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2005年2月19日 (土)

ニートってなに?

ニ−トという言葉を聞くと、胸が苦しくなります
それは、私の身近なところに仕事を持たない人がいるからです
その友人は、ただ純粋なだけ
人のために良かれと思ってやっても、会社の営利に結びつかなければ余計なことだと言われる
人を欺くことができないこどものような人です
深い人間関係しか築けない性格は、職場という社会には向かないのかもしれません
だけど、仕事をしていないというだけで、社会全体から除け者にされるのは、人格を否定されているかのようだと感じます
どんなに必死に生きていても、仕事の内容でその人自身が評価されてしまうのは、悲しいことだと思いませんか

ニ−トという言葉をはじめて知った時、「他にもこういう人がいるんだ」とほっとしましたが、その反面、彼らが一括りにされていることに違和感を感じました
と一括りにされちゃった人とはどういう人いるのか、先ず探ることにしました

ひきこもりと密接な関係があるだろうと思った私は、先ず最初にひきこもりの支援団体に電話をかけました
「無職の人。無業者。職業にも学業にも職業訓練にも就いてない(就こうとしない)人のこと。」をNEET [Not in Employment, Education or Training](三省堂提供「デイリー 新語辞典」より)と呼ぶなら、社会との関係を絶っているひきこもりの人は、ニ−トと呼べるだろうと思ったからです
ところが、ひきこもりの支援団体の方は、
「ひきこもりはニ−トの中に入っていないはずですよ」
と言いました
労働政策研究・研修機構副統括研究員の小杉礼子さんの4つの分類について話しましたが、「ああ・・・」とひとこと言われただけ
「ニ−トの定義って一体何?」私は混乱します
ニ−トとい言われる人がどんな人なのかはっきりしないことには、誰にもインタビュ−することはできません

小杉礼子さんの分類は以下の通りです
Ⅰヤンキー型
 反社会的で享楽的。「今が楽しければいい」というタイプ
Ⅱひきこもり型
 社会との関係を築けず、こもってしまうタイプ
Ⅲ立ちすくみ型
 就職を前に考え込んでしまい、行き詰ってしまうタイプ
Ⅳつまずき型
 いったんは就職したものの早々に辞め、自信を喪失したタイプ

昔から仕事をしない人の代名詞として使われる言葉、家事手伝い、すねかじり、プ−太郎、チンピラ、ひも、パチプロ、遊び人、流浪、ホ−ムレスはどんな人が当てはまるのか考えてみてもよくわかりません
余談ですが、ホ−ムレスの人は働かないと私は思い込んでいましたが、ホ−ムレスの64.7%は働いているそうです(内閣府の経済社会総合研究所のHP掲載 「安全・安心な社会を目指して」より)

ニ−トと呼ばれる人が日本にどれくらいいるのかその数を調べたら、厚生省が出した数字では52万人
小杉礼子さんが国勢調査を基に推計した数字は76万人
「ニ−ト フリ−タ−でもなく失業者でもなく」の著者のひとりである玄田有史さんは15歳以上25歳未満の若者のうち「89万人は働こうとして仕事を探しているわけでもなく、かといって学校に通っているわけでも、進学しようとしているわけでもない」
その中で就職も進学も希望しない人は40万人だと書かれていて、いったいどの数字がニ−トを表しているのかさえはっきりしません

ニ−トという言葉が生まれたイギリスの実態を調べようとしていた時、
「BBC(英国報道協会)の記者から聞いたところでは、彼らはニ−トという言葉を日本に来て初めて聞いたそうです。本家イギリスではまったく大衆化していない。」
という文章を見つけました
「Voice 平成16年12月号」の精神科医の斉藤 環さんと前出の玄田有史さん(東京大学社会科学研究所助教授)の対談の中で斉藤さんがおっしゃった言葉です
日本ではブログを含めるいろいろなメディアでニ−トについて議論されているのに、イギリスでは記者さえその言葉を知らないのです

更に驚いたのは、ニ−トに関して唯一単行本を刊行しておられる玄田さんがその対談の中で、
「僕自身まだ正確に定義をつくりきれてはいません。」

「ニ−トの定義つについて考えれば考えるほどわからなく部分もあります。」
とおっしゃっていらしゃることでした

ニ−トの定義なんてどこにもなかったんです
私が混乱するきっかけになったひきこもりの支援団体の方との会話を思い出します
「1週間経ったらまた電話くださいよ。きっとニ−トって何なのか今よりもっとわからなくなって混乱しているはずですよ」
そう笑いながら言った支援団体の方は、ひきこもりの人とは全くかけ離れたところでニ−トの議論がされていると感じておられるのではないかと気づきました
私も、ニ−トの中の一部の人に対して議論されているものや、パネラ−が違うタイプのニ−トについて語っているので、話が交差しない静かなディスカッションが載っている雑誌を見ました
小杉さんがおっしゃるように、ニ−トというものが分類されるのならば、
「今日はニ−トの○○型について話をします」
と最初に名言しなければ、その議論は噛み合いません
報告会なら静かでいいと思いますが、議論し合わないディスカッションなんてつまらない
意見が交差しなければ現状は何も変わらないでしょう

