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2005年1月25日 (火)

養育する親のいない子供の難病治療 【取材記2日目】

Micky 昨日から今日にかけて、あらゆる施設やNPO法人に電話をかけまくっていますが、欲しい情報はなかなかいただけません
でも、単純に両親が亡くなったから施設に預けられるというケ−スは少なくて、最近では、両親の離婚や虐待によるものが多いということなど、養育する親のいない子供の現状が少しずつわかりはじめています

大好きなパパやママがそばにいてくれなくて、なおかつ病気になってしまった子供の心細さを知り、大人たちで何かサポ−トできることはないか考えてみようと思ってはじめた今回の取材でしたが、親の未熟さを感じずにはいられません
ひとことで虐待と言っても、暴力を加える他に、毎日外に出して家を入れないとか、充分な食事を与えないとかいろいろあるようです
施設の人も虐待に関しては話したいようで、電話口だけでもいろいろな情報が挙がってきます
でも、今回私が欲しい情報は、あまり表に出されることのない難病治療に関するものです
児童福祉施設で生活している子供が、長期入院が必要な病気にかかった時、どういう施設に預けられ、身の回りの世話は誰がするのだろうか
その決定はどの機関で下すのか
親や親族が治療費の負担ができなくて、保険適用外の高額な治療費がかかる場合は、その子供は治療を受けることができるのか
不幸にして亡くなった場合、遺骨の引き取り手がなければどうなってしまうのか
これらの疑問は行政ですぐに教えていただけるものだと思っていましたが、取材を受けるかどうかというところでの判断さえ難しいようです
私は、現状を隠す必要は全くなくて、行政でできることに限界があるならば、それを提示し、みんなで考えていくべきだと思っています

でも、私が児童相談センタ−にお願いしたいのは、もっと別のところにあります
実際にあったケ−スを聞き、またその子供に係わる人たちの生の声を聞くために、施設や病院を紹介していただきたいというところです
直接患者さんである子供と係わった人に、その生の声を聞かせていただきたいのです
例えば、他の子のところには、いつもママがいてくれるけど、自分のところには、パパもママもお見舞いに来てくれないというさみしさ
誰にも必要とされていないと、闘病する気力がなくなってしまうむなしさ
そういう子供の気持ちを知りたいと思っています
直接患者さんとお話する機会を持てたら、一緒に遊んだり、本を読んだり、歌をうたったりして、その時の子供の表情を見たいと思っています
それが難しいようであれば、付き添いさんや看護師さんなど、周囲の人の声を聞きたいです

今のところ、児童相談センタ−からも紹介できるかわからないと言われ、各区にある児童相談所も児童相談センタ−に言ってくれと言われています
都内にある児童福祉施設も20箇所近く電話をしましたが、そういう子供はいませんと言われました
病院の敷地内になる施設にも電話をしましたが、「ぜんそくやアトピ−ならいますけど」という回答で、うれしいことですが大きな病気にかかった子供に出会うことはありません

施設で生活する子供は大きな病気にかからないと断言できるはずはないと更に電話をかけて、あるNPO法人の方にドーン・イングリッシュさんという人を教えていただきました
アメリカ人のドーン・イングリッシュさんは3000人以上の里子を育てられた方で、その3000人の中で亡くなられた子供はひとりだそうです
興味深いのは、アメリカには医療里親という制度があるというところです
看護師さんの資格をお持ちのドーン・イングリッシュさんも登録なさっていて、看護師などの資格を持った方は、難病治療が必要な子供の里親となることができるが、日本では、虐待に対する専門里親がやっとできた状況だそうです
健康な子供ばかりではないので、この点ではアメリカを見習うべきだと思います

