ネットジャ−ナリズムの行方 【取材記3日目】
今日はアポイントを取りながら、一日中いろいろ考えました
今日の内容は【取材記1日目】と重複してしまいますが、私は今、自分が見えなくなっています
自分が正しいと思ってやっていることを皆さんはどう感じていらっしゃるのか、お聞かせください
昨日インタビュ−させていただいた湯川さんに私が持った印象は、どっぷりと組織に浸かっている人ではないというもので、それはアメリカでアルバイトをしながら、「いつかは・・・」と野心を抱いていたというお話を聞いたからかもしれません
大きな報道機関の中で働いている人たちは、新卒採用の人ばかりだと思い込んでいた私は驚きました
(時々中途採用募集というのを見るので、中途採用があることは知っています)
既存のメディアの中で報道活動をしながら、ネットジャ−ナリズムの中にも将来性を見出しているのは、湯川さんのような経歴をお持ちの方だけなのでしょうか
既存のジャ−ナリズムが絶対だと信じている人のお話が聞きたいです
まだ短い活動の中で何度となく取材を断られてきましたが、その理由には、私に知名度がないこと、媒体がインタ−ネットであること、それともうひとつは、このHPの形式が挙げられました
その日取材したことをそのままその日のうちに取材記として公表している当HPには協力できない
取材したものをためて、答えだけを載せるべきだという考え方です
昨年末まで普通にOLをしていた私は、人脈もないし技術もない
自分が見てきたことを公表し、読者の方からご指導をいただくことでこのHPを運営してきました
月曜日から金曜日に取材したことから、自分なりの答えを土曜日に記事としてUPしますが、当初は自分の出す答えに自信がなく、読者の方にもそれぞれの答えを出していただきたいと考えました
新聞や雑誌には、取材の中身を公表することはありませんが、ここでは私という一般人の目線から集めた情報を公表します
実績のない私ができることは、嘘をつかずに見てきたことを報告するということだけです
(読者の方から「ここが知りたい」という要望をいただいたら、手となり足となって取材をする覚悟があります)
そんな報道の形もアリなんじゃないのかなって、今は思えてるんですけど、それって思い上がりでしょうか
ここに書きながらも不安は増しているので、ご意見をお聞かせください
よろしくお願いします
明日は、アポイントを取っています
「お楽しみに〜♪」と言える勇気はまだありませんが、精一杯やってきます
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コメント
ネットジャーナリズムに関する今回の取材、大変興味深く拝見しています。
> そんな報道の形もアリなんじゃないのかなって、今は思えてるんですけど、それって思い上がりでしょうか
経験や深い知見に基づいたアドバイスでなくて恐縮ですが、アリなのでは?と思います。いろんな形態の報道があってしかるべき。
投稿: nini | 2005年2月10日 (木) 11時43分
憶測ですが、取材を小まめに公開する手法がいままでになかったことなので、困惑しているんじゃないでしょうか。
私は、取材内容を公開して読者それぞれの意見をもたせる方法こそ新しく、今の多様化した社会には合っている思います。
自分の考えだけを大上段から言い捨てるだけの記事を書いてきた人たちには到底受入れられない手法でしょう。
もちろん、この手法による問題点もあるでしょうが、先駆者ならばそれらを受止め解決していってもらいたいです。
試行錯誤でしょうが、がんばってください
投稿: tiki | 2005年2月10日 (木) 12時39分
うれしいコメントありがとうございます
考えてもこの方法しか思いつかないというのが正直なところなんですけど、「そんなやり方じゃだめ」と言われちゃうと、もっと別のやり方を取らないとだめなのかなと悩みました
今日の私は、信じて前へ進もうと考えています
コメントに背中を押していただいた気分です
もし、私自身が気づかずに間違った方向へ進んだら「コラッ!」と厳しくおっしゃっていただけますか?
そうはならないように、焦らずひとつひとつ実績を積み重ねていくことが、今の私のできることなんですよね
投稿: ぁぃ | 2005年2月10日 (木) 18時43分
前に書いたのと繰り返しになる部分もありますが,引っかかっているようですのでコメントを.
