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2005年1月26日 (水)

養育する親のいない子供の難病治療 【取材記3日目】

Nabyou 今日は、病気の子供を支援するNPO法人に方にお話をうかがってきました
そのNPO法人についての資料を読むと「多くの人は病気とは無縁のところで生活しているが、病気の問題は当事者である子供や両親だけの問題ではない。社会の人間観や生命観が反映するもの。」(簡略)と書いてあります
直接お会いして話を聞くまではどういうことだかピンと来ませんでしたが、学校の問題についてのお話をうかがって少し見えてきたような気がします
そして、今回のテ−マの中で、親の未熟さが浮き彫りになってくるであろうと思っていましたが、どうしてそのような親のいる社会になってしまったのか、親の責任を問うだけでなく、今の社会の現状をもっと知る必要があると思いました

世の中のほとんどの人は、病気の子供についてあまり関心がありません
今回追っているような施設で生活している子供のこともあまり知りません
私の身近なところにも、そういう施設がありましたが、できるだけ見ないようにしていたように思います
かわいそうだからと目を逸らすのではなく、先ずは現状をよく知ることからはじめないと、社会は病気の子供や施設の子供を受け入れることができないと感じました

前回のテ−マは大き過ぎて、なかなか焦点を絞ることができなかったのですが、今回は施設に入っている子供で、なおかつ終末医療を必要としているということでは、極端に絞り過ぎたと反省しています
極端な事例を知れば、はっきりとその問題に焦点が当たると考えたのですが、(喜ばしいことなのですが)事例が少なすぎて明確な問題提起ができないと気づきました
明日からはもう少し枠を広げ、アプロ−チも変えて取材してみます
それに伴ってタイトルを変更するかもしれませんが、ご理解ください

今日もいろいろ電話をしましたが、突然電話をかけた私に「こういう施設だったら何か知ってるかも」とご紹介してくださる方がいます
その中で「以前は東京都立で親のいない病気の子供が入る施設があった。そういう子がいたとしたら、そこに入れられたんだろうな。」という情報をいただきました
その施設には診療所があって医者が常駐し、そこから近隣の学校に通うという、医療・教育・福祉が三位一体となった施設だったそうです
ところが、2年前に東京都のリストラ計画で真っ先に廃止になったそうです
30名ほどいた生徒さんは、病院や他の施設へ移され、職員の方も他へ配置換えになったそうです
どういう事情でこの施設がリストラの対象になってしまったのか、別の機会に調べてみたいと思います
関東ではありませんが、同じような施設があることがわかりましたので、こちらも当たってみます

児童福祉施設出身の方からもお話を聞くことができました
「施設を卒業した今は、いろいろな世界を持つことができるけど、子供の頃は施設の中の世界が全てだたった。
施設での生活が普通だし、今ならおかしいと思えることも、あの頃はそこで行われていることが当たり前だと思っていた。
例えば、いたずらをしてごはんを食べさせてもらえなかったり・・・とか、施設は家庭じゃない。
お父さんがいて、お母さんがいて、兄弟がいて、みんなで食卓を囲む風景はテレビの中でしか見たことがないおとぎ話のようなもの。」
自分にとって当たり前だったことが、すごく恵まれたことだとわかって、親に感謝する瞬間でした

私は大変なわがまま娘であったために、高校生の時に学校の寮に入れられた経験があります
確かに寮生活の中に家庭という空気はなく、学校の延長です
私のいた寮では全員個室で、自分の空間は確保されていました
その方の施設では、2人部屋か4人部屋で、抜き打ちで持ち物検査があるなど、プライバシ−は全くなかったそうです
寮ならば、退寮という選択をすることができますが、施設で生活する子供の場合、選択権はありません
私の寮生活は、月曜日から金曜日だけ
毎週土曜日になると家へ帰って、月曜日の朝に寮に戻るというサイクルで、土曜日が楽しみで仕方ありませんでした
1度だけ日曜日の夜に寮に戻らなければならないことがあって、その夜、涙をこぼしながら眺めた窓の外の景色を今でもはっきり憶えています
心に穴が開いたような孤独感を味わい、結局1年契約の寮から、通院を理由に途中で逃げ出しました
母親に「ごはんがまずい」と言ったのも「腕が痛い」と言ったのもみんな嘘です
自分の家にいるという安心感は、寮では得られません
どれほど回りの大人が努力してくれても、施設という場所は、家庭の代わりをすることはできないのかもしれません

「親が面倒をみれない子供を一時的に施設に入れるのは仕方ないが、里親を探す努力をするべき」という話も出ました
昨日の取材で、日本の里親制度が遅れているということがわかりましたが、現場は深刻なんだとわかりました