「元虚弱児が生活する施設がある」とある施設の園長さんが教えてくださって、その施設へ電話してみましたが、「公の機関であるとか大きな出版社に所属されてないと取材は受けられません」と言われ、今週もまた自分の無力さを痛感しています
壁にぶち当たっていた時、an_accusedさんのコメントを拝見し、すぐに電話をかけました
NPO法人は行政よりはオ−プンといった感じで、協力していただけそうです
何か情報を得られるかもしれないので、他のNPOにも当たってみます
(行政は立場上プライバシ−を守る義務があるので、すぐにお答えをいただけませんが、決して取材に協力してくださらないということではありません
時間を割いて私の話を聞いてくださいましたが、立場上応じれないこともありますということでした)

    【 今日の覚書 】

  • 東京都福祉局 児童相談センタ−へ行く
    取材を受けるどうかを決定する担当者が昨日から外出中なので、昨日の電話と今日行って話した内容を伝えてもらう。
    更に、質問状を出して欲しいとのことで、メ−ルで提出した。
    「児童虐待防止法」が昨年4月に改正され、虐待を受けたと思われる児童を発見した場合、児童相談所などに連絡しなければならなくなった。
    不幸にして亡くなった場合、誰も遺骨の引き取り手がなければ、都内の霊園内にある慰霊碑の中に入れられる。
    その慰霊碑を祭る行事が年に1回、都の主催で行われているが、この慰霊碑自体かなり古いもの。
    おそらく戦争中に建てられたもので、当時は身寄りがない子供が亡くなることも多かっただろうが、最近ではほとんど遺骨が納められることはない。
  • 3つのNPO法人に電話をかけ、そのうちの1つに明日会っていただけることになった。
    他の2つは担当者が不在であるため、明日再度電話します

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コメント

> 例えば、他の子のところには、いつもママがいてくれるけど、自分のところには、パパもママもお見舞いに来てくれないというさみしさ
> 誰にも必要とされていないと、闘病する気力がなくなってしまうむなしさ

この,「さみしさ」「むなしさ」に泉あいさんの価値観からの決め付けが入っていませんか?「かわいそう」という周囲の決め付けが<かわいそう>な人をつくってしまうということを考えられたことはあるでしょうか.一見当たり前のように見えることでも常に疑い続けるというのはそういうことです.
#考えた上なら私の勇み足ですので謝罪いたします.

> 直接患者さんとお話する機会を持てたら、一緒に遊んだり、本を読んだり、歌をうたったりして、その時の子供の表情を見たいと思っています

泉あいさんがそうしてみたい,というのは結構ですが,それは患者さんの真の幸せに繋がる形になるように本当に良く良く考えてください.決して自己満足に陥ることなく.何度か来てくれた「その人」が来なくなって「さみしさ」を感じさせるようなことはしないでください.

そういったことも十分考えた上で何かできることがあれば本当に良いですね.私自身,このような微妙な問題に対して考え尽くせておらず,自らの発言にも問題がありそうで書くのが怖いです.

1/22日のエントリでは調子に乗って不要なコメントをしてしまったと反省している面もありますし,私が書かなくても誰かが書くのかもしれませんが,微妙な問題だけにあえて書かせいただきます.泉あいさんの意欲を削ぐようなことはしたくありません.このような指摘にめげないでいてくれるといいなと思います.

投稿: hiro | 2005年1月26日 (水) 00時15分

 こんばんわ。精力的に取材なさっておられるようですね。

 昨日に引き続き、【取材記2日目】を拝見した感想を述べさせていただきます。
 「価値観(先入観)による決め付け」の問題については、すでにhiroさんが的確なアドバイスをされていますので多くは述べません。全ての取材者は先入観を持っています。当初の先入観を修正していく能力があるかどうかが、よき取材者か否かを決定するとだけ付言しておきます。

