ネットジャ−ナリズムの行方
昨年末まで普通のOLだった私が、「ジャ−ナリストです」と自称して活動できる場は、インタ−ネットしかありませんでした
私のこの目で見てきたことを発言する場として、ネット上に自分のHPを持つこと以外に考えた方法は1つもありません
どこの誰にお願いしたとしても、実績ゼロ、経験セロ、知識ゼロの私に原稿を書かせてくれるお人よしなんているはずありませんから
「ここで地道にやっていこう」
そう決めて1月5日にスタ−トしてからこの1ヶ月、インタ−ネット上で活動することを認知してくれない人たちがいると痛感しています
アメリカでは、ネットジャ−ナリズムが確立していると聞き、日本ではどうなっていくのか、いろいろな人のご意見をうかがうことにしました
報道機関でお仕事をしながら、個人で「ネットは新聞を殺すのかblog」をお持ちの湯川鶴章さんは、
「昨年はアマチュアのジャーナリスティックな活動が市民権を得た年だった」
とアメリカの現状について話してくださいました
大統領選挙の党大会の記者証がはじめてブロガ−に与えられ、ジャーナリストの隣にブロガーが座って原稿を書き、
「ブロガーなんかジャーナリズムではない」
と言ったCBSのダン・ラガ−のねつ造報道の情報を結束したブロガ−たちが集め、ダン・ラガ−を更迭に追いやった
民主党・共和党の選挙運動の本部が積極的にブロガーに情報を流したし、コンサルタント料を支払い言論を調査しようとしたりした
ロサンゼルス記者クラブ(親睦団体)がブロガー部門を新設し、ブロガーの書くエントリーが、ジャーナリズムの一端を担っていると認めた
一般市民が報道活動をするという動きは、アメリカだけではなく世界的な動きになっているそうで、お隣韓国にはオ−マイニュ−スがあります
普通の人たちが、既成のメディアに不満を持ち、「自分で書いてみたら結構うまかったみたいな感じ」なんだそうです
そこで、不満を持たれていた側の既存のメディアが、インタ−ネットで一般市民参加型のブログをはじめたことで話題を集めている神奈川新聞さんに話を聞きました
プロの記者が個人的に持っている記者ブログが次々と炎上する中、会社としてブログを取り入れたことを私は画期的だと思いましたが、「カナロコ」のスタッフの皆さんに「力が入ってガチガチです」という様子は全くありませんでした
「私たちは変わったからやったんじゃない。変わるためにやった」
とおっしゃるように、今まで長い間放置してしてきた読者の声を聞くという行為をはじめることで、新しい新聞の形を模索しているようです
やってみてはじめて、読者との血の通った対話ができると実感なさっています
これは、従来の紙でのやりとりでは成し得なかったことで、インタ−ネットだからこそ気楽にお互いに気持ちを出し合えるのだと思います
もうひとつ、新聞という名前でありながら、インタ−ネットだけで配信している「ヨコハマ経済新聞」
編集長の杉浦さんにお会いするまでは、「インタ−ネットにこだわってやっているに違いない!」と思っていたのですが、お会いしてみて、自分の視野の狭さに愕然としました
ヨコハマ経済新聞は、情報を発信することが目的なのではなく、情報を発信することで情報を得るという情報の循環
そして、情報を1箇所に集めて貯めておくことで、誰もがいつでも必要な情報を引き出して役立てもらおうという狙いがあります
そうするためには、断然紙よりインタ−ネットを使うのがいい
インタ−ネットにこだわるというより、インタ−ネットが最適という捉え方です
ヨコハマ経済新聞さんは、価値があると自分たちが思えるものにこだわって、それを欲している人たちにつながるために、進化する方法を常に研究なさっています
前出の湯川さんは、散乱する情報の中から自分が探している情報にたどり着くために、モデレ−タ(司会)機能が必要になってくるだろうとおっしゃいます
いろいろな情報を集めてうまく要約し、そこからポ−タルしてくれる機能です
両者とも、あふれた情報を整理してくれるツ−ルが必要なんだとおっしゃっています
では、私が想像するネットジャ−ナリズムの行方とは・・・
これから定期的に取り上げて、ずっと追いかけなくちゃわからないというのが答えです
今回の取材でわかったのは、インタ−ネット上で報道活動をすることは、単純に情報を発信するだけではなく、いろいろな可能性を持つことができるということ
それは、人のこころのために役立てる可能性です
それには、従来のメディアのように発信する一方では、意味を成しません
発信する人と受け取る人が対話して、また1つのテ−マについて議論し合ってこそ、進化し続けるものだと思います
