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2005年1月21日 (金)

マスコミは何を学び、何を実行しているのか 【取材記5日目】

Gijido 今日は、どうにか現場を取材する人にコンタクトを取れる方法を一日中考えました
(どうして会わせてもらえないんだろう)
と落ち込みながら、その方法を模索するうちに、テレビ局という組織が不思議に思えてきています

私が取材申し込みをしたのは、仮設住宅に住んでいる人、役所、テレビ局で、その中でもテレビ局の対応が他と大きく異なることに改めて驚いています
コネのない私のやり方は、被災なさった人にも、テレビ局の人にも、どちらも同じアポなし取材でした
快く取材に応じてくれた被災地の方に対して、テレビ局の対応は対照的に頑なです
今回取材した人たちの対応の違いをまとめてみました

    【 震災報道に於ける当事者の応対の違い 】

  • 仮設住宅住民(山古志村)
    いきなり行って突然声をかけたが、快く話をしてくれ、情報を持っている人を紹介してくれた。
  • 行政機関(山古志村対策本部・小千谷市役所)
    いきなり訪ねたがマスコミを取り仕切る担当者が話を聞かせてくれて、小千谷では震災後の写真も見せてもらうことができた。
  • テレビ局
    NHK
    取材には応じてもらえないが、質問の回答はもらえる予定。

    日本テレビ
    取材に応じてくれないし、電話での質問も受け付けない。

    TBS
    報道担当者が取材に応じてくれた。

    フジテレビ
    取材には応じてもらえないが、電話でコメントをもらえた。

    テレビ朝日
    どこにもつないでもらえない。

被災なさった方が快く取材に応じてくれたのに対して、テレビ局は、取材を受けることから逃げているという印象を受けざるを得ません
私の投げかけた、たった2つの質問は、担当責任者へは届かず、窓口だけで処理をされてしまいました
普段は取材し情報を流すことで利益を得ているテレビ局だからこそ、取材される立場になった時に、できる限り応えようとする努力をして欲しいと思いました
毎日膨大な数の問い合わせがある中で、何の実績もない私の質問は、優先順位が低くなって当然だと理解しています
でも、「テレビ局の興味がないから」「無名な視聴者の声だから」と当たり前のように吐き捨てるそのスタンスに触れると、やはり心穏やかではいられません
視聴者からの声を真摯に受け止め、できる限りそれに応えようとするその姿勢が伝わってくれば、「マスゴミ」などと言われることはないのだろうと思います

今回の取材は今日で終りました
テレビ局からは答えをもらえず、現地で取材をしたスタッフの声も拾えず、かなり焦りましたが、答えをもらえない事実も取材したひとつの結果だと思うようになりました(私の取材方法や文章の未熟さも含めて)
この現実を踏まえて、明日の記事を書こうと思います

    【 今日行ったところ 】

  • 国会議事堂 国会記者会館 
    受付の方に「みんなピリピリしてるから、外で声をかけても・・・」と言われたが、外でしばらく様子をうかがった。
    駐車場にはハイヤ−がズラっと並び、建物から出てくるのは年配の男性が多く、現場を駆けずり回っている人には見えなかったので、誰にも声をかけずにその場を離れてしまった。

    【 アクションのあったテレビ局 】

  • 日本テレビ
    企画書を提出したが「日本テレビでは基本的に個人の研究活動目的の取材には応じておりません」という回答が届いた。
  • NHK
    震災報道についての質問の回答をメ−ルで返してくれることになっていたが、電話がかかってきて「基本的に郵送になっているので住所を教えてください」と言われた。
    FAXで送ってくれるようにお願いすると「検討します」と言われ、現時点でまだ回答は送られてきていない。

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コメント

はじめまして、すごい行動力があるなぁと思いながらblogを見ています。

ちょっと気になった点を列記します。
・現地の方へのアポなし取材
 一過性の取材ではなく、フォローはされているんですよね。(現地の方がもっと伝えたいことがあったときのために、切手付の封筒と便箋を渡しておくとなど)
・コネはつくっていけばいいのでは。
 現地の方→役所にパイプを太くして、発信する記事が信頼できるもので影響力もあれば、マスコミも対応するようになるのではと思います。
 また、どういうスタンスで記事を作成するか判断できないため、マスコミ側が対応を保留するという面もあるのではないでしょうか。
・気分転換してます?
 頑張らないと1個人が取材することができないと思いますが、肩に力が入りすぎるとまわりが見えなくなるし、いい記事もかけなくなるのでないでしょうか。
 失敗しても、意気消沈・反省しすぎず、次回は成功するように、いい意味で楽観的であればと思います。
 (言うほど簡単じゃないけど・・・)