>まだ短い活動の中で何度となく取材を断られてきましたが、その理由には、私に知名度がないこと、
>媒体がインタ−ネットであること、それともうひとつは、このHPの形式が挙げられました
>その日取材したことをそのままその日のうちに取材記として公表している当HPには協力できない
>取材したものをためて、答えだけを載せるべきだという考え方です
というのは
●マスコミは何を学び、何を実行しているのか 【取材記4日目】
http://www.surusuru.com/news/archives/Entry/2005/01/20_2316.php" rel="nofollow">http://www.surusuru.com/news/archives/Entry/2005/01/20_2316.php
の,TBSの方の言葉
>簡単に言うと「あなたのやっていることは、『ただ体当たりをしてます。私頑張ってます。』
>という表面だけのもので、テレビ局とのやりとりを書くことは無意味なので協力できない」
>という理由です
(中略)
>マスコミとの接点を露出するのが目的ならまだわかるけど、被災報道をやりたいと言うなら、
>それに向かってためるべき。個人でやっていくサイトとは言え、見る人がいないわけじゃないから、
>さわらぬ神にたたりなし。
の部分を主に受けてのことではないかと推測して話しを進めます.「知名度の無いこと,媒体がインターネットであること」の部分はかなり重要な要素だと思いますが,こればっかりはどうしようもありません.けれども,「このHPの<形式>」(強調部はHiroによる)がだめだと言っているわけではないと思います.(当時の)目的に対する手段と,書かれているものを見ての発言「テレビ局とのやりとりを書くことは無意味」というのは,日々の取材過程を公表してゆくWebページの形式を否定したものとは思われません.ただぶつかり,表面的な反応を毎日載せていた<当時の>取材記だと私もTBSの方同様に,疑問を感じます.それは明らかにしたいテーマ,テーマを追う上での戦略,取材の仕方,書き方,全て複合して考えた上で,<あの当時の記事>に限定しての判断です.そのような要素を考慮し,適切な取材記や記事が書かれているなら途中経過を書く泉あいさんのスタイルはなんら問題ないどころか,(特に不慣れな人にとっては)非常に有効な方法だと考えます.先週までの「社会が作るこどもの傷」での取材記はなかなかうまくやっているのではないでしょうか.
<明確な筋道を立て,それに沿うものを選び抜いて配置し,結論をクリアに述べる>のが何かを述べたい時の基本中の基本であるのは事実です.この方法はどんなレベルの読者でも明確な結論が得られ,特にスタンスの近い読者に安心感を与えるものです(自分で考えて自分なりの結論を導くのが負担になる人も存在するように感じます.余談ですが).ジャーナリズムに話しを戻すと,今のマスコミは各社スタンスを異にしながら,ほぼ例外なくこの形式をとっています.一方,この形式は明確なストーリーを描くために不要なものは切り捨てます.取材過程で反証があっても切り捨てることさえやります.
あえてその逆を行く方法,できるだけ中立に近い形で素材を集め,それに恣意的な操作を加えないで公開するのは有効だと思います.それは他の人にも<使える>素材を提供します.同じ素材を使いながら,全く異なるストーリーを描く人が出てくるかもしれません.また,自分の気づかない部分,足りない部分に関するアドバイスを得られます.日々の取材記はこれまでのやり方を改良しながらすすめれば良いものになってゆくのではないでしょうか.
一方,最後に記事を書くときには<泉あい>なりのものを見せるべきだと思います.事実の羅列だけでは記事としては不完全です(いかに事実を取捨選択し,編集するかに情報的な価値が多少は生じますが).たとえ偏っていたとしても<泉あい>という,ある一人の視点からの記事が必要です.それが議論のたたき台になり,異なる視点からの反論や補強等を得て,自分の書く記事以上の何か新しいものを生むかもしれません.それがお互いに繋がっているネットジャーナリズムの強みではないでしょうか.
