要だと感じます
投稿: ぁぃ | 2005年3月20日 (日) 01時40分