取材の壁、自分の思ってることとのギャップなどに負けないで、ぜひblogを継続してください。今後も楽しみにしています。

投稿: ton | 2005年1月22日 (土) 05時46分

新潟のテレビ局からの返事はあったのでしょうか?そちらの方がハードル低そうですが。
なかなか動かない壁を押し続けるだけでは,疲弊して鬱になりますよ。

投稿: Insite | 2005年1月22日 (土) 08時12分

住民や地元行政にくらべて、テレビ局(という組織)って当事者なのでしょうか。そりゃまあ、通り一遍の無難な、特定の事柄についてではない一般的なコメントぐらいは出せると思いますが、それ以上は無理では?
また、(実態がそうだという意味ではなく)あなたが描いている構図的には、加害者vs被害者でしょう。加害者である、マスコミへの取材が難しいのは当然。
しかも、たとえばこれが少年事件であったなら、「親に監督責任がある」と、加害者とされる少年自身に対してではなくその保護者にたいして取材をしているようなものでは。
(ちょっと例えがよくないかな。要するに、あなたが取材しようとしているのは果たして当事者なのかという疑問を説明するための例示です)
私見ですが、本質に「数の暴力」みたいなことがあるのではないでしょうか。そしてそれは、マスコミだろうと市民だろうと、変わりないのではないでしょうか。
(具体例↓)
http://frat.jp/archives/bangumi/expo2005/item/356/catid/66
あなたの書いたものを読んでいると、一般の方が、どうマスコミというものを認識しているかがわかり、その点では興味深いです。マスコミというのを、あくまで記号としてしか見ていない。
記号化し、図式化することはわかりやすいことですが、細部に目を向ける努力を放棄してしまう危険性があります。「神は細部に宿る」のかもしれないのに。記号化、図式化による決めつけは、異端の排除という独善的な結果をまねくかもしれません。
また、マスコミは多数の視聴者や読者に伝えるために、「わかりやすさ」を求めます。あなたがマスコミを記号化、図式化してとらえているのは、そうしたマスコミが伝える「わかりやすさ」の模倣ではありませんか。
ただし、マスコミの「わかりやすさ」とは、複雑な事実を深く取材し、把握したうえで、それをいかに、視聴者に誤解を与えることなく、正確に、しかもわかりやすく伝えるかという努力の結果だと思っています。

投稿: fratdrive | 2005年1月22日 (土) 17時02分

今週の取材記を一通り読んでて感じたことは、マスコミの視聴者へのスタンスだと思います。
主目的の答えは出なくても、私のような1視聴者をマスコミがどのように扱っているのかよくわかります。
決して無駄じゃないと思いますからこれからも頑張ってくださいね

投稿: 旬 | 2005年1月22日 (土) 18時15分

tonさん
参考になります
名刺は置いてきますが、封筒は置いてませんでした
女性ひとりでやっているので、住所を出すことは控えています
仮設住宅ではパソコンが使える環境が整っていませんからメ−ルもできません
とても悩ましかったです
人脈はこれから努力して作っていこうと思います
気分転換ですかぁ・・・大好きな馬のところにも今年はまだ一度も行ってないんですよね・・・
明日はストレスを馬に全部吸い取ってもらっちゃおうかな♪

Insite さん
新潟のテレビ局からの回答は来ていません
東京に戻ってきてしまったので、新潟に行く時間が取れないと思い、連絡は入れませんでした
でもお話聞きたかったですね・・・

fratdrive さん
どういう業界の方でも、仕事に真剣に取り組み、世の中を良くしていこうと意識している人もいれば、そうでない人がいることも理解しています
だから、様々な立場の人に話を聞く必要があると思います
それには人脈が必要なのかなと思っています
これまで以上に出会いを大切にしたいと思っています