では、ニ−トという言葉が日本に持ち込まれてメリットがなかったかと言うとそうでもなかったようです
前出の対談の中で精神科医の斉藤さんは次のように話しています
「精神的に見るとほぼ健常者と変わらない人たちが、「ひきこもり」という言葉につられて病院に来られても、じつは対処のしようがない。そこにニ−トという便利な言葉ができた(笑)。これからはわれわれ精神科医も『お子さんはニ−トですから、若者自立熟に行ってみてください』といえるわけです(笑)。」
対して経済学者である玄田さんは、
「じゃあ、斉藤さんを少し楽にさせた、と(笑)。」
と答えています
これって、ニ−トと言われる人たちにとってのメリットなのでしょうか

マスメディアにもとっても、ニ−トという言葉はセンセ−ショナルな報道をするのに便利な言葉であったと思います
問題提起にはなったかもしれません
でも、私にはきちんとした定義付けができていない言葉が先走りしているようにしか思えません
何でもかんでもニ−トという言葉で括ってしまって、ニ−トという烙印を押しているだけだと感じます

そして私もニ−トという言葉に踊らされたひとりです
相変わらず私の知人は仕事を探すこともなく、ニ−トという言葉にも興味を示しません
「私のことなら好きなこと書いていいよ」
そう言って笑ったこの人は、35歳を過ぎているので、ニ−トの中には入らないのかもしれないなとため息をつく私は、働かない友人を責めたこともありました
でも、それ以上のことは私にはできません
ただ、ニ−トという言葉が、この友人に何をもたらすのかゆっくり見守りたいと思っています


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コメント

先週までとは打って変わって文献相手の調査、お疲れさまでした。
 さて。
 ピン芸人“ヒロシ”のネタに、「引きこもるほどのお金がありません」というものがありますが、蓋し名言であると思います。

 昨日も述べたとおり「職業・学業・職業訓練に就いて“いない”者」と定義付けられた“ニート”は、もともと多義的なのです。
 例えば世界を“りんご”と“りんご以外”に分けたとき、“りんご以外”の中にはアメリカ合衆国からワラ人形まであらゆるものが含まれますが、それと同じ理屈です。
 ところで、“ヒモ”や“チンピラ”も、一人前でないという点では“ニート”に含まれるのでしょうが、そう呼ぶにはどうも違和感があります。なぜなら、どちらも育った家庭を離れて、新たに扶養家族の地位を獲得するなり(=“ヒモ”)、非合法ながら生計を立てる手段を獲得するなり(=“チンピラ”)しているからです。やはり“ニート”の中核を担っているのは、「育った家庭に依存し続けたままで、自活の手段を積極的に獲得しない(できない)若年層」と言ってよいのではないでしょうか。

 なお、“ニート”の内実が厳密に描ききれないからといって、まったく無意味な言葉かというとそうではありません。

 従来、新卒者を熟練労働者に育成するのは主に企業の役割とされ、政府による職業訓練はあまり重視されてきませんでした。そのような社会では、一旦職業人としての地位を喪うと挽回することが困難です。
 例えばエネルギー転換により石炭産業が凋落したとき、多数の炭鉱労働者は安定した雇用先に吸収されず、非熟練労働者の地位に甘んじることを余儀なくされました。私は十数年前、大阪市内に居住する野宿生活者のインタビュー調査を行ったことがありますが、50代の野宿労働者の多くが九州の炭鉱出身であったことが思い出されます。
 職業に就くか就かないかが自由であると考える人は、その自由が租税や保険などの社会負担によって保護されていること、社会負担による保護が不充分であれば失業者はたちまち極めて不安定な生存環境におかれてしまうということも同時に考えておくべきでしょう。

 現在若年労働者は、(経済的側面からも、社会規範の側面からも)なまじ家庭に頼れるゆえに労働市場に出てこなくても済むようになっています。
 しかし、いつまでも扶養家族で居続けることが困難であることは(親の寿命を考えれば)明白です。
 本来労働者としてのスキルを獲得すべき20代〜30代前半という時期を無為に過ごしてしまった大量の若年者が、いずれ大きな社会負担になると厚労省が考えるのは当然でしょう。ですから、厚労省はわざわざ“ニート”というカテゴリーを設けて職業訓練プログラム整備のために必要な予算を獲得しようとしているのです。

 まあそんなわけで、“ニート”は若年失業者に烙印を押すために生まれた言葉ではなく、労働市場の流動化に対応して政策を転換させるために生み出された言葉であるということを、きちんと理解しておく必要があると思います。

