2005年スペシャルオリンピックス冬季世界大会−長野がはじまるよ!! 【取材記12日目】
3/5(土)
行き交う人が挨拶してくれたり、ほほえみかけてくれたり、気軽に話しかけてくれる長野から帰京して一変、当たり前のことですが、どこも変わっていない東京、すれ違う人が誰もほほえみかけてくれない東京に愕然としました
当たり前のことに完全に落ち込みながら、スペシャルオリンピックス冬季世界大会の開会式に「ラブジャンクス」のメンバ−として参加なさった方のお母さまにお会いしました
とても明るいお母さまで、元気をいただきました
20歳のダウン症の息子さんは、高校時代バスケットから大好きで、学校を卒業してしまうと、スポ−ツする機会がなくなってしまうので、スペシャルオリンピックスのプログラムに参加しようかと書類を取り寄せました
医師の診断を受けるの必要があるので、それが面倒だなと思いながらも、書類に記入までしていた頃、日本ダウン症協会を通じてダンスに出会われたそうです
ダンスに出会ったことは、お母さまが「女神様」と称するほど、家族中が惚れ込んでしまっている先生との素敵な出会いでもありました
この先生はとても有名な方で、アイドルを育てた経験もあり、そんな先生に教えてもらえるなんて思わなかったし、はじめは半年間のボランティアでやってくださるのだろうと思っていたそうですが、
「私はこの子たちにハマったので、何かはじめます!」
と先生がおっしゃった8ヶ月後にはダンス教室が立ち上がり、NPO法人になりました
レッスン料は1時間1500円ととても安いそうで、これはNPOになる前もなってからも金額は変わらず、先生がとても尽力なさっているのがよくわかります
すごい行動力に驚きますが、それだけ人を動かせる魅力があることを長野でダンスを見た私はわかるような気がします
レッスンのある日曜日は、朝6時半に自分から起きて支度をするくらい、息子さんはとても楽しみになさっています
小学校の頃から、「できない」と言われることが多く、劣等感がずっとありました
ご両親は、劣等感があるのはすばらしいと思っていらっしゃいます
でも、ご本人はできないとふさぎ込んでしまう
ダンスのレッスンの時もできないとふさいでしまいますが、先生は本気で怒ってくれるので、真剣に向き合ってくれると感謝して、先生を家族で信頼なさっています
お笑いダンサ−ズもあって、
「おなかが出ていておもしろくないとメンバ−にはなれないんですよ
うちの子は選ばれてね
選抜されたんですよ」
と聞いて2人で大笑いしました
ライブの時には、7000円もするきらきらした衣装をドンキ・ホ−テで買い、お笑い系のダンスもご本人はすごく楽しんでいらっしゃって、他の生徒さんも「面白そうだ」と興味津々だそうです
芸能関係の先生のお知り合いが最初のライブに見に来てくださって、「この子たちはいいぞ」と何かあったらこの子たちに声をかけてやろうと考えてくださって、スペシャルオリンピックスの開会式のお話が来ました
出演が決まった後、大会事務局から指示などの連絡がなかなか来ないし、宿は決まらないしでハラハラしたそうです
開会式前日もリハ−サルが見られるという話で行ったのに、
「クレデンシャルカ−ドがないとだめです」
と言われましたが、「申告しているはず」と交渉して急遽入ることができました
あんな大舞台だとは知らなかったので、寒いしお金はかかるし、最初は行きたくないと思ったそうですが、アスリ−トの人たちも前へ出て踊ってくださるのを見て、来てよかったと実感したそうです
開会式当日は、リハ−サルのため10時に宿を出ました
待ち時間が長くて大変だったそうですが、小学3年生もいるメンバ−みんながちゃんとい待つことができて、「この子でもやれる時はちゃんとやれるんだ」と感心したそうです
親御さんたちも長野を楽しんでいらっしゃったようで、宿ではお茶を飲みながら、みんなで夜通しおしゃべりしたそうです
開会式は、子供たちを送り出した後、善光寺や美術館を回り、おそばを食べて、長野観光を楽しんだそうです
「子供たちが大変な想いをしている時に申し訳なかったけど、楽しかったわ」
とおっしゃっていましたが、楽しいおしゃべりも、親同士の情報交換の場として大切な時間なのでしょう
私も開会式を見て、「ラブジャンクス」のダンスにとても感動したので、ご本人にとってもあれだけの大舞台でダンスできたというのは、さぞかし素敵な思い出になったのだろうと思ったのですが、スペシャルオリンピックスのことは、もはや過去の話になっちゃっているそうです
次の愛知地球博でのライブにもう気持ちは向いています
ご本人は、ライブ重視ではなくて、レッスンを充実させたいと思っていらっしゃるほどダンスがお好きなんだそうです
どんな大舞台だろうと、どんな偉い人が見ていようと関係ない
自分自身が楽しんで没頭する
だからこそ、見ている私たちもその姿に感動するのかもしれません
こんなに充実した今ですが、『この子のお陰で私の人生台無しだわ』と産まれた当時、お母さまは思われたそうです
「温泉にもランチにも行けるようになるとは思わなかったし、普通のおばさんがやってることはもうできないと思いました
私の人生なんて不幸だろうと思って、この子のお陰で私の人生めちゃくちゃだと思ったけど、返ってぜんぜん楽しい!!