旬さん
おっしゃる通り、各テレビ局の視聴者に対するスタンスはよくわかりました
書きたいことが表現できているか、いつも不安なんですけど、ちょっとほっとしました

みなさんありがとうございます
日曜日は完全オフにしています
頭をすっきりしてまたがんばります

投稿: ぁぃ | 2005年1月22日 (土) 19時30分

いつも興味深く読ませてもらってます。住所が出せないというのはなかなか難しいかもしれませんね。信用にも関わってくるでしょうし、文書で連絡する手段は必要になってくるでしょうし。私設私書箱などを利用されてはどうでしょう。既に検討されているかもしれませんが。

投稿: yuka | 2005年1月22日 (土) 20時24分

マスコミの一般視聴者へのスタンスについてですが、誤解されているのでは。
ぼくが、一般視聴者としてテレビ局に電話をかけても、だいたい丁寧に対応してもらってます。
代表から番組のスタッフルーム(あるいはプロジェクトルーム)に電話が回り、電話に出た番組スタッフの方は、普通にきちんと対応してもらっています。
ただし、あなたが問うているような、答えに窮するような内容ではありませんが。さっきOAしてた内容の詳細を教えてほしいとか、そういう具体的な問い合わせですが。
しかし、一般視聴者だから鼻にもかけない、という態度では決してありません。
また、一般視聴者からのご意見についても、私が制作にかかわった番組の場合、常に丁寧に対応しています。番組放送時、制作スタッフは部屋に待機します。番組にもよりますが、放送直後(場合によっては放送中から)、電話がどんどんかかってきます。その電話をとり、話をお伺いし、問い合わせには伝えうる限りの情報を伝え、ご意見については主張を最後までうかがったうえで、内容を上司に報告します。何度も何度も同じ主張を延々と繰り返す方も中にはいますので、最後までつきあえない場合もたまにありますが。
しかし、テレビ局に直接電話をかける視聴者というのは、そんなに多いものではありません。番組ホームページを開設したりすると、視聴者の方から、ものすごい数のメールがやってくることもあります。たとえ視聴率数%であっても、テレビの視聴者数はハンパでなく多いのです(ご自分で計算してみてください)。深夜にまで返信していても対応キャパを越えてしまい、気がついたら未読1万通ということもありました。それでも、視聴者対応は義務だと思い、がんばってやっていた経験もあります。
取材の現場においても、冷たい目で見られながら、一生懸命に頭を下げ続けているスタッフもいます。
「どんな業界にもいい人はいるよね」という話ではありません。バイアスのかかった視点からは現実は見えないということです。

投稿: fratdrive | 2005年1月22日 (土) 22時48分

fratdriveさんへ
あなたのコメントを一通り読んだのですが、一生懸命マスコミの擁護をしているように感じます。
マスコミが被災地で行った行動を他者から質問されて、その言葉を明確に答えないスタンスっていいことでしょうか。
ご自分が当たり障りのない内容をテレビ局に電話して答えてもらったことと、あいさんの内容のマスコミへの問いかけではかなりの違いがあると思います。
今回の問いにこそマスコミはちゃんと答えようとするスタンスを見せるべきだと思います。
ご自分がマスコミ関係者だからって、擁護ばかりせずに、マスコミの悪い部分を認めましょうよ。
自分達の立場を守るためにあいさんの落ち度を突いてるだけに見られますよ。(私にはそううつります)

投稿: 旬 | 2005年1月22日 (土) 23時33分

はじめまして。最近ブログの世界にやってまいりまして、あなたの記事を興味深く拝見いたしました。大抵のブログが、身辺の出来事をめぐる話題かマスコミ報道の解釈によって構成されている中、取材を繰り返して記事を書いていらっしゃることに感動しました。七転び八起きで、気楽に、続けてくださいね。