投稿: Hiro | 2005年2月10日 (木) 19時48分
Hiroさんのおっしゃる通り、記事は私なりに出した答えを書いているので、私の主観を入れるべきだと思います
ただ、現時点で「泉 あいらしさ」というものはまだ私の中で確立していません
女性だからこう思うとか、一般人だからこう思うとかっていうのはあると思うんですけど、自分ではこれは私しか感じないことなのかなという部分は気づいていないかもしれません
でも、文章を書いている時、「ぁぃって何?こんな自分って何なの?」と疑問に感じることがよくあります
だいたい凹んでる時なんですけど・・・
毎日「ぁぃってバカじゃないの?」と思うので、もっといろいろな本を読んだり、いろいろな人から話を聞いたりして、ものすごく勉強しなくちゃならないんですけど、取材記書き終わったらどろどろ眠ってしまうのが現実
おっと、愚痴がはじまりそうです
とにかく、やってみます
失敗することもあるかもしれないけど、やってみるって決めました
自分が傲慢になってないかという不安がありましたが、コメントをいただいたり、前向きな人にお会いしたりして、先ずはやってみることが大切なんだって思ってます
なんだか毎日あ-だこ-だ言ってすみません
がんばってやってみて、私らしさも探してみようと思います
投稿: ぁぃ | 2005年2月10日 (木) 21時35分
こんばんは。
“取材記―記事”の二分法について
泉さんの編集の手が加えられているにもかかわらず「先方の言ったままを書いています」というスタンスを取っている以上、「その形式では協力できない」と取材対象者から言われることは避けられません。なぜならここに掲載された取材記の内容に対する批判が、泉さんを素通りして取材対象者に向けられるおそれがあるからです。
「嘘をつく」つもりはなくても、編集して公表する限り“泉あいの論考”であり、“取材したことをそのまま”ではないことに自覚的になる必要があるでしょう。
泉さんのような報道の形がアリかどうかについては、(結論としてはアリなのですが)ちょっと長くなりそうなので(ブログらしく)TBしてみます。ではではまた。
投稿: an_accused | 2005年2月10日 (木) 23時58分
「記者素通り式」とでもいうか、一次情報になるたけ手を入れずに読者に、ってスタイルには新鮮味を感じます。それだけでも存在価値はあると思います。
しかしan_accused さんがおっしゃるように、やはり間にぁぃさんが入っているので、どうしてもここの情報は二次情報です。それが一次であると読者に「錯覚」させてはならないでしょう。取材対象のためでもあり、読者のためでもあり。
こっからごく個人的な話です。
思うのですが、ここの記事(取材記)の魅力とは、『紀行』だからではないかと。一人の、読者に近い立ち位置の人間が、疑問を出発点に、答えにたどり着くまでの「旅」を、リポートしているのではないかと。
既成ジャーナルでは一顧だにされないその部分に、新鮮味と、限りない憧憬を感じるのですよ。なぜならそこには、切り取られた断片の集積ではなく、ひとつながりの大きな物語が見えるのですから。
実のところ、そのスタイルの是非については自分でもまだ分かりません。しかし、おもしろい。それだけは思う。
駄文失礼。
投稿: plummet | 2005年2月11日 (金) 03時48分
念のため少し補足です.
>ただ、現時点で「泉 あいらしさ」というものはまだ私の中で確立していません
>女性だからこう思うとか、一般人だからこう思うとかっていうのはあると思うんですけど、
>自分ではこれは私しか感じないことなのかなという部分は気づいていないかもしれません
自分の価値観に照らし合わせ,知ったこと,知っている事をベースに記事を書けばそれはちゃんと泉あいさんの記事になります.まずはそれができればよいのではないでしょうか.自分で考えずに,どこか他所で言われていることを借りてくるだけのものは読む意味ないですけど,自分なりに考えた結果,よく言われているような結論になってもそれはそれでOKだと思います.
「これは私しか感じないこと」という独自の見解や,他の人には気づきにくいものの見方の提供ができればそれにこしたことはないですけど,それだけが全てでも必須でもないです.独自性にこだわりすぎて他人に受け入れられない様なことを書いたり,記事そのものが書けなくなっては意味がありません.取材力や分析力,統合力全てに長けた人というのも世の中には確かにいますが,最初からいきなりパーフェクトな人は居ません.各分野でスキルアップして行けば自然にいい記事が書けるようになるでしょう.
また,場合によっては自分だけで完結していなくても良いのではないでしょうか.泉あいさんの集めてきた素材や記事を見て,他の人が斬新な視点を提供してくれることもあるでしょう(コミュニケーションが基本的にないメディアに対してのネットジャーナリズムのアドバンテージの一つはこの点であると考えます).そんな風に,他人も巻き込んで,結果的に何か新しい知が生み出されれば十分意味のある仕事たりえるのではないでしょうか.
