2005年スペシャルオリンピックス冬季世界大会−長野がはじまるよ!! 【取材記8日目】
2/28(月)
フロアホッケ−とフィギュアスケ−トを観戦してきました
フロアホッケ−はホワイトリング、フィギュアスケ−トはビッグハット
長野駅からは、路線バスで移動する以外に手はありませんが、とにかく本数がありません
私は朝、スペシャルオリンピックス長野の事務局が入っているビルの中にあるメインメディアセンタ−に用事があったので、そこからビッグハットまでは徒歩で行けます
どの会場でも共通して言えるのですが、メディア関係やファミリ−、ボランティアなど、クレデンシャルを持った人の出入り口はとても目立ちますが、一般観客は、どこから入ればいいのかとてもわかりにくいです
開会式の時、エムウェ−ブでたらい回しにされているので、余計に気になるのかもしれませんが、長野市内のあちこちで大会への不満が聞こえるようになりました
ビッグハットからホワイトリングへ移動するにはどうすればいいのか、インフォメ−ションで聞こうとすると、他にも数名同じように質問なさっていました
「有り得ないだろ」と思うくらいの不便さに、どの人も閉口気味なのですが、中にはブチギレおばちゃんもいます
「なんや、ボランティアのための大会って感じやわ
一般の客は見たらあかんって言うような
だいたいボランティアの数が多すぎんねん
タクシ−乗ろうたって、ボランティアの人に聞いても、『タクシ−乗り場?知りません』言うしな
ほんまボランティアのための大会やわ」
(その通り〜♪)と心の中で拍手しながらも、おとなしく(こりゃ、タクシ−で行くしかなさそうだ)と判断しました
タクシ−の運転手さんも
「一般の観客の方は大変でしょう
タクシ−しか移動手段がないですもんね
ところが、初日はタクシ−乗り場もなかったんで、私が作ってくれって中まで言いに行ったんですよ
そしたら、『ここで言われても困る』って言われましてね
『タクシ−乗り場』の看板が中にあるのはわかってるんですから、出してくれればいいものを・・・
『それじゃ私らどこで待ったらいいんですか?』って言ったんですよ
そうしたら2日目からはできましたけどね」
とおっしゃるくらい、観客のことはあまり視野には入れられてないようです
観客席も、メディア用とファミリ−用に押しやられてとても狭いのですが、はっきり言って空席だらけ
今日(3月1日)は、地元の小学生やお年寄りの団体なんかもいらっしゃたようですが、一般の方が見に来ているのは少ないんじゃないでしょうか
しかしながら、競技は見応えがあります
私が見たフィギュア競技は、ペアスケ−ティング
ペアと言っても、私が会場に入った時には女性2人で手をつないで滑っているのが見えたので、男女でなければならないということはないみたいです
ペアの中のコンパルソリ−競技というのは音楽がないので、場内はスケ−ト靴が氷を削っている音が響いていました
レベルⅠとレベルⅡに分かれていて、レベルⅠでは2人の選手が手をつないで、リンクを左右に行ったり来たりして、はしっこで止まっては時々胸の前で腕をクロスさせてくるくる回り、手を広げてポ−ズを決めたりして、1分30秒以内で演技します
オリンピックに比べれば、かなりレベルは低いけど、終わった後の選手の笑顔が充実感に満ちていました
競技の後は抱き合ったり、「ピ〜ス♪」と言って写真を撮ったりと、大会を楽しんでいる姿が見えて、(日本をいっぱい満喫してくださいね)という気分になります
レベルⅡになると、かなりのものです
腕をしなやかに広げて踊るロシアの2人の表現力は素晴らしかったし、カナダの2人は息がピッタリでした
選手2人が両手をつないでくるくる回ったり、リズムを合わせてステップすると、観客も拍手を送ります
アクロバットのような男性が女性を持ち上げたりはないけど、絶えずお互い見つめ合って気遣う演技は、私は好きです
