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2005年1月15日 (土)

新潟中越地震に見るマスコミの教訓

新潟中越地震でのマスコミの行動の実態を知るために長岡へ行きました
最初の2日間は、拍子抜けというか、目標を見失ったというか、
何のためにここまで来たのかわからなくなってしまいました

どこで誰に聞いても
「そんなことはなかったね」
という答えばっかり
インタ−ネット上に書かれているようなマスコミに対する怒りの声を引き出すことができず、焦りました
(この企画は失敗だった)
一時は自分を見失った私ですが、インタ−ネットに踊らされたと気づき、
更に取材をしていくにつれ、そのことを実感していったのです

小千谷市のマスコミ担当の方は、いろいろな人が助けてくださって感謝しているが、現実として
マスコミの行動で困ったこと
インタ−ネットで困ったこと
ボランティアで困ったこと
など、それぞれの問題点があったと話してくれました
保存されている膨大な写真を一緒に見せてくださったので、
担当者の話が真実であると、目で見て確認することができました

一方、山古志村のマスコミ担当者からは、マスコミと対策本部は連携しているので、マスコミの人たちが問題を起こすことはないと毅然としたお答えをいただきました
はじめは、
(もしてかして癒着?)
という疑問を抱いたので、仮設住宅を回り裏を取ったわけです

ところが、担当者の言葉に全く嘘偽りはなく、
当事者である仮設住宅の住民からは、「マスゴミ」と称されるほどの証言を得ることはできませんでした

もちろん、迷惑と感じるか感じないかは、個人によってその基準が異なるし、その時の感情もありますから、大なり小なり不愉快と感じることもあったようです
しかし、むしろ「取材陣が心配してくれて感謝している」とうい声の方を圧倒的に多く聞きました
取材の時に「大変ですね」とか「がんばってくださいね」とか、優しい言葉をたくさんかけられたそうで、
取材陣側が、取材対象である地元の方とコミュミケ−ションを取ろうとしていたことがわかります

実際に私が現地へ足を踏み入れた時、取材ですとはっきり言っても、誰ひとり怪訝な表情をしませんでした
マスコミに嫌な思いをさせられていれば、私を相手にはしてくれなかったでしょう

また、地元の方の気質や気持ちも、マスコミにとっては取材しやすい環境だったのではないかと思います
雪の多いところなので閉鎖的なのかなという私の勝手な予想を良い意味で裏切り、お会いした方全員が、誰の紹介もなく東京から来た初対面の私に温かく接して、質問に真面目に答えてくださいました
家にまで入れてくれた方もいらっしゃるほど、大らかでウエルカムな気質が山古志村の人にはあって、その住民性がマスコミの目に余る行動を優しく流したのかもしれないと思います
被災当時は生きることに必死でしたから、マスコミなんかにかまってらんないというのが実情だったようですが、
それ以上に、自分たちががんばっている姿を全国へ伝えて欲しいという想いが強いようです
マスコミを自然に受け入れて、お互いに協力し合うという形が現地での真実でした

しかし、マスコミにも阪神淡路大震災の時の教訓は?という疑問が生じた事実もあります
「車は多かったな」
とぼそっとですがみなさん口々に言うほど、中継車は何台も何日にも渡って駐車してありました
そのこと自体は、中継しているわけだから必要だと地元の方も私も思います
いけないところは、小千谷市からの要請を1度は聞き入れておきながら、
取材スタッフが交代すると、また禁止した場所に駐車されている点です

命に係わることとして、ヘリコプタ−の低空飛行が挙げられます
このことは、阪神淡路の時にも言われていたと記憶していますが、10年経ってまた同じことを言われ、現実にもやっていました
自衛隊が低空飛行をしなかったのは、振動が家屋に多大な影響を及ぼすことを知っていたからで、万が一マスコミの低空飛行が原因で、死傷者出たり家屋が倒壊したりなど、被害が出ていたら「知らなかった」じゃ済まされないことです
車のことも合わせて、マスコミは現場での記録を残して再発防止を徹底しないのか
住民に対する謝罪はないのか
追及するべき問題だと思います

