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2005年1月29日 (土)

社会が作るこどもの傷 【取材記6日目】

今日は、本来なら記事をUPするべき土曜日なのですが、今週は養護施設に係わる人にお話を聞くことができませんでしたので、引き続き取材記を書かせていただきます

今日、やっと子供たちと身近に接していらっしゃる方たちに出会えました
あるボランティアグル−プの方たちですが、皆さんとても真剣で、特に感心させられたのは、子供たちの将来を見て活動なさっているところです
私は、ジャ−ナリストという仕事に対して、「できることからはじめよう」と取り組んで来ましたが、それは全てではないと知りました
できることがあっても、最後まで責任を持てないなら手を出してはいけないこともあるんですね
でも、今日お会いした方たちは、普通の会社員、普通の学生で、特別な人ではありません
その気になれば、誰にでもできることなのです

最低限の物や教育を与えればそれでいいのか・・・
無限の可能性を持つ子供たちが、大きな夢を持つことを諦めていると私は今まで知りませんでした
「親に会えなくてさみしい」なんて、それだけでかわいそうと思っていた大人の私より、子供の方が現実的なんですね

当たり前のように進学し、当たり前のように仕事を持ち、ごく自然に恋愛し、結婚した(離婚もしましたけど)
そんな当たり前のことが、施設を卒業して普通の社会で生活するようになってもできない人たちがいるんです
そして、その人たちを必死にサポ−トしている人もいます
しかも、特別なことじゃなく、自然に当たり前のようにサポ−トしています

今日の私のインタビュ−は、まだまだでした
もっと聞きたいことがいっぱいありますので、もう一度会っていただけるようにお願いしてみます
あまり面倒かけては、2度と取材に応じてもらえなくなると困るんですけど、頭を下げてきます

    【 今日の覚書 】

  • 養護施設でボランティアをしている人(4名)に話を聞く。
  • このボランティアグル−プの最大の特徴は、1人の子供を1人のボランティアが1年単位で担当するという点。
    活動の内容は、養護施設の子供たちを育てるためのいろいろなサポ−トで、例えば、小中学生の勉強をみたり、レクリエ−ションに出かけたりすること。
    出かける時も、ふれあいの時間をたくさん取れるように、できるだけ少人数で行く。

    ボランティアは、1週間に最低でも1度(火木土のいずれか)施設を訪れ、担当の子供と触れ合う。
    火曜日は小学3年生〜中学生の学習をみることが中心
    木曜日は、火曜日の補助で中学生の学習
    土曜日は、幼稚園〜小学1、2年生

    ホ−ムステイも担当を決めて、同じ子供を多い人で月に2回週末だけといった感じで定期的にホ−ムスティできるようにする。
    子供が帰省する時期に、帰る家のない子供のための短期のホ−ムステイ(夏休みやお正月だけの)もある。
    ホ−ムステイは、帰る場所がない子供のための心のよりどころとなっている。
    特に定期的なのホ−ムステイでは、大勢で暮らす施設とは違い、少人数で一般の家庭のように、考え事をしたりリラックスできる場所になっている。

    このボランティアグル−プのこれらの活動の目的は、卒園後も子供たちと付き合える人間関係を作っているということ。
    施設の中でサポ−トしてあげるのも大切だが、卒業してから生活が安定しないことが多いため、長期間に渡り子供と係わってコミュニケ−ションを取る。
    卒園生が、いろいろな壁にぶつかった時、気楽に話を聞ける関係を作るためには、1対1で勉強したり外出したりして、信頼関係を深めるのが大切なのである。

    卒園して帰る家がなければひとりぼっちになってしまう。
    施設にいられる間は、施設長が保証人になってくれるなどのバックアップがあり、就職や住むための部屋も得られるが、一旦施設を出てそれを一度失ってしまうと、再び得られるのは難しい。
    家に戻っても、それまで長く一緒にいなかったので、家族ともめることも多く、そのために自分の生活までおかしくなってしまうこともある。
    いろいろな人との関係が薄く、経験があまりないまま社会に飛び込んでしまうので、人間関係でもめることが多い。
    「もう少し頑張る」という子は少なくて、早くそこから出たいという気持ちが先に立ち、後のことは考えないで、ちょっとしたことで簡単に仕事を辞めてしまう。
    施設に相談に行きたくても、職員の手がなかなか回らないので、ボランティアが必要だ。

    家族の中で生活している子供と違うと感じるところは、すごくあまえたがったり、スキンシップを取りたがったりするところで、普段からスキンシップが足りないんだろうなと思う。
    そういう意味では、勉強をみるだけでなくて、個々に対応してあげる人が必要である。
    「大人なんてこんなもんだ」とポロっと言うこともあり、年齢の割りにはしっかりしているように感じる。
    大人のことをよく観察し、親しくなれると突然態度が変わったり、「いなくなっちゃうの?」と聞いてくることもあるので、長くつきあってあげないといけないと思う。
    人間関係がぶつ切りになってしまうのは、子供にとって良くないことなので、少なくとも1年はボランティアを続けて欲しい。