春遠からじとはいえ、まだまだ寒い日が続きますから、お体には気をつけてください。ではではまた。

投稿: an_accused | 2005年2月20日 (日) 03時37分

an_accusedさんへ
あなたが言われてるニートもニートの中の1分類を対象にしているにすぎないのでは?
それにヒモやチンピラがニートに含まれないなんて定義は存在していませんから、あなたの主観です。
泉さんが言っているのは定義が定かでない言葉を一括りにして論じる危うさです。
ニートって定義が確立していないのに、論じる人それぞれの都合のよいように対象者を変えれることに違和感を感じないのでしょうか。
しかも対象者によって背景がまったく違うものを。
あなたのような人が差別用語になりうる新しい言葉を一人歩きさせているくだろうなと感じます。

泉さんの記事とあなたの論点が違うと感じたので口を挟ませてもらいました。

投稿: 旬 | 2005年2月20日 (日) 11時51分

補足
単純に泉さんは定義をあやふやなままにしてニートを語るのは危険と締めくくっています。
それをan_accusedさんはまた特定のニートを限定とした理論展開をしていることを指摘したかったのです。

投稿: 旬 | 2005年2月20日 (日) 12時04分

>旬さまへ
 応答していただき、ありがとうございます。
 仰るとおり、上記の私のコメントは私の主観に過ぎません。もしも、あたかも客観的事実を唱えているかのように受け取られたのであれば申し訳ありません。
 なお、従前より私は「客観的記述というものはないのだ」と主張しているので、そのあたりもあわせてお読みいただければ幸いです。
 
 さて、いささか乱暴な分類ですが、社会問題を読み解く場合、その問題を客観的に存在するものとして論じる立場と、その問題を間主観的に構築されたものとして論じる立場があります。ちなみに私は後者の立場です。
  「“ニート”という言葉の定義は単純で、(だからこそ)その中にいろいろなものを読み込めてしまう」ということはすでに述べた通りですが、後者の立場から見る場合、「中身があいまいだということ」よりも「その言葉を、いつ、だれが、何のために使用し始めたか」を追っていく方が重要であるということになります。
 そういうわけで私は、上記コメントで「厚労省がなぜ“ニート”という言葉を作り出す必要を感じたのか」について(印象論ながら)述べてみたのです。

 もし泉女史が「ニートが何であるか」ではなく「言葉が独り歩きする危うさ」を論じたいのであれば、単に「あいまいだ」というのみではなく、実際に“ニート”がどのような場面で差別的表現として用いられているのかを明らかにする必要があります。残念ながら、泉女史の論考からは「自らの抱くマイナスイメージ」以外に「差別表現としての“ニート”」について語られた部分は見当たりませんでした。それでは単に「私は“ニート”に対し抜きがたい偏見を持っています」と告白したに過ぎません。

 もちろん、“ニート”が差別的表現として用いられる場合があることは私も理解しています。例えば、昨年末茨城で連続して発生した家族内殺人の被疑者について、「ニートの青年が…」などと報じられたこと(『ニート 孤立感深めて爆発』2004年12月18日朝日新聞)などがその典型です。このような“ニート”という言葉の差別性を分析するには、例えばR30氏のようなジェンダーの視点からのアプローチが有効でしょう。

 最後に、あなたが「私のような人間が、差別語となりうる言葉を一人歩きさせている」とお感じになられたのは私の不徳によるものであり、申し訳なく思っています。

投稿: an_accused | 2005年2月20日 (日) 17時15分

あの、わかっていらっしゃらないようなので繰り返しますが、泉さんは人それぞれの主観でニートの対象を都合よく入れ替えて論じることに危惧を感じていると読み取れませんか?
日本にニートを紹介した本人が定義が定かではないと言っているのに・・・。
主観か客観かを完全な主観などないってことで論じて何の意味があるんですか。
そんな理屈は今時誰でもわかってます。
ただ、主観を主観だからとあぐらをかくのではなく、客観的にみようとすることで独善ではない主観近づけるでしょうに。
その意識の違いで同じ内容が違うように見えてきます。

いや、こんなことはどうでもいいことです。

定義をもたない人を区別する言葉が世間に広がる危険性を感じませんか?
その危険性を感じることに何故そこまで反論するのでしょうか?
どうも厚生省なりが予算獲得に動き出してるからOKなように書かれていますが、その予算が誰の為のものなのか定義されてないのですよ?
そんな予算のどこが喜ばしいことなのか私には到底理解できません。