マスコミに問題があったと判明し、果たしてそれが「マスゴミ」に値するのかと考える前に、
インタ−ネットのこわさについて考える必要があります
ネット上に書かれたこと全てが真実ではないということくらいは、心得ています
今回の取材でこわいと思ったのは、個人の感情が真実だと取られ、大きな影響を与えてしまったというところにあります
ボランティアと自称する人の書き込みが、小千谷市に大変な事態をひき起こしてしまいました
その書き込みが一体誰のものなのかはわからないという、情報の発信元が明確でないところが、この問題をより大きくしてしまったのではないでしょうか

小千谷でのことを具体例を挙げて説明します
ボランティアの人が避難所で誰かと話して「紙オムツがない」と聞きました
その人の持っていたオムツがたまたまなくなっただけで、避難所には充分な数の紙オムツがありました

紙オムツを個人が持っていないだけなのに、避難所全体の紙オムツが足りないとインタ−ネット上に書き込みをしてしまいました

その書き込みを見た全国の人が、避難所には紙オムツが足りないと信じたため、小千谷市役所には膨大な数の紙オムツが届いしまいました

届いた紙オムツを置いておく場所がないだけではなく、
個人で5個とか10個とか小数単位で送られてくることもあるので、
箱を開けたり配布する作業に労力がかかってしまいます
荷物が届くのは、昼に限ったことでなく夜中に届くこともあるので、眠らずに荷物の受け取りに対応しなければなりませんでした

受け取った側の立場では、いただいたものは全て送った人の善意だと、心も一緒に受け取っています
だから捨てることもできないし、いらないということもできない
でも現実として置く場所もないし・・・と片付けようのない大きな問題となっています

私もインタ−ネットに踊らされたひとりで、書き込みを見て長岡にまで行ってきたわけすが、インタ−ネット上の書き込みと現地の当事者の感情には大きな温度差があって、
明らかにインターネットの書き込みが一人歩きし、加熱していると感じます
このことは、マスコミと被災地の住民の両方に不幸をもたらすものだと思います

これが私の出した答えです
マスコミに失態があったことは事実ですが、
当事者である仮設住宅の方々は、迷惑だと感じていないというのが事実で、
インタ−ネット上のマスコミ非難は、明らかに加熱しすぎています

ボランティアの中には、
「俺たちはボランティアをしに来たのであって、カメラに撮られるために来たんじゃない」
とマスコミを敵視する過剰な反応を示す人たちもいたようで、
どうしてマスコミが当事者以外の人に、こんな扱いを受けているのかを考える必要があると思いました

同じ情報発信するメディアとしてマスコミもインターネットも、被災者の事実を冷静に把握し伝えないと、本来手助けする為の行為が迷惑をかけてしまう行為に逆転してしまう危うさを再認識しなくてはと感じます

敢て言わせてもらいます。
インターネットの風評被害が新潟地震の被災地で起こりました
この事実はネットを利用している皆さん(私も含めて)が再認識するべきです

今週取材される側の新潟へ行ってきたわけですから、取材する側の声も聞くべきでしょう
来週もこの件についてマスコミの意見を徹底的に取材してみます


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コメント

これおもしろいね
俺が新潟地震のマスゴミの横暴を知ったのは”木村剛”のエントリーなんだけど、どっかのblogのエントリーを引用して書き捨てって感じだった。
マスコミ批判してる本人がエントリーした内容で迷惑してる人が出たらどうするんだろうね。
自分はマスコミじゃないから責任ないとでも言うのかな。

投稿: 白発中 | 2005年1月16日 (日) 03時00分

ひゃぁ・・・鋭い意見だぁ
どうもありがとうございます
取材はつらいけど、やっぱり自分の目で見たことを書くのに意義があると思うので、くじけずに頑張ります
でも、早速くじけそうなんですけどね・・・

投稿: ぁぃ | 2005年1月18日 (火) 04時11分

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