さて、今回の取材記についてですが、
 質問状を要約すれば、「インターネット上でマスコミの失態が挙げられていますが、本当か。本当なら、どう責任を取るつもりだ」という挑戦的内容で、そりゃこんなもん送ってくる相手にゃ身構えちゃうよなあ、と感じてしまいました。
 たとえば、「10年前の阪神淡路大震災の経験を踏まえて、貴社の取材においてはどのような配慮をなさいましたか?また配慮をなさる上でどのようなご苦労がおありでしたか?」などと、最初は好意的な顔をして近づいたほうがいいだろうなあ、と。
 学生のころ、自治体の委託でインタビューなどの調査を行ったことがありますが、まず相手に「答えてやろう」という気になってもらうのが重要で、少しでも相手を責める口調になるとアウトでした。今回の取材で、具体的事実を押さえて質問できないのであれば、まずはニコニコしながら苦労話をふんふんと聞いておいて、「タバコも買えなくて困った」だの「住民と一緒にコンビニに並んだ」だのがポロリと出ればラッキー、そこを突破口に踏み込もう、てなもんじゃないの?なんて思うわけです。最初から問い詰めたいのであれば、明らかに低空から撮影している映像を示すなり、道路を塞いでいる中継車両の写真を示すなりするしかないでしょう。
 取材するからには問題意識があり、批判的視点が存在します。しかし調査にあたっては、こちらが求めている答えを感知させない方がいいです。質問の意図を読み取られると、それに迎合されたり、反発されてしまいます。
 もちろん、「ニコニコのまま帰ったのに記事で批判しまくり」では、相手はだまし討ちにあった気になり信頼関係が壊れてしまうので、取材の後半で「あなたの話を聴いて、私はこう考えたがどうか」と自らの立場を明らかにすべきでもあります。そのときは取材を踏まえての意見ですので、感情的な対立は生まれにくいでしょう。
 私は200名ほどのホームレスのみなさんにインタビューしたことがありますが、「話を聴くくらいなら財布の金を与えるべきだ。目の前で困ってるんだから」とも感じることもありました。でも、「このインタビュー結果が自治体の政策に反映して、目の前の人も含めて事態が改善される」と考えるから調査できるし、相手にも答えていただけたと思っています。
 「取材する側のマスコミだから、逆に取材されれば応答する義務がある」わけではありません。マスコミにせよ被災住民にせよ市の担当者にせよ誰でもが、好意で、若しくは報道されることによるメリットを感じるから、応答するわけです。
 たとえ批判的な記事になっても、いったん相手の立場に寄り添った取材ができれば、取材相手にも「話を聴いてもらってよかった」と感じてもらえるでしょう。
 長文になりすみません。今後のご活躍を楽しみにしています。人の話を聴くことを楽しみながら、続けていってくださいね。

投稿: an_accused | 2005年1月23日 (日) 05時46分

旬さんへ
ぼくのスタンスは是是非非です。マスコミ側でも、アンチマスコミ側でも、そのどちらでもありません。ぼくはマスコミそのものであり、同時に、一市民でもあります。そして、ここでの書き込みは、一市民としてのものです。ぼくはマスコミ“関係者”というより、間違いなくマスコミの一員です。さらにいうと、テレビ屋です。みなさんが“マスゴミ”と呼ぶ、まさにその当事者です。しかし、ぼくが答えれば済む問題ではありませんよね。
マスコミが被災地で非難すべき行動を行ったという事実があり、それについて、当事者が他者から質問されたとするならば、その当事者は答えなければならないでしょう。自分の行った行動を明らかにし、謝罪するのが当然でしょう。ただしそれは事実でなければならないし、当事者でなければならないでしょう。また、「マスコミ」というのを「テレビ局」と同じ意味で使っているのであれば、テレビ局に事実を突きつけたうえで、局としての見解なり、対応なりを求めるべきでしょう。もしそれが事実として確認されていないものであれば、根も葉もない噂を根拠にした一方的な非難となる可能性があり、それはマスコミに対してのみならず、誰に対しても、すべきではないでしょう。
なお、新潟県中越地震報道をめぐる議論については以前こちらに書きました。マスコミ批判に対するマスコミ人の反論についてもリンクを貼っています。
http://frat.jp/blog/archives/2004/11/post_47.htm

投稿: fratdrive | 2005年1月23日 (日) 14時36分

fratdriveさんへ
すごく単純なことですが、証拠を持たなければマスコミに質問してはいけないのでしょうか?
マスコミがある被災地で酷いといわれる行動をとったとあちこちで噂になる。それを「事実ですか?」と一般の人が尋ねるのに、あなたが言われるそれ相応のものを用意しなければ尋ねることもできないのでしょうか。
新聞社であろうがテレビ局であろうが、取材の出だしは不確かなものを様々な人に尋ねることから確信へ進むのだと思います。普段そのような活動で情報を得て成り立っているマスコミが自分達に尋ねる時は証拠や確証を求めなければいけないなんて思い上がりだと感じませんか?
取材とは確定事項ではなく、段階のものですよね。そこには噂の類を検証する過程があるのですから、証拠や確証がなければ尋ねてはいけないなんておかしいし、それでは取材活動が成り立たないとおもいませんか?