投稿: 旬 | 2005年2月20日 (日) 20時44分

すみません・・・何だかわかりづらかったですか・・・
私は言いたいのは、ニ−トという言葉の定義が確定していないにも拘わらず、使われていることに疑問を感じるということです
どういう人が当てはまりますとはっきりしていない言葉の中に、人間をはめ込んでしまうのは危険じゃないですか?
個人個人がそれぞれのニ−トの定義を持っているのかもしれませんが、結局のところその実像がはっきりしていないわけですから、自分はどういう人に対して話をしますよと名言してから論ずるべきと思うんです
ニ−トの定義がない以上、それを論じること自体何について論じているのかわからない
差別表現以前の話だと私は思います

投稿: ぁぃ | 2005年2月20日 (日) 21時23分

>旬さまへ
 再び失礼いたします。
 どうも釈迦に説法だったようで、ご気分を害されたのであれば謝ります。
 まず。
 私は第1コメントにおいて「ヒモやチンピラはニートに含まれない」とは述べておらず、「(ヒモやチンピラも)ニートに含まれるのでしょうが、どうも違和感がある」と自らの印象(まさしく主観)を述べているに過ぎなかったのですが、ご理解頂けていなかったようでしたのであえて<主観―客観>について申し述べた次第です。
 次に。
 “ニート”が差別語として用いられることについては、第2コメントで新聞記事を例に挙げて言及しているのですが、それでもなお「危険性を感じていない」とご批判を受けなければならないのでしょうか。
 また。
 第1コメントで「厚労省がその政策推進のために生み出した政策用語である」と述べたことが、なぜ「厚労省(旧厚生省)が予算獲得に動き出したから“OK”と言っている」と解釈されるのかよくわかりません。
 最後に。
 第1コメントは「“ニート”という言葉がなぜ輸入されたか」について述べたものであり、第2コメントは「“ニート”の差別性はジェンダー論の観点から読み解くのが有効だ」と述べているわけで、私は“ニート”が差別語として用いられることの危険性について反論などしておりません。ことさらに反論を試みられているのは貴方ではないでしょうか。

 他人様のブログですから、当方としては平穏な対話を心がけているつもりです。貴方も、もう少しきちんとお読みになってから落ち着いてコメントをお書きになってはいかがでしょうか。誤読しまくった上に、「あなたのような人が…」だの「そんな理屈は云々」だのと非難されるのは心外です。

投稿: an_accused | 2005年2月20日 (日) 21時36分

ええ、おっしゃる通りに、文節それぞれについては曖昧に疑問を投げかけながら反論にはいたらない手法で文章をかかれています。
でも、それらを締めくくる最後の言葉

「まあそんなわけで、“ニート”は若年失業者に烙印を押すために生まれた言葉ではなく、労働市場の流動化に対応して政策を転換させるために生み出された言葉であるということを、きちんと理解しておく必要があると思います。」

ここで不確定な言葉に対する危惧を曖昧に遠回りな言葉で否定して終わってるでしょうに。
一生懸命に大人の振りをされなくても、あなたの文面は肯定もしないけど否定もしきらず、それていて反論すると言う卑劣な手法を使ってるいるのが見えています。
反論に反論する文章としてはよくできてますね。

誤解はしてません。

投稿: 旬 | 2005年2月20日 (日) 22時14分

>旬さま
 三度失礼いたします。
 あなたの引用された結論部分においても、「“ニート”という言葉の出自」について述べているのであって、それが他の文脈において恣意的に使用される危険性を否定したものではありませんが、それでもなお「卑劣な手法を用いて否定している」と仰られるのでしょうか。
 もしそうであるならば、私の不明を恥じるばかりです。

投稿: an_accused | 2005年2月20日 (日) 22時24分

まず小難しい物言いはやめましょう。
その物言いで埋められたコメントが次に続くコメントを拒否していることを自覚してください。
で、
「まあそんなわけで、“ニート”は若年失業者に烙印を押すために生まれた言葉ではなく、労働市場の流動化に対応して政策を転換させるために生み出された言葉であるということを、きちんと理解しておく必要があると思います。」

この言葉を最後の締めくくりとした意図は何でしょうか。
この先に見える言葉は、”だからニートって言葉を定義が曖昧でも使う意義がある”でしょ?
それ以外に繋がる結論が見えないのは私の未熟さでしょうか。
この結論を直接言わずに「言葉の出自」なんて言葉で然も反論じゃありませんってスタンスをとりながら否定するのを「卑劣な文章」と揶揄しました。

投稿: 旬 | 2005年2月20日 (日) 23時38分

まず無礼な物言いはやめましょう。
その物言いで埋められたコメントが次にマトモなコメントを拒否していることを自覚してください。
で、
「『卑劣な文章』と揶揄しました」

この言葉を締めくくりとした意図は何でしょうか。
その先に見える言葉は、“つまりキミとは平穏に対話する価値がない”でしょ?
その挑発にうかうかと乗ってしまうのは私の未熟さでしょうか。
必要以上に相手を傷つけ自分の曲解を押し付けようとするのを「非難」と表現しました。