レベルⅠの方がスペシャルオリンピックスらしい演技が見れるかもしれません
選手の中には、几帳面に「右・左」と足を気にしている選手もいたし、熱狂しているコ−チばかり気にしている選手もいました
「携帯電話は、演技の妨げになりますので・・・」
と、場内アナウンスがありましたが、その台北のコ−チが会場内で一番うるさくて、自分たちの演技が終わって次の選手の演技に移っても、人差し指を立ててかき回し、何かどなっていました
次の選手に迷惑なのでは?と心配しましたが、次の選手たちはとても演技に集中していてミスはなかったので、うるさいコ−チのことは忘れることにします
競技中、リンクの上で選手たちはコケまくるんだろうなという私の予想は見事に外れ、転倒シ−ンを見たのは、練習中たった1回でした
それだけ、お互いを気遣いペ−スを合わせて滑っているということだと思います
女性2人のペアが、リンクを下りて外へ出ようとする時、どちらともなく手をつないでいる姿が見えて、最近自分が誰とも手をつないでないことに気づき、とてもうらやましくなりました
一方フロアホッケ−は、すごい熱気です
会場へ入るなり、ドタドタ響く足音に圧倒されました
フロアホッケ−はスケ−トリンクの上で行われる競技ではありません
アイスホッケ−とリンゲット(スケ−トを履き、スティックを持って氷の上でゴム製のリングを奪い合うスポ−ツ)という競技を混ぜ合わせたスペシャルオリンピックス独自の競技です
スペシャルオリンピックスの中では一番古い歴史を持っている競技だそうです
1チ−ムに最低11人が必要で、最大16人まで
ゲ−ム中、コ−トの中には6人の選手がいます(そのうち1人はゴ−ルキ−パ−)
チ−ムは、アスリ−ト(障害のある人)だけで構成されているディビジョンと呼ばれるチ−ムと、ユニファイドいうアスリ−トと障害のないパ−トナ−と呼ばれる人との混合のチ−ムがあります
ディビジョンとユニファイドが同じゲ−ムを戦うことはありませんが、公式予選の前にレベルの確認が行われ、細かくレベル分けをされています
ディビジョンは、46チ−ムあり11のレベルに分けられ、それぞれのレベルの中のチ−ム同士で対戦します
日本からは3チ−ム出場していますが、全てディビジョンです
ユニファイドには9チ−ムの登録があり、3つのレベルに分かれました(これはたまたまちょうど3チ−ムずつに分かれたそうです)
競技時間は、「ライン」で区切られていて、1ラインが3分です
3ライン(9分)を1ピリオドとして、ゲ−ム全体は3ピリオド行われます
ピリオドとピリオドの間には1分間の休憩があります
1ラインが終了すると選手が交代するのですが、その時の合図はホイッスルではありません
はじめ、ル−ルがわからないまま観戦していると、選手が交代する時に、何だか黄色い物体が投げ込まれて、
「ありゃなんじゃ?」
と目を凝らしてみると、なんと『くまのプ−さん』のぬいぐるみでした
審判や選手が投げ込まれたプ−さんを優しく拾い上げる姿に笑いがこみ上げました
私はエルサドバドル対日本のレッドシ−サ−ズと、ウガンダ対オ−ストリアの試合を観戦しました
レッドシ−サ−ズは沖縄のチ−ムで、3つの日本のチ−ムの中で最もハイレベルだそうです
アメリカのチ−ムには10点以上の差をつけ、しかも相手は0点と圧勝しています
そんな情報を得ていた私は、ものすごい期待をしながら観客席に座ったのですが、エルサドバドルの選手たちはキレ者でした
日本人はおっとり
エルサドバドルの選手は、一旦パック(フエルトで作られたド−ナツ型で直径20cm、厚さ2.5cm、中心の穴の直径10cm、重さ140〜225g)を自分の物にすると、ジグザグにスティックを動かして移動します
その足の速さもおどろくほど