「卒業した今だからわかる、今だから言える」ということもあるようなので、明日からは視点を変えて、施設を卒業なさった方へもアプロ−チしてみようと思います

    【 今日の覚書 】

  • NPO法人へ行く
    最近は共働きのご両親が多いので、病院の面会もなかなか来れないことも多い。
    ここに連絡があるのは、仲間探し(自分と同じ病気の人を探す)が目的であることが多いし、我々のところは家族力を重視しているので、親のいない子供は来ない。
    虐待などは、親の責任もあるけど、社会が充分役割を果たしていないのではないか。
    例えば、学校を選ぶ権利はあるが、その権利を行使しにくくなっているのが実態。
    病気を持っていても普通学校に通うか、養護学校に通うかという学校を選ぶ権利を親は持っているが、学校の壁が高すぎてなかなか超えられない。
    受け入れるか受け入れないかは校長が判断し決めるが、いざ学校に通うとなっても、多くの教員がいて、生徒がいて、父兄もいるわけで、いろんなとこでいろんなことにぶつかる。
    我々が学校に行って、人形(写真)を使って障害を持つ子供のことを理解してもらえるように働きかけている。
    無理に普通学校へ行く必要はなくて、普通学校が全てというわけではないので、子供の状態をよく見て、学校のことをよく知って選択するべき。
    もし、うまく行かなければ転校すればいい。
    病気の子供がいること、いろいろな問題があることを社会の人に知ってもらうのが我々の仕事であり、親の役目です。
  • 4つの団体、2つの施設、病院内の養護学校4教室、2人の個人の方と電話で話した。
    ある施設で、過去に2人亡くなった例があった。
    ひとりはてんかんの発作で、意識が戻ることなく亡くなり、ひとりは元々体質の弱い子で、インフルエンザのような病気で亡くなった。
    いずれも15年以上前の話なので、その時親が面会に来たどうかなどの詳細はわからない。
    入所依頼では、おなかに穴が開いて、そこから管を入れ流動食しか食べられないという子供がいたが、今の施設では受け入れらない。
    その子供が最終的にどこに引き取られたかはわからない。

    東京都立成東保健院という養育する親のいない病気の子供が生活する施設があったが、2年前に廃止になった。
    廃止の理由は東京都のリストラ計画で、30名いた生徒は病院や他の福祉施設などに分けられた。

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コメント

 おはようございます。【取材記3日目】、興味深く読ませていただきました。このテーマは、医療の側からと福祉の側からのアプローチが可能なので、うまく取っ掛かりがつかめれば、奥行きのあるレポートが書けると思います。NPO活動は、人と人とのつながりが財産みたいなものですから、関係者にきちんと取材の趣旨を説明できれば、いろんな方を紹介していただけるでしょう。
 「東京都立成東保健院」は、「都立成東児童保健院(2003年3月廃止)」のことですね。もうご存知かも知れませんが、こちらの院長をされていた白井徳満さん(小児科医)は現在、自殺防止に取り組む「社会福祉法人 いのちの電話」の理事長をされているようで、また終末期医療や“人の死”に関する著作や翻訳もおありです。泉さんの関心領域と近いのではないかと思いますので、念のためお知らせいたします。
 なお、「成東児童保健院」の廃止後、「保健院」とかかわりをもった方々によって「つなぐ会」というボランティア団体が作られ、他施設に移った子どもたちの訪問などを行っているようです(http://tunagukai.ifdef.jp/top.htm)。彼(彼女)たちなら、施設に入所している子どもたちとの接点を作ってもらえるかも知れません。

 最後に。昨日hiroさんがおっしゃっているように、人のプライバシーに踏み込むことは、ものすごいエネルギーと覚悟を必要とします。阪神淡路大震災の際、毛皮を着て取材に行ったマスコミ人が非難の的になったというエピソードをご存知かと思いますが、「見られる側」というのは「見る側」の“ちょっとした無神経さ”に敏感です。しかも相手は多感な子どもです。当たり前のことですが、子どもにアプローチするときは、関係者の方とよく話し合った上で、腹をくくって臨んで下さい。
 元気に、したたかに、そして繊細に。頑張ってくださいね。

投稿: an_accused | 2005年1月27日 (木) 05時33分

施設出身者のアポイントをまだ取れてもいないのに、どんな質問をすれば傷つけることなく実態を引き出せるのかということに気を取られ、気づいたらくたくたになっていました
今夜はぐっすり休みます

それにしても、みなさん知識が豊富でいらっしゃいますね
私はおばちゃんなのに、薄っぺらい人生を送ってきたと反省しています

投稿: ぁぃ | 2005年1月28日 (金) 01時49分

私は、いました。児童保健院に10年位ですが

投稿: 西田 | 2005年5月22日 (日) 12時24分

私もいましたよ。
半年というごく短い期間でしたけど。

投稿: 奈波 | 2005年6月 9日 (木) 20時26分

西田さん、 奈波さん
コメントくださったことに感謝しています
西田さんの10年間、 奈波さんの半年間、そしてその後のこと
私には、想像できませんが、ここでお会いできたことは、とてもうれしいです
ありがとうございます

投稿: ぁぃ | 2005年6月 9日 (木) 21時59分

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