追伸:泉あい様
 コメント欄を荒らしてしまい、申し訳ありません。今後コメントは控えさせていただきますのでお許し下さい。

投稿: an_accused | 2005年2月20日 (日) 23時56分

ちょっと興味本位でニートについてしらべてみようかなぁ…って思い、読ませていただきました。
まさか定義されていない(定義が固まっていない)言葉だというのには少し驚きました。
まだ調べてみる予定ですが…正しい意味…というのが定義できるかは分かりませんが自分で納得行くまで調べてみようと思います。

>旬さん、an_accusedさん
最初のうちは意見に対する反論ととれましたが、後半は単に難しい言葉を使っただけで喧嘩にしか見えませんでした。他人の意見でおかしい…と言う所を指摘するのはいいことだとは思いますが、後半の文章はこちらのブログへ迷惑かけるだけな気がします。自制心を持って他人のスペースであることを忘れないよう心がける…これが利用者としてのルールだと思います。

投稿: うー | 2005年5月27日 (金) 15時34分

「チンピラは自活してるがニートは依存している」という珍説、初めて拝見しました。
思うに、「自活」とか「自立」という概念に対して、混乱があるのではないでしょうか。
「生計を立てる」ことが「自立」とするなら、なるほどチンピラは自立していると言えるのでしょうが、「非合法ながら」という但し書きがついている通り、それが本来望ましくないという点を見過ごすと、何だか「ニートよりチンピラのほうがまだまし」となってしまいそうです。もちろん、ここではそういうことを言いたいのではない、とはわかっているのですが。
「自立」は「自律」、つまりやって良いことと悪いことをわきまえて、社会のルールを守って生活することを前提とするならば、チンピラは自立しているのではなく、ただ自分のやりたいように(他人の迷惑を顧みず)生きているだけ、つまり「社会に依存している」とも考えられるのですが。そして「社会がチンピラの自活(というか、勝手気まま)を許している」のは、まさに「ニートの親がわが子の依存を許している」のと同じことのように思えます。
私が見るに、ニートは「社会生活を望みながらも、さまざまな理由があってそこに踏み出せない人」、チンピラは「正常な社会生活から転落してしまった、アウトローの人」と、両者の間には根本的な違いがあるように思えて、その点では「両者を一緒にするのは、どうも・・・」という意見に同意です。
ついでながら、ニートという言葉が「便利なレッテル」として使われないようにと、願っています。

投稿: alpha | 2005年9月 3日 (土) 14時54分

はじめまして。
下流社会層といわれているニートの件ですが、、
まず、ニートさんは、もっと誇りを持っていいと思います。
人材派遣会社でバイトして、簡単に使い捨てやタライ回しをされていますと、将来に夢を感じないのは、トーゼンだと。。
彼らは怠けでも何でもないと思います。
大人社会はズルく汚い。
大人は、金もうけの為に耐震構造偽造で、震度5で壊れるマンションを平気でつくっています。
それから人材派遣の問題点ですが。。。
人材派遣という存在は、、建築土木で働く土方を現場へ派遣して、給料をピンハネするヤ○ザ屋さんと同じ事をしているということを彼らは知っておいた方がいいと思います。

大人社会システムを変えることは、欧米社会から入ってきたリストラ社会、人材派遣会社とは、縁を切るいうことですね。

現在、人材派遣会社でタライ回され中の者は、思い切って、登録を抹消すべしです。
経費削減の派遣会社に利用されているという真実を。
そこに早よう気がつくべきだと。。

それから、ニート問題を取り上げたダルデンヌ兄弟監督の映画「ある子供」を見たらいいと考えます。

「タジイの気楽日記」
http://blog.livedoor.jp/ccc03271/

投稿: タジイ | 2005年12月 6日 (火) 14時50分

そうですね。大人の社会は汚いです。
誇りを持ってニートでい続けて欲しいと思います。
お金は親族が出してくれるでしょう。
親族が死んだら神様が空からお金を降らせてくれるはずです。

投稿: イケメン | 2005年12月 7日 (水) 10時39分

タジイさん
私は長いこと人材派遣で働いていました

>現在、人材派遣会社でタライ回され中の者は、思い切って、登録を抹消すべしです。

派遣で働いている人の中には、派遣のシステムを利用している人もいます
でも正社員になりたいけど、なれないから生活のために仕方なく派遣という人もいるんですよ
そういう人は、登録を抹消して、その後はどうしたらいいでしょうか・・・
派遣で働いている人は、みんな利用されていると知り尽くしていると思います
派遣社員がするべきことは、登録抹消もあるでしょうけど、もっと違うこともあるのかなと思います

