2005年スペシャルオリンピックス冬季世界大会−長野がはじまるよ!!
「2005年スペシャルオリンピックス冬季世界大会−長野」HPより スペシャルオリンピックス(略してSO)は、知的発達障害のある人たちに、様々なスポーツトレーニングと、その成果の発表の場である競技会を、年間を通じて提供している全世界的な活動です。 SOでは、これらのスポーツ活動に参加する知的発達障害のある人をアスリートと呼んでいます。SOが提供する継続的なスポーツ活動は、アスリートたちの健康や体力増進、競技力の向上を促進するだけでなく、多くの人たちとの交流は彼らの社会性を育んでいきます。適切な指導と励ましがあれば、アスリートは少しずつでも確実に上達し、自立への意識を高め成長していきます。
「この子の笑顔がなくならないように」
知的発達障害を持った方たちを取り巻く人が、皆、口をそろえて言った言葉です
今大会の表彰式の時には、客席からカメラを構える私のことをフロアから見上げ、初対面の私にいっぱいの投げキッスをしてくれ、何語かわからない言葉でしきりに話しかけてきます
手を振り拍手を送り、思いっきりの日本語で、
「おめでとう〜♪」
と叫んでみます
「ありがと−!にっぽん」
と手を振り、また投げキッスを返してくれるアスリ−トたち
英語がしゃべれないことなんて関係ない
知的発達障害なんて関係ない
私たちは、同じ人間同志で、彼らはスポ−ツで私に感動を与えてくれました
そして、彼らは拍手と「おめでとう」という言葉に讃えられ、体いっぱい喜んでいました
テレビや新聞の報道では、表彰式でのスリ−トたちの笑顔に光が当てられます
当たり前のことですが、この人たちは、この大会だけを生きているのではありません
この大会期間中だけ笑顔でいられても、社会に戻った時、涙するようなことがあってはならないのです
私は、この取材をはじめた時、この大会がいろいろな人の情熱に支えられたすばらしい大会だということを訴えるつもりでした
そして、いろいろな人に会い、お話を聞き、長野に行き、競技も表彰式も見て、知的発達障害の人にとって、この大会が全てではないと気づいたのです
世界大会だと浮かれて長野に行った自分が恥ずかしくなりました
障害を持って過ごす日常が、彼らの笑顔の裏にはあるのです
知的発達障害を持つ人が笑顔でいられる社会とは、どんな社会で、スペシャルオリンピックスは、その社会を作るためにどう役立ったのか考えてみます
まず最初にお会いしたのは、スペシャルオリンピックス埼玉の会長さんです
会長さんが細川理事長と出会われたのは5年前
スペシャルオリンピックスを知った時、それまで地域でいろいろなボランティアをして知り合った知的発達障害の方の笑顔が、会長さんの脳裏に浮かびました
「こういうものがあるなら、ぜひ地元の方にも喜んでいただけるのではないか」
そう確信し、スペシャルオリンピックス埼玉の活動をはじめて、アスリ−トやコ−チが集まるのか不安になりましたが、会長さんの不安を取り去ってくれたのはアスリ−トのひたむきな姿でした
できないと決め付けているのは親の方で、アスリ−トたちは、興味を持てば自分から積極的に取り組みます
会長さんが理事を務めていらっしゃる木工所とパン工場のある作業所も見せていただきました
私がいちばん興味深く見入ったのは、みなさんが帰られた後のパン工場に並んだ靴
サイズ順にきっちり並んでいますが、この靴は、ある少女がひとりで並べたそうです
木工所で作られた作品も、とても細かく丁寧に作られていました
難しいことができなくても、いくつかの工程の中で、できることを見つけることさえできれば、自分に与えられた作業をきちんとやれるんだと知りました
知的発達障害を持った人たちに適する職場が、社会の中にも必ずある
知的発達障害がどういうものかを知らないだけで、彼らに就労する場所が提供されないのは、とても悲しいと痛感しました
日本ダウン症協会では、事務局長さんとダウン症のお子さんをお持ちのお母さまにお話を聞かせていただきました