日本の選手は、自分がパックを持って相手のゴ−ルを目指す時、相手チ−ムの選手がコケちゃうとゆっくり走りながら振り返って見つめていました
エルサドバドルの選手は、男の子ばかりのようで、体格もほとんど同じくらいでしたが、レッドシ−サ−スにはちっちゃい女の子も数名います
おさげ髪がヘルメットからはみ出して、ゴ−ル近くをしっかりディフェンスしている姿は抱きしめたくなっちゃう
相手チ−ムの選手と一緒に、パックがゴ−ル近くへ飛んでくると、鉄砲玉のようにぶつかって行くので、見ている方がハラハラしちゃいます
エルサドバドルの選手は、何度もゴ−ルを挑むので、パックがキ−パ−のところまで届くには距離があるのだけれど、キ−パ−は相手選手に反応してフロアに突っ伏します
パックが自分の近くに来ると、手で「バシッ!!」と押さえつける時はすごい迫力で、一度かるたに挑戦していただきたい
すごくほほえましいのは、選手のひざ・すね当てやグロ−ブがとにかくよく取れちゃって、その度にゲ−ムが中断するのですが、2人いる審判のうちのどちらかが、必ず丁寧に着けてあげているんです
ひとりの選手のTシャツが背中から出てれば、
「○○!!シャツが出てる!シャツが出てるよ!!!」
とベンチのみんなが声を出していて、チ−ムメイトがパンツの中へ入れてあげています
コ−チやファミリ−の声は既にかすれていました
「アキラ!チェック!!チェック!!
ナオヤ!チェックして!!
アヤ!チェックぅ〜!!!」
と、アキラくんとナオヤくんとあやちゃんがこのチ−ムにいらっしゃることがすぐにわかりました
ファミリ−でも親戚でも友人でもない私も、大興奮したゲ−ムです
観客がこんなにも少ないのはもったいないですね
メディアやボランディアが利用している無料バスを有料にしてでも、一般に開放するべきだと思います
観客席にはお年寄りの姿が多く、ル−ルがわからないのでしょう、明らかにエルサドバドルが何度もゴ−ルを決めていましたが、
「今のはどちらが勝ったんですか?」
と私に質問なさいました
それでも、
「わぁ、がんばれぇ」
と紅白の旗を振って応援なさっていましたから、どなたが観戦してもとても楽しいと思います
競技の内容が素晴らしいだけに、交通の便が悪かったり、ボランティアの人に知識がないため振り回されたりすのは、とても残念です
「皆で集い、共に楽しもう」というスロ−ガンを掲げ、「入場無料!みんなで応援しよう!」とHPのtopでうたうのなら、「これじゃだめだろ」という感想を持たざるを得ません
車椅子の方も多いのに、会場のあちこちに段差が目立ち、
「ぜんぜん心のバリアフリ−なんか言えないわね」
と入り口で一緒になった女性にこぼされ、
「私は和式トイレの多さに驚いています」
と言うと、
「そうでしょ!!私もなのよ
世界的なオリンピックがあった場所なのに信じられないわと思っていたのよ」
と、2人で問題点が多いことを嘆きました
大会も半ばを過ぎて、競技以外のところで、そういうところばかり目に付き、会場のあちこちで不満が聞こえます
がんばっている人がたくさんいるのに、残念でなりません
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コメント
スペシャルオリンピックスについて取材のようなことをされているようですが、記事の中に気になるところがありましたので書き込みします。
このブログの内容が個人の日記のようなものでしたら気にならなかったと思いますが、フリージャーナリストとしての立場から取材記や記事として書いてあるようなので黙って見過ごせませんでした。
「長野市内では移動しようと思っても、その手段が全くありません」
長野市内の移動について観客への配慮が全くなされていないような印象を受けましたが、
公式HPには移動手段や時刻表が掲載されています。それを確認されていますか?