投稿: | 2005年1月23日 (日) 15時53分

失礼、上のコメントは私のものです。
名前を入れ忘れました

投稿: 旬 | 2005年1月23日 (日) 15時53分

旬さんへ
 ええと、横ヤリを入れるようで申し訳ないのですが、「証拠を持たなければ質問しちゃいけない」わけじゃなくても、「詰問されたくない」のは、別に相手がマスコミじゃなくてもそうなんじゃないかな、と思うんですが。
 旬さんのおっしゃるとおり、あいまいな噂が取材の端緒となることがほとんどでしょう。しかし、その噂を“社会的事実”であると(記事として)宣言できるようにするにはそれなりの段階があって、その段階を飛ばして、根拠が不明確なまま相手に疑問をぶつけても、相手は困惑するし、疑惑を否定してそれ以上の追及を避けるでしょう。
 「マスコミの方こそ、根拠もなく人を疑い報道するではないか」というツッコミもわかりますが、マスコミがそのような取材手法をとった場合、その取材は大抵失敗したり、誤報となって多大な迷惑を社会に与えているのではないでしょうか?これはたとえ警察や検察の捜査のような強制力の伴う調査であっても同様ですよね。
 fratdriveさんがおっしゃっているのは、「確証がないなら取材するな」ではなく、「取材は確証の積み上げが大事で、積み上げが甘ければその取材は失敗しますよ」ということであって、むしろ「事実に無頓着な一部マスコミの轍を踏まないように、頑張ってくださいね」というエールではないでしょうか。

投稿: an_accused | 2005年1月23日 (日) 22時56分

フレームを起こすつもりはないのですが,私はan_accusedさんのコメントとは少し違う意見(表現が違うだけかもしれませんが)を書いておきます.

これまでの記事を見て,取材の最初の段階で拒絶反応をおこされないようなやり方ができたらな,と感じていました.その点については同感です.でも,私は「最初は好意的な顔をして近づいたほうがいい」というやりかたに関しては少し意見が違います.

まず,話を聞いて,「ポロリと出ればラッキー、そこを突破口に踏み込もう」というのには違和感を覚えます.そういう姿勢の人と話をしたいと思うでしょうか.確かに,話を聞く過程で疑問に思う点や矛盾点や違和感を覚えた点があればそこを詳しく聞くというのは当然必要だと思います.でも,「求めている答え」を引き出すために,すきあらば,と構えているのとは違います.
そういう方法は結果は早く得られるかもしれませんが,一度,そういうことをされた人は二度と協力はしないでしょう.そうやって得た結果を堂々と人前に示し,次の取材時に,これが私のやってきたことです,と人に見せて協力をお願いできるでしょうか.

上で述べたのは批判的な視線を捨てる,追求を甘くするというのとは違います.批判的な目は常に必要です.<批判的>という言葉はしばしは<非難>につなげられてしまいがちなので,言葉を換えて言うとそれは正しいの?違う見方はできないか?と常に問い続けることです.それは人に対しても,自分に対しても,です.場面によっては相手に引きずりこまれないようにすることと言っていいかもしれません.

「新潟中越地震に見るマスコミの教訓」の記事で,泉あいさんが初期のシナリオ,言いたいことに固執しなかったこと,答えへの無理やりな誘導を行わなかった点を評価したいです.
#内容や追い方や議論の進め方にはまだまだ疑問が沢山ありますが.

泉あいさんは今のところ実績もないかわりにマイナス評価もついていない.話をしても,是は是,非は非として冷静な書き方をしてもらえる,裏切られることはない,決め付けででいい加減なことを書かないという信頼を勝ち得ていくことこそが大事ではないでしょうか.あの人になら情報提供してもいいかな,話をしてもいいかな,と人が思ってくれなければいずれ立ち行かなくなります.まわり道かもしれないけれど,長く続けたいならこういった方法を取るべきだと思います.たとえ是々非々をちゃんと評価しても,非を挙げられるのは痛いですから拒否されることも多いでしょう.そこは「良くして行きたい」というような熱意でカバーするしかないでしょうね.

取材を始めるには問題意識や自分なりの仮説があったからこそスタートするわけですが,取材過程はニュートラル(中立)であろうとすることが必要です.その結果,初期の考えが事実の積み重ねの前に否定されて没になることもあるでしょうが.