お母さまは、お子さんがいろいろな経験をすることによって、成長していると実感なさっています
知的発達障害の子供たちが、いろいろな経験をするためには、ボランティアなど両親以外の人のサポ−トや理解が必要になります
そのためには、知的発達障害がどういうものかを知ってもらわなければなりません
「見て欲しい、知って欲しい、参考にして欲しい」
とお母さまがおっしゃるように、同じ障害を持つ親同士の情報交換も子供を育てる上で重要なんだそうです
他人のことを知れば、安心できることもあるのです
長野へ行って、開会式を見た私は、ダウン症の方を中心としたダンス「ラブジャンクス」に感動しました
静かな開会式の中、空を切り裂くような音楽と共に、赤いシャツを着たメンバ−たちが大舞台に流れ込んで来た瞬間、会場は大盛り上がり
私の隣に座っているおばあさんも、お孫さんも、
「すごい!すごい!」
と光るうちわを振り回して熱狂し、目の前のおばさんも体を左右に揺らしてノリノリでした
ステ−ジの周りには、アスリ−トたちが取り囲み、自由に体を動かして、まるで大きなディスコのよう
アスリ−トもボランティアも、国境さえも関係なく入り乱れてみんなで踊った瞬間が、スペシャルオリンピックスを象徴しているように思います
知的発達障害がある人とも「楽しい♪」って想いを共有できるんです
そのラブジャンクスのメンバ−の一員である方のお母さまにお話を聞きました
とっても明るいお母さまでも、ダウン症のお子さんが生まれた時には、『この子のお陰で私の人生台無しだわ』と思ったそうです
でも、今は30倍も人生を楽しんでいらっしゃるそうです
人の輪が広がり、家族もしっかりと結びつき、病気になった時も、
「この子が将来、『お給料もらったからお寿司ごちそうするよ』と言う日が絶対に来るよ」
とダウン症のこどもを持つ先輩に言われて前向きになれたそうです
「私は、ダウン症の広報だと思っているので、いろいろな場に出て行くのよ」
とおっしゃるのは、社会が我が子を受け入れて欲しいという願いが込められていると思います
親としていちばんの心配は、お子さんの就労の問題で、
「この子の働く意欲がなくならないような環境を作るのが親の役目だと思っているんです」
と、いつも笑顔のお母さまが厳しい表情でおっしゃいました
これは、フロアホッケ−に出場なさっているアスリ−トのお母さまも同じです
「自分がいかに社会に子どもを託して、安心して死んでいけるかが、私たちの究極の願いなんです
そういう社会を作るために、スペシャルオリンピックスは大きな役割を果たすと思うんです
そんなことをいちいち考えなくてもいい社会にならなければいけませんよね
いつのことかわからないけど、少しずつ変わっていることは事実です」
スペシャルオリンピックスは、単純に日頃の練習の成果を出す場というものではなく、今の社会を考えるきっかけを与えてくれました
ノン・スポ−ツプログラムの中に、その要素があります
特に、私にとってグロ−バル・ユ−ス・フォ−ラムは衝撃的でした
とても有意義な時間だったのに、全国的にテレビで放送されなかったことは、とても残念です
グロ−バル・ユ−ス・フォ−ラムは、世界のこどもたちと長野市内の小学生が集まり、「Changing Attitudes - Changing The World」のテーマで討論しました
こどもたちの中には、知的発達障害を持つアスリ−トや、その方たちをサポ−トしている子供もいます
こどもたちは、幼くても人間の尊厳について考える力を持っているのだと驚かされました
ナミビアのラファエルという少年の言葉です
「スペシャルオリンピックスに参加するまでは、僕は最も傲慢で、自己中心的な人間でした
最初の何年かは、スペシャルオリンピックスに参加すること自体が自分にとっての挑戦で、アスリ−トの方を手助けしようと思っても、アスリ−トの人は僕ができるだろうと思うことが当たり前にできないんです
そうすると、『どうしてこんなことができないんだ』とかっかして、その場を去ってしまう
それくらい僕は傲慢でした
シンディ、ちょっとこっちに来て!