すごい30倍(ちょっと控えめに)に楽しい♪」
とお母さまは大笑いしながらおっしゃいますが、決して『がんばっている』という意識はないそうです
「障害者がいるからがんばっていると表現されるのは嫌いなんです
誰だってがんばっているでしょ
普通なんですよ
私たちも普通にがんばっているんです」
という言葉の中に、とても深い意味があると感じました
ダウン症を受け入れること、社会の偏見を受け入れること
このお母さまは、現実をしっかり受け入れて、ご自分の中でひとつひとつ解決しながらここまで来たのだろうと想像しています
「たったひとつのたからもの」というドラマの制作会社から、日本ダウン症協会に連絡が入った時、たまたま居合わせたお母さまは、
「死んだ子を美談として描いてほしくない
今を生きている子の話をしてほしい
心臓の手術を選択して生きている子供もいっぱいいるので、生きているこどもを描いてほしい」
と強く訴え、日本ダウン症協会と制作会社とで何度か打ち合わせをして、台本の内容を変えてもらうこともありました
私も、「たったひとつのたからもの」のドラマよりもそのメイキングのドキュメントの方に感動し、特にそのドキュメントのラストで、子役を演じたダウン症の子の母親が、
「来年から普通の小学校に通いたい」
と涙している姿に現実を知ったと打ち明けると、お母さまはご自分の苦しかった体験を話してくださいました
「普通の小学校が受け入れないでいて、大人になって突然障害者も普通の人も同じですという感じで社会に放り出されても、放り出された方は受け入れられないですよ
だから幼稚園、小学生の頃から、『こういう子たちがいるよ。こういう風にすればこの子たちは生きていけるんだよ』と見せていく
うちの子たちが教材になって見せないと世の中良くならないんですよね」
と話すお母さま自身、学校に関しては大変ご苦労なさったようです
小学校は2年生までは、普通級に通いました
それは、『無理やり通ってました』とお母さまが表現なさるほど、困難な通学だったのです
学校から毎日着いてきてくれと言われたので、毎日行き横に着いていました
毎日校長室に呼び出され、校長・教頭・担任は、『出て行け』のオンパレ−ド
「お願いします。うちの子は楽しく来てるのでお願いします。置いてください。」
と毎日毎日お願いするのは苦しいことでしたが、ご主人さまが、
「あの子が楽しく行っている間は行ってくれ」
とおっしゃったこともあり、毎日通ったそうです
助けてくれた先生は、職員会議でも発言権のない人、例えば音楽の先生、図工の先生、保健の先生、用務員さんだったそうです
1日4時間あるうちの授業で、2時間は親が見て、あとの2時間は、
「俺が見てあげるよ」
と行ってくれる嘱託の先生がいらっしゃって、その先生が字も教えてくれました
「私にとって命の恩人というか、私にとっての先生はこの人だけです
未だにライブがある時は『見て〜』と連絡しているんですよ」
と今も素敵なお付き合いをなさっているようです
小学校2年生の終り頃、本人が突然、
「僕は理科と社会ができないので、別の学校へ行きたい」
と言いました
その時お母さまは『すごいな。この子にも力があるんだな』と子供の気持を尊重し、都内のそこら中の学校へ見学に行ったそうです
そして、いろいろな人の助言を受けて、別の小学校の身障級へ転校しました
その学校では、校長先生はじめ先生たち全員がよく見てくださったので、とてもいい環境の中で6年生まで通いました
中学は3年間身障級で、高校は試験を受けて合格したら入れるんだということを教えたかったので受験して、合格発表も見に行きました
高校では社会人になるための心構えを教え、「社会人になるために」を合言葉に育てたそうです
今は、カフェが併設された作業所で、パンを焼いたりコ−ヒ−を入れたりというお仕事をなさっています
スペシャルオリンピックスの開会式の後も、すぐにお仕事に頭を切り替えて、月曜日からきちんとお仕事しました
「疲れているだろうに、ちゃんとお仕事をこなしました」と連絡帳に書かれていたので、ご両親もほっとなさったようです
ダウン症の息子さんは3男坊
上の息子さん2人は既に独立なさっています
ダウン症である3男の息子さんも「グル−プホ−ムに住みたい」と独立したがっていて、さみしいけど、土日におうちに帰って来れるようにしたいなとご両親は考えていらっしゃいます
お兄さん2人も、
「友達と一緒にいる方がいいね
兄弟はサポ−トする形がいいよ」
とおっしゃって、「親亡き後は施設に入れていい」ご両親が言っても、
「それはしたくない
その代わりしっかり自立できるように育ててほしい」
と言われているそうです
ダウン症の子がいるご両親では、兄弟関係で悩んでいる人が多いそうです
兄弟に「私が大事にしてもらっている」という意識がないと、ダウン症の兄弟を大事にできないとこのお母さまはおっしゃいます