投稿: ぁぃ | 2005年12月 8日 (木) 00時01分

イケメン さん

働いていない人が誇りを持つのって難しいかもしれませんね
もちろん人にもよるでしょうけど

私は、ニートの問題はお金のことだけじゃないと思います
働きたいけど働けないと考えている人にとっては、誰かに経済的に頼っていることが辛いんじゃないでしょうか
ニートの問題がニート自身の問題なのかというと、そうじゃないかもしれないという見方もあると思うんですよ
だから、私は「ニートがんばれ」と言う前に、なぜそういう人が増えたのか大人たちが作り上げた社会に目線を向けてみたいと考えます

投稿: ぁぃ | 2005年12月 8日 (木) 00時09分

はじめまして。泉あいさま。
私は現在世間で言われているつまずき型ニートです。

5回、派遣や会社で働きましたがそのうち4回とも
クビにされました。

それで自分には能力がないと思っているのが
個人的な実感です。

近い人はなぐさめてくれたり励ましてくれたりするのは
ありがたいのですが私個人の実感としては能力や才能がないと感じています。

一番ほしいのはなぐさめでも励ましでもなく
ただ理解がほしいのです。

ニートが増えているのは理由はさまざまでしょうが
根本の原因は供給量に比べて需要量が
圧倒的に少ないということだと思います。

必要な人数が30人なのに500人応募するというような
ことが日本全体で起こっています。

もう基本的に日本は労働力はいらないのだと思います。
それでも特に日本は「働かないといけない」という
圧力が大きいのです。

すべての人が働く能力があるわけではありません。
物理的に無理なことを強要しているのが今の社会です。
30mlしか入らないコップに500mlの水を入れようとしているのが実際です。しようとすればあぶれます。
あぶれた人を救済するためのセーフティネットが今はありません。

すべてのひとが競争社会に向いているとは限りません。

今の日本なら技術力からいって働かなくても
生きていける社会をつくれると思います。

基本は働かなくても生きていける社会であってそのうえで
働きたい人は働くという社会の方が他の人にとっても
ゆとりのある社会であって、また富裕層にとっても治安維持や安全対策としてもいいと思います。

このままセーフティネットなしに進めばおそらくクーデターが
起こるでしょう。そうなれば真っ先に富裕層が狙われます。

働かなくても生きていける社会であれば
こんなにつかれきった人が多くなる社会ではなくなる
と思います。今の仕事というのは仕事をつくりだすための
仕事が多くなっているというのが実感です。

働かなくても生きていける社会であれば、国のさまざまな
支出は0に近づくと思います。

私個人としてはたいしたものはほしくありません。
衣食住と本とPC(ネット付き)さえあれば十分です。

偽装問題をみるにあたり国が動く場合は世論の形成が
一番だと思いました。

私たち一人一人がセーフティネットの構築を訴えて
いき、それが半数以上になれば国も考えるのでは
ないでしょうか?


もう競争社会にふりまわされるのは今の状態では
まっぴらごめんです。

投稿: 現役ニート | 2006年1月12日 (木) 02時40分

現役ニート さん
はじめまして。
屁理屈に取れるかもしれませんが、「働けない」と「働かない」や「働きたくない」は違うと思います。
私の知る限りでは、病気を抱えている人でも「働かなくていい」なんて思っていないですよ。
ニートの問題は、「働きたい」と思っているのに働けないというところで、社会にも問題があると思っていますが、どこに問題があって、どう変えていけばいいのかという答えはまだ見つかっていません。
働きたい人だけが働いても成り立つ社会を作ることが、ニートの問題の解決になるのかどうか疑問です。
文章を拝見して感じたのですが、投げやりになってはいませんか?

投稿: ぁぃ | 2006年1月13日 (金) 12時24分

泉さま

たまたまニートについて調べる機会があり、辿って泉さまのサイトを拝見させていただきました。杉村議員の一般質疑の後というタイミングにはさしたる意味はございません。

わたしもこの問題を調べるにあたって、泉さまと同様な手順を踏んできました。おそらく、この問題を考えている他の方々も同様かと思います。実際に、調べている項目は同じでした。そしてみなさん、独立行政法人労働政策研究・研修機構の分類に引っかかるものがあるという印象を受けています。

ヤンキー型、ひきこもり型、立ちすくみ型、つまずき型。

これ、正確に分類されていないとわたしは考えています。「分類」というものは類に分けるということなのですが、そこには本来「分けてどうする」が内在して意味を成すものだと思います。小杉礼子さんは分類したうえで個々の特徴を考え、対策案に繋がるものを考えようとしているのだと思います。が、正確な分類ではないということを、もしかすると小杉さん自身でも心のどこかにあるのでは?という予感がしています。ただ、独立行政法人としてはなんらかの提示をする必要があるのだと思いますので、一応のカタチとしてあげているのでは(と思いたい気持ちもあります)。分類という作業は、どちらかというと内的に処理するための行為ですから。