彼女はシンディで、とても控えめで、僕が言ったことを何でも『はい』と言って対応する人です
シンディはひたすらがんばってやり抜きます
彼女から努力の大切さ、誰かに対して尊敬の念も持つことの大切さ、そしてお互いに対して正直であることの大切さを学びました
僕は、スペシャルオリンピックスが大好きです
そして、シンディが教えてくれることが、人生においてのかけがえのない教訓です」
言い終わった時、会場は拍手で包まれました
その会場に突然登場した第42代アメリカ大統領ビル・クリントンさんは、アフリカのある部族の挨拶を紹介してくれました
「I see you」
「私にはあなたが見えていますよ」
(私はあなたを避けてなんかない。ちゃんと見つめています)と言う代わりに目を見つめて、「I see you」と言いながら挨拶を交わすんです
そしてクリントンさんは更におっしゃいました
「信じてほしいのは、人は善であるということ
ほとんどの人が正しいことをしたいと思っています
善を尽くしたいと思っています
誰かが、『障害を持っている人は自分と違うからこわい。こわいから無視する。』と思った時、それは障害を持った人たちと会ったことがない、話したことがない、ハグをしたことがない
だからちょっと避けてしまう
これだけのことなんです」
私は今まで、知的発達障害を持った人がいない社会の中で過ごしてきました
ボランティアとして、施設の中で窓拭きや縫い物などを一緒にしたことが何度かはあります
でも、実際に多くの人々が社会の中で過ごしているのを見るのは初めてのことです
スペシャルオリンピックスを通して、長野は大きなものを得られたと確信しています
長野のこどもたちは、『一校一国運動』の中で、知的発達障害について勉強し、一緒に競技を楽しみ、『お友達と変わりないんだ』ということを肌で体験しました
偏見のないこどもたちがこのまま育ち、偏見のない社会を作ってくれることを大会の事務局長さんも願い、教育関係者に参加をお願いなさいました
まずは、障害について知ること
障害を持った人が隔離されるのではなく、地域にどんどん出て、交流しなければ何も変わりません
スペシャルオリンピックスでアスリ−トたちが見せた笑顔を社会の中で見てみたいと思いませんか?
そのために必要なのは、障害を持つ人が自立できる社会です
障害を持っていようがいまいが、誰だって自立をして対等でいたいと思うでしょう
「不景気だから」と景気のせいにするのではなく、本当に彼らを受け入れられる仕事がないかと探してみる企業なんてほんのちょこっとなんだと私は感じています
知的発達障害の人を知る人は、
「あの子たちは争いごとが嫌いなんです」
とよく言います
純粋な心は、ある時はぎくしゃくした人間関係の潤滑油になることもあるそうです
数字にならない成果もあるのだと考えるのは、企業の中ではあまいのでしょうか
長野の街を歩いている時、ボランティア精神があふれていると感じました
それは、道行く人もお店も人も、みんなが無意識に、どこの国の人だろうと、どんな障害があろうと、受け入れようとしていたから
それはきっとスペシャルオリンピックスのアスリ−トたちが、街中に笑顔を振りまいたせいだと私は思います
でも、東京へもどればいつもと変わっていなくて、ひどく落ち込みました
そんなのは当たり前で、どうしようもないことだということくらい理解できているはずなのに、私はとてもとても落ち込みました
社会は急にはかわらない
スペシャルオリンピックスのことも、次第に忘れ去られるのかもしれません
でも、私は今回の取材で、積み重ねていくことが大事なんだと、多くの人に教わりました
約7ヶ月間で作り上げられたスペシャルオリンピックス冬季世界大会-長野
時間がない、お金もない、人もいないという中で、決してあきらめず「この大会を日本でやりたい」という多くの人の情熱に支えられて開催され、幕を閉じました
私は、この大会を取材することで、社会のあり方以外に、自分自身の教訓になるものを学んだような気がしています
そして、私がどんなにちっちゃくて、偽善と偏見のかたまりだということも思い知りました
だからこそ私は、クリントンさんの言葉を信じたい
人はみんな善であること
そして、私の心に刻まれた「I see you」
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