ご自分の都合やスケジュール、そしてペースに合った交通手段がないからといって「移動が不便」は気になります。
市役所から開会式会場のMウェーブまではバスを1度乗り換えるだけで行けます。
たしかに便数は少ないですが、計画的に移動すれば問題はありません。
これを読んだ方は「なんだせっかく行こうと思ったのにやめよう」と思われるかもしれません。
私は2月26日と翌日長野市で大会を楽しみました。
27日の午後、長野駅前のバス停で困っている外国人の方がいました。
バス案内をされている年配の男性に英語で話しかけてましたがうまく通じていないようなので、英語力に自信はありませんが聞いてみると「Mウェーブに行きたい」ということでした。
バス停の時刻表を見るとバスは出たばかりで次の便は1時間後。
東口なら間に合うと思い彼女を連れて行きましたがちょうど出たばかりで間に合いませんでした。
次の便が16時以降だったので行っても競技は終わってるかもしれないと伝えると「大丈夫、駅のまわりを散歩して楽しむわ。1時間後にまた来ます、ありがとう!」というようなことを言ってました。
高価なタクシーを使わなければならなかったことを残念がられる前に、利用できるバスを計画的に乗り継いだりできる範囲で楽しもうとされてはいかがでしょうか。
選手団のファミリーたちは会場に1時間前に入って他の国の観客と楽しんだりしていました。
「メディアやボランディアが利用している無料バスを有料にしてでも、一般に開放するべきだと思います」
メディアはわかりませんが、ボランティアや選手団が利用してるバスも便数は多くないです。
競技に遅れることができない選手団は早朝から出発し早めにバス停で待ち、乗り継いで会場まで行ってます。
関係者と一般の交通手段を混合することは混乱を招くだけです。
例えばこれがスペシャルオリンピックスではなく有名選手が参加する五輪だとしても同じ考えを持たれますか?
知的発達障害を持ったアスリートの大会だからと、どこか簡単に考えていらっしゃいませんか?
「ボランティアのための大会」
あなたはボランティアに積極的に参加されたことはありますか?
あなたは自分のことを棚に上げてボランティアの方を責めているようにしか思えません。
ボランティアは大会にかかわる全てのことを知っているわけではありません。
配置された場所、任された期間・業務に関して一生懸命されています。
担当以外の質問についてもできる限り調べたりわかる方に引き継いでくれたりしています。
業務については大会開始前から何度か研修を受け、できる限りのことをやろうとしてくれていますが完璧ではありません。
普段は近所のおばあさんという方が多く参加されています。ボランティアにプロはいません。
私が見た限りですが、Mウェーブ内の自販機の場所を聞かれて走り回って調べてくれたおばあさん、外国語がわからないが持っている資料を全て調べてなんとかしてくれようとしているおばあさんを何度も見ました。
気温0度のバス停でただ案内をするために暗くなるまで何時間も立ち続けていたおばあさんはいつも笑顔で挨拶してくれました。
自分のできることを一生懸命がんばっている全てのボランティアの方を否定されているようで大変気分が悪いです。
あなたも今からバス案内のボランティアをおばあさんと一緒にやってみてはいかがでしょうか。
やってもない、できもしないのにある一面だけを悪く捉えて取材と称されている記事に賛成できません。
「地元のいとこが関係者でチケットをくれた」
どういう関係者かわかりませんが、一般抽選にもれて行きたくても行けない方はたくさんいました。
私もその一人でしたが、長野市内の特設会場でTV中継を観覧し楽しませてもらいました。
そこにもチケットをもたない数百名の方がモニタごしに開会式の雰囲気を楽しみ惜しみない拍手を送っていましたよ。
あなたの記事では「関係者が不平等に知り合いにだけチケットを配っていた」ような印象を受けます。
こういう書き方をされればあなたの知り合いでない関係者の方にも変な目がむけられるとは考えられませんか?