そして、外的に、要するに実際に他または全体と共有するべき型として「定義」があるとわたしは考えています。定義がなされていない、解らないことは、解決できません。それは泉さんが受けている印象と同じだと思います。ルールが決まっていないスポーツはひとつもありません。もしくは、ルールの中に曖昧性を持たせる必要があります。

「分類」「定義」がこのような状態ですので、全体として捉えた意見になってしまうことをご理解いただけれたらと思います。


わたしがこの問題に対して今持っている考えは、この問題を問題とするプロセスにミスがあったのでは、というものです。労働政策研究・研修機構として載せるには、煮詰め方が不十分だったと思います。

例えば「分類」についてですが、上記した「分けてどうする」という考え方です。この問題を考えるとき、ニート(とされる方々)を分けて、それぞれに対する対策を考えるという方法では的確ではないと考えます。それは定義が先にある、もしくは定義付けられる可能性が高い場合にとる方法です。実際には定義はない、ないに等しい現状です。こういった場合には、分母であるフィールドの側(家事手伝い、すねかじり、プ−太郎、チンピラ……)を先に分類し、その中からニートに関わる要素や属性を取り出すといった方法をとるべきだと思います。理由としては、それぞれ分類するに値するべき絶対的な条件というものがないということがあげられます。反社会的で享楽的でも、社会との関係をうまく築けなくても、就職を前に考え込んでしまい、行き詰ってしまっても、いったんは就職したものの早々に辞め、自信を喪失してしまっても、働いている人はいるのです。かといって、全てのニート(とされる人)に対して個々のケースにそれぞれ対応していくというのは、対策であっても政策ではありません(ただ、一歩ずつでも進むことではあるのですが)。そして個別の対策は今現在も行われていることだと思います。

例えば「イギリス」ですが、わたしは数年前イギリスに住んでいました。わたしの周りにいた、いわゆる日本でいうニートに当てはまる人々は、国から援助を受けて最低限の生活しています。JOB CENTERに行くと、日本ほどではありませんが求人はありました。わたしが親しくしていた人は、「働けないと働かないの境界線は個人個人の頭の中にあって、他人が理解できるものでもするものでもない」と言っていました。働く意思があるのに働けない人がいるのでは?と聞くと、「それは、働く仕事を選んいるということです。例えばセレブリティ(有名人)になりたいがなれないから働かないっていう人と、道路の清掃員をやりたくないけどやっている人を比較するのと一緒です」と言っていました。

イギリスで起きていた問題が遅れて日本にやってきたと簡単には考えていません。ただ、小さい政府という考えやマニフェストなどという言葉がイギリスから来たことはなにか関係があるのかもしれません。このニートの問題は、もう少し大きく、原因・社会的な面を考えたほうが明確なのかと思います。


調べたわけではないのではっきりとは言えないのですが、求人紙に載っている求人の数を見ると、日本に仕事はあるような気がします。働きたい仕事は、他の人も働きたいのですし、働きたい人全員に働きたい仕事があるわけではないのです。という事実は今に始まったことではありません。今働いているニート世代よりも上の人は特にそう思うでしょう。このように書くと、今と昔では状況が違うからという意見もあると思います。その違いを考えてみる必要があります。

なにが一番状況が異なっている部分かというと、わたしは情報量だと思います。情報化社会という言葉もあるように、情報は溢れているといわれるほど肥大化しています。そこにはプラスの面とマイナスの面があって、プラスの面では、欲しい情報が簡単に手に入るというのがあります。googleやYahooで検索すれば、整合性はともかくありとあらゆる情報が(ベッドにいながらでも)手に入ります。それによって、個人差はあるにしろ精神的・経済的な快適が得られているはずです。

ただ、マイナスの面もあります。ここではマイナス面のほうが重要なので、そちらをメインに考えてみます。挙げられる点として、知らなくてもいい情報が入ってくるというものと、知りすぎてしまうというものがあります。本来人間は、知らないものは解らないのです。知っているものが全てなのだと思います。ただ今では、知らないものがあったとしても、そのことを知らないという事実がその人の中に存在していますし、それはその人にとって情報です。はっきり言うと、以前は要らなかった情報だと思います。その不必要な情報が人に与える影響を考えてみた場合、それは判断能力に関わってくると考えます。選択肢が多いほど、人は判断に迷います。説明は要らないでしょう。進学であれ就職であれ、恋愛であれ車の運転であれ同じです。

また、コミュニケーションという面から考えると、以前に比べて、他人に対してなんでもすぐ聞く人と、聞き方が下手な人が増えている気がします(これはわたしの周りの印象でもありますが)。

すぐ聞く人の場合、情報を得るという結果だけをみると、必要な情報を得ていると言えます。しかし、その情報が正しいかどうか判断する能力に問題が出てくると思います。人から聞くことが多くなってくると、どうしてもその情報を鵜呑みしがちになります。そうすると、情報についての是非判断を問われた場合に、自分の判断というものに信頼をおけなくなってしまいます。いざ自分に関わる重大な決断、判断をする状況におかれたときに、そこに自信(自身)がないのです。