 まず。
 マスコミのドキュメンタリー取材だって、何ヶ月も(時には何年も)関係者に対する取材を重ね、取材の意図と報道の公共性を理解して頂く努力をしています。
 おそらく、あなたの問い合わせに応じたNPOや児相の職員の方は、あなたが一週間でこの問題から離れていくとは思っていないでしょう。また、もしそのことを知っているなら、決してまともに取り合おうとはしないでしょう。それほど大きなテーマであるということです。
 あなたの好奇心を満たしてあげなければならない義務は誰にもありません。職員の方々は、自らに課せられたプライバシー保護義務と、あなたの取材の「公共性」とを慎重に衡量しながら取材に応じているのだと思いますよ。あなたには、行政が隠しているように見えているのかも知れませんけれど、そういうことです。
 あなたの取材が個人的な好奇心を満たすにとどまるものではなく、(具体的な手段を伴って)公的な問題提起を目的とするものであることを取材対象に理解してもらえるよう、頑張ってくださいね。

 さて、前向きな話を少し。
 「重い障害を持った方の終末医療についての仮討論」というエッセイがありますので、紹介しておきます。http://japan-lifeissues.net/writers/sug/sug_01disabled.html
 あなたのテーマである「すでに親を失った子どもが難病に罹患したとき」とは状況が異なりますが、子どもを施設に預ける親がさまざまな事情を抱えているものであることを汲み取っていただければ幸いです。

投稿: an_accused | 2005年1月26日 (水) 02時15分

hiroさん
初めは取材する人の価値観や興味からはじまってもいいんじゃないかな。
その後の取材活動で出てきた事実を歪曲しないでそのまま発表するスタイルなら。
「新潟地震のマスゴミ」の記事はもろにそれでしょ。
これって私たちみたいに考えてるだけでは見えなかった結果。
行動してこそ見えるものがあるし、私はここのblogにその行動と歪曲しない結果を求めています

投稿: ガジ | 2005年1月26日 (水) 10時41分

追記
取材を始める前に思考しすぎるよりも、出てきた結果をどう発表するかに思考し考慮するべき。

投稿: ガジ | 2005年1月26日 (水) 10時47分

私の書き方が悪くて,きつい文章になっていました.ごめんなさい.決して責めているわけではありません.

>初めは取材する人の価値観や興味からはじまってもいいんじゃないかな。
>その後の取材活動で出てきた事実を歪曲しないでそのまま発表するスタイルなら。

これはその通りだと思います.
スタートはその人なりに何かを感じたから始めるのだと思います.ここは自分の価値観に深く根ざしたものになるのは自然なことです.偏りや思い込みの無い人間なんていません.あって当然です.けれども,それを持っているために事実を「歪曲」(と書くと意図的に感じてしまいますね.ここでは意図しないものも含めてです)してしまう,あるいは固定的な見方から離れられないことがあります.だからこそ取材の間を通して常に,自らの視点に歪みや偏りが無いか徹底して検証する必要があるのではないかと思います.

実際のところ,自分の持つ思い込みを排除するというのはとても難しい作業です.特にそれが価値観に根ざすものの場合,自分で気づくのは困難だと思います.そういうときに価値観の異なる他人の目からの検証は有効です.
#先の私のコメントは「自分で気づくべき」というような書き方で,不適当でした.

プロの取材現場を私は知りませんが,取材者の思い込みがないかどうか厳しく検証されていると推測します.泉あいさんの取材記は,本来なら表に出てこない記事の製作過程が出ています.その過程で読者がチェック係をし,おかしいと思った点,疑問を感じた点を指摘することで思い込みを多少なりとも排除でき,質の高い記事に繋がるのではないでしょうか.
#私も企画段階,下調べ段階でもっと練り上げた方が効率が良い気がしますが,作者のスタイルの問題でもあるので.

あと,今回は心の問題を取り扱っているので念のため確認したかった面もあります.人の心に踏み込むのは慎重に慎重を重ねるべきだと思います.土足で踏み込んではいけないのはもちろんですが,働きかけをする以上,どんなに配慮しても傷つけてしまう可能性があります.そして,心の問題は「失敗しましたごめんなさい」ではすまないこともあるのです.

投稿: hiro | 2005年1月26日 (水) 23時29分

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