開会式で光るウチワがもらえなかった選手も中にはいました。
大会運営側の不備かもしれませんが、選手たちは交代に持ったりしてみんなで楽しんでましたよ。
「足りないものはしょうがない」といった感じで持ってない方々も思い思いに楽しんでいたように見えました。
足りなかったのはウチワじゃなくて、あなたの心のゆとりと楽しもうとする気持ちではないでしょうか。
「ボランティアの人数が多い」
何を基準にそう思うのですか?観客の割りあいに対してですか。
ボランティアの方は長野市内以外からも大勢駆けつけてこられています。
その交通費は全て自費です。選手団付きでない方は宿泊費も自費の方がいます。
観客か取材か分りませんが、あなたの目から見て多ければ不要ですか?
ボランティアは観客以外にも選手団や他のボランティアの手助けをするためにいる場合もあります。
ボランティアが他のボランティアに手伝ってもらうことも少なくありません。それはおかしいことでしょうか。
あなたは逆に少ないと感じたら「ボラティアの数が少なくて不便だ」と別の不満を書かれていたのではないでしょうか。
ボランティアにも悩みがあります。あくまで大会運営の手助け係りなのででしゃばったことはできません。
遠路遥々やって来た外国選手団と仲良しになっても、悲しいことに距離を取らなければならいないこともあるそうです。
馴れ合い、甘やかしが大きな事故につながる可能性があるからだそうです。
このために、大会運営側からはフレンドリーながら節度ある厳粛という難しい態度をもとめられています。
ボランティアや関係者の方々は業務が終わったあとに大会総括から日々起きた問題について注意され反省し翌日からの業務活かそうと努力されています。
観客がいないところで泣きながら歯を食いしばって頑張っている方も少なくありません。
実は私もこれまであなたのように何かの大会に行って自分の都合に合わないことがあれば「大会側の不備だ」と感じたことがしょっちゅうありました。
でも、今大会に妻が語学ボランティアとして2週間外国選手段につきっきりで参加して私も一緒に輪に入れてもらい考え方、そして見え方が変わりました。
誰も「誰かを楽しまないように邪魔しよう」としてはいないのです。
楽しめないのは自分から楽しもうとしないからだと気付きました。
そして「配慮されている場所では気付きにくい」のがバリアフリーです。
町や施設から完全に段差をなくすことは難しいでしょうが、そういう場所の多くにボラティアの方がいたことに気付きましたか?
ボランティアは暇人の暇つぶしではありません。
自分の生活に余裕があるなしにかかわらず、何かをやりたい、全ての人ではないが誰かのために一つでも役に立ちたい
という気持ちにゆとりのある方だけがやれる素晴らしい活動です。そして苦労してでもやりたい魅力があるのも事実です。
観客の中にはあなたのように交通手段やボランティアに対して不満がある方もいるでしょう。
でも、そういう文句を言ってる人は何があっても常に文句を言っています。そういうものです。
タクシー乗り場が2日目からできたならそれは良いことです。
この大会は観客から料金をとるエンターテイメントではありません。
「明日は今日より少しでも成長できる」ということを分らせてくれる大会だと感じました。
大会のあちこちで不満の声が聞こえるなら、次はあなたがその不満を一つでも減らせるようにボランティアをされてはいかがですか。
ジャーナリストになるのはその後でも遅くないのではないでしょうか。
大会を通じてあなたが
「皆で集い、共に楽しもう」「みんなで応援しよう!」という意味を理解されれば幸いです。
あなたの取材対象について共感することが多くあります。
スペシャルオリンピックスを機会に、取材だけでなく自分から参加して感じて下さい。
本当に伝えなければならいこと、あなたにしかできないことがきっとあります。
あなたが「I see you」を忘れない限り、影ならが応援しています。
投稿: gonzalez | 2005年3月 2日 (水) 18時03分
私もスペシャルオリンピックスに微力ながらもボランティアで参加してる一人です。