聞き方が下手な人の場合は、情報量に惑わされ、本来自分が得ようとしている情報の本質を正確に把握していないため、どう聞いたら自分が目的とする情報が得られるかというのが解らなくなってしまうのだと思います。

また、それら情報という部分に関して少し掘り下げると、メディアという問題が出てきます。インターネットが普及するまで、われわれにとっての情報源が何だったかと考えると、テレビや雑誌・新聞でした。情報番組や報道・ニュースを見て、それがそれぞれの情報だったと思います。ただ、それはマスコミ・マスメディアといったものから得られる、マスな情報ですし、ある程度年齢を重ねた人にとっての情報です。例えば、それぞれが子供だったころを考えると、一番の情報源は親や兄弟や友達だったはずです。その三者は今でも同じです。そこにある程度年齢を重ねると。メディアが加わります。そしてその中に、現在ではインターネットが入ってきています(小学生でも)。解らないこと、今までは親や友達に聞いていた部分に、インターネットが入ってきたのです。今まで親に聞いていて、「そんなこと自分で調べなさい」と言われていたこと、また親が解らなかったことを、今はインターネットで検索できます。それが果たして必要な情報なのかどうかは難しい問題です。「知らないという情報」があってもいいような気がします。

そして上記の問題が意味することは、意見というものです。他人とある意見に対してのコンセンサスを得ることが簡単になってしまったのだと思います。意見を言う際の根拠となるものが自分の内側から外側に向かってしまっているのです。「○○に聞いたから」「△△にそう書いてあったから」という意見は、自分の意見ではないので自信を持って言えます(笑)。たとえそれが否定されても、自分の意見ではないので傷つくわけでもないし、「ああそうだったのか」で終了してしまいます。自分が持った意見の正誤に関わらず、その理由や論拠を考えることによって、その意見を相手と交わすことによって、情報判断能力がついてくると思います。結局状況判断がしっかりできる人というのは、自分が有名人になれるかどうかも判断できますし、清掃員をすべきかどうかも判断できます。働きたい仕事と働ける仕事が完全に一致しないものだということも判断できるはずです。そのうえで働いていない人というのは、明確な意思を持っているので他人がどうこう関わるべきではないと思いますが、日本には勤労と納税の義務があります。その義務自体について問うことは、もっと大きな問題なので、ここでは省略させていただきます。


今回わたしは、「分類」が的確ではなく、「定義」なされていないという状態でこの問題を考えさせていただきました。なので、具体例に対する意見はあまりししないようにと考えていたのですが、人材派遣会社に関して少し意見を述べますと、もともとバブル崩壊後、雇用の絶対数が減少したことによって新卒採用の枠が減少し、それでも新卒採用で雇用され働くといった形態の会社・業種に就ける人を増やしたいという社会の声によって派生してきた業界、業務形態であると思います。そしてそこには勿論メリット・デメリットがあります。企業というものは、個人ではなく会社のことを優先して考えなければならないので、雇用数・雇用形態を変化させるのは仕方がないことだと思います。またそういった企業でなければ生き残っていけないと思います。

また、現役ニートさまにご理解していただきたいのは、「理解」というものは目に見えて形があるものではないということです。欲しくてもあげられません。また需要と供給についてですが、それはあくまで業種別という条件が付加されての状態だと思います(最新の労働経済動向調査を参照されると良いかと思います)。人手不足の業界は、とても深刻な状況です。あえて苦言を言わせて頂きますと、人材を探しておられる雇用主の方々に大変失礼な発言です。働きたい職に就けない人がいるのと同様に、働き手が見つからない会社もあるのです。基本は働かなくても生きていける社会などというのは、文明の誕生以来存在していないと思います。また仮に存在していたとしても、その社会がどういった状況・情勢だったかは容易に想像できます。衣食住と本とPC(ネット付き)がたいしたものではないのだとしたら、発展途上国に暮らす人々に少し目を向けてみてはいかがでしょうか?
現役ニートさまのような発言が、この問題への対策にとって、要するに現役ニートさまにとってマイナスになってしまうおそれがあります。

上で発言を引用したイギリス人の友人、彼は事件に巻き込まれて右足と職を失った黒人男性ですが、彼はこうも言っていました。「五体満足にあって、教育も受けてて、それでも働かないで生きていけるんなんて、なんて幸せな国だ。わたしも日本に行きたいよ」彼はいま工場で部品を組み立てる仕事をしています。

泉さま、長々駄文で失礼いたしました。なにかのご参考にでもなれれば幸いです。

投稿: ひあ | 2006年3月 2日 (木) 11時45分

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