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2005年2月 3日 (木)

社会が作るこどもの傷 【取材記10日目】

児童養護施設を卒園した人たちが、どんな苦悩を抱えているのか、とても悲痛な現実もあるだろう
それこそ目を向けるべき現実だと思い、自立援助ホ−ムを訪ねました
自立援助ホ−ムは東京都内に8箇所あり、これは全国的に見るととても多いと思える数字ですが、1軒のホ−ムの定員が6名と少人数のホ−ムがほとんどなので、需要と供給は成り立っていないと思います

今日伺った自立援助ホ−ムは、特殊と言っていい形式を取っていて、また今回もいい意味で期待を裏切られました
設立からまだ2年で、
「うちはみんな未熟よ、職員のベテランはいないけど、人生のベテランがいっぱいいるでしょ」
と代表の方がおっしゃる通り、私が通された空間(食堂兼リビング)には、いろんな人がごちゃ混ぜにいらっしゃいました
「どうぞ、そこから見て感じたことを書いてください
役所の人や取材の人がよく来るけど、自立援助って私たちは何を教えたかなと考えるんだけど、何も教えてないのよ
教科書はないけど、いろんな人と触れ合ってその子その子が感じたことが教科書になってくれればいい」
と言われ、私はその部屋全体が見渡せる場所へ座らせていただきました

このホ−ムのこの部屋にいる限り、誰も孤独ではいられません
誰かしらに話しかけられ、微笑みかけられ、いつも誰かに気にかけられているという気がします
食事が済んでも、みんなこの部屋に座ったままで、テレビを見ているからかなと思って確認したら、自分の部屋にもテレビはあるそうです
注意して見ると、テレビに集中してる人なんてひとりもいなくて、それぞれに話したり、笑ったり、ぼんやりしたりして、みんな誰かのそばにいたいんだと思いました
ひとりのおじいさんが咳き込むと、みんながそっちを向いて、「大丈夫?」とか「おいおいおい」という声が聞こえ、代わる代わるおじいさんの背中をさするんです
ここでは「無関心」なんてことは有り得ません

人はひとりじゃ生きていけない
さみしい人、傷を持った人同志が寄り添い合う家族という形がここにはありました
家族って何だろう
血のつながりって何だろう
最期を迎える時、私のそばに誰かいてくれるのだろうか
最期をひとりで過ごさなければならないほど、さみしい人生にはしたくないです

「心の頼れる人がいたら、人は充分楽しく生きていける気がする」
このホ−ムの代表の方がおっしゃいました
児童養護施設を卒園した子供たち、里親から離れた子供たち
彼らのことを気にかけてくれて、心の頼れる人がひとりでもそばにいるのでしょうか
仲間はずれやいじめじゃなくても、自分に誰も関心を持たれないというのは、きっと孤独なことでしょう

明日は、このテ−マの取材最終日
当事者であった人たちの傷を探ってきます

    【 今日の覚書 】

  • 自立援助ホ−ム 代表者
    施設を卒園した人のための自立援助ホ−ム、知的障害者・身体障害者のグル−プホ−ム、高齢者の自立型住宅という複合的な他に例のない施設。
    部屋は新しくて清潔な6畳の個室で、洗面所、ベッド、エアコン、テ−ブル、クロ−ゼットが完備されている。

    お金を盗っちゃうなどのトラブルはあるが、みんなそれぞれ傷を持っているので、受け入れることができる。
    入っている人の中には、生活保護を受けている人、刑務所に入った経験のある人、ひとり暮らしをしていて心がずたずたになった人、すごいお金持ちの人、芸能人の親、大学の教授だった人といろいろな人が入っている。
    みんなおうちのない人だけど、同情はされたくない。
    情け(感情・愛情・同情)をかけるなら本当の福祉とは言えない。
    本気しかない。本気があれば、何でも後からくっついてくる。
    どんな人でも1度抱きしめて、受け止めてあげるのが本当の福祉だと思う。
    「こうやって生きて欲しいんだ」と説得された相手が「じゃあ、ここにいようかな」と思った時、はじめてふれあいが深くなる。
    ぱっと見て臭いホ−ムレスだからだめとするなら、もうそこで終わりになっちゃう。
    入る入らないは別として案内し、「あなたが良ければあなたが選びなさい」と言ってその場でお布団を敷きながら、「お風呂の準備もできてるよ」と言う。
    「本当にここに来てもいいですか?」「いいよ、おいで」と、とりあえず住める場所が決まったら、改めて家族で話し合いができる。

    施設を出て、いろいろなものを背負って来ても、「傷ついているのは自分だけじゃない。自分だけが不幸じゃないんだ。」とわかる。

    若者とお年寄りが一緒なので、スタッフが何も手伝わなくても、互いにみんなで助け合って生活している。
    お年寄りが知恵を与え、若者からは若さをもらえる。
    入ったばかりで馴染めない人に、知的障害を持った人たちがまず最初に自然と親切にしてカバ−する。
    施設出身の人にお年寄りや障害を持った人たちの世話を頼むと喜んでするし、お年寄りは指導をするという良いサイクルになっている。