泉さんの取材記を読んでgonzalezとは違い、「勉強になるな」って感じました。
私自身参加していて疑問に思える部分は沢山ありますので、一般参加の視点で不満に思える点を書いていただけると、見えなかった部分が見えて次の運営に繋がります。
既存のマスコミのような絶賛の記事や番組ばかりだと、足元見えなくなっちゃいますからね
そうやって傲慢になった一部のボランティアのせいで、頑張っているアスリート達まで誤解されて見られるのが一番辛いので、とにかく日々勉強です。
ボランティアがgonzalezさんのように批判されると攻撃的になる人ばかりではないと理解していただきたく、余計だとは思いましたが書き込みいたしました。
最後の締めくくりの記事をどのように展開されるのか期待してます ^^
投稿: kain | 2005年3月 2日 (水) 20時47分
gonzalezさん、こんにちは。横から失礼します。パワフルな行動力には頭が下がります。
今回のような問題は、運営主体をボランティアに頼っている会につきものの問題かと思います。
ボランティアの方々には当然、gonzalezさんのおっしゃるような言い分があるでしょう。でも、一般の人の目にはボランティアも主催者スタッフとして映るから、運営の不備がスタッフへの不満として現れてしまうのでしょうね。
痒いところに手の届くサービスを当然のように享受している、日本人ならではの甘えもあるのかもしれません。
けれども、あいさんや一般の観客の方が、現地である種の疎外感を味わったのであれば、やはりそれは「皆で集い、共に楽しもう」「みんなで応援しよう!」という趣旨の浸透を妨げる重大な問題ではないでしょうか。
あいさんの記事は同時進行で報告されていますので、途中経過では取材が不十分な面もあるし、誤解を招く危険性も確かにあるとは思います。けれど
>次はあなたがその不満を一つでも減らせるようにボランティアをされてはいかがですか。
>ジャーナリストになるのはその後でも遅くないのではないでしょうか。
という発言は、問題をはき違えているように思えます。たとえあいさんが取材する立場の人だからおっしゃったとしても、です。
kainさんがおっしゃるように、それぞれの立場から問題提起がされてこそ、改善の道筋が見えてくるはずです。
gonzalezさんの言葉は「文句があるなら自分でやってみろ」という風に聞こえますが。
これって独身教師に「子育ての経験もないくせに」という親、作品をけなした読者に「じゃあ自分で書けば」という作家と同じじゃないでしょうか。
ジャーナリストに、時には体験も必要でしょうけど、もっと大切なのは中立の立場で対象を客観的に捉えて伝える視点じゃないかな、と私は思います。
投稿: 水島美也子 | 2005年3月 3日 (木) 10時51分
水島さん、こんにちは
泉さんのブログは水島さんのブログで知り拝見するようになりました。
泉さんの記事には感じたことをそのままストレートに表現されているようで、読んでいて胸が熱くなることも多いです。
水島さんもライターをされているそうですので活字の持つ影響力の大きさはご存知だと思います。
ブログであってもジャーナリストを自称される方が「取材記事」として掲載されるのであれば、その内容には水島さんのおっしゃるように
「大切なのは中立の立場で対象を客観的に捉えて伝える視点」が常に存在してなければならいと思います。個人の日記とは別ですからね。
泉さんの記事は連載中で進行形ですが、これまでの内容では「ボランティアの態度」への不満が多く、中立の立場、公平さを欠いていると強く感じます。
記事を読まれた方は、アスリートとそのファミリーは素晴らしい活動をしているのに、一方でボランティは知識が足りず役に立たないということしか書かれていないようです。
「文句があるなら自分でやってみろ」とは思ってませんし、ジャーナリストが記事にする対象を体験してからでないと書いてはいけないとも思ってません。
ただ、ジャーナリストとして書くのであれば中立の立場から書かなければならない。今回の泉さんの「記事」は、それがなされていないと感じたのです。