上2人の息子さんが去年テレビのインタビュ−を受けた時、
「お母さんがダウン症の弟ばかりにかまって嫌じゃなかったですか?」
という質問に、
「それまでいっぱいいろんなところへ連れてってもらったので、全然嫌じゃなかったです」
と答えて、お母さまは息子たちの言葉をはじめて聞いて、「ああよかった」と安心なさったそうです
「朝早くから夜遅くまで駆けずり回っていた時期があったので、本当は嫌だったと思うんですよ
無駄だったかもしれないけど、つらい時の無駄なことをしたから今があるんだなと思います」
とお母さまは振り返りました
子供の頃、ダウン症の弟の宿題も、兄弟で遊びがてら見てくれました
親が見るととても嫌がるので、助かったそうです
宿題をする時間は長い時間ではないけど、本人にとってはとてもいい時間だったとお母さまは考えていらっしゃいます
「ダウン症の程度が重くてできないことはいっぱいあるけど、豊かな子供に育ってよかったと思っています」
とご兄弟の協力にもとても感謝なさったいました
「あの子のお陰で家族があるんです」
と早口のお母さまがゆっくりおっしゃったこの言葉に、私はとても重みを感じました
家族がけんかをするのをとても嫌がる息子さんで、
「その言い方はないよ」
と言うこともあるそうです
お母さま自身も生きる上で、息子さんが支えになっているようです
7年前、乳がんを宣告された時『死んでもいいわ』と思ったそうですが、入院している時、ダウン症の子供を持つ先輩に、
「この子が将来、『お給料もらったからお寿司ごちそうするよ』と言う日が絶対に来るよ
だからそれまでがんばりなさい」
と言われ、がんばろうと前向きになりました
「この子の笑顔がなくならないように」
と自分を支えてくれる息子を母として心配するのは、就労の問題です
「私は、ダウン症の広報だと思っているので、いろいろな場に出て行くのよ」
と明るくおっしゃった瞬間に、厳しい表情で、
「この子の働く意欲がなくならないような環境を作るのが親の役目だと思っているんです」
とおっしゃいました
健康な人でも職場を得るのが厳しい現実の中で、障害を持つ人が自立できるように就労の場を作るのは難しいことかもしれません
でも、私が考えるのは、みんな同じだってこと
私だって、いつでも障害者に成り得る可能性を持っています
障害があるないなんて、とても下らないこと
スペシャルオリンピックスでは、みんな同じにニコニコしていて、その空間はとても居心地のいいところだったんです
これが、本当の人間の暮らす場所
そう感じたのは、私だけではなかったと信じています
そして、みんながこのお母さまと同じことを考えていたはず
「この子の笑顔がなくならないように・・・」
「ラブジャンクス」の力いっぱいのダンスは、開会式を盛り上げただけでなく、見ている人の心にも力をくれました
笑顔でいられることのすばらしさを教えてくれました
それは、彼ら自身がいくつもの困難を乗り越えて来たからできることなのです
自分の大好きなことに熱中して、努力した時の笑顔を見せられて、『自分はどうなの?』と私自身を見つめるいい機会をいただけたような気がします
ダンスが上手な人はいっぱいいるけど、どうして「ラブジャンクス」にこんなにも感動しているのか考えてみました
彼らはどこでも誰が見ていても、ただ自分が楽しむこと、今を一生懸命やることに徹していて、照れもないしおごりもない
ただ無心で熱中している姿、そしてその笑顔に心打たれるのだと思います
これからの私の人生でもし苦しいことにぶつかったら、スペシャルオリンピックスで「ラブジャンクス」に出会えたことを心から感謝する日があると思います
3/9 以下の訂正をしました
・ラブジャンクスのレッスン料がNPO法人になったため1時間1500円になったと書いておりましたが、レッスン料はNPOになる前もなった後も変わらず1時間1500円です
・開会式当日、ラブジャンクスのメンバ−は10時に会場入りしたのではなく、10時に宿を出たの間違いでした
・「たったひとつのたからもの」の台本が変わったのは、お母さまひとりで訴えたのではなく、日本ダウン症協会と制作会社の間で打ち合わせを行った結果のことでした
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コメント
はじめまして
デジオをやっているものです。
SOの観戦記録を音声で放送させていただいています。
今回の大会を通して、もっと障害のあるなしに関わらず社会が開かれていくようにしていきたいと思います。
下のアドレスからどうぞ
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投稿: つぶ庵 | 2005年3月 8日 (火) 22時18分