    仕事から帰ってくれば、みんなで「おかえり」と迎えてくれ、「今日はお前の好きなコロッケだよ」なんていう会話がある。
    誕生日はみんなでお祝いする。
    けんかをしても、大勢人がいるので緩和される。

    卒園する時に振袖を着せて写真を撮ると、わぁっと泣き出して、
    「みんなありがとう。ここが実家だから帰ってくるよ。」
    という言葉を残して自立して行った。
    「部屋を借りるにはこだけお金がかかるから、これだけお金を貯めなきゃいけないんだよ」と毎月3万円ずつ貯金させ、職員が不動産屋さんに一緒に行き、先ずは自分の好きな部屋を選ばせるが、そこで高いという現実を知る。
    その後で、自分で払える範囲の部屋を選び、園長が保証人になって部屋を借りる。
    部屋の中の物を揃える時は、リサイクルショップできれいなものを選び、やりくりの仕方を教える。
    目の届くところから、細く長く深入りしない関係を保つが、「ここまでは頼ってもいいけど、ここからはだめよ」という線引きはする。
    「何かあったら来なさい。金は貸さないよ。」と言うと「ちょっと聞いて。」と話をしに来る。
    帰るうちがあるという強さを卒園生は知ることができた。
    施設を出た人は、いつかはここを出て行くということを覚悟していて、出た後のことは不安だが、何かあったら帰ってこれる場所があると思っている。

    家族がいても、高いお金を出して老人ホ−ムに入る人がいるが、「その人たちが果たしていい人生を歩んできたの?だったらそんなとこ来ないでしょ」と思う。
    家族がいればみんなで何とかしようとする、助け合う。
    だからここに来てる人はさみしい。

    快眠快食快便がちゃんとしてれば、人間そんなにごちゃごちゃしない。

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コメント

 今週の【取材記】は力作が続いていますね。お疲れではないですか?体調にはくれぐれもお気をつけ下さいね。
 今日の【取材記】の舞台である自立援助ホームですが、この施設が有効に機能しているとして、なぜ2年前までこのような取り組みがなかったのか。このようなスタイルの施設を設置する上でどのようなハードルがあったのか。制度の問題点を浮き彫りにするには、その制度の誕生/終焉のプロセスを調べるのが最も有効です。昔からある制度は、それが“当たり前”過ぎてなかなか問題点が見えにくいからです。ぜひ、自立支援ホームの現場取材を通じて児童福祉の現状をさらに描き出してみてください。

 この10日あまり、何くれとおせっかいをしてきました。報道のプロでもなく、児童福祉の専門家でもないのに、あれこれ難癖をつけてきましたが、ひとえに、泉さんの試みが貴重かつ有益なものであると信じているからに他なりません。あと一日の取材と記事執筆、今までどおりあなたの思うままを表現してください。ではではまた。

投稿: an_accused | 2005年2月 4日 (金) 04時55分

この自立援助ホ−ムは、発想の転換で、誰もが気づきそうで気づかなかったことだと私は実感しました
代表ご夫妻の子供の頃からのご経験が積み重なって、ひとつひとつの事業へと広がっていったわけですが、ご本人も気づいたら、いろいろな人が入り交ざって暮らせることこそ福祉だと思われたようです
人の障害、傷、ハンデを簡単にカテゴリに分けるのではなく、違うタイプの傷を持った人たちが寄り添うことで助け合い、ひとつの家族になり得るという形があるとわかったのは、1年経ち卒園生が自立した時だったと思います

この施設を創るのに、行政からの援助金は全く受けなかったそうです
「出入り口は3つ作れ」と言われているそうなんですが、お金を出してもらってない分、口を出すなと独自の方法を取られています
厚生省の方も見学に来られているようで、この形が見直されています

施設を作るにはお金がかかる
お金をかけないで、子供たちをどう育てていくか、世界中が考えていることだと思います
ただ、その「考える」行為が本気かどうかの差があって、日本はどうよ?と観察している真っ最中です

投稿: ぁぃ | 2005年2月 4日 (金) 12時09分

行政の枠組みにとらわれないことで、いろんな人々が寄り集まる空間にしていけるのかも知れませんね。このような試みが広がっていけばよいのですが、そうなると行政上の措置、具体的には予算資源の獲得が必要となる可能性が高く、そこにある種のジレンマが生じることも予想されます。柔軟な政策が望まれますね。
追伸:“出入り口3つ”は、福祉施設の設置基準としての要請なのか、消防法等に基づく安全確保上の要請なのか判然としません。後者であれば、“金の出処”如何にかかわらず遵守する必要があるでしょう。

投稿: an_accused | 2005年2月 5日 (土) 14時03分

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