ですので,<まず話を聞かせてもらう>という目的は同じだとしても,自分にできる範囲で,できるだけ中立の立場であろうとする(完全に公正だとか,完全な中立なんてのは幻想で,不可能だと思っていますが)方向の努力をして,それをうまく示して理解を得る,話を聞かせてもらうようにするのが良いのではないかと思います.

まあ,個人的に話を聞くなら,寄り添って心情を聞いてくれる人に話を聞いてもらいたいと思うのも当然ですので,普通の人相手に話を聞きだすときは<公正><中立>を押し出す<ジャーナリスト>の顔で迫るばかりでなく,柔らかい接し方もいりますけど.

とても甘々な青い事言ってます.現実はそんな簡単ではないと思います.でも,皆がそれを忘れちゃっていいのかなと.

実際問題として,何らかの意図や偏り(無意識であっても)を持って接していると,質問ににじみ出るなりして見る人が見ればわかってしまいます(今回の質問状もそのあたりが少し出てしまっているのではないでしょうか).第一,それをうまく隠しとおせるだけのスキルはいまの泉あいさんにはない.それなら,最初から腹を割った話をする今のやり方でやって,冷静な観察者,記録者たらんとする,できるだけ中立の立場に立つことに力を注ぐほうがいいのではないかと思うわけです.

投稿: hiro | 2005年1月23日 (日) 23時06分

 ええっと、Hiroさんのおっしゃるとおりだと思います。取材対象ときちんと向き合い、自分の持つ問題意識や取材の意義を理解してもらえれば、取材対象との信頼関係も損なわれる危険はより少なくなります。社会調査のスタンスはそうですし、私もそうありたいと考えています。
 では、これが取材であればどうか、という問題ですが、これは視点の持ち方と仮説の立て方の問題である、と言い換えてよいかと思います。
 視点の持ち方とは、「検察官的視点」なのか「観察者的視点」なのか、ということです。
 すでに解決すべき問題が見えていて、「マスコミの傍若無人を自らの取材で白日の下に晒す」というつもりであれば(今回の取材の出発点にはその傾向がありました)、「許せない」という気持ちを原動力に、「マスコミの失態」を追い続ければよいことになります。そのときは、「失態」を暴くために「すきあらば」と構えながら笑顔で近づけばよいのです。なぜなら、たとえ取材対象から一時の信頼を失っても、「大きく見れば彼(彼女)のためにもなるのだ」という自己正当化が可能ですし、取材対象にも懺悔と贖罪の機会を与えられるからです(実際、糾弾取材はそうでしょう?)。
 ただし、単なる噂や思い込みの域を出ないことが後に判明すれば、不用意に報道することで取り返しの付かない禍根を残す危険があることも覚悟しなければなりません。
 これに対し「観察者的視点」は、まず仮説を立てる際に価値判断をできるだけ排除し、取材の進行とともに仮説も修正していきます。
 例えば「マスコミは10年前の教訓から学ばなかった」ではなく、「マスコミ取材姿勢は、10年前のそれに比べ変わったところと変わらなかったところがある」とします。そして、質問も「10年前の教訓」を明確にした上で(これは新聞倫理綱領の中で明らかです)、「10年前の教訓の、どの部分が活かされたと思いますか?」「今後教訓とすべきであるとお考えの点はなんですか?」と尋ね、教訓とすべき点が10年前にすでに顕在化していたものか、新たな課題として認知されたのか調査します。また、「教訓が活かされた」とマスコミが自己評価している点につき、現地住民等に確認していくことになります。
 この視点では、「マスコミはけっこう学んでいた」という結論にいたるかもしれません。そのような“平凡な”結果を受け入れるか、「そんなはずはない」と食い下がりつづけるか。食い下がる場合は、「検察官としての自分」をそこに発見することになるでしょう。
 今回の泉あいさんの取材を拝見して、最初の「検察官的視点」がボタンのかけ違いを招き、そこから修正しきれなかったところがあり、そこに今後の課題があるように思いました。
 青臭い表現をすれば、「心は熱く、頭は冷たく」、ということではないでしょうか。
 まあ、これは「後だしジャンケン」ですし。それになにより、泉さんの行動力がなにものにも替えがたいものであることは、間違いないことです。
(取材には「当事者的視点」もありえますが、ここでは省略します。)

投稿: an_accused | 2005年1月24日 (月) 01時01分

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