    団体生活である施設の中では、時間が区切られているため、自分がやりたいことも充分にできなくて、やる気を失ってしまうこともある。
    職員が1人につきっきりではいられないので、学力も低下し、進学や将来の夢に対する意欲が薄い子供もいる。
    子供がどんな夢を持っても、親がいればそれに一喜一憂するが、親の期待を感じることもないので、夢をふくらませるという気持ちが育たないのかもしれない。

    子供たちの中では上下関係ができており、親に会う子会わない子でねたまれいじめられたりもする。
    そのため、施設は親と子供が会っている姿を他の子供に見せない配慮をしている。
    子供自身も、やっと自分の家へ帰れて、また施設へ戻って来た時、家のことを引きずらない。
    いつまでもめそめそしていたら、他の子にねたまれるし、日々の生活について行けなくなってしまう。
    それが、小学生低学年のよう小さな子供でも、泣きわめくことはない。
    子供なりに、いろいろなところに気配りをしているので、職員の手だけでは補えない子供の同志の間にボランティアの人たちが入り、潤滑油になることも必要。

    寄付は多く、物は余りあるくらいにあり、遊園地などからの招待もかなりの数である。
    お金や物も大切だが、子供に密着した支援がもっと必要だと思う。
    養育する里親でなくても、ホ−ムスティならいろんな人ができる。
    ウィ−クディは施設から学校に通い、週末はホ−ムスティで家庭を経験できればいいと思う。
    里親制度ももっと見直す点があるし、社会の人にできることがあると知って欲しい。
    そのためには、いつも身近なところにいる職員がもっと声をあげてもいいんじゃないかと思う。
    世の中の誰も育てない子供を一生懸命育てている人なのに、その待遇は低い。
    もっと待遇を良くして、いい人材を集めるべきだ。

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コメント

 こんばんは。
 今日の【取材記】を拝見して、“施設の子どもを考える”ことは、すなわち社会そのものを考えることなのだと改めて思いました。
 「無限の可能性を持つ子どもたちが、大きな夢を持つことを諦めている」と、泉さんは述べられていますが、これは現在の子どもたち一般にも当てはまることであるように感じます。
 近世においては、“生まれたイエ”が武家なら自分は武家に、職人なら職人に、百姓なら百姓にと、自分の人生が“過去”に決められていました。明治期から高度成長期においては、子どもは自分の出自がどうあろうと、“勉強さえできれば”軍人にも、官僚にも、研究者にもなれるという希望(とプレッシャー)を持っていました。
 現在、子どもたちは“所詮がんばっても高が知れている”ことを感じ、未来に希望を持てなくなっているように思います。
 そのような社会の中でなお、こどもの可能性を信じ成長を見守ろうとするボランティアや施設職員の方々は、何に動機付けられているのでしょうか。
 また、未来に希望を持てない子どもたちは、何に傷つき、何に希望を見出しているのでしょうか。
 泉さんは答を急ぐことなく、思ったままをぶつけ、跳ね返ってくる答を受け止めることで、知りたいことに近づいていってください。

追伸:
 私は、自分のインタビューテープをフットペダル式レコーダーとワープロ(!)を使って文章に起こし、取材対象者にお送りしておりました。それはいうなれば取材対象者の半生記となるため、けっこう喜んでいただきました。
 一生懸命に活動しているボランティアの方ほど、自分の活動を理解してもらいたいものですから、遠慮しすぎずに話を聴きにいってみてください。また、「取材を受けたはいいがその結果はなしのつぶて」というのが一番よくありません。テープ起こしまではしなくても、【取材記】をまとめてお送りすることなどの気遣いをしておけば、再取材などが容易になります。ご参考までに。

(今日の関連文献)
竹内洋「立身出世主義―近代日本のロマンと欲望」(NHKライブラリー)
宮台真司「まぼろしの郊外―成熟社会を生きる若者たちの行方」(朝日新聞社)

いつも長くなり申し訳ありません。
日曜日は、ゆっくりリフレッシュしてくださいね。ではではまた。

投稿: an_accused | 2005年1月30日 (日) 01時32分

人は、どういう状況であっても生きていかなければなりません
取材をしていて感じることは、子供たちは傷ついているという自覚がない
そして、希望とは何か、希望を持つこととはどういうことなのか、それさえもわかっていないのだという気がします
それでも彼らは現実を生きています
私は、彼らが強いのか弱いのかわからなくなってきました

こんなことではジャーナリスト失格なのかもしれないけど、現実を知って、うろたえている自分に気づく瞬間があります
そして、ここから先にどう踏み込めばいいのかも迷っています

投稿: ぁぃ | 2005年2月 1日 (火) 04時24分

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