全く知らない人同士がつながりあって、こころを豊かにすることができるコミュニケ−ションツ−ルになって欲しいと願います
世の中には、おもしろいことを考える人がいっぱいいますね
日本のネットジャ−ナリズムもアメリカを見習って進化していくのかと思っていたのですが、この日本でもいろんなことをやらかしてくれそうな人がいると知ってわくわくしています
今回取材をした人たちが、今後どうなっていくのか見届けたいし、今は内緒だけど興味津々なことをしている人を発見しちゃいました
今後、定期的にこのテ−マを取り上げて、インタ−ネット上で情報を発信することにがんばっている人たちをご紹介したいと思います
「いや、こんな風になるんじゃないか」とか「こんなことやってる人を知ってるよ」とか、いろいろなご意見をお聞かせください
将来について考えるのは、みんなでいっぱいおしゃべりする方が楽しいです
今週、お会いした人たちは、HPをはじめてまだ1年以内の人たちばかり
それぞれの進化の過程や結果が楽しみです
この「Grip Blog」も模索しまくり中で、今のこの形が正しいのかと迷うこともありましたが、私の発信する取材記が2次情報であると認知することができて感謝しています
可能な限りそのままお伝えすることを心がけ、みなさんにもそれぞれ答えを出していただけるよう努力します
ヨコハマ経済新聞さんのように、その時最適である方法を取り入れて進化するつもりですが、今はこの方法でやって行こうと自分自身への答えは出せました
自分自身を見つめなおすためにも、ネットジャ−ナシズムの行方を追いかけなければならないでしょう
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コメント
ライブドアPJニュース「せきやんも、パブリック・ジャーナリスト宣言((http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__977125/detail))」では、ネット上で(今後)展開する自由な言論空間を、市民革命期の英国におけるコーヒーショップになぞらえていますが、すでに私たちは、新聞を読み文芸や政治について語り合う“議論する公衆”から、政治問題を含むニュースを娯楽として消費する“物言わぬ大衆”へと変化してしまいました。ニュースを消費する愉しみを覚えてしまった私たちが、もう一度批判的公共性を取り戻すことは容易なことではありません。
しかし、容易ではないからといって私たちがいつまでも“物言わぬ大衆”の地位に甘んじてばかりいるべきではないですし、また甘んじていることが出来なくなったからこそ、これほど多くの人々がブログという表現の場を用いて自らの意見を表明するようになったのでしょう。
ネット・ジャーナリズムの時代が到来すれば、ジャーナリストと読者とが(あるいは読者同士が)“血の通った対話”を繰り広げる“討議の場”が形成されることでしょう。しかしその“討議の場”を、垂れ流された感情の排水溝やプロパガンダの舞台へと変容させてしまうのか、自由な言論空間として成立させ続けられるのかは、ジャーナリストの責任というよりも主として読者の側の努力によるものであろうと考えています。
追伸:体調はその後よくなられたのでしょうか?まだまだ寒い時期が続きますが、お気をつけ下さい。
投稿: an_accused | 2005年2月15日 (火) 15時06分
ハナタレ小僧でございます
でも、もうすっかり回復しました
ご心配おかけして申し訳ありません
またがんばりますので、よろしくお願いします
投稿: ぁぃ | 2005年2月17日 (木) 03時01分
an_accusedさんにコメントいただいたパブリックジャーナリストせきやんです。
なんか漂流しつつ辿り着きました。
実はブログというものにも不慣れなんですが、
> ネット・ジャーナリズムの時代が到来すれば、ジャーナリストと読者とが(あるいは読者同士が)“血の通った対話”を繰り広げる“討議の場”が形成されることでしょう。しかしその“討議の場”を、垂れ流された感情の排水溝やプロパガンダの舞台へと変容させてしまうのか、自由な言論空間として成立させ続けられるのかは、ジャーナリストの責任というよりも主として読者の側の努力によるものであろうと考えています
そうですね。
私もあくまでも読者の側から努力していく所存です。
なんか勇気が湧いてきますね。
まあ肩肘張らずに、頑張りましょう。
出来れば楽しく・・・。
投稿: せきやん | 2005年2月28日 (月) 17時37分