経験がなくても相手のことを理解できれば、理解しようとすれば簡単に非難することはできないと思います。知らないから文句が言えるということもありますから。
私の受け取り方が偏っているのかもしれませんが、「ボランティアのための大会」という言葉などが「ボランティアが楽しむための大会」というように受けとれました。
SOは五輪やワールドカップよりもボランティアの受け持つ役割が多く前面に出ます。
「ボランティアのための大会」と感じられるのは、それだけボランティアの方の力が必要で目立っているからではなでしょうか。
私はボランティアだけが偉い、素晴らしいとも思っていません。
相手のことを考える、少しでも思いやる気持ちがなければ中立の立場として書くことは難しいと思いますがいかがでしょう。
そういう方にもSOなどを通じてボランティアに積極的に参加して欲しいと思ったまでです。
「ボランティアはボランティア」ではなく、誰でもボランティア、ジャーナリストでも観客でも次は自分も何かしようと思わせてくれるのがSOだと感じています。「見て感動する」ことはSO以外にもありますし、TVでも見ることはあります。でもSOという活動は「次は私も何かしよう」と思わせる純粋で不思議なものだと感じました。
大会運営部、アスリート、選手団スタッフ、ファミリー、ボランティア、観客のどれが欠けてもSOは成り立ちません。
だからこそ中立の立場から公平に見て欲しい。
その中で、良いところ悪いところなどを記事にされるのが本来のジャーナリストとしての役目だと思っています。
私が「ジャーナリストという立場」を誤解しているのかもしれないなー。
投稿: gonzalez | 2005年3月 3日 (木) 14時37分
gonzalezさん
ジャーナリストの役目についてはおっしゃるとおりだと思います。
この点はあいさんの課題でもあるだろうし、私の紹介の仕方も思慮を欠いていたと反省しています。
>SOという活動は「次は私も何かしよう」と思わせる純粋で不思議なものだと感じました。
gonzalezさんがそう思われたのは素晴らしいことです。ボランティアの方々の活動の近くにいらしたから、そう感じることができたのでしょう。
ただ、私は今までの報道やこちらの記事を読んで、そんなふうには感じなかった。これはボランティアスタッフの方々の問題ではなく、やはり運営部の広報の仕方やチケット不足などがまずかったのだと思います。
人を動かすのは、難しいこと。特にボランティアは、活動している人が頑張っているから、楽しそうだから――というだけでは、なかなか私もやってみよう、とはならないでしょう。
いい経験になるからやってみるべきだ、と言われても腰の上がらない人が多いでしょう。
今回の大会など、多くの人が会場で観戦できて、無関係な自分もその場へ行って、ボランティアの方たちの働きによってすごく楽しい体験ができた、感動を味わえた、だから次は自分が――となれば一番よかったのにな、と残念に思うのですが。
理想論に過ぎるでしょうかね。
現場にいなかった私がいろいろと推論するよりも、取材したあいさんがどんなレポートをされるのか、楽しみに待ちたいと思います。
投稿: 水島美也子 | 2005年3月 3日 (木) 17時15分
いつもROMしている外野席な自分ですが、1つ言いたいことがあるのでコメントさせていただきます。
あくまで私感ですが、このblogは既存のジャーナリズムではなく、新しいジャーナリズムの模索なんだと思って見ています。
既存のジャーナリズムは取材段階のものは伏せ、結果だけを発表しますが、泉さんはその段階そのものを業と公開して、記事に該当する答えを読者それぞれに考えてもらおうとしているように思います。
段階である過程を発表することはいい面も悪い面もあり、発表方法は暗中模索中だと思っています。
でも、その過程が見えることを私は楽しんでいます。
ですから、1つの過程である取材記を見て頭ごなしに否定するよりも、最後まで見てみようと思っています。
もう少し、このテーマの取材記の先を待ってみませんか
投稿: こしまき | 2005年3月 3日 (木) 17時40分