投稿: hiro | 2005年2月11日 (金) 05時24分
なるほど
an_accused さんのおっしゃっていることを気づいていながら、認めようとしてなかったような気がします
できるだけ忠実に「覚書」をUPしているつもりですが、一次情報ではないと肝に銘じます
plummet さんにはうれしいお言葉をいただきました
私が目指すものは正に「旅」なのだと思います
hiroさん
背伸びをせずに一歩ずつ進んでいこうと思います
毎日いろいろな人にあって、いろいろなことを学び、いっぱい吸収しています
毎日の感動を文章を通して伝えられるよう勉強しなければなりません
みなさん ありがとうございます
投稿: ぁぃ | 2005年2月12日 (土) 22時07分
はじめまして。こちら時々読ませていただいてます。
亀レスですが。
> 私が目指すものは正に「旅」なのだと思います
旅(journey)とジャーナリズム(journalism)は、同じ語源ですね。
ところで、知名度がないので断られる、それは既存のジャーナリズムでも当たり前に起きていることです。
取材される側もヒマじゃありません。貴重な時間を割いてでも会う人を選ぼうと思うのは当たり前のことです。
それをどう乗り越えて取材相手にたどりつく(こじ開けるか)が、ジャーナリストとしての技能の1つなんです。だからこっちもどうしても話をしたい相手がいる場合には、会社の前で待ち伏せするとか自宅を調べ上げて直接尋ねるとか、許される限りのあらゆる手を使うんですよ。
インターネットである、というのはその裏返しです。つまりどれだけの人に読まれてるかも分からない個人ページの作成者にいちいちつき合ってられるか、ということですね。
ただ、最後の「取材した話をそのまま載せる形式」に対する否定的な感覚、というのは大手マスコミならではのものだと思います。
記事の中に取材したジャーナリスト本人が「私が〜」という一人称で出てくるような記事のことを、第三者的な立場から書く新聞記事のような体裁と対比して「ニュージャーナリズム」と呼ぶことがあります。あいさんのやってることはニュージャーナリズムの一種です。
ニュージャーナリズムをやる時に肝に銘じてほしいのは、「見たままのもの、聞いたままのこと」というのは、存在しないということです。人間は不注意になればいくらでも話を聞き落としますし、注意深く見れば他の人が気が付かないこともたくさん目にできます。そういうことを棚に上げて「私はできるだけ嘘を付かないように、見てきたまま、聞いてきたままを書きます」というのは、それ自体が嘘だということです。
何が言いたいかというと、あいさんが自由に取材ができないのは当たり前だということと、より正確にそして取材相手の気持ちも汲んだ上で自分なりのスタンスを伝えながら取材をするために、もっと取材する対象を死にものぐるいでいろいろと勉強して下さいってことです。
きついこと言いましたが、基本的に応援していますので、めげずにがんばってください!では。
投稿: R30 | 2005年2月14日 (月) 23時43分
R30さん すごくわかりやすくて納得しました
どうもありがとうございます
ニュ−ジャ−ナリズムという言葉もはじめて聞きました
勉強します
「応援しています」というぉ言葉が本当にうれしいです
がんばりまっす!!
投稿: ぁぃ | 2005年2月15日 (火) 14時46分
少し補足させてください。
ニュージャーナリズムと“オールド”ジャーナリズムの差異は書きぶり(文体)の違いであって、本質的なものではないように思われます。近年「メディア・リテラシー」の重要性が取り上げられ、またいわゆる署名記事が増えてきたのは、“客観報道などありえない”という認識が広まったからですね。
ですから、「見たまま聞いたまま」が存在しないことを胆に銘じることは、ニュージャーナリズムをするときに限らず(もっと言えば“オールド”ジャーナリズムの側こそ)必要なことでありましょう。
私の指摘した点は、泉さんの取材・編集手法固有のものではなく、ジャーナリズム一般に妥当するものであるということですので、その旨ご理解いただければ幸いです。
投稿: an_accused | 2005年2月15日 (火) 15時01分